今回は4月17日に続いて
大村はまさんの「灯し続ける言葉」の紹介3回目です

73歳まで現役教師 国語教育で知られる実践家
ペスタロッチ賞受賞者
98歳で亡くなられるまで
生涯国語教師であられた大村はまさん

ひとことひとことが胸に刺さります
励まされ 元気づけられ やる気にさせられます

また厳しい言葉に 背筋を伸ばしてしまいます



昨日は 先週に続いて田の畦草を刈りました
草払い機の使い方が少しうまくなったような気がします

その後 午後 学校へ花の水やりに行きました
休日は同僚のNさんと分担してやっています
Nさんに頼りがちなのですが…
遅くなってしまったからなのか 一部のプランターのパンジーが
随分としおれてしまっていました
たっぷり水を掛けておいたのですが 心配です
しっかりしなくては…



ゴールデンウィークが始まりました
浜松の中心部にお出かけの際は ぜひ ザザシティ中央館にお寄りください

3階では 浜松ジオラマファクトリー
※浜松ジオラマファクトリー公式HP
http://hamamatsu-diorama.com/
4階では 石川香雪書展
※ ART BOX★一番星HP
  http://www.fukurou.co.jp/zaza/art.html

が行われています








☆『灯し続けることば』大村はま 小学館 ③ 2004年



◇そのほかのことは、うれしかった思い出にすぎません

 子どもと遊ぶとか頭をなでるとか、そういうことも子どもへの愛情の一つの
表現かもしれませんが、それだけで愛情を表しきれるものとはお思いにならな
いでしょう。

 教師としての子どもへの愛情は、子どもが私の手から離れたときに、人間と
して一人で生きていく力を身につけさせることだと思います。
 それができなかったら、子どもを愛したとは言えないのではないでしょうか。

 国語教師としての私の立場から言えば、そのときに十分なことばの力が身に
ついているということです。
 日常の話したり開いたり、読んだり書いたりするのが十分で、何の抵抗もな
くそれらの力を活用していけるようになっていたら、それが私が子どもに捧げ
た最大の愛情だと思います。

 後になってみれば、一緒に遊んでもらった、頭をなでてもらったなど、その
ほかのことは単にうれしかった思い出にすぎません。生き抜くときの力になっ
ていない単なる愛は、センチメンタルなものだと思います。



◇教師は、渡し守のようなものでしょう

 卒業生がいつまでも遊びに来て、先生先生と慕ってくれるのがうれしいとい
う方があります。もちろん、そうでしょう。

 でも私は、子どもが卒業していったら、私のことは全部忘れて、新しい学校、
新しい友達に慣れて、新しい自分の世界を開いていってほしいと思います。

 教師は渡し守のようなものだから、向こう岸へ渡した子どもたちにはさっさ
と歩いていってほしいのです。そして私はまた元の岸へもどって、次のお客さ
んを乗せてこぎ出すのです。

「どうぞ新しい世界で、新しい友人と、新しい先生について、自分の道を開拓
 していって」

と思いつつ、子どもを見送っています。



◇興味を持つべきところに、子どもを連れて行くのが教師です

 子ども中心の授業、子どもの興味・関心に沿った授業が、たいへんよいもの
とされているようです。
 でも、子どもというのは大変未熟な人たちで、自分が何に興味を持っている
のか、よくわからないことがしばしばです。あるいは、ちょっとそれたほうに
興味を持っていることもあります。
 そんな人に「あなたの興味を持っていることは?」ときいて、そこから自然
発生的に授業をしようとしたら、大変レベルの低い、あるいは狭いものになっ
ていきます。

 これとこれをしなくてはならないのに、子どもが「やりたい」と言わないか
らやらないというのでは、教育にはならないのではないでしょうか。

 子どもがそのとき、興味を持つべきことに興味を持つように連れて行く、指
導する、それが教師だと思います。子どもの興味を大事にするけれど、ぜひ関
心・興味を持ってくれなければならないことに、きっちりと、向けて行かなく
てはならないのです。

 ただ子どもの後をついていくのではないのです。かといって、先生の押しつ
けではありません。

 素人がやりますと、「人にすすめられた」「押しっけられた」という感じを与
えてしまいがちですが、本当の教師なら、ぐんと引っ張っても子どもはそんな
気がしないで、自分から発したもののように感じるのです。そこが腕前です。

 もちろん、それには時間をかけて、いろいろと工夫をします。ですから子ど
もは、それが自分の中からわいたものというような気持ちになって、学習を自
分のものにする意識になるのです。