「わたしの校長奮闘記」山内宣治 一茎書房 2000年 ⑥(最終) /「日本人の死はどこへ行ったのか」山折哲雄・島田裕巳 朝日新書 2008年 ①(前半)【再掲載 2017.4】 [読書記録 教育]
今日は4月28日、日曜日です。
今回は、4月25日に続いて、山内宣治さんの
「大わたしの校長奮闘記」の紹介6回目 最終です。
出版社の案内には、
「学校が学校となる。喜博を追い求めた著者が、涙あり笑いありのエピ
ソードを交えてかきつづった学校づくりの物語。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「もし子どもが悪くなったら、それ は自分の責任であると考えて教師
である自分を人間としてみがき、その上でどんな思いをしてでも輪郭
のはっきりとした子どもを育てなければならない。」
・「ある時期には一つのことを徹底してやり、それで子どもに自信をつけ
させるということはあって良いことである。と同時に、学校の教育は、
教科学習に限らず、あらゆる領域の中で行うべきで、中でも、並んだ
り歩いたりなどの日常行うことで、本当に主体的に行動しているかど
うかにこだわり続ける必要がある。」
・「自分の仕事が独りよがりにならないためには、学校というのは社会に
開かれたものでなければならない。」
もう一つ、再掲載になりますが、山折哲雄さん、島田裕巳さんの
「日本人の死はどこへ行ったのか」①を載せます。
☆「わたしの校長奮闘記」山内宣治 一茎書房 2000年 ⑥(最終)
◇津久志小学校学校経営方針②
1.教育目標
〈集中力があり、主体的に生きる子どもの育成)
人の言うことをきちんと聞き取ることができ、常に頭を働かせて自分
から行動することのできる子どもになれば、その子どもは「集中力があ
り、主体的に生きている」と考えてよいのではないか。
2.学校経営の方針
①教師である自分を人間としてみがく
たとえ教え方はまずくとも、教師の人間性が子どもを変えるという
ことはありうることで、そういう意味では、教育は「人」である。
もし子どもが悪くなったら、それは自分の責任であると考えて教師
である自分を人間としてみがき、その上でどんな思いをしてでも輪郭
のはっきりとした子どもを育てなければならない。
そうして子どもを育てることが、同時に人間としての自分を成長さ
せることにもなる。
②教師としての専門性を培うため、はだかになつて学ぶ
教師という仕事は職人と同じで、子どもを変える事実を創り出すた
めには、教師としての専門性を身につけておかなければならない。
それには、研究者や優れた実践家を自ら求め、そして、どんなもの
からでも、はだかになって学ばなければならない。
③あらゆる領域で子どもを育てる
教育というのは、何かで自信をつければそれが波及して別の面にも
効果を及ぼすということがある。
だから、ある時期には一つのことを徹底してやり、それで子どもに
自信をつけさせるということはあって良いことである。
と同時に、学校の教育は、教科学習に限らず、あらゆる領域の中で
行うべきで、中でも、並んだり歩いたりなどの日常行うことで、本当
に主体的に行動しているかどうかにこだわり続ける必要がある。
そんな地道な日常の営みの積み重ねでこそ真に主体的な子どもは
育つのだと考える。
④開かれた学校にする
私たちは、「教育とは何か」ということを実践を通して哲学的に捉
えておかなければ教師が最善であると思ってすることが、むしろ子
どもをだめにしてしまうということがある。
教育という仕事はそういう怖い側面を持っているということを自戒
して、常に「教育とは何か」ということを自分の仕事に問いかけ、子
どもの事実でもって検証していきたいものである。
要するに、自分の仕事が独りよがりにならないためには、学校とい
うのは社会に開かれたものでなければならない。
3.重点目標
(1)一人ひとりが力を出しきって学習する集団をつくる。
① 人の言うことは、一回で正確に開く。
② 常に頭を働かせ、自分の判断で行動する。
③ 不思議に思ったり、変だと思うことを問題として追究する。
④ 自分の考えは必ずみんなの前に出す。
⑤ 合唱や表現・行進など、他の人と対応して、身体で自分を表現す
る。
(2)継続して取り組むことの大切さを分からせる。
① 毎朝の走ろう運動を続け、自信をつけさせる。
② 時間を工夫して毎日柔軟運動を行い、あらゆる運動の基礎づくり
をする。
③ 書き込みやノートづくりを工夫して、個人学習を充実させる。
④ 掃除や草花づくりなど、努力の成果が目に見えるように工夫する。
(3)小規模校で学ぶことの良さを最大限に利用する。
① 美術館を利用した学習など、杖外学習を積極的に取り入れる。
② 器械運動など個人指導を要する教材を積極的に利用して自信をつ
けさせる。
(4)心のふれあいを大切にする。
① 世代間交流・ふるさとづくりなど、地域との交流を深める。
② 交流学習、集合学習など、他校との交流をして人間関係を広げる。
③ 山百合訪問、地域美化活動など、勤労生産奉仕活動をすすめる。
(5)中身のある研修にするよう工夫する。
① 事実に即して考えるような授業研究を中心に据える据える。
② 校内研修を公開する。
③ 教職員の人間性を豊かにするための研修を取り入れる。
④ 雑談を大切にする。
この学校経営方針は少なくとも総花的ではなく、もしかすると広島県
では少し変わっていると思われるかもしれない。
しかし、私は、これほど具体的で、校長の顔つきがはっきりとした経
営方針はないと自分では思っている。
一言で言えば、教育は「人」である。だから、教師を育てるのが校長
の仕事ですよと、校長の責任を明確にした内容になっている。しかも、
今まで津久志小学校でやってきたことを意味づけて広がりを持たせ、こ
れからの方向をはっきりとさせているつもりである。
私は、これまで二十数年間、公立学校の教師をしてきたが、自分の勤
める学校の教育目標を覚えたことは、たったの一回しかない。
その一回というのは、恥ずかしながら校長の登用試験の問題に出るか
もしれないからと聞いて覚えたにすぎないもので、子どもの教育の指針
として覚えていたことは一度もないというのが実情である。
私がずぼら教師であるからそうなのか、あるいは、学校というのは一
般的にそういう実態にあるのかそれは分からない。
(以下略)
☆「日本人の死はどこへ行ったのか」山折哲雄・島田裕巳 朝日新書 2008年 ①(前半)【再掲載 2017.4】
◇人はなぜ死ななければならないのか
五山の送り火で心して御霊をお送りしたい
時代を超えて働きかける共鳴装置としての自然
あの世とこの世の対話という問題
宗教は哲学の中心だった
宗教学と宗教の間をどうつなぐか
◇魂が行くところ
落日の彼方に浄土あり
日本人の浄土信仰・落日信仰
親鸞の浄土観は海上浄土観
この世とあの世を半々に見る
半眼
~ あの世とこの世,過去と現在
海岸ではブッダ一本槍
日系人の為に開教師(戦前は浄土真宗一色)
夕陽と天国という思想
日本人の夕陽信仰
この世にとどめようとするエゴイズム
→ 位牌より写真が中心に
昔は静かで穏やかな写真
→ 明るい,最近の写真
= 本来なら送るべき死者を引き留めようとする生者のエゴイズム
往生際の悪さ
不分明な人生の区切り
伊勢神宮遷都
~ 20年で神の死と再生
20年間で組織は変わらなければならない
死がタブー視されている 公務員の新陳代謝
① 文科省は「生きる力」一本槍
一方で死を受け入れる心の教育の必要性
② 「共生」メッセージ
本当は共生共死
日本の社会は「生きる力」と「共生」
創価学会
2代目会長戸田城聖『生命論』 = 現世中心主義
- (他の日蓮系 霊友会,立正佼成会は先祖供養が核)
友人葬
死ぬ神 死なぬ神
大無量寿教 法華経
創価学会
- 先祖供養を大事にしない
~ 近代主義?
死を内面化してきた民族
「死ぬ覚悟で」
土地と神との関係
日本人の信仰は本質的には人信仰
◇日本人の死(1)
殺すなというメッセージ
神殺し,仏殺しの時代
本題に触れることをいやがる時代
~ 覚悟がない
個と組織のどちらを選ぶか
日本最古の企業
= 金剛組(寺社建築) 創業578年
千数百年かの歴史
日本の会社
個人が会社という組織を守りつづれた
←→ 企業は属した人の生活保障
西欧
① 一神教
② 契約
組織を裏切るなというモラル
日本は契約社会でなく信頼社会
日本
→ 個人主義を良質の集団主義の中に抱え込んだ
= 比較的良識のある管理社会
組織が存在しないイスラム社会
コーラン(神のメッセージ集)
バディース(ムハマントの言行録)
イスラム法
- シャリーアが重要
カメラマンの死
「ひとり」という言葉
大和言葉「ひとり」
ワーキングプアの中から一人の一遍,一人の空也が…
和して同せず
最近の若者
- はっきりした集団は嫌だけど群れてはいたい
群れ
ひとりになりたがらない = 自立できない世代
殺意の蓄積
平等社会 (他人と比較)
今回は、4月25日に続いて、山内宣治さんの
「大わたしの校長奮闘記」の紹介6回目 最終です。
出版社の案内には、
「学校が学校となる。喜博を追い求めた著者が、涙あり笑いありのエピ
ソードを交えてかきつづった学校づくりの物語。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「もし子どもが悪くなったら、それ は自分の責任であると考えて教師
である自分を人間としてみがき、その上でどんな思いをしてでも輪郭
のはっきりとした子どもを育てなければならない。」
・「ある時期には一つのことを徹底してやり、それで子どもに自信をつけ
させるということはあって良いことである。と同時に、学校の教育は、
教科学習に限らず、あらゆる領域の中で行うべきで、中でも、並んだ
り歩いたりなどの日常行うことで、本当に主体的に行動しているかど
うかにこだわり続ける必要がある。」
・「自分の仕事が独りよがりにならないためには、学校というのは社会に
開かれたものでなければならない。」
もう一つ、再掲載になりますが、山折哲雄さん、島田裕巳さんの
「日本人の死はどこへ行ったのか」①を載せます。
☆「わたしの校長奮闘記」山内宣治 一茎書房 2000年 ⑥(最終)
◇津久志小学校学校経営方針②
1.教育目標
〈集中力があり、主体的に生きる子どもの育成)
人の言うことをきちんと聞き取ることができ、常に頭を働かせて自分
から行動することのできる子どもになれば、その子どもは「集中力があ
り、主体的に生きている」と考えてよいのではないか。
2.学校経営の方針
①教師である自分を人間としてみがく
たとえ教え方はまずくとも、教師の人間性が子どもを変えるという
ことはありうることで、そういう意味では、教育は「人」である。
もし子どもが悪くなったら、それは自分の責任であると考えて教師
である自分を人間としてみがき、その上でどんな思いをしてでも輪郭
のはっきりとした子どもを育てなければならない。
そうして子どもを育てることが、同時に人間としての自分を成長さ
せることにもなる。
②教師としての専門性を培うため、はだかになつて学ぶ
教師という仕事は職人と同じで、子どもを変える事実を創り出すた
めには、教師としての専門性を身につけておかなければならない。
それには、研究者や優れた実践家を自ら求め、そして、どんなもの
からでも、はだかになって学ばなければならない。
③あらゆる領域で子どもを育てる
教育というのは、何かで自信をつければそれが波及して別の面にも
効果を及ぼすということがある。
だから、ある時期には一つのことを徹底してやり、それで子どもに
自信をつけさせるということはあって良いことである。
と同時に、学校の教育は、教科学習に限らず、あらゆる領域の中で
行うべきで、中でも、並んだり歩いたりなどの日常行うことで、本当
に主体的に行動しているかどうかにこだわり続ける必要がある。
そんな地道な日常の営みの積み重ねでこそ真に主体的な子どもは
育つのだと考える。
④開かれた学校にする
私たちは、「教育とは何か」ということを実践を通して哲学的に捉
えておかなければ教師が最善であると思ってすることが、むしろ子
どもをだめにしてしまうということがある。
教育という仕事はそういう怖い側面を持っているということを自戒
して、常に「教育とは何か」ということを自分の仕事に問いかけ、子
どもの事実でもって検証していきたいものである。
要するに、自分の仕事が独りよがりにならないためには、学校とい
うのは社会に開かれたものでなければならない。
3.重点目標
(1)一人ひとりが力を出しきって学習する集団をつくる。
① 人の言うことは、一回で正確に開く。
② 常に頭を働かせ、自分の判断で行動する。
③ 不思議に思ったり、変だと思うことを問題として追究する。
④ 自分の考えは必ずみんなの前に出す。
⑤ 合唱や表現・行進など、他の人と対応して、身体で自分を表現す
る。
(2)継続して取り組むことの大切さを分からせる。
① 毎朝の走ろう運動を続け、自信をつけさせる。
② 時間を工夫して毎日柔軟運動を行い、あらゆる運動の基礎づくり
をする。
③ 書き込みやノートづくりを工夫して、個人学習を充実させる。
④ 掃除や草花づくりなど、努力の成果が目に見えるように工夫する。
(3)小規模校で学ぶことの良さを最大限に利用する。
① 美術館を利用した学習など、杖外学習を積極的に取り入れる。
② 器械運動など個人指導を要する教材を積極的に利用して自信をつ
けさせる。
(4)心のふれあいを大切にする。
① 世代間交流・ふるさとづくりなど、地域との交流を深める。
② 交流学習、集合学習など、他校との交流をして人間関係を広げる。
③ 山百合訪問、地域美化活動など、勤労生産奉仕活動をすすめる。
(5)中身のある研修にするよう工夫する。
① 事実に即して考えるような授業研究を中心に据える据える。
② 校内研修を公開する。
③ 教職員の人間性を豊かにするための研修を取り入れる。
④ 雑談を大切にする。
この学校経営方針は少なくとも総花的ではなく、もしかすると広島県
では少し変わっていると思われるかもしれない。
しかし、私は、これほど具体的で、校長の顔つきがはっきりとした経
営方針はないと自分では思っている。
一言で言えば、教育は「人」である。だから、教師を育てるのが校長
の仕事ですよと、校長の責任を明確にした内容になっている。しかも、
今まで津久志小学校でやってきたことを意味づけて広がりを持たせ、こ
れからの方向をはっきりとさせているつもりである。
私は、これまで二十数年間、公立学校の教師をしてきたが、自分の勤
める学校の教育目標を覚えたことは、たったの一回しかない。
その一回というのは、恥ずかしながら校長の登用試験の問題に出るか
もしれないからと聞いて覚えたにすぎないもので、子どもの教育の指針
として覚えていたことは一度もないというのが実情である。
私がずぼら教師であるからそうなのか、あるいは、学校というのは一
般的にそういう実態にあるのかそれは分からない。
(以下略)
☆「日本人の死はどこへ行ったのか」山折哲雄・島田裕巳 朝日新書 2008年 ①(前半)【再掲載 2017.4】
◇人はなぜ死ななければならないのか
五山の送り火で心して御霊をお送りしたい
時代を超えて働きかける共鳴装置としての自然
あの世とこの世の対話という問題
宗教は哲学の中心だった
宗教学と宗教の間をどうつなぐか
◇魂が行くところ
落日の彼方に浄土あり
日本人の浄土信仰・落日信仰
親鸞の浄土観は海上浄土観
この世とあの世を半々に見る
半眼
~ あの世とこの世,過去と現在
海岸ではブッダ一本槍
日系人の為に開教師(戦前は浄土真宗一色)
夕陽と天国という思想
日本人の夕陽信仰
この世にとどめようとするエゴイズム
→ 位牌より写真が中心に
昔は静かで穏やかな写真
→ 明るい,最近の写真
= 本来なら送るべき死者を引き留めようとする生者のエゴイズム
往生際の悪さ
不分明な人生の区切り
伊勢神宮遷都
~ 20年で神の死と再生
20年間で組織は変わらなければならない
死がタブー視されている 公務員の新陳代謝
① 文科省は「生きる力」一本槍
一方で死を受け入れる心の教育の必要性
② 「共生」メッセージ
本当は共生共死
日本の社会は「生きる力」と「共生」
創価学会
2代目会長戸田城聖『生命論』 = 現世中心主義
- (他の日蓮系 霊友会,立正佼成会は先祖供養が核)
友人葬
死ぬ神 死なぬ神
大無量寿教 法華経
創価学会
- 先祖供養を大事にしない
~ 近代主義?
死を内面化してきた民族
「死ぬ覚悟で」
土地と神との関係
日本人の信仰は本質的には人信仰
◇日本人の死(1)
殺すなというメッセージ
神殺し,仏殺しの時代
本題に触れることをいやがる時代
~ 覚悟がない
個と組織のどちらを選ぶか
日本最古の企業
= 金剛組(寺社建築) 創業578年
千数百年かの歴史
日本の会社
個人が会社という組織を守りつづれた
←→ 企業は属した人の生活保障
西欧
① 一神教
② 契約
組織を裏切るなというモラル
日本は契約社会でなく信頼社会
日本
→ 個人主義を良質の集団主義の中に抱え込んだ
= 比較的良識のある管理社会
組織が存在しないイスラム社会
コーラン(神のメッセージ集)
バディース(ムハマントの言行録)
イスラム法
- シャリーアが重要
カメラマンの死
「ひとり」という言葉
大和言葉「ひとり」
ワーキングプアの中から一人の一遍,一人の空也が…
和して同せず
最近の若者
- はっきりした集団は嫌だけど群れてはいたい
群れ
ひとりになりたがらない = 自立できない世代
殺意の蓄積
平等社会 (他人と比較)
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