今回は、わたしの教育ノートから、山口あゆみさんの
「名古屋円頓寺商店街の奇跡」を紹介します。
出版社の案内には、
「名古屋駅から徒歩15分。かつて隆盛を極めた商店街は、日本各地の商店街同様、消費
スタイルの変化と後継者不足から、『緩慢な死』に向かいつつあった。そこに一人の建
築家が縁を持ったことから、街は静かに、そして確実に息を吹き返し、全国そして海外
からも注目される活気に満ちた商店街へと生まれ変わる。コンサルティング会社や自治
体主導のプランとは真逆の、人間味に溢れた、シャッター街再生の全く新しいビジネス
モデル!」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「シャッター街はなぜ甦ったか」
・「過去の栄光が目を曇らせる」
・「空き家バンク」
・「円頓寺話題になる」
もう一つ、再掲載となりますが、坂村真民さんの
「念ずれば花ひらく」を載せます。
真民さんの詩、いいですね。
日本各地に石碑があるとのこと。
浜松市でも、 寺でみかけました。
真民さんの参禅の師河野宗寛老師が臨済宗・方広寺派管長になられたと言うことですが、
方広寺は浜松市にあり、方広寺派の寺院は静岡県西部に数多くあります。
勤務校も明日からいよいよ新学期が始まります。
夏季休業中の最後の一日を大切に使います。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「名古屋円頓寺商店街の奇跡」山口あゆみ 講談社プラスα文庫 2018年
◇プロローグ
シャッター街はなぜ甦ったか
駅前
大名古屋ビルヂング JRゲートタワー JRタワー名古屋
西円頓寺商店街、円頓寺本町商店街、円頓寺商店街
◇過去の栄光が目を曇らせる
負けず嫌いの建築家 市原正人 1961生
市原 1990(H2)独立 穏やかで常にフラット
お師匠さんに教えられた街
設計事務所DERO(デロ) 長唄の師匠
誰に頼まれたわけでもなく
「清州越し」で生まれた街
地の利消失と消費スタイルの変化
継承者なくシャッター街に 昭和60年代~
昭和 50店舗 → 平和 23店舗
一日600個のコロッケを揚げて
「肉の丸小商会」木俣和彦さん(気賀出身)
「商店街も年取ったんやなあ」
町から人が去るさみしさ
先祖への懺悔
◇空き家はいかにして話題の店に変身したか
「よそ者」から「街の常連」へ
「那古屋市田町衆」発足
空き店舗対策チーム(H20 2008)
「空き家バンク」
「ナゴノダナバンク」始動す
最初の一軒
飲食店の経営者で誘う
「BAR DUF!」
円頓寺話題になる
☆「念ずれば花ひらく」坂村真民 サンマーク出版 1998年【再掲載 2012.8】
◇念ずれば花ひらく
念ずれば花ひらく
念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしはいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
◇朝念暮念
人間というものは、幼い時親に食べさせてもらったものが一番懐かしいものである
◇足の裏の美
「尊いのは足の裏である」
◇湧出
参禅の師 河野宗寛老師 臨済宗・方広寺派管長に
◇軽く生きる
「捨」
◇坂村真民
詩人 1909年熊本県生
20歳で岡野直七郎門下 短歌
25歳で朝鮮にわたり教職 → 終戦後四国に
1950年 40歳で詩に転じる
「名古屋円頓寺商店街の奇跡」を紹介します。
出版社の案内には、
「名古屋駅から徒歩15分。かつて隆盛を極めた商店街は、日本各地の商店街同様、消費
スタイルの変化と後継者不足から、『緩慢な死』に向かいつつあった。そこに一人の建
築家が縁を持ったことから、街は静かに、そして確実に息を吹き返し、全国そして海外
からも注目される活気に満ちた商店街へと生まれ変わる。コンサルティング会社や自治
体主導のプランとは真逆の、人間味に溢れた、シャッター街再生の全く新しいビジネス
モデル!」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「シャッター街はなぜ甦ったか」
・「過去の栄光が目を曇らせる」
・「空き家バンク」
・「円頓寺話題になる」
もう一つ、再掲載となりますが、坂村真民さんの
「念ずれば花ひらく」を載せます。
真民さんの詩、いいですね。
日本各地に石碑があるとのこと。
浜松市でも、 寺でみかけました。
真民さんの参禅の師河野宗寛老師が臨済宗・方広寺派管長になられたと言うことですが、
方広寺は浜松市にあり、方広寺派の寺院は静岡県西部に数多くあります。
勤務校も明日からいよいよ新学期が始まります。
夏季休業中の最後の一日を大切に使います。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「名古屋円頓寺商店街の奇跡」山口あゆみ 講談社プラスα文庫 2018年
◇プロローグ
シャッター街はなぜ甦ったか
駅前
大名古屋ビルヂング JRゲートタワー JRタワー名古屋
西円頓寺商店街、円頓寺本町商店街、円頓寺商店街
◇過去の栄光が目を曇らせる
負けず嫌いの建築家 市原正人 1961生
市原 1990(H2)独立 穏やかで常にフラット
お師匠さんに教えられた街
設計事務所DERO(デロ) 長唄の師匠
誰に頼まれたわけでもなく
「清州越し」で生まれた街
地の利消失と消費スタイルの変化
継承者なくシャッター街に 昭和60年代~
昭和 50店舗 → 平和 23店舗
一日600個のコロッケを揚げて
「肉の丸小商会」木俣和彦さん(気賀出身)
「商店街も年取ったんやなあ」
町から人が去るさみしさ
先祖への懺悔
◇空き家はいかにして話題の店に変身したか
「よそ者」から「街の常連」へ
「那古屋市田町衆」発足
空き店舗対策チーム(H20 2008)
「空き家バンク」
「ナゴノダナバンク」始動す
最初の一軒
飲食店の経営者で誘う
「BAR DUF!」
円頓寺話題になる
☆「念ずれば花ひらく」坂村真民 サンマーク出版 1998年【再掲載 2012.8】
◇念ずれば花ひらく
念ずれば花ひらく
念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしはいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
◇朝念暮念
人間というものは、幼い時親に食べさせてもらったものが一番懐かしいものである
◇足の裏の美
「尊いのは足の裏である」
◇湧出
参禅の師 河野宗寛老師 臨済宗・方広寺派管長に
◇軽く生きる
「捨」
◇坂村真民
詩人 1909年熊本県生
20歳で岡野直七郎門下 短歌
25歳で朝鮮にわたり教職 → 終戦後四国に
1950年 40歳で詩に転じる