今回は、9月3日に続いて、渡部昇一さんの
「これで日本の教育は救われる」3回目の紹介です。
出版社の案内には、
「現代の教育制度はあたかも恐竜のごとく巨大である。恐竜をさらに進化させ、巨大化し
ても生き残りには連ならない。義務教育の問題点を指摘し、教育を復活させるための方
向を示す。」
とあります。
20年前に出版された本ですが、当時、どのように受け入れられたのでしょうか。
また、今、この本がどのように読まれるのだろうと想像します。
もう一つ、再掲載となりますが、橋本治さん 岡村和恵さんの
「川田晴久と美空ひばり」を載せます。
「地球の上に朝が来る」「ダイナ」、
わたしも聞いたことがある楽しい曲です。
昨日夕方の空。午後から曇ってきましたが、
時折太陽をのぞくことができました。
タマネギ苗場の風への備えをおばさんがやってくださいました。
カラスにやられた西瓜からこぼれた種、芽を出し大きくなってきました。
食べられませんが観察中。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「これで日本の教育は救われる」渡部昇一 海竜社 2000年 ③
◇NOといえない教育の非常識
□教師に破門の自由を,生徒には選択の自由を
□教育勅語がなくなって先生に威厳がなくなった
昭和15年以前の日本の教師は決して全体主義的でなかった
個々の教員の背後に国の総意があるということはなくなった
↓
「教育勅語」が廃止されたところが混乱のスタート
|
教育勅語に変わったのは日教組の方針
□尊敬されない先生を持つ子供の不幸
日教組の問題点 全体主義のイデオロギーを自由な社会で行おうという点
↓
なぜ戦後私立学校に人気が出たか
□選択と破門の自由がなければ真の教育はできない
日教組が支持した国々は戦前の日本以上に統制的
塾 = 私立学校 人気上
学校 最も悪い意味でのなあなあ主義
□抜本的改革はもとものより悪いというマイナスをもたらす
ミニ学校
「学校は潰れっこないし教員は首にならない」という独善をなくすこと
□生き続ける戦時下の規定
国民学校 ヒトラー・ドイツのフォルクス・ミューレの思想
□教えるものと教えられるものの合意に基づいた教育
◇機会均等が結果の悪平等を招いた
男女共学は人間の自然な成長を妨げていないか?
男は鉄,女は黄金である
男の先生と女の先生
家庭内暴力は父親・威厳がない家庭で起こる
先生は親が選ぶのがよい
この世にはマザーズとノンマザーズしかない
政府が女性の社会進出を助けるとするならば非母に限るべき
☆「川田晴久と美空ひばり」橋本治 岡村和恵 中央公論社 2003年【再掲載 2012.2】
◇川田晴久という謎
1957(昭和32)年6月21日 川田晴久 50歳で没
川田節「地球の上に朝が来る、その裏側は夜だろう」
川田晴久 - 「美空ひばり育ての親」
「あきれたぼういず」
川田義雄(晴久) 坊屋三郎 益田喜頓
寄席のボーイズものの元祖
川田晴久の美声
日本のビング・グロスビー
リズム感がいい
1937(S12)年 あきれたぼういず結成
1939(S14)年 川田義雄とミルクブラザーズ
1948(S23)年 川田義雄とダイナブラザーズ
川田晴久
「ボーイズの父」
「歌謡漫談の人」
「歌手」
「美空ひばり育ての親」
|
※ 川田晴久と美空ひばりは黄金のコンビ
美空ひばり
舞台と映画と歌
「ショービジネスの女王」
エセル・マーマンやジュディ・ガーランドの日本版
◇美空ひばりと笠置シヅ子
美空ひばり
「ベビー笠置」
笠置シヅ子
歌手 コメディエンヌ
1950年 「買い物ブギ」突き進むスピード感
美空ひばり
1952年 「お祭りマンボ」コミカルさとバラード
∥
あきれたぼういずのメンタリティ
∥
異質なものを歌い手がその場で一つにする危うさ
◇三木鶏郎の時代
あきれたぼういず
→ クレイジーキャッツ・ドリフターズ
昭和20年代
「変な歌」の流行
三木鶏郎(東京大学法学部卒)
1947(S22)年10月 NHK「日曜娯楽版」 ~ 1954(S29)4月
三木のアマチュアリズム
→ かわいらしさとリリシズム
∥
※ かわいいコミカルソング
「スマートなまとまり」変な歌をリード
三木門下
作家 小野田勇 キノ・トール 永六輔 野坂昭如 五木寛之
音楽 ジョージ川口 小野満 鈴木章治 神津善行 吉岡治 いずみたく
芸人 森繁久弥 三木のり平 有島一郎 フランキー堺
川田晴久が死んだ頃
1956(S31)年4月
脱線トリオ(由利徹 南利明 八波むと志)
てんてん娘 宮城まり子
|
「マイ・フェア・レディ」により日本的なショービジネスの舞台は消滅
川田晴久はそれを知らずに死んでいった
川田晴久の死により「終わりの始まり」日本ショービジネス
マキノ雅裕と広沢虎造と
1952年~ 「次郎長三国志」 マキノと広沢
マキノ雅裕
日本映画の父 牧野省三の長男
「分かり切った骨格に異物をどんどん入れた」
|
※ 異物だらけのくせに破綻を見せない
∥
※ あきれたぼういずの芸
川田晴久・マキノ雅裕・広沢虎造
◎ 「異物のままのものを更に自分に引き寄せて自分なりの本物に変える」
↑↓
◎ 「ひたすら本物に近付く」東宝路線
◇父・川田晴久と美空ひばりちゃんのこと 岡村和恵
美空ひばり
◎ おきゃんと大人顔負けの舞台上
川田晴久
昭和21(1946)年 12月~昭和22(1947)年2月の10か月間
浜松の林泉寺にて治療に専念 39歳 脊椎カリエス
(林泉寺は大変お世話になった故I先生のお宅です。美空ひばりが来た話、白脇小
学校で歌った話などを聞かせてくださいました。=ハマコウ註)
※過去記事「楊子町で声張り上げたひばりと川田晴久」『東海展望』1959年8月号」
「これで日本の教育は救われる」3回目の紹介です。
出版社の案内には、
「現代の教育制度はあたかも恐竜のごとく巨大である。恐竜をさらに進化させ、巨大化し
ても生き残りには連ならない。義務教育の問題点を指摘し、教育を復活させるための方
向を示す。」
とあります。
20年前に出版された本ですが、当時、どのように受け入れられたのでしょうか。
また、今、この本がどのように読まれるのだろうと想像します。
もう一つ、再掲載となりますが、橋本治さん 岡村和恵さんの
「川田晴久と美空ひばり」を載せます。
「地球の上に朝が来る」「ダイナ」、
わたしも聞いたことがある楽しい曲です。
昨日夕方の空。午後から曇ってきましたが、
時折太陽をのぞくことができました。
タマネギ苗場の風への備えをおばさんがやってくださいました。
カラスにやられた西瓜からこぼれた種、芽を出し大きくなってきました。
食べられませんが観察中。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「これで日本の教育は救われる」渡部昇一 海竜社 2000年 ③
◇NOといえない教育の非常識
□教師に破門の自由を,生徒には選択の自由を
□教育勅語がなくなって先生に威厳がなくなった
昭和15年以前の日本の教師は決して全体主義的でなかった
個々の教員の背後に国の総意があるということはなくなった
↓
「教育勅語」が廃止されたところが混乱のスタート
|
教育勅語に変わったのは日教組の方針
□尊敬されない先生を持つ子供の不幸
日教組の問題点 全体主義のイデオロギーを自由な社会で行おうという点
↓
なぜ戦後私立学校に人気が出たか
□選択と破門の自由がなければ真の教育はできない
日教組が支持した国々は戦前の日本以上に統制的
塾 = 私立学校 人気上
学校 最も悪い意味でのなあなあ主義
□抜本的改革はもとものより悪いというマイナスをもたらす
ミニ学校
「学校は潰れっこないし教員は首にならない」という独善をなくすこと
□生き続ける戦時下の規定
国民学校 ヒトラー・ドイツのフォルクス・ミューレの思想
□教えるものと教えられるものの合意に基づいた教育
◇機会均等が結果の悪平等を招いた
男女共学は人間の自然な成長を妨げていないか?
男は鉄,女は黄金である
男の先生と女の先生
家庭内暴力は父親・威厳がない家庭で起こる
先生は親が選ぶのがよい
この世にはマザーズとノンマザーズしかない
政府が女性の社会進出を助けるとするならば非母に限るべき
☆「川田晴久と美空ひばり」橋本治 岡村和恵 中央公論社 2003年【再掲載 2012.2】
◇川田晴久という謎
1957(昭和32)年6月21日 川田晴久 50歳で没
川田節「地球の上に朝が来る、その裏側は夜だろう」
川田晴久 - 「美空ひばり育ての親」
「あきれたぼういず」
川田義雄(晴久) 坊屋三郎 益田喜頓
寄席のボーイズものの元祖
川田晴久の美声
日本のビング・グロスビー
リズム感がいい
1937(S12)年 あきれたぼういず結成
1939(S14)年 川田義雄とミルクブラザーズ
1948(S23)年 川田義雄とダイナブラザーズ
川田晴久
「ボーイズの父」
「歌謡漫談の人」
「歌手」
「美空ひばり育ての親」
|
※ 川田晴久と美空ひばりは黄金のコンビ
美空ひばり
舞台と映画と歌
「ショービジネスの女王」
エセル・マーマンやジュディ・ガーランドの日本版
◇美空ひばりと笠置シヅ子
美空ひばり
「ベビー笠置」
笠置シヅ子
歌手 コメディエンヌ
1950年 「買い物ブギ」突き進むスピード感
美空ひばり
1952年 「お祭りマンボ」コミカルさとバラード
∥
あきれたぼういずのメンタリティ
∥
異質なものを歌い手がその場で一つにする危うさ
◇三木鶏郎の時代
あきれたぼういず
→ クレイジーキャッツ・ドリフターズ
昭和20年代
「変な歌」の流行
三木鶏郎(東京大学法学部卒)
1947(S22)年10月 NHK「日曜娯楽版」 ~ 1954(S29)4月
三木のアマチュアリズム
→ かわいらしさとリリシズム
∥
※ かわいいコミカルソング
「スマートなまとまり」変な歌をリード
三木門下
作家 小野田勇 キノ・トール 永六輔 野坂昭如 五木寛之
音楽 ジョージ川口 小野満 鈴木章治 神津善行 吉岡治 いずみたく
芸人 森繁久弥 三木のり平 有島一郎 フランキー堺
川田晴久が死んだ頃
1956(S31)年4月
脱線トリオ(由利徹 南利明 八波むと志)
てんてん娘 宮城まり子
|
「マイ・フェア・レディ」により日本的なショービジネスの舞台は消滅
川田晴久はそれを知らずに死んでいった
川田晴久の死により「終わりの始まり」日本ショービジネス
マキノ雅裕と広沢虎造と
1952年~ 「次郎長三国志」 マキノと広沢
マキノ雅裕
日本映画の父 牧野省三の長男
「分かり切った骨格に異物をどんどん入れた」
|
※ 異物だらけのくせに破綻を見せない
∥
※ あきれたぼういずの芸
川田晴久・マキノ雅裕・広沢虎造
◎ 「異物のままのものを更に自分に引き寄せて自分なりの本物に変える」
↑↓
◎ 「ひたすら本物に近付く」東宝路線
◇父・川田晴久と美空ひばりちゃんのこと 岡村和恵
美空ひばり
◎ おきゃんと大人顔負けの舞台上
川田晴久
昭和21(1946)年 12月~昭和22(1947)年2月の10か月間
浜松の林泉寺にて治療に専念 39歳 脊椎カリエス
(林泉寺は大変お世話になった故I先生のお宅です。美空ひばりが来た話、白脇小
学校で歌った話などを聞かせてくださいました。=ハマコウ註)
※過去記事「楊子町で声張り上げたひばりと川田晴久」『東海展望』1959年8月号」