今回は、菊池省三さんの
「学級崩壊立て直し請負人」1回目の紹介です。
出版物、テレビ放送などで広く知られる菊池省三さんについて、
かつての教え子である吉崎エイジーニョが構成者として伝えてくれます。
大変読みやすく、また分かり易く納得できる本です。
出版社の案内には、
「北九州の地で荒れたクラスを次々に再建し、教育界の熱い注目を集める『日本一忙しい
小学校教師』菊池省三。子どもの瞳に輝きが戻り壊れた教室が甦る、その秘密はどこに
あるのか。『ほめ言葉のシャワー』『成長ノート』等の指導法で、自立心と他人を敬う
心を育てる『菊池式教育観』に、かつての教え子が迫る」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「いじめのある場所には必ず学級崩壊がある」
・「『言葉を重視する教育』 + 『教室は社会の縮図』」
・「『ほめ言葉のシャワー』 + 『成長ノート』」
・「親が『バカ』『ダメ』といったネガティブな言語を多用し、その結果子どもも教室で
そういう言葉で仲間をののしるような状況になっている」
・「最後のゴール『公の社会に強い自分になる』に定め、導いていく 」
もう一つ、再々掲載となりますが、布施鋼治さんの
「東京12チャンネル運動部の情熱」①を載せます。
静岡県には現在もテレビ東京系列のテレビ局はなく、
わたしは静岡ローカル局曲で放送する一部の番組しか知りません。
低予算を工夫や努力で乗り越えせっかく定着しつつあるものを
他キー局に奪われる辛さ… その熱さを感じると共に、頑張れと応援したくなる本です。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「学級崩壊立て直し請負人」菊池省三 構成:吉崎エイジーニョ 2013年 ①
◇構成者前書き
吉崎エイジーニョ
1974生 吉崎英治 ライター
□菊池省三
学級崩壊立て直し請負人
□2012年~ 全国メディア
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」
日本テレビ「NEWS ZERO」
テレビ東京「たけしのニッポンのミカタ!」
平日は通常勤務 終末は全国講演活動
□「いじめのある場所には必ず学級崩壊がある」
◎「言葉を重視する教育」
◎「教室は社会の縮図」
□1987(昭和62)年6年生担任としての出会い
◎「ほめ言葉のシャワー」
◎「成長ノート」
◇はじめに
□北九州市の荒れた学校 - 普通の先生では担任しきれない状況
心の病で休職した先生 年間5274人〈2011年度 文科省〉
◎「子供が普段日中の約八時間過ごす学校の場を立て直す」
∥
日本社会全体で改善すべき問題
□親に情報が足りないせいで、子どもに「公」という大事なものが教えられていない状況
今の親の世代
~ 情報からの孤立
◎ 親が「バカ」「ダメ」といったネガティブな言語を多用し、その結果子どもも教
室でそういう言葉で仲間をののしるような状況になっている
→ 学級の仲間を知ろうとしない
知る方法も知らないから学級崩壊・いじめへと向かう状況になっている
↑
◎ これを解決するためには「言葉」しかない
◎ 言葉によって子どものコミュニケーション能力を高めるしかない
∥
◎ 価値語(菊池氏造語-考えや行動をプラスに導く言葉)を教室に浸透させる
1991~ 積極的に「コミュニケーション教育」
2大作戦
① ほめ言葉のシャワー
帰りの会 とにかくほめる
② 成長ノート
先生と1対1 対話ノート 毎日学校で
◎「我慢」「眺めること」を続けながら「価値語」が浸透していくように方向付ける
|
◎ 最後のゴール「公の社会に強い自分になる」に定め、導いていく
□本書の2大ポイント
① 家庭でも活用できる方法
② 個々の成長のリアリティを伝えていく
小さな出来事 ~ 「それは社会=公とつながるもの」
◎ 教室は社会の縮図
□Aさん
出会いは大切なタイミング ~ 「先制」
5月下旬 - 最初のシャワーの順番
□Bさん
ひと言もしゃべらない 眺める
非日常の場を生かす + 褒め合う集団を作る
□Cさん
女子バスケットチーム
長時間掛けて「教育とは時間が掛かるものだ」
◎ 変化に向けた手を打ちながら時を待つ
→ そういう我慢の時間が年々増えている
□Dさん
子どもより親が変わったケース
不登校からの立ち直り
□Eさん
5年までのクラスのボス
クラス全体のレベルが上がり変化
□K小学校
3~4年持ち上がり
半分は四年間担任 2クラス
ディベート
☆「東京12チャンネル運動部の情熱」布施鋼治 集英社 2012年 ①【再々掲載 2015.10】
<出版社の案内>
日本で初めて、サッカーW杯や箱根駅伝、アリの世界戦を中継したのは?ローラーゲーム
やキックボクシング、女子プロレスのブームに火をつけたのは?それは“テレビ番外地”
を舞台に奮闘した伝説の男たちだった!熱き昭和のスポーツ裏面史を活写する渾身のノン
フィクション。
◇まえがき
12チャンネル 敏腕プロデューサー 運動部部長 白石剛達
白石一家
昭和40年代
「3強1弱1番外地(東京12チャンネル)」
◇12チャンネル運動部の夜明け(昭和42~43年)
□初代運動部部長 白石剛達という男
12チャンネルの母体は日本科学技術振興財団
科学技術の普及目的 = お堅いテレビ局
□昭和39年4月12日開局
当時白石はレスリング全日本チームの強化コーチと早大レスリング部監督
|
昭和39年8月1日付で入社 35歳
事業普及部部長
□昭和39年10月10日
「題名のない音楽会」公開放送コーディネート
オリンピック選手村シアターで
3本柱
① 科学技術学園工業高校
② 科学技術館
③ テレビ事業本部
※ 経営は数百社からの1回百万円の寄付による
↓
◎ 不況により営業
2年後
昭和41年放送時間5時間半に(うち3時間通信制高校講座)
182名の大量リストラ
□早稲田大学新宿夜間部
白石 海軍兵学校78期生
↓
元の中学に復学
2年後第一早稲田高等学院(理工科系)入学
レスリング部
暴れっぷりは「早稲田大学新宿夜間部」
□昭和42年4月1日
運動部 - 編成局編成部参与に抜擢
東京本部長:村木武夫(住友工業副社長)
◎ 視聴率本位に
□昭和44年11月1日
日経新聞が経営に参画
□昭和48年11月1日
教育専門局 → 一般総合局
□昭和50年10月1日
中川順(すなお)社長
翌年黒字
□昭和56年10月1日
東京12チャンネル
→ テレビ東京
□3大都市ネットワーク
S57テレビ大阪
S58テレビ愛知
□プロ野球中継スタート
昭和42年4月11日~
プロ野球ナイター中継
サンケイアトムズVS広島カープ 19:00~21:30 1.3%
主にサンケイ・大洋ホエールズ・東京オリオンズ3チーム
野球中継に教育をトッピング
□東京スタジアムの風景
球団広報は橋爪四郎(ヘルシンキ1500m自由形銀メダリスト)
南千住(荒川区)
□男の約束がつかんだ巨人戦
昭和42年4月29日 巨人戦 こぼれたゲーム 12.9%
□バックスクリーンからの映像を導入
12チャンネル 野球中継
わずか3台で → 予算
◎初 「SBO」表示 S43~
◎初 「バックスクリーンから」 S49~
□マイナー競技に光を当てた「サンデースポーツアワー」
アマチュアスポーツ中継を13時から3時間
サッカー ラグビー テニス アイスホッケー ハンドボール
アメリカンフットボール リトルリーグ
□昭和42年10月1日
メキシコオリンピック代表選考会 ボクシング
2%とれれば上出来
|
◎ アマチュアスポーツとの絆が強くなる
□負けてたまるか男子バレーボールの逆襲
松平 屈辱 男子バレーボールを扱うように
◎ 松平一家の一員になる
◎ 男子バレーをよく見せるために工夫と努力
※「ブロック用カメラ」
※「監督にワイヤレスマイク(ピンマイク)」
バレーが開いた東ドイツとの国交
□世界への窓「ダイヤモンド・サッカー」
昭和42年夏 サッカー担当 寺尾皖次(静高)
「ダイヤモンド・サッカー」S43~S63
前身S43.4.13~ 「イギリスプロサッカー」
解説 岡野俊一郎 実況 金子勝彦
編集に時間 1年以上のタイムラグ
「ロンドンタイムズ」丸善から
□S43.10「三菱ダイヤモンドサッカー」
日曜午前10時へと移動 = 選手が見られるように
□西ドイツワールドカップ衛生生中継
S49(1974)
西ドイツでのワールドカップ放送権獲得に
7.7決勝生中継
◎金子勝彦 サッカーへの愛を語る
「学級崩壊立て直し請負人」1回目の紹介です。
出版物、テレビ放送などで広く知られる菊池省三さんについて、
かつての教え子である吉崎エイジーニョが構成者として伝えてくれます。
大変読みやすく、また分かり易く納得できる本です。
出版社の案内には、
「北九州の地で荒れたクラスを次々に再建し、教育界の熱い注目を集める『日本一忙しい
小学校教師』菊池省三。子どもの瞳に輝きが戻り壊れた教室が甦る、その秘密はどこに
あるのか。『ほめ言葉のシャワー』『成長ノート』等の指導法で、自立心と他人を敬う
心を育てる『菊池式教育観』に、かつての教え子が迫る」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「いじめのある場所には必ず学級崩壊がある」
・「『言葉を重視する教育』 + 『教室は社会の縮図』」
・「『ほめ言葉のシャワー』 + 『成長ノート』」
・「親が『バカ』『ダメ』といったネガティブな言語を多用し、その結果子どもも教室で
そういう言葉で仲間をののしるような状況になっている」
・「最後のゴール『公の社会に強い自分になる』に定め、導いていく 」
もう一つ、再々掲載となりますが、布施鋼治さんの
「東京12チャンネル運動部の情熱」①を載せます。
静岡県には現在もテレビ東京系列のテレビ局はなく、
わたしは静岡ローカル局曲で放送する一部の番組しか知りません。
低予算を工夫や努力で乗り越えせっかく定着しつつあるものを
他キー局に奪われる辛さ… その熱さを感じると共に、頑張れと応援したくなる本です。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「学級崩壊立て直し請負人」菊池省三 構成:吉崎エイジーニョ 2013年 ①
◇構成者前書き
吉崎エイジーニョ
1974生 吉崎英治 ライター
□菊池省三
学級崩壊立て直し請負人
□2012年~ 全国メディア
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」
日本テレビ「NEWS ZERO」
テレビ東京「たけしのニッポンのミカタ!」
平日は通常勤務 終末は全国講演活動
□「いじめのある場所には必ず学級崩壊がある」
◎「言葉を重視する教育」
◎「教室は社会の縮図」
□1987(昭和62)年6年生担任としての出会い
◎「ほめ言葉のシャワー」
◎「成長ノート」
◇はじめに
□北九州市の荒れた学校 - 普通の先生では担任しきれない状況
心の病で休職した先生 年間5274人〈2011年度 文科省〉
◎「子供が普段日中の約八時間過ごす学校の場を立て直す」
∥
日本社会全体で改善すべき問題
□親に情報が足りないせいで、子どもに「公」という大事なものが教えられていない状況
今の親の世代
~ 情報からの孤立
◎ 親が「バカ」「ダメ」といったネガティブな言語を多用し、その結果子どもも教
室でそういう言葉で仲間をののしるような状況になっている
→ 学級の仲間を知ろうとしない
知る方法も知らないから学級崩壊・いじめへと向かう状況になっている
↑
◎ これを解決するためには「言葉」しかない
◎ 言葉によって子どものコミュニケーション能力を高めるしかない
∥
◎ 価値語(菊池氏造語-考えや行動をプラスに導く言葉)を教室に浸透させる
1991~ 積極的に「コミュニケーション教育」
2大作戦
① ほめ言葉のシャワー
帰りの会 とにかくほめる
② 成長ノート
先生と1対1 対話ノート 毎日学校で
◎「我慢」「眺めること」を続けながら「価値語」が浸透していくように方向付ける
|
◎ 最後のゴール「公の社会に強い自分になる」に定め、導いていく
□本書の2大ポイント
① 家庭でも活用できる方法
② 個々の成長のリアリティを伝えていく
小さな出来事 ~ 「それは社会=公とつながるもの」
◎ 教室は社会の縮図
□Aさん
出会いは大切なタイミング ~ 「先制」
5月下旬 - 最初のシャワーの順番
□Bさん
ひと言もしゃべらない 眺める
非日常の場を生かす + 褒め合う集団を作る
□Cさん
女子バスケットチーム
長時間掛けて「教育とは時間が掛かるものだ」
◎ 変化に向けた手を打ちながら時を待つ
→ そういう我慢の時間が年々増えている
□Dさん
子どもより親が変わったケース
不登校からの立ち直り
□Eさん
5年までのクラスのボス
クラス全体のレベルが上がり変化
□K小学校
3~4年持ち上がり
半分は四年間担任 2クラス
ディベート
☆「東京12チャンネル運動部の情熱」布施鋼治 集英社 2012年 ①【再々掲載 2015.10】
<出版社の案内>
日本で初めて、サッカーW杯や箱根駅伝、アリの世界戦を中継したのは?ローラーゲーム
やキックボクシング、女子プロレスのブームに火をつけたのは?それは“テレビ番外地”
を舞台に奮闘した伝説の男たちだった!熱き昭和のスポーツ裏面史を活写する渾身のノン
フィクション。
◇まえがき
12チャンネル 敏腕プロデューサー 運動部部長 白石剛達
白石一家
昭和40年代
「3強1弱1番外地(東京12チャンネル)」
◇12チャンネル運動部の夜明け(昭和42~43年)
□初代運動部部長 白石剛達という男
12チャンネルの母体は日本科学技術振興財団
科学技術の普及目的 = お堅いテレビ局
□昭和39年4月12日開局
当時白石はレスリング全日本チームの強化コーチと早大レスリング部監督
|
昭和39年8月1日付で入社 35歳
事業普及部部長
□昭和39年10月10日
「題名のない音楽会」公開放送コーディネート
オリンピック選手村シアターで
3本柱
① 科学技術学園工業高校
② 科学技術館
③ テレビ事業本部
※ 経営は数百社からの1回百万円の寄付による
↓
◎ 不況により営業
2年後
昭和41年放送時間5時間半に(うち3時間通信制高校講座)
182名の大量リストラ
□早稲田大学新宿夜間部
白石 海軍兵学校78期生
↓
元の中学に復学
2年後第一早稲田高等学院(理工科系)入学
レスリング部
暴れっぷりは「早稲田大学新宿夜間部」
□昭和42年4月1日
運動部 - 編成局編成部参与に抜擢
東京本部長:村木武夫(住友工業副社長)
◎ 視聴率本位に
□昭和44年11月1日
日経新聞が経営に参画
□昭和48年11月1日
教育専門局 → 一般総合局
□昭和50年10月1日
中川順(すなお)社長
翌年黒字
□昭和56年10月1日
東京12チャンネル
→ テレビ東京
□3大都市ネットワーク
S57テレビ大阪
S58テレビ愛知
□プロ野球中継スタート
昭和42年4月11日~
プロ野球ナイター中継
サンケイアトムズVS広島カープ 19:00~21:30 1.3%
主にサンケイ・大洋ホエールズ・東京オリオンズ3チーム
野球中継に教育をトッピング
□東京スタジアムの風景
球団広報は橋爪四郎(ヘルシンキ1500m自由形銀メダリスト)
南千住(荒川区)
□男の約束がつかんだ巨人戦
昭和42年4月29日 巨人戦 こぼれたゲーム 12.9%
□バックスクリーンからの映像を導入
12チャンネル 野球中継
わずか3台で → 予算
◎初 「SBO」表示 S43~
◎初 「バックスクリーンから」 S49~
□マイナー競技に光を当てた「サンデースポーツアワー」
アマチュアスポーツ中継を13時から3時間
サッカー ラグビー テニス アイスホッケー ハンドボール
アメリカンフットボール リトルリーグ
□昭和42年10月1日
メキシコオリンピック代表選考会 ボクシング
2%とれれば上出来
|
◎ アマチュアスポーツとの絆が強くなる
□負けてたまるか男子バレーボールの逆襲
松平 屈辱 男子バレーボールを扱うように
◎ 松平一家の一員になる
◎ 男子バレーをよく見せるために工夫と努力
※「ブロック用カメラ」
※「監督にワイヤレスマイク(ピンマイク)」
バレーが開いた東ドイツとの国交
□世界への窓「ダイヤモンド・サッカー」
昭和42年夏 サッカー担当 寺尾皖次(静高)
「ダイヤモンド・サッカー」S43~S63
前身S43.4.13~ 「イギリスプロサッカー」
解説 岡野俊一郎 実況 金子勝彦
編集に時間 1年以上のタイムラグ
「ロンドンタイムズ」丸善から
□S43.10「三菱ダイヤモンドサッカー」
日曜午前10時へと移動 = 選手が見られるように
□西ドイツワールドカップ衛生生中継
S49(1974)
西ドイツでのワールドカップ放送権獲得に
7.7決勝生中継
◎金子勝彦 サッカーへの愛を語る