今回は 郷土史誌 浜松史蹟調査顕彰会による
「遠江(とおとうみ)」創刊号を 紹介します

浜松市内各図書館郷土コーナーにある 40年近く前の本ですが
郷土誌の本だけあって 古さは感じません
※「浜松史蹟調査顕彰会」ページより(「賀茂真淵記念館」HP内) 
  http://mabuchi-kinenkan.jp/info/info02.html




今回紹介文より 強く印象に残った言葉は…
・「浜津郷=田尻・米津?(馬込川旧河口)」
-近くのことでもあり 湊がどこにあったのか 大変気になるところです

・「鋳物師・山田七郎左衛門」
-以前の職場の上司は鋳物の研究家で知られていていろいろ教わりました


もう一つ 8月31日に続いて
竹下哲さん「ほんとうの人間になるということ」より詩を紹介します



※浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー
 ものづくりの街 浜松
 行くたびに新しい感動が得られる 山田卓司さんの世界
 詳しいことはホームページをご覧になってください
 ホームページにも魅力がいっぱい詰まっています
 なお 現在ボランティアスタッフ募集中とのことです











(1)「遠江」創刊号 S51.12 ①


※写真は 「浜松史蹟調査顕彰会」ページより(「賀茂真淵記念館」HP内) 

◇伊場遺跡 向坂鋼二
  
 大溝   


 ①津守跡説の検討「浜津郷」 大溝は小川?
浜津郷=田尻・米津?(馬込川旧河口)


 ②郡衙跡説の検討
   「布知厨」墨書土器・木簡


 ③御厨説


 ④駅馬府説 - 最有力?
竹田郷の故地は?





◇鋳物師・山田七郎左衛門

 山田七郎左右衛門
  - 森町の代々の鋳物師





◇弘化3年打ちこわし

 1846年 6月小沢渡村の十太夫(観農長庄屋)





◇的伝一着和尚  内山つねを

 浜松市新橋町禪定山大通院 的伝一着(足利時代)


 大通院落魄
  的伝 生前は一着和尚
1395年 佐藤村に大通山瑞雲寺 → 1401年 新橋に大通院


 大通院には4つの塔頭寺 
光勝院(赤門)・智勝院(廃寺)・泰雲軒(廃寺)・竜珠庵(廃寺)





◇遠州地方の昆虫  渡辺一雄

 ハルゼミ(マツゼミ) チッチゼミ(本州最小) ハッチョウトンボ(日本最小)

 ギフチョウ(湖西連峰,引佐)





◇浜松張り子とその作者  渥美登良男

 浜松張り子の創始者は三輪永保氏 1848.10.11生 元魚町


 二代目・三輪永智 「かすみや」へ見習い入店


 昭和20年6月18日空襲により途絶


 三代目・志乃-初代永保の六女
大正6年 旅篭町の二橋幸平(魚屋)と結婚


 昭和22年 浜松張り子を復興


 四代目加代子(S6.5生) 志乃の子息四郎さんの嫁















(2)「ほんとうの人間になるということ」竹下哲 光雲社 1989年 詩



◇「白道」 竹下さんの弟さん
  
 白道を歩いていく
  
 お母さんや兄ちゃんたちの
  
 やるせなき愛情を総身に浴びて
  
 それでもひとり白道を歩いていく
  
 いつかその道がつきたとき
  
 そこにはお浄土が開けている
  
 多くの仏さまたちが待っていてくださる
  
 おおご苦労だったと如来さまが
  
 抱きとって下さろう
  
 もうそのとさは仏の一員
  
 病、衣、食、住の執着のないところ
  
 無執着の世界「浄土」
  
 そこでほんとうに大切なことだけを
  
 無限にやらせていただけるのだ




◇「風呂の砂」小学校5年女子
  
 おとうさんが
  
 湯からあがってきた
  
 わたしが そのあとにはいった

 底板をさわったら
  
 すこしすながあった
  
 真っ黒になって
  
 はたらいたからだ

 わたしは
  
 だまってはいっていた
     (『お父さんはとうめい人間』・光雲社)





◇「いつから」 まど みちお

 いつから土が嫌いになったのか
  
 靴だけでなく 靴下まではく
  
 ちょっとでも土に触られたら
  
 身ぶるいする…というように

 いつから水が嫌いになったのか
  
 コートだけでなく傘までさす
  
 ゴム長まではく
  
 ちょっとでも水に触られたら
  
 身がちちむ… というように

 いつから太陽と空気が嫌いになったのか

 パンツだけでなく ズボンまではく

 シャツに上着に帽子までかぶる

 ちょっとでも太陽と空気に触られたら

 身の毛がよだつ… というように

 いつから こんなに

 土と水と太陽と空気が嫌いになったのか

 この四つから逃げださないかぎり

 絶対に幸せにはなれない…というように
        (まど・みちお詩集『人間のうた』・かど創房)







◇作文  高等学校・女生徒

 その日、母と私は墓参のために、母の育った諫早を訪ねました。駅を出ると、タク
シー乗り場には長い列ができていました。

 夏真っ盛り、それも午後だったので、暑さがさびしく、立っているだけで汗は噴き
出し、クーラーのきいたタクシーの来るのが待ち遠しいのでした。

 しかし、私たちの番はまだ先でした。
 
 洋服にじわじわしみ出てくる汗にたまらず、ハンカチで一生懸命拭いながら、私は
駅の時計を眺めたり、ぼんやり考えごとをしていました。


 すると、

  「空がきれいですね。」

 そういう女の人の声が、四、五人先で上がりました。暑いだけで、照りつける太陽
のある空なんて、すっかり忘れていました。その声につられて空を見上げると、雲ひ
とつなく青く広がり、太陽は濃い蜂蜜のように、とろりとしていました。

 まぎれもなく夏の空です。
 
 今まで、こんな場所に立っても、空を見上げることもしなかった私に、

「空がきれいですね」

 と言ったその人のことばは、しばらくの間、時や暑さを忘れさせてくれました。……






◇「目がさめてみたら」 東井義雄

 目がさめてみたら

 生きていた

 死なずに

 生きていた
 

 生きるための

 一切の努力をなげすてて

 眠りこけていたわたしであったのに

 目がさめてみたら

 生きていた

 劫初以来

 一度もなかった

 まっさらな朝のどまんなかに

 生きていた


 いや

 生かされていた
    (『拝まない者もおがまれている』・光雲社)


◇「太陽と地球」  まど・みちお
  
 まだ若かったころのこと
  
 太陽は 気がつきました
  
 わが子 地球について
  
 ひとつだけ どうしても
  
 知ることのできないことが あるのを…

 
 それは 地球の夜です

 地球の夜に

 どうぞ安らかな眠りがありますように

 どうぞ幸せな夢があふれますように

 祈りをこめて 太陽は

 地球の そばに

 月を つかわしました

 地球の夜を 見まもらせるために

 美しくやさしい 光をあたえて


 今ではもう

 若いとも いえませんが

 太陽は、忘れたことがありません

 地球の 寝顔が

 どんなに 安らかであるかを

 夜どおし 月に 聞くことを…

        (詩集『宇宙のうた』・かど創房)