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「土のいろ集成 第十巻」ひくまの出版 1987年 /「話し言葉の日本語」井上ひさし・平田オリザ 小学館 2002年 【再掲載 2013.7】 [読書記録 郷土]

今回は、昭和の郷土誌、「土のいろ集成 第十巻」を紹介します。



浜松市中央図書館のデジタルアーカイブス、
発刊者「飯尾哲爾」の項には、


「飯尾哲爾(敷知郡曳馬村小学校教員)は主宰する浜松子供協会一周年記念とし
 て『土のいろ社』を結成して機関誌『土のいろ』を発刊し、民俗学方面より
 の郷土研究を志した。その第1号を刊行したのは大正13年1月であったが、
 発刊の辞に『吾々はどうしても郷土を忘れることは出来ません。郷土のもつ
 伝説や風俗の様々を時の流れにまかせて流失することは、到底私共のしのび
 得ることではありません。私共はこの時勢の推移にさからっても、これが蒐
 集保存につとめたいと思います。そして(中略)現代のそれらとの関係をも明
 らかにして行きたいと思います」とある。『土のいろ』は、発行部数毎号約
 150部、年間3、4冊の割をもって発刊され、昭和15年9月第17巻第2号
 をもって休刊にいたるまで通巻83冊を刊行している。【特集研究号】特集号
 に『遠州俚謡』『浜松凧揚』『桜が池伝説』『遠州の凧』『浜松土俗玩具』『遠
 州七不思議』『遠江国古人百人一首』『民話伝説』『鏡山歌』『きつねのはな
 し』『遠州伝説地名の起原』『遠州の方言』『克明館蔵書目録』『遠江郷土歌
 集』『郷土伝説植物考』『西遠の民家』『聞書』『鴨江見世物』『遠州風物手鏡
 百影』『遠江に於ける屋敷神』などがある。これに協力する土のいろ会員の
 中道朔爾・松井多門・三輪桂作・県善三郎・久保田閲次・吉沢純道・渥美実
 などがあった。寄稿者も遠州全域にわたり、柳田国男も『土のいろ』第4巻
 第4号には『蟷螂考』を、楠方熊南も感想文を寄せている。飯尾哲爾は『土
 のいろ』の発行にあたり自ら謄写版の原紙をきり、自ら印刷製本し、これを
 発送したという。『土のいろ』は遠州地方では古い郷土研究雑誌であり、遠
 州地方の研究に欠くことのできない参考書となっている(『土のいろ』は戦
 後復刊され通巻113冊に及んでいる)。」

 
とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…


・「すばらしい遠州七不思議考」
- 七不思議と聞くと7つあると思うのですが、遠州各地でそれぞれの
 七不思議あると知りました。


・「すばらしい遠州七不思議考」
- 今でも東区浜松アリーナ近くに六軒京本舗があります。


・「アクセント区分 浜松 湖西 白須賀 舞阪 新居 -  山口幸洋」




もう一つ、再掲載になりますが、井上ひさしさん、平田オリザさんの
「話し言葉の日本語」をのせます。





☆「土のいろ集成 第十巻」ひくまの出版 1987年

1.JPG
<画像は「店主お薦めの古書・古美術 百寿堂 浜松」サイトより>

◇土のいろ 93~100号 月報10
  宇波さんのことなど 金田一春彦
  宇波耕策『浜名湖とアクセントの分布』

  すばらしい遠州七不思議考  清水達也

  土のいろ校訂余録  佐藤彰



◇昭和33年4月 復刊10号 通刊93号
  六軒京紫蘇巻きのこと 永井治雄
    金原法橋 - 妙恩寺
         → 鈴木氏 京都 妻 まつがしそまき
    六軒茶屋の紫蘇巻き有名に   
  六軒と鈴木京次郎
        → 六軒の京さん
    女子相伝
 
  浜名湖周辺の民家について  名工大 鈴村○○ 
ネドコ ダイドコ ザシキ ヨリツキ
  西遠地方におけるお鍬まつりの流行 渥美実
 
  細谷で聞いた『花咲じじい』山口幸洋
 
  遠江国分寺と其の瓦当  加藤貞雄
 
  印刷 浜松市山下町24 しゆう文社  



◇昭和33年10月 復刊11号  通刊94号
  郷土の民話  中村義太郎
 
  遠州横須賀城の編年  加藤貞雄
 
  遠州の切支丹燈籠  原邦英
  掛川市大日寺  
    横須賀 撰要寺  
    浅羽町 方松院

  中泉奉行所「廻状」2通と前島密  田辺寛
    中泉奉行 前島密 明治2.3~9
 
  米津地蔵について  渥美実
 
  印刷 浜松市山下町24 輯文社(しゅうぶんしゃ)



◇昭和34年3月 復刊12号 通刊95号
  特集:遠江和讃術詠歌集

  都田町の和讃  冨田準作
    遠州西行和讃  川西訓導和讃  三ヶ日町華蔵寺住職
    都田精霊和讃
 
  大日如来和讃  渥美実

  稲葉山平手監物公和讃  渥美実
     ひらてんさま 「平手氵凡秀」   

  遠江三十三所御詠歌  川上秀治
 
  犀ヶ崖大念仏和讃  川上秀治
    本多肥後守忠真戦没地碑
 
  袖ケ浦和讃及び御詠歌(下)  大村二郎
 
  万福寺黒衣地蔵尊和讃  田辺寛
 
  篠ヶ瀬増福寺の王薬師如来和讃  田辺寛
 
  油山寺薬師如来和讃  野末初江
 
  潮海寺薬師瑠璃光如来和讃
 
  活民院殿彰徳奉願和讃



◇昭和34年7月 復刊13号  通刊96号
  普門寺のたたきまつり  加藤貞雄
 
  かんからまち獅子舞について  袴田鷹郎
 
  磐田の鉈仏について
 
  写本「唐土○流○」
 
  雲立楠盆の由来  鈴木犀十郎



◇昭和34年9月  復刊14号  通刊97号
  夜泣石  袴田○○氏
 
  本興寺の建築   

  志留波の磯と贄の浦 歌 3説 
    御前崎白羽 磐田白羽 浜松白羽
 
  遠江国分寺瓦窯の考証



◇昭和35年1月  復刊15号  通刊98号
  金原明善
 
  庚申塔雑記  原邦英
 
  谷上の穴地蔵 

  ねんごう節分  小池誠二



◇昭和35年5月  復刊16号  通刊99号
  法多山田遊び祭りの歌詞について  山口直裁
 
  遠江相良と平賀源内  川崎次郎
    平賀源内遠州隠棲説
 
  アクセント  山口幸洋
    区分 浜松 湖西 白須賀 舞阪 新居



◇昭和35年11月  復刊17号  通刊100号 遠州大念仏
  特集 遠州大念仏
 
  P393 遠州大念仏分布図
       農村青年娯楽の域
       昭和5年遠州大念仏図
 
  遠州大念仏の源流を探る  宮田準作
    ① 虫送り 
 ② 雨乞い

  大念仏別伝  吉沢純道
 
 「トッタカ」  鈴木実
トッタカ = 大念仏
トッタカ = 取り霊?
        「珠なる霊をこの場所に取り寄せること」?

  大念仏の禁と当時の刑罰  小山正







☆「話し言葉の日本語」井上ひさし・平田オリザ 小学館 2002年 【再掲載 2013.7】

1.jpg

◇平田オリザ
 劇作家・演出家 
    劇団「青年座」主宰 
  桜美林大学助教授
  1962年東京生 国際基督教大学卒  
  「こまばアゴラ劇場」経営


◇井上ひさし 
  劇作家・小説家 1934年生 
  「手鎖心中」で直木賞 
  「こまつ座」代表


◇話し言葉の時代を走る乗り物としての「せりふ」
  日本語論
  (1)書き言葉の文体
  (2)共通話し言葉
  (3)文字、表記法
 (4)外来語
  (5)敬語・差別語
  日本人はおしゃべり 
    陰口が好き   
  話し言葉は取り消せない
戯曲は文学か? 時代の主義主張か?
日本語をいかに強くするか、美しくするか 
    21世紀のキーワードは「美」
言葉のワークショップ 
    ドッジボール「場所の名前を言ってからボールを投げる」


◇主語・述語の演劇と助詞・助動詞の演劇
  話し手の立場を表現する「助詞」
  漢文 
     - 呼古止点(おことてん)
     → 助詞の発見
時枝誠記の文法 
     話し手・甲につく表現
「ねさよ廃止運動」と「ねはい運動」
     昭和33年鎌倉市腰越小学校「ねさよ廃止運動」


◇敬語の使い方・使われ方
  日本語だけではない敬語表現
    敬語
     = 待遇表現
 英語 プリーズ  
    仏語 チュトワイエ
歴史の中で「敬語」はどう変わっていったか 
    商業敬語全盛の時代
 「はい喜んで」-居酒屋
「お疲れ様」と「ご苦労様」の混同


◇「方言」を生かす演劇
  方言と標準語の二重言語生活  
  NHK「青年の主張」のおかしさ
 「標準化」への3つの方法
  三宅米吉
    ① 古語標準
② 全国方言を調べて一番多い単語を選ぶ
③ 今目の当たりにつかわれている言葉(東京山の手か京都)
平田オリザ 
    国語科で 
      ① ラブレターの書き方
② 嘘のつき方
まだ未完成の日本語
「方言」と言うよりも日常の話し言葉
     地域における言文一致


◇対話
 芝居のせりふと日常会話の違い  
     日常会話の中の70%が無駄な言葉
戯曲の仲のいい対話の条件 
    不意打ちの連続
      すべて「一人称」
新劇は対話から始まり対話で終わる


◇戯曲の中の流行語
  一生に使う語彙は3,4万語  
  年月に耐えうるせりふを書きたい 
  恐るべきスピードで日本語は変わっていく


◇戯曲の構造と言葉
  「忠臣蔵」に劇の構造を見る
  演劇で一番大事なのは観客がいること
  「人生に暗転はないんだよ」


◇戯曲の組み立て方
  登場人物の設定と種類  
    演劇のルールの言語化 
    ※ 芝居は誰のものか
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「徳川家康天下取りへの道-家康と遠江の国衆-」浜松市博物館特別展 H27 ⑤(最終) /「思春期という節目」八ツ塚実 朱鷺書房 1989年 ⑥  【再掲載 2013.12】 [読書記録 郷土]

今回は、8月3日に続いて、
H27.11.1(日)~12.6(日)に浜松市博物館で開催された、
徳川家康公顕彰四百年記念事業特別展
「徳川家康天下取りへの道-家康と遠江の国衆-」の紹介5回目 最終です。



特別展の紹介には


「若き家康が今川氏から独立し、三河国を平定したのち、今川領であった遠江
 国をいかに攻略し平定していったのか。そこには、遠江の国人たちの抵抗や
 恭順があり、家康や家臣たちが苦労して遠江国を平定し、天下取りの足掛か
 りとした歴史がありました。
 徳川家康公顕彰四百年記念の本年は、家康と、井伊直虎や飯尾連龍など遠江
 の国衆の資料を集めた特別展を開催いたします。」

 
とあります。




本日紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「松下氏 遠州国人松下加兵衛結之綱に秀吉が幼少の頃仕えたとされる」


・「徳川家康が遠江に侵入した際、最後まで家康に抵抗したのが大澤氏」


・「堀川一揆の際、家康方は2月25日宇津山城を攻め一揆勢は皆殺しにされた
  大澤氏が開城したところ、家康は旧領すべてを安堵するが、新居の代わり
  に呉松を与えたとの起請文。家康が新居湊を重視したからか」
「三河との通路を立たれたくないため、家康は遠江侵攻の際、大澤氏を厚遇
したのか」
- 一揆勢を皆殺しにするほど苦しめられたのに、なぜ安堵をとわたしは疑問
 をもつのですが、それほど船運が大切だったということでしょうか。


・「関東移封後は本多忠勝について上総国小滝(千葉県長生郡胆沢町小滝)にい
て、関ヶ原合戦を迎えた 」
- わたしの町は旧大澤領。菩提寺の創建は、本多忠勝の伯父本多忠真の嫡男
 菊丸とされています。何らかのつながりがあったのかと想像してしまいます。


・「大澤家は江戸時代、高家26家今川・吉良と同じ足利庶流に肩を並べた」




もう一つ、再掲載になりますが、八ツ塚実さんの
「思春期という節目」⑥を載せます。
保護者が節目を意識して、節目毎に子どもを見守ることの大切さを感じます。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
2.jpg





<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。







☆「徳川家康天下取りへの道-家康と遠江の国衆-」浜松市博物館特別展 H27 ⑤(最終)

◇家康の遠江侵攻浜松在城時の国衆の動向 森田香司(静岡県地域史研究会事務局) 2
2 松下氏
遠州国人松下加兵衛結之綱(秀吉が幼少の頃仕えた)
→ 久野城主に取り立てられた
諸国を流浪した後遠江国の松下一族の元に父長則と共に戻ったか
松下一族発祥の地は三河国碧海郡松下郷

   松下氏遠江国での所見は寛正6(1465)年12月29日
松下氏は伊勢氏の被官の立場で遠江に住んでいた
松下一族は頭陀寺城に住み松下屋敷
いち早く徳川方についた
     都築秀綱も松下一族か 


3 大澤氏・中安氏・権太氏
大澤氏 
     出自は伝丹波国大澤郷(現丹波篠山市大澤)
     大澤氏・中安氏・権太氏は親戚関係
     戦国初期 
      「領家殿」
        = 村櫛荘の領家代官   
領家職を藤原北家支流特大寺家がもっており在地代官として
       浜松まで派遣されたのだろう 
        至徳元(1384)年以前
 最初は新津城(しづじょう)にいたと思われる
  その後応永12(1405)年愛知全国より堀江氏が荘内半島に入り
      堀江城築城

   戦国期 
     今川氏により堀江城が落城し堀江氏が逃走

大澤氏が堀江氏に替わって堀江城に入る
今川氏の被官
新居湊の支配も任される
宇布見の中村右衛門太郎も船の諸役免除(大澤氏の元で船運)
    
   永禄11(1569)年
徳川家康が遠江に侵入
 ←→ 最後まで家康に抵抗したのが大澤氏
堀江城籠城 + 山村修理らに命じて堀川一揆をおこした
永禄11年12月~翌4月  
       永禄12(1570)年正月~3月27日鎮圧
         2月25日宇津山城を攻め  
         一揆勢は皆殺しにされた
半分以上の船を奪う

   次第に厳しくなる 
    → 氏真の了承を得て開城 4月12日
    ◎ 家康起請文
       旧領すべてを安堵するが、新居の代わりに呉松を与えた
         = 家康が新居湊を重視  
宛先は大澤基胤・中安定安・権太泰長
         中安氏は大澤氏一族で家臣だったが、自らの知行地も有し
        ていた
         権太氏 - 北区三ヶ日町の一部をもっていた
   大澤氏一族
三方ヶ原合戦にも参加
大澤基胤娘も参戦

   三方ヶ原合戦の翌日 
     武田軍は堀江城まで押し寄せた
天候に幸いし追い返した「堀江城物語」

   大澤氏 
     慶長5(1600)年 旧領を安堵され旗本となった
基胤の子基宿(もといえ)のとき、京都の大納言持明院基久家が断絶
    の危機
     → 二男基定が養子に入った    
 ~ もともとは貴族の流れか?

   家康
     ◎ 三河との通路を立たれたくないため遠江侵攻の際厚遇したのか 

   天正16(1588)年
井伊直政と共に京都へ  
       従五位下に叙任 = 直政と同格
      ◎ 関東移封後は本多忠勝について上総国小滝(千葉県長生郡胆
       沢町小滝)にいて、関ヶ原合戦を迎えた  

戦後、要望が認められたのか旧領に戻り1550石
  翌慶長6(1601)年従四位下に昇任
◎ 家康の征夷大将軍宣下の典礼が京都で開かれた際(慶長
        8年1603年)、その一切を基宿が執り行ったという 
        → 近世の高家再興を果たしていく
      
   高家26家 
     ◎ 大澤家は今川・吉良と同じ足利庶流に肩を並べた
      
   近世初期の所領
     崎村櫛・和田・無木・上田・石丸・呉松・和地・伊佐治・佐浜・内山
     蔵松(現南区倉松町)  併せて1556石
      寛永期には2556石 
      宝永期には356石まで加増                                                                                                                                                                                             




☆「思春期という節目」八ツ塚実 朱鷺書房 1989年 ⑥  【再掲載 2013.12】

1.JPG

◇自信を育てる(1)
□ひらがなばかりの生活記録
書くことを評価するのが学校だ

  どんな短い文章だろうが対話を書く。まともに。手を抜かずに。
~ 自分の文章 
      何をどう書いてもけなされたりバカにされたりしない
  

□母親を求める心 
  自信を失うようなことは一切しない


□悪循環を正す
問題は現状の中で解決すべきであると考える

原因が現状の中にあるのだからそれを改めて解決するしかない
タダシ  
    叔父宅での生活
叔母の献身的な指導
    → ◎ 子供は切り結んだ人間関係の質によっては、飴細工のように
       変わる。まるで違う人間を生きることになる。



◇大切にしているのか甘やかしているのか
□見せかけの親子ごっこ
「いいわけ」と子供を「かばう」言葉
→ 子供が学校へ来ない正当な理由を成立させてしまう


□贅沢の悲劇
おじいさん
   「甘やかすと人間はどこまでも腐ってくるものです」
  

□物や金で心はつなぎ止められない
 ◎ 社会が提示する魅力と学校が提示する魅力とがあまりにも異質で共通
   点がなさ過ぎるのです
  |
  快楽度指数  
    大人の社会の義務部分は完全に切り捨てて、楽しい部分だけを与えら
   れるのだからたまらない。意志もまた弱く、判断力の未熟な子供はひと
   たまりもない。

◎ 物と金によって気をひくことはたやすい。しかし、要求はいくらでも
   ふくらみエスカレートしていく。
  

□甘やかしは人権無視
金や物で子供の心をつろうとする魂胆は子供を見くびっていることに
  なる
家庭教育が音立てて「物と金」の領域に流れ込んでいる。
  家庭教育は子供を大人扱いすることだという錯覚が蔓延しつつある


◎ かつては子供の姿を見ることもなかった場所に幼い子供が両親に連れ
   られてやってくる。
    ~ しかもその多くが大人の遊び場
    × 一気に歓楽街へと子供を導き入れてしまった
  ・真夜中のモーテルの食堂 
        ・夜のカラオケバー 
        ・飲み屋
  今広く行われている家庭教育は確かに「世慣れた子」をつくり出すこ
   とには成功している

  レストランで堂々とメニューを開く。物怖じせずウェイトレスに注文
   できる。しかし、食堂のメニューをいくら堂々とめくろうとも、人権の
   メニューには 全く目覚めていない少年像は健全な感覚を具えた大人像
   とは大きくずれる。

◎「子供を大切にする」即「子供を甘やかす」図式がいかに誤っているかが
  なぜ見抜けないのか?その答えは簡単である。親に人権感覚がないからだ。
  その結果子供を「みくびり」「買いかぶっている」からである。

子供を見くびれば 
    … 甘やかしてしまう
→ 甘やかしは子どもの人権を粗末にしているのであって「大切にす
     る」こととは全く無縁な行為なのである。

トシ子のおじいさん
「子供の心は金じゃ買えやせんのじゃ」

  
□先生への突然の暴力
「登校拒否は三日が勝負」


□「捨てぜりふ」という刃物
一人一人が自分の心の中の「みくびり根性」をなくす不断の努力をしなく
 てはならない
子供が爆発したとき…
教員は → ・彼は今穏やかではない
・今は彼を穏やかにするときだ
・激昂をおさめてやらないと彼を傷つける

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