「あの町この町」加藤鎮毅 ひくまの出版 1981年 /「非行の予防学」佐々木光郎 三学出版 2011年 ③【再掲載 2016.5】 [読書記録 郷土]
今日は3月26日、火曜日です。
今回は、加藤鎮毅さんの
「あの町この町」を紹介します。
新しい任地が決まったときにその地域のことを調べますが、
駅南に勤めていた頃読んだ本だと思います。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「浜津が言いづらいからハーマツか?」
・「『八幡宮由来記』、『十六夜日記』から浜松か?」
・「天竜川の呼び名は、あら玉川、広瀬川、天中川、天竜川へと変遷し
ていったか。」
もう一つ、再掲載になりますが、佐々木光郎さんの
「非行の予防学」③を載せます。
本日は勤務校で離任式があります。
わたしも40年間の学校勤務から離れます。
☆「あの町この町」加藤鎮毅 ひくまの出版 1981年
◇加藤鎮毅
1935生 中区曳馬町
遠州の歴史を学ぶ会 浜松市かるた協会会長
◇ハーマツについて
万葉集
巻一 白波の浜松か枝の手向けくさ幾代までにか年の経るらむ
川島皇子
いざ子ども早く日本へ大伴の三津の浜松待ち恋ひぬらぬ
山上憶良
巻二 磐代の浜松が枝を引き結びま草くあらばまたかへりみむ
有馬皇子
巻三 昨日こそ君はありしか思はぬに浜松の上に雲たなびく
大伴三中
巻十二 豊国の企救の浜松ねもころになにしか妹に相言ひとめけむ
柿本人麻呂
巻十五 ぬばたまの夜明かしにも船は漕ぎ行かな三津の浜松
待ち変ひぬらぬ 中臣朝臣宅守
巻二十 住吉の浜松が根の下延べて我が見る小野の草な刈そね
大伴家持
普通名詞ばかり
固有名詞は「倭名抄」の国衙 源順(911~983)
「浜松」「波万万都」「浜津」
- 浜津が言いづらいからハーマツか?
浜の松から浜松
「八幡宮由来記」
小沢渡の浜辺より一本の松が引馬野に
浜の松より浜松
「十六夜日記」
こよい引馬の宿と言うところにとどまる。この所のおおかた
の名をば浜松といいし…
天竜川と馬込川
天竜川
あら玉川
- 広瀬川
- 天中川
- 天竜川(室町末頃)
「続日本紀」「文徳実録」平安中~
◇町名
江西地区 13町
海老塚町 海老 ~ 入江
① 海老を食してその殻をまとめて捨てた。 - 塚を作ったこれより海老塚
② 大量の海老が打ち上げられた - 懇ろに葬る 塚 海老塚
③ 開拓者が、健康で腰が曲がるまで寿命を保って「生まれ、
育ち、生活」した
土地のために貢献しようと誓い合って海老塚村と命名
④ 「蛇塚」→「海老塚」
⑤(著者)地形が海老のような形でないか - 水、津波の犠牲になった人々を弔った塚があったの
ではないか
駅南 4町
砂山町 「曳馬拾遺」1711年 杉浦国頭
当時は沙山
「さして高きにあらず、かりそめの岡山也、たたいさ
このみ有て、土石も見へすふりぬる松の生しけるに…」 - 高くない砂丘が点在していたのか?
吉宗の頃から開墾
有数の美田
- 穀倉地区
いちめんの田
~ スズメ 俗称「スズメの村」 - 当初 砂山(沙山)村
→ 白脇村大字砂山
1882(明治15)年 浜松八幡地
1904(明治37)年 浜松町に合併(竜禅寺 寺島と共に)
1925(大正14)年
この町に先祖が住み着いた頃、見渡せば砂山と松原
だったと言われる昔を偲んで「砂山町」に
高山定吉(菅原町自治会長 映画評論家・郷土史家)
☆「非行の予防学」佐々木光郎 三学出版 2011年 ③【再掲載 2016.5】
Ⅲ 配慮のある家庭環境
1 住まいと非行①
住まいと年齢
中学生
~ 一日の疲れを癒やす場が必要
勉強机
ないと「学ぶ楽しさ」から遠のく
心地の悪さ
= 子どもの年齢に慎重な気配りを
別々の玄関
個室も使われ方による
入室の許可
2 住まいと非行②
茂る雑草
総じて多くの困難を抱えた家族の場合は、周囲の清掃が行き
届かず雑然としているところが多かった
環境と非行との相関関係は高い
ケリング・ウィルソン(米)「割れ窓理論」
「だらしないままでもいいよ」
「きまりだったら守らなくていいよ」
= 非行準備制
表札と玄関
(1)いろいろな困難を抱える家庭ほど表札がない
親の自尊感情が低い
ひとりぼっちの子育て
(2)玄関
= それが親の対人関係の力量と養育能力を如実に物
語る
◎ 玄関はオモテ(外)とウチ(個人)をつなぐ門
間取り
個室 ○自立への一歩
×たまり場
大切
=「家の真ん中に居間を作り、子どもは居間から自室に行
くような間取り」
3 離婚と再婚 ひとり親家庭と再婚家庭(ステップファミリー)
間違った認識(シナリオ)
×ひとり親は悪い
×再婚家族に対する根拠のない見方
うまくいかない家族
(1)生別した親の悪口を盛んに言う
(2)近隣親族から相手にされない
「孤立した家庭」ネグレクトへ
(3)子どもからの「被害」を訴える親が実に多い
子どもの前で「お前のために苦労している」と愚痴る
ステップファミリーの心入れ
(1)新家庭を作るとき、子どもの年齢や心の動きにどれほど
配慮し、その意思を尊重したか
丁寧な準備が必要
(2)「実親」を性急に演じようとしたか
(3)一方の実親との関係をうまく整理をつけたか
◎ 大人は子どもの最善の利益を考える余裕をもたない
4 ステップファミリーの知恵
年齢
小5~中学生 反発が強い
= 兄弟でも年齢により反応が違う
ステップファミリーの知恵
うまくいかなかった理由
(1)パートナー紹介等のうまく取り持つ努力が成されていな
い場合
(2)子どもの意見や意向を尊重しないで勧めている場合
(3)せっかちに「本当の子ども」を強いる
→ 大人がわだかまりを和らげる努力を!
互いのよい悪いを認めあえる関係に!
非行の本当の背景
以前の大人観
離縁話
思春期のステップファミリーにはもろさがある
5 親の付き合いと非行
親の背を見て育つ
親のもつまずい「能力」を学習し、自らも他とうまく交わる
力を失っていく
非行をつくる親
親自身が今を生き生きと生きていない
「自分に甘く、他者に非常に厳しい」
権威に頼る
6 父親の役割
負の父親像
父との風呂
教育家庭の父親
母親の役目
7 祖父母と非行
登場するさせられる祖父母
祖父母クローズアップ
(1)親権が祖父母にあるような雰囲気の家族
(2)祖父母がやむを得ず引き受けている場合
強すぎる祖父母
養育しない親
声掛けは必要
今回は、加藤鎮毅さんの
「あの町この町」を紹介します。
新しい任地が決まったときにその地域のことを調べますが、
駅南に勤めていた頃読んだ本だと思います。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「浜津が言いづらいからハーマツか?」
・「『八幡宮由来記』、『十六夜日記』から浜松か?」
・「天竜川の呼び名は、あら玉川、広瀬川、天中川、天竜川へと変遷し
ていったか。」
もう一つ、再掲載になりますが、佐々木光郎さんの
「非行の予防学」③を載せます。
本日は勤務校で離任式があります。
わたしも40年間の学校勤務から離れます。
☆「あの町この町」加藤鎮毅 ひくまの出版 1981年
◇加藤鎮毅
1935生 中区曳馬町
遠州の歴史を学ぶ会 浜松市かるた協会会長
◇ハーマツについて
万葉集
巻一 白波の浜松か枝の手向けくさ幾代までにか年の経るらむ
川島皇子
いざ子ども早く日本へ大伴の三津の浜松待ち恋ひぬらぬ
山上憶良
巻二 磐代の浜松が枝を引き結びま草くあらばまたかへりみむ
有馬皇子
巻三 昨日こそ君はありしか思はぬに浜松の上に雲たなびく
大伴三中
巻十二 豊国の企救の浜松ねもころになにしか妹に相言ひとめけむ
柿本人麻呂
巻十五 ぬばたまの夜明かしにも船は漕ぎ行かな三津の浜松
待ち変ひぬらぬ 中臣朝臣宅守
巻二十 住吉の浜松が根の下延べて我が見る小野の草な刈そね
大伴家持
普通名詞ばかり
固有名詞は「倭名抄」の国衙 源順(911~983)
「浜松」「波万万都」「浜津」
- 浜津が言いづらいからハーマツか?
浜の松から浜松
「八幡宮由来記」
小沢渡の浜辺より一本の松が引馬野に
浜の松より浜松
「十六夜日記」
こよい引馬の宿と言うところにとどまる。この所のおおかた
の名をば浜松といいし…
天竜川と馬込川
天竜川
あら玉川
- 広瀬川
- 天中川
- 天竜川(室町末頃)
「続日本紀」「文徳実録」平安中~
◇町名
江西地区 13町
海老塚町 海老 ~ 入江
① 海老を食してその殻をまとめて捨てた。 - 塚を作ったこれより海老塚
② 大量の海老が打ち上げられた - 懇ろに葬る 塚 海老塚
③ 開拓者が、健康で腰が曲がるまで寿命を保って「生まれ、
育ち、生活」した
土地のために貢献しようと誓い合って海老塚村と命名
④ 「蛇塚」→「海老塚」
⑤(著者)地形が海老のような形でないか - 水、津波の犠牲になった人々を弔った塚があったの
ではないか
駅南 4町
砂山町 「曳馬拾遺」1711年 杉浦国頭
当時は沙山
「さして高きにあらず、かりそめの岡山也、たたいさ
このみ有て、土石も見へすふりぬる松の生しけるに…」 - 高くない砂丘が点在していたのか?
吉宗の頃から開墾
有数の美田
- 穀倉地区
いちめんの田
~ スズメ 俗称「スズメの村」 - 当初 砂山(沙山)村
→ 白脇村大字砂山
1882(明治15)年 浜松八幡地
1904(明治37)年 浜松町に合併(竜禅寺 寺島と共に)
1925(大正14)年
この町に先祖が住み着いた頃、見渡せば砂山と松原
だったと言われる昔を偲んで「砂山町」に
高山定吉(菅原町自治会長 映画評論家・郷土史家)
☆「非行の予防学」佐々木光郎 三学出版 2011年 ③【再掲載 2016.5】
Ⅲ 配慮のある家庭環境
1 住まいと非行①
住まいと年齢
中学生
~ 一日の疲れを癒やす場が必要
勉強机
ないと「学ぶ楽しさ」から遠のく
心地の悪さ
= 子どもの年齢に慎重な気配りを
別々の玄関
個室も使われ方による
入室の許可
2 住まいと非行②
茂る雑草
総じて多くの困難を抱えた家族の場合は、周囲の清掃が行き
届かず雑然としているところが多かった
環境と非行との相関関係は高い
ケリング・ウィルソン(米)「割れ窓理論」
「だらしないままでもいいよ」
「きまりだったら守らなくていいよ」
= 非行準備制
表札と玄関
(1)いろいろな困難を抱える家庭ほど表札がない
親の自尊感情が低い
ひとりぼっちの子育て
(2)玄関
= それが親の対人関係の力量と養育能力を如実に物
語る
◎ 玄関はオモテ(外)とウチ(個人)をつなぐ門
間取り
個室 ○自立への一歩
×たまり場
大切
=「家の真ん中に居間を作り、子どもは居間から自室に行
くような間取り」
3 離婚と再婚 ひとり親家庭と再婚家庭(ステップファミリー)
間違った認識(シナリオ)
×ひとり親は悪い
×再婚家族に対する根拠のない見方
うまくいかない家族
(1)生別した親の悪口を盛んに言う
(2)近隣親族から相手にされない
「孤立した家庭」ネグレクトへ
(3)子どもからの「被害」を訴える親が実に多い
子どもの前で「お前のために苦労している」と愚痴る
ステップファミリーの心入れ
(1)新家庭を作るとき、子どもの年齢や心の動きにどれほど
配慮し、その意思を尊重したか
丁寧な準備が必要
(2)「実親」を性急に演じようとしたか
(3)一方の実親との関係をうまく整理をつけたか
◎ 大人は子どもの最善の利益を考える余裕をもたない
4 ステップファミリーの知恵
年齢
小5~中学生 反発が強い
= 兄弟でも年齢により反応が違う
ステップファミリーの知恵
うまくいかなかった理由
(1)パートナー紹介等のうまく取り持つ努力が成されていな
い場合
(2)子どもの意見や意向を尊重しないで勧めている場合
(3)せっかちに「本当の子ども」を強いる
→ 大人がわだかまりを和らげる努力を!
互いのよい悪いを認めあえる関係に!
非行の本当の背景
以前の大人観
離縁話
思春期のステップファミリーにはもろさがある
5 親の付き合いと非行
親の背を見て育つ
親のもつまずい「能力」を学習し、自らも他とうまく交わる
力を失っていく
非行をつくる親
親自身が今を生き生きと生きていない
「自分に甘く、他者に非常に厳しい」
権威に頼る
6 父親の役割
負の父親像
父との風呂
教育家庭の父親
母親の役目
7 祖父母と非行
登場するさせられる祖父母
祖父母クローズアップ
(1)親権が祖父母にあるような雰囲気の家族
(2)祖父母がやむを得ず引き受けている場合
強すぎる祖父母
養育しない親
声掛けは必要
「土のいろ集成 第十巻」ひくまの出版 1987年 /「話し言葉の日本語」井上ひさし・平田オリザ 小学館 2002年 【再掲載 2013.7】 [読書記録 郷土]
今回は、昭和の郷土誌、「土のいろ集成 第十巻」を紹介します。
浜松市中央図書館のデジタルアーカイブス、
発刊者「飯尾哲爾」の項には、
「飯尾哲爾(敷知郡曳馬村小学校教員)は主宰する浜松子供協会一周年記念とし
て『土のいろ社』を結成して機関誌『土のいろ』を発刊し、民俗学方面より
の郷土研究を志した。その第1号を刊行したのは大正13年1月であったが、
発刊の辞に『吾々はどうしても郷土を忘れることは出来ません。郷土のもつ
伝説や風俗の様々を時の流れにまかせて流失することは、到底私共のしのび
得ることではありません。私共はこの時勢の推移にさからっても、これが蒐
集保存につとめたいと思います。そして(中略)現代のそれらとの関係をも明
らかにして行きたいと思います」とある。『土のいろ』は、発行部数毎号約
150部、年間3、4冊の割をもって発刊され、昭和15年9月第17巻第2号
をもって休刊にいたるまで通巻83冊を刊行している。【特集研究号】特集号
に『遠州俚謡』『浜松凧揚』『桜が池伝説』『遠州の凧』『浜松土俗玩具』『遠
州七不思議』『遠江国古人百人一首』『民話伝説』『鏡山歌』『きつねのはな
し』『遠州伝説地名の起原』『遠州の方言』『克明館蔵書目録』『遠江郷土歌
集』『郷土伝説植物考』『西遠の民家』『聞書』『鴨江見世物』『遠州風物手鏡
百影』『遠江に於ける屋敷神』などがある。これに協力する土のいろ会員の
中道朔爾・松井多門・三輪桂作・県善三郎・久保田閲次・吉沢純道・渥美実
などがあった。寄稿者も遠州全域にわたり、柳田国男も『土のいろ』第4巻
第4号には『蟷螂考』を、楠方熊南も感想文を寄せている。飯尾哲爾は『土
のいろ』の発行にあたり自ら謄写版の原紙をきり、自ら印刷製本し、これを
発送したという。『土のいろ』は遠州地方では古い郷土研究雑誌であり、遠
州地方の研究に欠くことのできない参考書となっている(『土のいろ』は戦
後復刊され通巻113冊に及んでいる)。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「すばらしい遠州七不思議考」
- 七不思議と聞くと7つあると思うのですが、遠州各地でそれぞれの
七不思議あると知りました。
・「すばらしい遠州七不思議考」
- 今でも東区浜松アリーナ近くに六軒京本舗があります。
・「アクセント区分 浜松 湖西 白須賀 舞阪 新居 - 山口幸洋」
もう一つ、再掲載になりますが、井上ひさしさん、平田オリザさんの
「話し言葉の日本語」をのせます。
☆「土のいろ集成 第十巻」ひくまの出版 1987年
<画像は「店主お薦めの古書・古美術 百寿堂 浜松」サイトより>
◇土のいろ 93~100号 月報10
宇波さんのことなど 金田一春彦
宇波耕策『浜名湖とアクセントの分布』
すばらしい遠州七不思議考 清水達也
土のいろ校訂余録 佐藤彰
◇昭和33年4月 復刊10号 通刊93号
六軒京紫蘇巻きのこと 永井治雄
金原法橋 - 妙恩寺
→ 鈴木氏 京都 妻 まつがしそまき
六軒茶屋の紫蘇巻き有名に
六軒と鈴木京次郎
→ 六軒の京さん
女子相伝
浜名湖周辺の民家について 名工大 鈴村○○
ネドコ ダイドコ ザシキ ヨリツキ
西遠地方におけるお鍬まつりの流行 渥美実
細谷で聞いた『花咲じじい』山口幸洋
遠江国分寺と其の瓦当 加藤貞雄
印刷 浜松市山下町24 しゆう文社
◇昭和33年10月 復刊11号 通刊94号
郷土の民話 中村義太郎
遠州横須賀城の編年 加藤貞雄
遠州の切支丹燈籠 原邦英
掛川市大日寺
横須賀 撰要寺
浅羽町 方松院
中泉奉行所「廻状」2通と前島密 田辺寛
中泉奉行 前島密 明治2.3~9
米津地蔵について 渥美実
印刷 浜松市山下町24 輯文社(しゅうぶんしゃ)
◇昭和34年3月 復刊12号 通刊95号
特集:遠江和讃術詠歌集
都田町の和讃 冨田準作
遠州西行和讃 川西訓導和讃 三ヶ日町華蔵寺住職
都田精霊和讃
大日如来和讃 渥美実
稲葉山平手監物公和讃 渥美実
ひらてんさま 「平手氵凡秀」
遠江三十三所御詠歌 川上秀治
犀ヶ崖大念仏和讃 川上秀治
本多肥後守忠真戦没地碑
袖ケ浦和讃及び御詠歌(下) 大村二郎
万福寺黒衣地蔵尊和讃 田辺寛
篠ヶ瀬増福寺の王薬師如来和讃 田辺寛
油山寺薬師如来和讃 野末初江
潮海寺薬師瑠璃光如来和讃
活民院殿彰徳奉願和讃
◇昭和34年7月 復刊13号 通刊96号
普門寺のたたきまつり 加藤貞雄
かんからまち獅子舞について 袴田鷹郎
磐田の鉈仏について
写本「唐土○流○」
雲立楠盆の由来 鈴木犀十郎
◇昭和34年9月 復刊14号 通刊97号
夜泣石 袴田○○氏
本興寺の建築
志留波の磯と贄の浦 歌 3説
御前崎白羽 磐田白羽 浜松白羽
遠江国分寺瓦窯の考証
◇昭和35年1月 復刊15号 通刊98号
金原明善
庚申塔雑記 原邦英
谷上の穴地蔵
ねんごう節分 小池誠二
◇昭和35年5月 復刊16号 通刊99号
法多山田遊び祭りの歌詞について 山口直裁
遠江相良と平賀源内 川崎次郎
平賀源内遠州隠棲説
アクセント 山口幸洋
区分 浜松 湖西 白須賀 舞阪 新居
◇昭和35年11月 復刊17号 通刊100号 遠州大念仏
特集 遠州大念仏
P393 遠州大念仏分布図
農村青年娯楽の域
昭和5年遠州大念仏図
遠州大念仏の源流を探る 宮田準作
① 虫送り
② 雨乞い
大念仏別伝 吉沢純道
「トッタカ」 鈴木実
トッタカ = 大念仏
トッタカ = 取り霊?
「珠なる霊をこの場所に取り寄せること」?
大念仏の禁と当時の刑罰 小山正
☆「話し言葉の日本語」井上ひさし・平田オリザ 小学館 2002年 【再掲載 2013.7】
◇平田オリザ
劇作家・演出家
劇団「青年座」主宰
桜美林大学助教授
1962年東京生 国際基督教大学卒
「こまばアゴラ劇場」経営
◇井上ひさし
劇作家・小説家 1934年生
「手鎖心中」で直木賞
「こまつ座」代表
◇話し言葉の時代を走る乗り物としての「せりふ」
日本語論
(1)書き言葉の文体
(2)共通話し言葉
(3)文字、表記法
(4)外来語
(5)敬語・差別語
日本人はおしゃべり
陰口が好き
話し言葉は取り消せない
戯曲は文学か? 時代の主義主張か?
日本語をいかに強くするか、美しくするか
21世紀のキーワードは「美」
言葉のワークショップ
ドッジボール「場所の名前を言ってからボールを投げる」
◇主語・述語の演劇と助詞・助動詞の演劇
話し手の立場を表現する「助詞」
漢文
- 呼古止点(おことてん)
→ 助詞の発見
時枝誠記の文法
話し手・甲につく表現
「ねさよ廃止運動」と「ねはい運動」
昭和33年鎌倉市腰越小学校「ねさよ廃止運動」
◇敬語の使い方・使われ方
日本語だけではない敬語表現
敬語
= 待遇表現
英語 プリーズ
仏語 チュトワイエ
歴史の中で「敬語」はどう変わっていったか
商業敬語全盛の時代
「はい喜んで」-居酒屋
「お疲れ様」と「ご苦労様」の混同
◇「方言」を生かす演劇
方言と標準語の二重言語生活
NHK「青年の主張」のおかしさ
「標準化」への3つの方法
三宅米吉
① 古語標準
② 全国方言を調べて一番多い単語を選ぶ
③ 今目の当たりにつかわれている言葉(東京山の手か京都)
平田オリザ
国語科で
① ラブレターの書き方
② 嘘のつき方
まだ未完成の日本語
「方言」と言うよりも日常の話し言葉
地域における言文一致
◇対話
芝居のせりふと日常会話の違い
日常会話の中の70%が無駄な言葉
戯曲の仲のいい対話の条件
不意打ちの連続
すべて「一人称」
新劇は対話から始まり対話で終わる
◇戯曲の中の流行語
一生に使う語彙は3,4万語
年月に耐えうるせりふを書きたい
恐るべきスピードで日本語は変わっていく
◇戯曲の構造と言葉
「忠臣蔵」に劇の構造を見る
演劇で一番大事なのは観客がいること
「人生に暗転はないんだよ」
◇戯曲の組み立て方
登場人物の設定と種類
演劇のルールの言語化
※ 芝居は誰のものか
浜松市中央図書館のデジタルアーカイブス、
発刊者「飯尾哲爾」の項には、
「飯尾哲爾(敷知郡曳馬村小学校教員)は主宰する浜松子供協会一周年記念とし
て『土のいろ社』を結成して機関誌『土のいろ』を発刊し、民俗学方面より
の郷土研究を志した。その第1号を刊行したのは大正13年1月であったが、
発刊の辞に『吾々はどうしても郷土を忘れることは出来ません。郷土のもつ
伝説や風俗の様々を時の流れにまかせて流失することは、到底私共のしのび
得ることではありません。私共はこの時勢の推移にさからっても、これが蒐
集保存につとめたいと思います。そして(中略)現代のそれらとの関係をも明
らかにして行きたいと思います」とある。『土のいろ』は、発行部数毎号約
150部、年間3、4冊の割をもって発刊され、昭和15年9月第17巻第2号
をもって休刊にいたるまで通巻83冊を刊行している。【特集研究号】特集号
に『遠州俚謡』『浜松凧揚』『桜が池伝説』『遠州の凧』『浜松土俗玩具』『遠
州七不思議』『遠江国古人百人一首』『民話伝説』『鏡山歌』『きつねのはな
し』『遠州伝説地名の起原』『遠州の方言』『克明館蔵書目録』『遠江郷土歌
集』『郷土伝説植物考』『西遠の民家』『聞書』『鴨江見世物』『遠州風物手鏡
百影』『遠江に於ける屋敷神』などがある。これに協力する土のいろ会員の
中道朔爾・松井多門・三輪桂作・県善三郎・久保田閲次・吉沢純道・渥美実
などがあった。寄稿者も遠州全域にわたり、柳田国男も『土のいろ』第4巻
第4号には『蟷螂考』を、楠方熊南も感想文を寄せている。飯尾哲爾は『土
のいろ』の発行にあたり自ら謄写版の原紙をきり、自ら印刷製本し、これを
発送したという。『土のいろ』は遠州地方では古い郷土研究雑誌であり、遠
州地方の研究に欠くことのできない参考書となっている(『土のいろ』は戦
後復刊され通巻113冊に及んでいる)。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「すばらしい遠州七不思議考」
- 七不思議と聞くと7つあると思うのですが、遠州各地でそれぞれの
七不思議あると知りました。
・「すばらしい遠州七不思議考」
- 今でも東区浜松アリーナ近くに六軒京本舗があります。
・「アクセント区分 浜松 湖西 白須賀 舞阪 新居 - 山口幸洋」
もう一つ、再掲載になりますが、井上ひさしさん、平田オリザさんの
「話し言葉の日本語」をのせます。
☆「土のいろ集成 第十巻」ひくまの出版 1987年
<画像は「店主お薦めの古書・古美術 百寿堂 浜松」サイトより>
◇土のいろ 93~100号 月報10
宇波さんのことなど 金田一春彦
宇波耕策『浜名湖とアクセントの分布』
すばらしい遠州七不思議考 清水達也
土のいろ校訂余録 佐藤彰
◇昭和33年4月 復刊10号 通刊93号
六軒京紫蘇巻きのこと 永井治雄
金原法橋 - 妙恩寺
→ 鈴木氏 京都 妻 まつがしそまき
六軒茶屋の紫蘇巻き有名に
六軒と鈴木京次郎
→ 六軒の京さん
女子相伝
浜名湖周辺の民家について 名工大 鈴村○○
ネドコ ダイドコ ザシキ ヨリツキ
西遠地方におけるお鍬まつりの流行 渥美実
細谷で聞いた『花咲じじい』山口幸洋
遠江国分寺と其の瓦当 加藤貞雄
印刷 浜松市山下町24 しゆう文社
◇昭和33年10月 復刊11号 通刊94号
郷土の民話 中村義太郎
遠州横須賀城の編年 加藤貞雄
遠州の切支丹燈籠 原邦英
掛川市大日寺
横須賀 撰要寺
浅羽町 方松院
中泉奉行所「廻状」2通と前島密 田辺寛
中泉奉行 前島密 明治2.3~9
米津地蔵について 渥美実
印刷 浜松市山下町24 輯文社(しゅうぶんしゃ)
◇昭和34年3月 復刊12号 通刊95号
特集:遠江和讃術詠歌集
都田町の和讃 冨田準作
遠州西行和讃 川西訓導和讃 三ヶ日町華蔵寺住職
都田精霊和讃
大日如来和讃 渥美実
稲葉山平手監物公和讃 渥美実
ひらてんさま 「平手氵凡秀」
遠江三十三所御詠歌 川上秀治
犀ヶ崖大念仏和讃 川上秀治
本多肥後守忠真戦没地碑
袖ケ浦和讃及び御詠歌(下) 大村二郎
万福寺黒衣地蔵尊和讃 田辺寛
篠ヶ瀬増福寺の王薬師如来和讃 田辺寛
油山寺薬師如来和讃 野末初江
潮海寺薬師瑠璃光如来和讃
活民院殿彰徳奉願和讃
◇昭和34年7月 復刊13号 通刊96号
普門寺のたたきまつり 加藤貞雄
かんからまち獅子舞について 袴田鷹郎
磐田の鉈仏について
写本「唐土○流○」
雲立楠盆の由来 鈴木犀十郎
◇昭和34年9月 復刊14号 通刊97号
夜泣石 袴田○○氏
本興寺の建築
志留波の磯と贄の浦 歌 3説
御前崎白羽 磐田白羽 浜松白羽
遠江国分寺瓦窯の考証
◇昭和35年1月 復刊15号 通刊98号
金原明善
庚申塔雑記 原邦英
谷上の穴地蔵
ねんごう節分 小池誠二
◇昭和35年5月 復刊16号 通刊99号
法多山田遊び祭りの歌詞について 山口直裁
遠江相良と平賀源内 川崎次郎
平賀源内遠州隠棲説
アクセント 山口幸洋
区分 浜松 湖西 白須賀 舞阪 新居
◇昭和35年11月 復刊17号 通刊100号 遠州大念仏
特集 遠州大念仏
P393 遠州大念仏分布図
農村青年娯楽の域
昭和5年遠州大念仏図
遠州大念仏の源流を探る 宮田準作
① 虫送り
② 雨乞い
大念仏別伝 吉沢純道
「トッタカ」 鈴木実
トッタカ = 大念仏
トッタカ = 取り霊?
「珠なる霊をこの場所に取り寄せること」?
大念仏の禁と当時の刑罰 小山正
☆「話し言葉の日本語」井上ひさし・平田オリザ 小学館 2002年 【再掲載 2013.7】
◇平田オリザ
劇作家・演出家
劇団「青年座」主宰
桜美林大学助教授
1962年東京生 国際基督教大学卒
「こまばアゴラ劇場」経営
◇井上ひさし
劇作家・小説家 1934年生
「手鎖心中」で直木賞
「こまつ座」代表
◇話し言葉の時代を走る乗り物としての「せりふ」
日本語論
(1)書き言葉の文体
(2)共通話し言葉
(3)文字、表記法
(4)外来語
(5)敬語・差別語
日本人はおしゃべり
陰口が好き
話し言葉は取り消せない
戯曲は文学か? 時代の主義主張か?
日本語をいかに強くするか、美しくするか
21世紀のキーワードは「美」
言葉のワークショップ
ドッジボール「場所の名前を言ってからボールを投げる」
◇主語・述語の演劇と助詞・助動詞の演劇
話し手の立場を表現する「助詞」
漢文
- 呼古止点(おことてん)
→ 助詞の発見
時枝誠記の文法
話し手・甲につく表現
「ねさよ廃止運動」と「ねはい運動」
昭和33年鎌倉市腰越小学校「ねさよ廃止運動」
◇敬語の使い方・使われ方
日本語だけではない敬語表現
敬語
= 待遇表現
英語 プリーズ
仏語 チュトワイエ
歴史の中で「敬語」はどう変わっていったか
商業敬語全盛の時代
「はい喜んで」-居酒屋
「お疲れ様」と「ご苦労様」の混同
◇「方言」を生かす演劇
方言と標準語の二重言語生活
NHK「青年の主張」のおかしさ
「標準化」への3つの方法
三宅米吉
① 古語標準
② 全国方言を調べて一番多い単語を選ぶ
③ 今目の当たりにつかわれている言葉(東京山の手か京都)
平田オリザ
国語科で
① ラブレターの書き方
② 嘘のつき方
まだ未完成の日本語
「方言」と言うよりも日常の話し言葉
地域における言文一致
◇対話
芝居のせりふと日常会話の違い
日常会話の中の70%が無駄な言葉
戯曲の仲のいい対話の条件
不意打ちの連続
すべて「一人称」
新劇は対話から始まり対話で終わる
◇戯曲の中の流行語
一生に使う語彙は3,4万語
年月に耐えうるせりふを書きたい
恐るべきスピードで日本語は変わっていく
◇戯曲の構造と言葉
「忠臣蔵」に劇の構造を見る
演劇で一番大事なのは観客がいること
「人生に暗転はないんだよ」
◇戯曲の組み立て方
登場人物の設定と種類
演劇のルールの言語化
※ 芝居は誰のものか