今回は、8月24日に続いて、田中耕治さんの、
「時代を拓いた教師たちⅡ」の紹介 6回目です。
戦後教育実践の流れがよく分かります。
出版社の案内には、
「発言したくてたまらない。子どもたちが心待ちにする授業とは―教育実践の豊かな蓄積
が、混迷する現代を切り拓く。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「各学校は,それぞれに独特の雰囲気や癖,つまり文化をもっている。」
・「子どもたちが活発に発言することよりも,問いに真剣に向き合い,自分で考え抜く
(林竹二さんの授業)」
・「授業が授業として成立するには教師が自分自身の授業を改めて問い直す必要がある」
・「林竹二『子どもを生産の手段としてみるのをやめよ』」
もう一つ、再計算となりますが、ジャーナリスト徳岡孝男さんの
「お礼まいり」を載せます。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「時代を拓いた教師たちⅡ」田中耕治 日本標準 2009年 ⑥
◇学校に文化を創り出す(1)
各学校は,それぞれに独特の雰囲気や癖,つまり文化をもっている。それは,教室の使い
方や授業の進め方,子どもや教師の何気ない言葉遣いや仕草などに現れ,人々の各学校への
印象を決定づける。
1.伊藤功一と校内研修 -自分自身の授業の創造を目指す教師たちとの歩み-
教師としてではなく自分自身として
〈他者との出会い〉から〈自己との出会い〉へ
「自分自身の授業の創造を目指す」
一般化可能性を拒む
十和田市立三本木小学校
戸来るみ子先生 授業を考える会での公開授業
教えたいものを追求する
〈世界との出会い〉から再び〈他者との出会い〉へ
伊藤功一
1930年 群馬県生 弘前大学教育学部国文科卒 ~2009.4
青森県内で中学校教師
→ 教育委員会
→ 校長 七戸町立城南小学校
三沢市立古間木小学校
十和田市立三本木小学校
林竹二との出会い 宮城教育大学長
1970~授業巡視
1977年 兵庫県立湊川高校(定時制)
1975年 城南小での林の授業と講演
「人間は動物だろうか」
◎問いについて一人一人の子どもになぜそのように考たのかをとことん問いつめた
↓
子どもたちは次第に無言となり,後半は林の説明が続く授業に
※ 子どもたちが活発に発言することよりも,問いに真剣に向き合い,自分で考え抜く
~ 何らかの奥深さ
∥
◎ 授業が授業として成立するには教師が自分自身の授業を改めて問い直す必要がある
武田忠が城南小学校に内地留学
授業を追求する教師たちを支える校内研修 -連帯を生み出すために-
◎三本木小学校・3つの提案
① わたしたち教師自身,本当は子どもたちを鍛えることにおいて非力であるという
ことを自覚しなければならないこと
② 研修は,教師である自分自身のために行うのであって,他人のために行うことで
はないこと
③ いわゆる「うまい授業」をしようと思わないこと。たとえ無様な授業であっても,
子どもたちと誠実に向き合う授業をしよう。
◎校内研修のあるべき姿
① 研究主題 自分の授業を創造することにつながる
② 仮説 学問的根拠のある教材研究を通して
③ 第一次教材解釈 自分自身としての世界との出会い
④ 第二次教材解釈 授業におろすため子どもという他者との出会いへとつなげる
⑤ 年間計画による授業研究 教科グループによる授業研究
⑥ 日常的で多様な授業研究 同一教材による授業のカンファレンス他
⑦ 三本木小学校の授業
⑧ 質の高い自分の授業の創造
意味の不安定さの中で教師として生きる
- 誠実であるということ
※ 林 「子どもを生産の手段としてみるのをやめよ」
☆「お礼まいり」徳岡孝男 清流出版 2010年【再掲載 2012.10】
◇ヴィシーの冷湯 外の三島さん
エヴィアン ヴィシー水 ヴィシソワズ
バルコニーの下で三島氏演説
◇美食家の百歳 小島政二郎 横光利一
雑煮の作り方…ごま油でちょっと揚げてから
小島政二郎 平成6年 100歳で天寿
「鶴屋八幡」今中祝雄
◇山本夏彦さんを送る
「歳月は勝手に来て勝手に去る。」
父は露葉(新体詩人) 文語文-漢文書き下し文
◇懐かしき哉「愚者の楽園」
昭和35年フルブライト留学 昭和39年オリンピックの熱狂
山を崩し谷を埋め際限なしに石油を焚き国家の威信とやらのために日本人はひた
すら国土を壊した
昭和30年代は「愚者の楽園」?
◇人命尊重大国が撃たれた日
最後のベトナム取材 1975年4月
ドナルド・キーン氏 アッツ島、その他の日記やメモ~崇高
「この戦争に勝つ資格があるのは日本ではないこと」(? 確認要=ハマコウ)
絶対安全なことしかしない国は国際社会の一員として一人前とは言えない
カンボジアで亡くなった中田さんと高田さん 平和維持軍
◇曾根崎署の幻
昭和31年6月25日 宮城道雄さんの事故(刈谷市で)
大阪 青信号へのカウントダウン
一刻も早う、一銭でもぎょうさん ~ 算盤づくの人生観
◇昭和22年大阪駅前
「半生記覚書 吉村武」北野中学校の同級生 「テンちゃん」
◇菩提寺と「白雪姫」
奈良德融寺 中将姫説話
継子いじめ 右大臣藤原豊成公邸
当麻寺に入った
継母、美しい娘、厳しい折檻、森に捨てる、長い時を経て発見
~ 白雪姫 シンデレラ
◇独眼の白内障手術
白内障 年に70~80万人が手術
そこひ、白そこひ
◇お礼参り
人は時々神に会う
◇故郷に…
熊谷次郎直実
「十六年はひと昔夢であった」
◇別れが消えた
近頃日本人は別れなくなった
また、別れる人を送らなくなった
「ドリフのズンドコ節」
近頃の日本人は常に「つながっている」状態にある
ケータイは人から別離を奪った
~ 寂しさ 切なさ
◇幼きものに死を教える
小学校の大切なテーマ
①死
②神
③金
◇徳岡孝夫
昭和5年 大阪生 京都大学文学部英文学科卒-毎日新聞社会部
「サンデー毎日」
「時代を拓いた教師たちⅡ」の紹介 6回目です。
戦後教育実践の流れがよく分かります。
出版社の案内には、
「発言したくてたまらない。子どもたちが心待ちにする授業とは―教育実践の豊かな蓄積
が、混迷する現代を切り拓く。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「各学校は,それぞれに独特の雰囲気や癖,つまり文化をもっている。」
・「子どもたちが活発に発言することよりも,問いに真剣に向き合い,自分で考え抜く
(林竹二さんの授業)」
・「授業が授業として成立するには教師が自分自身の授業を改めて問い直す必要がある」
・「林竹二『子どもを生産の手段としてみるのをやめよ』」
もう一つ、再計算となりますが、ジャーナリスト徳岡孝男さんの
「お礼まいり」を載せます。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「時代を拓いた教師たちⅡ」田中耕治 日本標準 2009年 ⑥
◇学校に文化を創り出す(1)
各学校は,それぞれに独特の雰囲気や癖,つまり文化をもっている。それは,教室の使い
方や授業の進め方,子どもや教師の何気ない言葉遣いや仕草などに現れ,人々の各学校への
印象を決定づける。
1.伊藤功一と校内研修 -自分自身の授業の創造を目指す教師たちとの歩み-
教師としてではなく自分自身として
〈他者との出会い〉から〈自己との出会い〉へ
「自分自身の授業の創造を目指す」
一般化可能性を拒む
十和田市立三本木小学校
戸来るみ子先生 授業を考える会での公開授業
教えたいものを追求する
〈世界との出会い〉から再び〈他者との出会い〉へ
伊藤功一
1930年 群馬県生 弘前大学教育学部国文科卒 ~2009.4
青森県内で中学校教師
→ 教育委員会
→ 校長 七戸町立城南小学校
三沢市立古間木小学校
十和田市立三本木小学校
林竹二との出会い 宮城教育大学長
1970~授業巡視
1977年 兵庫県立湊川高校(定時制)
1975年 城南小での林の授業と講演
「人間は動物だろうか」
◎問いについて一人一人の子どもになぜそのように考たのかをとことん問いつめた
↓
子どもたちは次第に無言となり,後半は林の説明が続く授業に
※ 子どもたちが活発に発言することよりも,問いに真剣に向き合い,自分で考え抜く
~ 何らかの奥深さ
∥
◎ 授業が授業として成立するには教師が自分自身の授業を改めて問い直す必要がある
武田忠が城南小学校に内地留学
授業を追求する教師たちを支える校内研修 -連帯を生み出すために-
◎三本木小学校・3つの提案
① わたしたち教師自身,本当は子どもたちを鍛えることにおいて非力であるという
ことを自覚しなければならないこと
② 研修は,教師である自分自身のために行うのであって,他人のために行うことで
はないこと
③ いわゆる「うまい授業」をしようと思わないこと。たとえ無様な授業であっても,
子どもたちと誠実に向き合う授業をしよう。
◎校内研修のあるべき姿
① 研究主題 自分の授業を創造することにつながる
② 仮説 学問的根拠のある教材研究を通して
③ 第一次教材解釈 自分自身としての世界との出会い
④ 第二次教材解釈 授業におろすため子どもという他者との出会いへとつなげる
⑤ 年間計画による授業研究 教科グループによる授業研究
⑥ 日常的で多様な授業研究 同一教材による授業のカンファレンス他
⑦ 三本木小学校の授業
⑧ 質の高い自分の授業の創造
意味の不安定さの中で教師として生きる
- 誠実であるということ
※ 林 「子どもを生産の手段としてみるのをやめよ」
☆「お礼まいり」徳岡孝男 清流出版 2010年【再掲載 2012.10】
◇ヴィシーの冷湯 外の三島さん
エヴィアン ヴィシー水 ヴィシソワズ
バルコニーの下で三島氏演説
◇美食家の百歳 小島政二郎 横光利一
雑煮の作り方…ごま油でちょっと揚げてから
小島政二郎 平成6年 100歳で天寿
「鶴屋八幡」今中祝雄
◇山本夏彦さんを送る
「歳月は勝手に来て勝手に去る。」
父は露葉(新体詩人) 文語文-漢文書き下し文
◇懐かしき哉「愚者の楽園」
昭和35年フルブライト留学 昭和39年オリンピックの熱狂
山を崩し谷を埋め際限なしに石油を焚き国家の威信とやらのために日本人はひた
すら国土を壊した
昭和30年代は「愚者の楽園」?
◇人命尊重大国が撃たれた日
最後のベトナム取材 1975年4月
ドナルド・キーン氏 アッツ島、その他の日記やメモ~崇高
「この戦争に勝つ資格があるのは日本ではないこと」(? 確認要=ハマコウ)
絶対安全なことしかしない国は国際社会の一員として一人前とは言えない
カンボジアで亡くなった中田さんと高田さん 平和維持軍
◇曾根崎署の幻
昭和31年6月25日 宮城道雄さんの事故(刈谷市で)
大阪 青信号へのカウントダウン
一刻も早う、一銭でもぎょうさん ~ 算盤づくの人生観
◇昭和22年大阪駅前
「半生記覚書 吉村武」北野中学校の同級生 「テンちゃん」
◇菩提寺と「白雪姫」
奈良德融寺 中将姫説話
継子いじめ 右大臣藤原豊成公邸
当麻寺に入った
継母、美しい娘、厳しい折檻、森に捨てる、長い時を経て発見
~ 白雪姫 シンデレラ
◇独眼の白内障手術
白内障 年に70~80万人が手術
そこひ、白そこひ
◇お礼参り
人は時々神に会う
◇故郷に…
熊谷次郎直実
「十六年はひと昔夢であった」
◇別れが消えた
近頃日本人は別れなくなった
また、別れる人を送らなくなった
「ドリフのズンドコ節」
近頃の日本人は常に「つながっている」状態にある
ケータイは人から別離を奪った
~ 寂しさ 切なさ
◇幼きものに死を教える
小学校の大切なテーマ
①死
②神
③金
◇徳岡孝夫
昭和5年 大阪生 京都大学文学部英文学科卒-毎日新聞社会部
「サンデー毎日」