今回は、12月28日に続いて、
「小浜逸郎さんはこんなことを」16回目、
「家族を考える30日」1回目の紹介です。


出版社の案内には


「家族を概念で語るのではなく、あたかも日めくりをめくるように、家族を普通にやって
 いればどこかでぶつかる出来事を、1日1項目のスタイルで、さりげなく提出し、繊細
 な倍率で照らし出す。家族を考えるヒントに満ちた新機軸のエッセイ集。」


とあります。



30年も前の家族論、
これを生かすには、あまりに大きく変わっています。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「食卓ではものを食べていると同時に,各人の気分のこねあわせを食べている」


・「母親の情緒性、不合理性は、家族全体の安定と危機に関わる保存本能といえる」


・「戸棚の骸骨 - どこの平穏に見える家庭にも一つくらいは骸骨が…。」
- 確かにあるように…。


・「日本の家庭に欠けているのは,夫と妻とが,親としてのそれぞれの役割を担いながら,
  均等の力学的バランスをもって子供に対するという全体的な<場>のあり方 」


・「性教育に疑問!教えることは数分間で足りること。何も双方が恥ずかしさや困惑を押
  し殺してまで昼さなかそんなことをする必要はない。こっそり知ることは悪いのか? 」
- 声には出さないけれども心のどこかにこう思っている人も多いのでは…。




もう一つ、再掲載となりますが、鍵山秀三郎さんの
「志について」を載せます。
中学生に向けての講演会の内容ですが、メモし忘れたため出典は不明です。
子どもたちが3つの幸せ、
「してもらう幸せ」「できる幸せ」「人にしてあげる幸せ」の
すべてを十分味わうことができるようになってほしいと願います。


今日から3学期が始まります。
一昨日、昨日と年休を取りましたので、今日が初出勤。
新たな気持ちで張り切っています。
とはいうものの少し気がかりも。
それは夕方の眼の手術。
傷が治った後の検査で網膜の裂孔が分かり、レーザー手術。
短時間に行うもので、大げさなものではないと聞くのですが‥。






<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。






<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆小浜逸郎さんはこんなことを⑯-「家族を考える30日」JICC出版局  1993年 (1)
 
◇家族のアイデンティティ

□食卓は気分を食べ合うところ

 都市型社会
   ~ 消費活動としての家族の営み
○ 子供の養育

    ○ 共同の食事


 食事 
    人間は時間設定 ~ 社会習慣
野生動物とは違う



   「共に」生きることを確認し合う = 食卓
◎ ものを食べていると同時に,各人の気分のこねあわせを食べている

       |

  食卓は現代の家族に残された試練の場



    ◎ 日々の食事をどう構成するかは家族生活のキーポイント


□「出て行け」という言葉

 「出て行け」 ←→ 「俺が出て行く」



◎ 家族の中心の移動

  父     →   拡散   = 中心生の移動・拡散

  ∥ ∥

中心偏重型 一人を欠いては壊れる

(困るのは本人) ↓

実は実効性のない空振り? ↓



 ◎ 現代家族のアイデンティティは,家長のもとに集中せずに,それぞれの役割や立場
  に応じて割り振られ,全体としてバランスを保とうとするところに成り立つ



□母親のハラハラから学ぶもの

 「家族間の異和」
   母親の情緒性 ~ 不合理性



◎ 家族全体の安定と危機に関わる保存本能



  ◎ ハラハラ意識 - 「家族の日常素」



□引っ越しの三大法則

 ① 感情生活のマンネリズム打破の無意識的な動機

 ② 夫婦間の食い違いを露出させる コミニュケーションの学校

 ③ 古い生活がだんだんと抽象的なものになっていく

→  意識されない関係性の累積
引っ越し  人と物との関係

死 人と人との関係



□夫婦コミニュケーションのために

 ① 日本男性 - 即物主義的傾向

     寡黙な男文化 VS 饒舌な女文化



◎ 夫婦間の対話の不在

 ② 日本男性 - 自分だけの趣味に没頭

           ↓

     ◎ オフの時間に夫婦単位で過ごす工夫を

 ③ 日本男性 - 家庭を単なる憩いと安定の場としてイメージしすぎる

      ∥

◎ 夫の主体性 = 情報交換

 ④ 夫婦単位で解決できる家庭外の<装置>が少ない

日本の主婦 - 目を肥やす体験が少ない



自分自身を十分理解できない



       ◎ いろいろな人と利害を離れて広く浅くつきあえるような契機



□私の女房対策

 「戸棚の骸骨」
   - どこの平穏に見える家庭にも一つくらいは骸骨が…。
 


□父不在からの出発

  模範が確かなかたちで存在しない = 自由な重荷

  それ相応の繊細さが要求されている



□社会に委ねる前にまず夫婦で

  家族全体で悩み通してみたらどうなのか?



  不在なのは父ではなくてむしろ「夫婦関係と子弟の親性」



 ◎ 日本の家庭に欠けているのは,夫と妻とが,親としてのそれぞれの役割を担いなが
  ら,均等の力学的バランスをもって子供に対するという全体的な<場>のあり方
    |

 ◎ 子供が問題性を表す時

「男子一生の仕事」として恥ずかしくない



◎ その家族にしか分からないことを簡単に他者の目にさらしてはならない

  → 内に向ける目を温め直すことから…



□子供部屋の功罪
 
  多目的に仕える格段に大きなメインスペースがあり,その周りに各自の個別空間が張
 り付いている



  メインスペース くつろぎ 団らんの場 作業の場 趣味の場


  
     ◎ 柔軟な家風



□子供服を巡る親子の対立

  昔はお金がないのだから仕方がない
   - 双方が不満を預けていいの?

  自分自身による服選び=脱皮



□性教育なんて必要ない

  はしゃぎ過ぎも困ったもの
◎ 感性が粗雑で,均等自由を尊重するので「性」というテーマが家族関係の中で持
  つ微妙な人間的な意味合いをとらえ切れていない



いやらしいテレビの場面で,恥ずかしいとうろたえるのは大人



  互いにそしらぬそぶり = 意外に大事な意味


 ◎ 性教育に疑問!  
     公認の場で管理された教えられ方

     |

   ※ やることは数分間で足りること
     
   ◎ 何も双方が恥ずかしさや困惑を押し殺してまで,昼さなかそんなことをする必
    要はない - こっそり知ることは悪いのか?
          |

     欧米では性非行やエイズが増えたではないか!
性抑圧論者と自由論者は同じ

 ◎ いかがわしいものはいかがわしいまま,互いにそれとして暗黙の内に認めつつ相応
  の場所に存在していい











☆「志について」 鍵山秀三郎 ①②(出典不明)【再掲載 2016.8】

◇志について

 人間が生きていくうえで、もっとも大切なことは「志」を持つということだと思います。



「志」を人間の「欲望」と勘違いしている人がいますけれども、「志」と「欲望」はまっ
たく違うものです。


 本当の「志」とはどういうものなのか。


 いくつもの条件がありますけれども、今日は三つの条件を挙げてお話ししましょう。



 まず一番目は、高い山のようにはるか彼方にあって、簡単に手にすることができないも
のでなければならないということです。


 手を伸ばしても引き寄せることができない。


 つまり、高い「志」というものは簡単にかなえられない。そういう大きくて遠くにある
ものだということです。




 二番目は、これも大事でして、その「志」に向けて皆さんが努力したとき、その努力が
自分自身のためになるばかりでなく、社会のためにもなり、学校のためにもなり、国家の
ためにもなる。


 それだけではなしに、地球上に住むすべての人のためになる。このことが大事な条件で
す。


 個人の「欲望」というのは、自分のためにはなっても、社会のためにはならない。国家
のためにもならないことが多いものです。


 ここが「志」と決定的に違うところです。


 自分一人だけのためになることは、「志」ではなく、単なる「欲望」だと思います。




 三番目は、こういう「志」を自分で決めたら、寝ても醒めても忘れない。どんな困難が
立ちはだかろうとも、絶対に諦めない。石にしがみついてでも努力する。この心構えがな
くてはいけません。


 一度心にこうと決めたら、自分自身に対する自分の約束を守りぬく。これが三つ目の条
件です。



 さらに付け加えるとすれば、「志」に向かって行動していく過程で、人を感動させるこ
とができているかどうかということも大事な点です。


 もう一つは、自らも感動しつつ、それを継続できているかどうかということです。



 どうか皆さん、このことをいつまでも忘れないで、いつも思い出しながら生きていって
いただきたいと思います。



◇「心の大きさ・広さ」について

 スポーツ選手のようにいくら背の高い人でも、私の三倍も五倍もある人はおりません。


 また、相撲取りのように体重のある人でも、私の五倍も十倍もある人はおりません。


 つまり、人間の身体が「大きい、小さい」といっても、その差はせいぜい私の2倍から
4倍くらいが限度だということです。



 では、人間の心の「大きさ・広さ」 はどうでしょう。


 とても十倍、百倍というような差ではありません。


 人によっては、千倍、一万倍、いやもう数字では表せないくらいの差となることもあり
ます。


 ところが、心は目で見ることができません。


 したがって、物差しで計ったり、秤で重さを測ったりすることができません。


 では、どうやって心の「大きさ・広さ」を判断するか。


 一つの基準として、自分のことしか考えられない人。こういう人が心が小さく狭い人だ
ということができると思います。


 せいぜい考えても、自分の家族のことぐらい。自分さえよければいいというようなこと
ばかりを考え、そういう行動をとっている人の心は、狭くて小さくて浅いんですね。



 一方、心が大きく広い人というのは、自分のことも大事、家族のことも大事、学校全体
のことも大事、お友達も大事、日本の社会が大事、地球に住んでいるすべての人が大事と
いうように、自分と同じように周囲のことを思いやることのできる人のことです。


 そういう考えになったとき、心はどんどん大きく広くなつていくわけです。


 ですから、皆さんはまだ中学生で身体が小さいですけれども、身体が小さくても、これ
から大きくて広い心を持つことはできるわけです。


 そのためには、できるだけ自分以外の人のことを気遣うことです。さらに、自分を取り
巻く地域社会、国家、宇宙のことまで考えて生活をすることです。ますます、自分の心を
大きく広くしていっていただきたいと思います。



 
◇「三つの幸せ」について

 人間は一人の例外もなく、幸せに生きたいという願望を持っています。


 しかし、どうしたら幸せな生き方ができるのか。


 具体的にわからない人も多いのではないかと思います。


 そこで、私がGLAの高橋佳子先生から教わった「三つの幸せ」をご紹介します。


 幸せな生き方をするための参考にしてください。



 幸せには三つあるといわれます。



 一つ目の幸せは、してもらう幸せです。


 皆さんが赤ちゃんのとき、お腹が空いたといっては泣き、オムツが濡れたといっては泣
きました。


 するとお母さんが飛んできて、おっぱいを欧ませてくれたり、オムツを替えてくれまし
たね。


 そのとき皆さんは幸せでした。


 これが「してもらう幸せ」です。
 


 二つ目は、自分でできるようになった幸せです。


 字が書けるようになった。一人で自転車に乗れるようになった。サッカーがうまくなっ
た。


 これが「できる幸せ」です。


 何でも自分でできるようになると、偉くなった気がして嬉しいものです。
 


 でも、その次の幸せがあります。


 それが、「人にしてあげる幸せ」です。
 

 人がしてほしいことをしてあげれば喜ばれますね。そんな人は頼りにされます。


 人に物を差し上げる、自分の身体と時間を使って何かして差し上げる、相手の喜こぶし
て相手の喜びをわが喜びとする。


 この幸せを大事にしていただきたいのです。


「してあげる幸せ」は三つの幸せのなかでも最高の幸せです。


 さあ、皆さんも「してもらう幸せ」から「できる幸せ」へと進み、そして「してあげる
幸せ」を味わえる人になつてください。