今回は 瀬川清子さん植松明石さんの編による
「日本民俗学のエッセンス」1回目の紹介です。
出版社の案内には、
「本書は、日本民俗学の研究史上、重要な研究者18人をえらんで、その研究と方法を示
し、それを中心に、日本民俗学の成立、展開の理解にせまろうとしたものである。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「言(ことば)と事(わざ)と意(こころ)
言が重要であるが事即ち伝承(風俗習慣)も同様に認識された」
・「平田篤胤
古道学的側面
死後の霊魂に興味「仙境異聞」仙道虎吉に聞いた幽冥界」
・「国学の門下,影響 地方在住者がかなりの数に」
・「国学が民俗学につながる部分 郷土研究の千脈の一つ」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「日本民俗学のエッセンス」瀬川清子・植松明石編 ペリカン社 1979年 ①
◇明治以前の民俗研究 植松明石
□本居宣長(1730~1801)
言(ことば)と事(わざ)と意(こころ)
言が重要であるが事即ち伝承(風俗習慣)も同様に認識された
□平田篤胤(1776~1843)
事への関心
- <国学> 事実主義,経験主義
□朱子学の世界にも
貝原益軒(1630~1714) 本草学
西川如見(1648~1724) 天文学
伊藤仁斎(1627~1705)
荻生そらい(1666~1728)
|
江戸時代後期の思想上の転換
□都邑と巡歴
<近世>
旅が容易になった → 多用な知識人の旅人の目
○橘南渓 1783~1805 天明年間「西遊記」「東道記」
○古川古松軒 1720~1807 「西遊雑記」「東遊雑記」
○菅江真澄 「真澄遊覧記」44年間 東北-秋田
1754 三河生 白井英二 国学的素養
天明3(1783)年30歳 故郷を離れる 旅日記70冊
国民俗誌の先駆的業績
○鈴木牧之 1770~1842 「北越雪譜」「秋山紀行」
商人 合理主義者
○赤松宗旦 1806~1862 「利根川図志」
下総にかなりの知識層
豪農商-平田門下
○屋代弘賢 1758~1841 日本全域を集めようとした
文政13(1816)年頃 年中行事冠婚葬祭等
「秋田風俗問答状」
積極的に民俗収集
○井沢蟠竜子 1668~1730 「広益俗説辨」
○喜多村信節 1783~1856 「嬉遊笑覧」
○喜多川守貞 1784~1856 「近世風俗志」
□国学と民俗研究
○本居宣長
○伴信友
考証学的側面
○本居春延
国語学的側面
○平田篤胤
古道学的側面
死後の霊魂に興味「仙境異聞」仙道虎吉に聞いた幽冥界
幽冥界の究明を民間的信仰を素材として行おうとした方法
|
産霊の神の原理で宇宙の形成を論ずる
↓
地方農民から平田学が支持される
○国学の門下,影響 地方在住者がかなりの数に
→ 国学が民俗学につながる部分 郷土研究の千脈の一つ
「日本民俗学のエッセンス」1回目の紹介です。
出版社の案内には、
「本書は、日本民俗学の研究史上、重要な研究者18人をえらんで、その研究と方法を示
し、それを中心に、日本民俗学の成立、展開の理解にせまろうとしたものである。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「言(ことば)と事(わざ)と意(こころ)
言が重要であるが事即ち伝承(風俗習慣)も同様に認識された」
・「平田篤胤
古道学的側面
死後の霊魂に興味「仙境異聞」仙道虎吉に聞いた幽冥界」
・「国学の門下,影響 地方在住者がかなりの数に」
・「国学が民俗学につながる部分 郷土研究の千脈の一つ」
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ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
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お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「日本民俗学のエッセンス」瀬川清子・植松明石編 ペリカン社 1979年 ①
◇明治以前の民俗研究 植松明石
□本居宣長(1730~1801)
言(ことば)と事(わざ)と意(こころ)
言が重要であるが事即ち伝承(風俗習慣)も同様に認識された
□平田篤胤(1776~1843)
事への関心
- <国学> 事実主義,経験主義
□朱子学の世界にも
貝原益軒(1630~1714) 本草学
西川如見(1648~1724) 天文学
伊藤仁斎(1627~1705)
荻生そらい(1666~1728)
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江戸時代後期の思想上の転換
□都邑と巡歴
<近世>
旅が容易になった → 多用な知識人の旅人の目
○橘南渓 1783~1805 天明年間「西遊記」「東道記」
○古川古松軒 1720~1807 「西遊雑記」「東遊雑記」
○菅江真澄 「真澄遊覧記」44年間 東北-秋田
1754 三河生 白井英二 国学的素養
天明3(1783)年30歳 故郷を離れる 旅日記70冊
国民俗誌の先駆的業績
○鈴木牧之 1770~1842 「北越雪譜」「秋山紀行」
商人 合理主義者
○赤松宗旦 1806~1862 「利根川図志」
下総にかなりの知識層
豪農商-平田門下
○屋代弘賢 1758~1841 日本全域を集めようとした
文政13(1816)年頃 年中行事冠婚葬祭等
「秋田風俗問答状」
積極的に民俗収集
○井沢蟠竜子 1668~1730 「広益俗説辨」
○喜多村信節 1783~1856 「嬉遊笑覧」
○喜多川守貞 1784~1856 「近世風俗志」
□国学と民俗研究
○本居宣長
○伴信友
考証学的側面
○本居春延
国語学的側面
○平田篤胤
古道学的側面
死後の霊魂に興味「仙境異聞」仙道虎吉に聞いた幽冥界
幽冥界の究明を民間的信仰を素材として行おうとした方法
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産霊の神の原理で宇宙の形成を論ずる
↓
地方農民から平田学が支持される
○国学の門下,影響 地方在住者がかなりの数に
→ 国学が民俗学につながる部分 郷土研究の千脈の一つ