第11回ハイスクール国際ジオラマグランプリ2024 22日より 「世間師 宮本常一の仕事」斎藤卓志 春風社 2008年 ④ /「学校教育うらおもて事典」佐藤秀夫 小学館 2000年 ①【再掲載 2016.9】 [読書記録 民俗]
第11回ハイスクール国際ジオラマグランプリ2024 HiD2024
今年もジオラマの甲子園が今週末に浜松で開かれ、
一般公開展示が行われます。
観覧は無料、作品をご覧になり直接投票ができます。
会場はザザシティ浜松 西館1階特設会場です。
ぜひ、足をお運びください。
今回は、3月12日に続いて、斎藤卓志さんの、
「世間師 宮本常一の仕事」の紹介 4回目です。
出版社の案内には、
「『忘れられた日本人』などで知られる民俗学者・宮本常一の生涯を
追った評伝。日本全国を旅した宮本の仕事を探索するとともに、学者
的でも民俗的でも高踏的でもない、宮本の人間に対するやさしさと温
かさを伝える。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「『今日歴史学者は多いが歴史家は極めて少ない』 桑原武夫」
・「宮本のキーワードは『実践者』」
・「あるくみるきくが理念 →『わたしの日本地図』シリーズ」
・「だれにも分かるように書け」
「学者に向かって書くな」
「行かなければ話にならない」
・「『自然は美しい しかし 人の手が加わるとあたたかくなる
そのあたたかなものを求めて 歩いてみよう」宮本常一」
もう一つ、再掲載になりますが、佐藤秀夫さんの
「学校教育うらおもて事典」①を載せます。
本書を読み、初めて知ったことがかなりありました。
☆「世間師 宮本常一の仕事」斎藤卓志 春風社 2,008年 ④
◇豊かな国の民俗学
□文化財保護委員会
昭和37~
3カ年計画 緊急調査 30箇所
自分で直接聞いた体験から言葉を紡いでいる
□池沢夏樹『忘れられた日本人』の感想
◎ この人の学問の特徴はまず持って明るいことではないだろうか。
風通しが良くて,開放的で,明るい
= 論文は書かないがメッセージは伝える
□桑原武夫
『日本の名著』中公新書 1962
「今日歴史学者は多いが歴史家は極めて少ない」
□宮本の文章は私的なもの
宮本のキーワード 「実践者」
「民俗をやってきたのは人間が生きる尊さ,生きる意味は何かの
追求でしかないんですよね」
本来の伝説とは
-「ものを産みだし変えていく力」
□猿回しの復活
村崎義正,村崎修二兄弟
人は繋がりの中で生きている,人とつながることが人として生
きることだ。
□司馬遼太郎
「宮本常一 - 同時代の証言」日本観光文化研究所
『21世紀に生きる君たちへ』平成8年
◇滞在地 「東京・府中」
□谷沢明(愛知淑徳大学)
「宮本は褒めて育てる人」
「どうじゃ,おもしろいじゃろか」
「あるくみるきく」
→ 「あるくみるきく」が理念
『わたしの日本地図』シリーズ
□昭和36年
府中市に家 54歳
大西伍一(旧友)が図書館長 慶友社
□昭和40(1965)年
武蔵野美術大学教授
□須藤功
民俗学写真家
『お祭りさん』昭和38年
浜松自衛隊で広報 「まつり同好会」
「だれにも分かるように書け」
「学者に向かって書くな」
『昭和のくらし』全十巻
『西浦のまつり』 未来社 1970
「行かなければ話にならない」
◇タネを播く
□「その気にさせる」
テレビ番組『日本の詩情』
自然は美しい
しかし
人の手が加わるとあたたかくなる
そのあたたかなものを求めて
歩いてみよう 宮本常一
☆「学校教育うらおもて事典」佐藤秀夫 小学館 2000年 ①【再掲載 2016.9】
[出版社の案内]
21世紀・学校の大改革を目前に、学校の慣行『モノ・コト』の成り立
ちをうらからおもてから掘り起こす事典。○×△、内申書、総合的な
学習、日の丸、君が代等39項目について徹底解明。
◇一条校
□正規の学校
= 学校教育法・第一条規定
文部省所轄
小学校・中学校・高等学校・大学・聾学校・盲学校
養護学校・高等専門学校・中高一貫校(中等教育学校)
□「正規の学校」観
専修学校と各種学校は含まれない
各種学校への道を選ぶ
自由学園(羽仁もと子)文化学院(西村伊作) 明治学院
在日外国人学校には極めて冷たい 国権主義的教育観
◇中学校
三等区分
大中小
~ 明治日本の開発
中学入学
他の社会的特権性は認められなかった
◇大学校
大学校
= 文部省以外の官公庁所管の学校の名称
「大学」の登場
1886年 森有礼の「諸学校令」
最頂点
- 帝国大学に
「校」をつけない
文部省の縄張りから外れたもの
- 警察大学校,防衛大学校,防衛医科大学校,海上保安大学校
~ 無視できない
◇予備校
進学の予備
= 自校の専門教育課程への予備課程に他ならなかった
受験の予備
公正な選抜
→ 入学時の選抜試験の厳密化に収斂
ヨーロッパのような「二つの国民」の形成回避
→ 受験予備 激烈化
予備校の成立
- 私立大学によるものが多かった
◇父母会(保護者会)
父兄,保護者そして父母
「父兄」の系譜
1872年「学制布告書」最初で最後
「父母後見人等」から「学級児童保護者」へ
1879「教育令」
- 父母及後見人等
1890「第二次小学校令」
- 学齢児童ヲ保護スベキ者
1891「文部省令」
保護の内容
・ 就学させる義務主体
・ 授業料納入
父母
→ 父母及戸主
→ 後見人
→ 後見人及戸主
1900「第三次小学校令」
- 学齢児童保護者
「父兄会」と「母姉会」
父兄の存在?
親と学校との関係
= 特殊日本的事情
親の協力のありよう
制度管理・教育内容
=「オカミの学校」
維持・運営面
=「地域の学校」
教員給与
◎ 1940年まで地域負担
= 親の金銭的・労働的な協力が不可欠
- 家族財産に権限を持つ「父兄」集団の協力
よって戸主会・父兄会が深く関わった
①ハード担当
「父兄会」年一回
②ソフト担当
「母姉会」しばしば
◎ 父兄会の母姉会化
1920年~
◎ 名目上は「母姉会」の解消,「父兄会」への吸収だったが,
実体的には「父兄会」の解体,母姉会への単一化という矛盾
に満ちた過程であった。
母姉のみの父兄会は戦前から
◎西日本では「育友会」と呼ばれる
今年もジオラマの甲子園が今週末に浜松で開かれ、
一般公開展示が行われます。
観覧は無料、作品をご覧になり直接投票ができます。
会場はザザシティ浜松 西館1階特設会場です。
ぜひ、足をお運びください。
今回は、3月12日に続いて、斎藤卓志さんの、
「世間師 宮本常一の仕事」の紹介 4回目です。
出版社の案内には、
「『忘れられた日本人』などで知られる民俗学者・宮本常一の生涯を
追った評伝。日本全国を旅した宮本の仕事を探索するとともに、学者
的でも民俗的でも高踏的でもない、宮本の人間に対するやさしさと温
かさを伝える。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「『今日歴史学者は多いが歴史家は極めて少ない』 桑原武夫」
・「宮本のキーワードは『実践者』」
・「あるくみるきくが理念 →『わたしの日本地図』シリーズ」
・「だれにも分かるように書け」
「学者に向かって書くな」
「行かなければ話にならない」
・「『自然は美しい しかし 人の手が加わるとあたたかくなる
そのあたたかなものを求めて 歩いてみよう」宮本常一」
もう一つ、再掲載になりますが、佐藤秀夫さんの
「学校教育うらおもて事典」①を載せます。
本書を読み、初めて知ったことがかなりありました。
☆「世間師 宮本常一の仕事」斎藤卓志 春風社 2,008年 ④
◇豊かな国の民俗学
□文化財保護委員会
昭和37~
3カ年計画 緊急調査 30箇所
自分で直接聞いた体験から言葉を紡いでいる
□池沢夏樹『忘れられた日本人』の感想
◎ この人の学問の特徴はまず持って明るいことではないだろうか。
風通しが良くて,開放的で,明るい
= 論文は書かないがメッセージは伝える
□桑原武夫
『日本の名著』中公新書 1962
「今日歴史学者は多いが歴史家は極めて少ない」
□宮本の文章は私的なもの
宮本のキーワード 「実践者」
「民俗をやってきたのは人間が生きる尊さ,生きる意味は何かの
追求でしかないんですよね」
本来の伝説とは
-「ものを産みだし変えていく力」
□猿回しの復活
村崎義正,村崎修二兄弟
人は繋がりの中で生きている,人とつながることが人として生
きることだ。
□司馬遼太郎
「宮本常一 - 同時代の証言」日本観光文化研究所
『21世紀に生きる君たちへ』平成8年
◇滞在地 「東京・府中」
□谷沢明(愛知淑徳大学)
「宮本は褒めて育てる人」
「どうじゃ,おもしろいじゃろか」
「あるくみるきく」
→ 「あるくみるきく」が理念
『わたしの日本地図』シリーズ
□昭和36年
府中市に家 54歳
大西伍一(旧友)が図書館長 慶友社
□昭和40(1965)年
武蔵野美術大学教授
□須藤功
民俗学写真家
『お祭りさん』昭和38年
浜松自衛隊で広報 「まつり同好会」
「だれにも分かるように書け」
「学者に向かって書くな」
『昭和のくらし』全十巻
『西浦のまつり』 未来社 1970
「行かなければ話にならない」
◇タネを播く
□「その気にさせる」
テレビ番組『日本の詩情』
自然は美しい
しかし
人の手が加わるとあたたかくなる
そのあたたかなものを求めて
歩いてみよう 宮本常一
☆「学校教育うらおもて事典」佐藤秀夫 小学館 2000年 ①【再掲載 2016.9】
[出版社の案内]
21世紀・学校の大改革を目前に、学校の慣行『モノ・コト』の成り立
ちをうらからおもてから掘り起こす事典。○×△、内申書、総合的な
学習、日の丸、君が代等39項目について徹底解明。
◇一条校
□正規の学校
= 学校教育法・第一条規定
文部省所轄
小学校・中学校・高等学校・大学・聾学校・盲学校
養護学校・高等専門学校・中高一貫校(中等教育学校)
□「正規の学校」観
専修学校と各種学校は含まれない
各種学校への道を選ぶ
自由学園(羽仁もと子)文化学院(西村伊作) 明治学院
在日外国人学校には極めて冷たい 国権主義的教育観
◇中学校
三等区分
大中小
~ 明治日本の開発
中学入学
他の社会的特権性は認められなかった
◇大学校
大学校
= 文部省以外の官公庁所管の学校の名称
「大学」の登場
1886年 森有礼の「諸学校令」
最頂点
- 帝国大学に
「校」をつけない
文部省の縄張りから外れたもの
- 警察大学校,防衛大学校,防衛医科大学校,海上保安大学校
~ 無視できない
◇予備校
進学の予備
= 自校の専門教育課程への予備課程に他ならなかった
受験の予備
公正な選抜
→ 入学時の選抜試験の厳密化に収斂
ヨーロッパのような「二つの国民」の形成回避
→ 受験予備 激烈化
予備校の成立
- 私立大学によるものが多かった
◇父母会(保護者会)
父兄,保護者そして父母
「父兄」の系譜
1872年「学制布告書」最初で最後
「父母後見人等」から「学級児童保護者」へ
1879「教育令」
- 父母及後見人等
1890「第二次小学校令」
- 学齢児童ヲ保護スベキ者
1891「文部省令」
保護の内容
・ 就学させる義務主体
・ 授業料納入
父母
→ 父母及戸主
→ 後見人
→ 後見人及戸主
1900「第三次小学校令」
- 学齢児童保護者
「父兄会」と「母姉会」
父兄の存在?
親と学校との関係
= 特殊日本的事情
親の協力のありよう
制度管理・教育内容
=「オカミの学校」
維持・運営面
=「地域の学校」
教員給与
◎ 1940年まで地域負担
= 親の金銭的・労働的な協力が不可欠
- 家族財産に権限を持つ「父兄」集団の協力
よって戸主会・父兄会が深く関わった
①ハード担当
「父兄会」年一回
②ソフト担当
「母姉会」しばしば
◎ 父兄会の母姉会化
1920年~
◎ 名目上は「母姉会」の解消,「父兄会」への吸収だったが,
実体的には「父兄会」の解体,母姉会への単一化という矛盾
に満ちた過程であった。
母姉のみの父兄会は戦前から
◎西日本では「育友会」と呼ばれる
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