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「民俗学運動と学校教育」小国喜弘 東京大学出版局 2001年 後半 /「やる気が出るコツ続くコツ」 和田裕美 ダイヤモンド社 2010年 【再掲載 2013.9】 [読書記録 民俗]

今回は、1月8日に続いて、小国喜弘さんの
「民俗学運動と学校教育」2回目 後半を紹介します。



地域に根ざした公立小中学校は、民俗学とかかわる部分が大きいと感じます。
遠州では、昭和初期から昭和中期にわたって民俗誌「土のいろ」が出されていました。
それを支えたのは、郷土史家や小学校の教員でした。



出版社の案内には


「民俗の発見と国民の創出との相剋が学校教育においてどのように展開されていったのか 民俗学を手掛りとした学校教育の改革の構想とその教育実践を郷土教育・生活綴方教育
・社会科教育の個別的実践事例に則して分析,民俗の発見と国民の創出との相剋が,戦前
から戦後にかけて学校教育においてどのように展開されていったのかをあきらかにし
た。」


とあります。



これからの日本型教育の方向性を考えるとき、参考になるの本だとわたしは思います。


今回前後半と紹介したのは16ページまでの要約です。
16ページまでで2回分、充実した内容であることがわかります。


4月に入ったら、また読もうと思っています。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「戦後の教育制度の基本的骨格は大政翼賛運動を基盤として登場し、国民学校体制(1941)
において制度化されたもの」


・「1930年代の様々な民間教育運動は、従来の教育史に置いて軍国主義化する教育政策へ
の『良心的抵抗運動』であるととらえられてきた。しかし、これらの運動もまた、ナ
 ショナリズムの再構築運動の一面も含んでいた」


・「長浜功 『常民教育論』」
- わたしに民俗の楽しさをはじめに教えてくれた本です。





もう一つ、再掲載となりますが、和田裕美さんの
「やる気が出るコツ 続くコツ」を載せます。
少し元気がなくなったとき、少し元気にするコツが書かれた本です。






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☆「民俗学運動と学校教育」小国喜弘 東京大学出版局 2001年 後半

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2 研究の課題と方法


□教育史の再検討と民俗学主義

 佐藤学 国民教育の展開

  Ⅰ 19世紀後半
  
    「近代教育の制度と普及の時期」


 Ⅱ 世界システム変動期
 
    「1930年代から冷戦構造が崩壊する1980年代末までの時期」
       

 Ⅲ「冷戦構造の崩壊した1980年代以降」  
   

※ 1930年代に注目することの重要性

 戦後の教育制度の基本的骨格は大政翼賛運動を基盤として登場し、国民学校体制(1941)
において制度化されたもの

        ∥

「戦前から戦後への制度的な連続性」を指摘        



□1930年代

 学校に於いて日常生活の客観的で科学的な認識を通して、国民像の差異化や多様化を促
す一方、そのような差異の体系化を通して国民的同一性意識を再構築しようとする新たな
ナショナリズムが誕生

 ◎ 郷土教育運動(郷土教育連盟)
        
 ◎ 北方性教育運動(北日本国語教育連盟)
       
※ 1930年代の様々な民間教育運動は、従来の教育史に置いて軍国主義化する教育政策
 への「良心的抵抗運動」であるととらえられてきた。しかし、これらの運動もまた、ナ
 ショナリズムの再構築運動の一面も含んでいた!    
 

□吉野耕作

「民俗学主義とは『会社などの中間集団の原型と伝統的な村共同体に求める理論』であり、
 現在の生活習慣を『前近代』へと回帰させることを通して『歴史的連続性』を不断に確
 認しようとするナショナリズムの思考様式」



 
□本書の目的
    
 1930年代から1960年代にかけての学校教育場面における民俗学主義の成立とその再編
成を個別的教育実践やカリキュラム開発の試みに即して議論することを目指している



□1960年代半ば
    
 ◎岩永久次『教育と社会・柳田国男における教育』
    
 ◎庄司和晃『柳田国男の児童観をめぐって - 柳田コドモ学入門」
  

□1970年代以降
    
 ◎庄司和晃『柳田国男と教育-民間教育学序説』
    
 ◎長浜功 『常民教育論』
    
 ◎関口敏美『柳田国男における学問と教育観の展開』
    
 ◎谷川彰英『柳田国男教育学の発生と継承-近代の学校教育批判と世間教育』
  

※民俗がナショナリズムの「裂け目」において発見されている                 
 

□民俗学史の再検討

 子宮宣邦・村井紀・川村湊
   ナショナリズム批判の観点から民俗学が果たした歴史的役割を厳しく指弾
   

 小学校教師の活力に    





3 史料の性格と本書の構成


□史料の性格 杉本仁『民俗学と教育』1934~1988 参考文献



□章構成

 第1部「民俗学運動の成立」

  1章 民俗学運動の担い手に焦点

2章 竹内利美 郷土教育実践
村人の教育現象を生活組織への参入過程としてとらえた上でその復権を図っ
     た試みとして

  3章 宮本常一の郷土教育
物語や歴史の再生を昔話の最終を通して模索
    
  4章 三上斎太郎の方言詩の実践   

  5章 民俗学の推移
  

 
 第2部 民俗学運動の再編成 

  6章 戦後期の民俗学運動の動向

  7章 和歌森太郎の歴史教育と教科書「日本の成長」

  8章 成城学園初等学校「柳田社会学」

  9章 群馬県勢多郡横野中学校 都丸十九一の実践
  ナショナリズムとレジョナリズム双方の裂け目

  終章 民俗学を拠り所として学校の役割を再定義

  
 ※ ~P16まで












☆「やる気が出るコツ続くコツ」 和田裕美 ダイヤモンド社 2010年 【再掲載 2013.9】

<出版社の案内>

できることから動いてみて。大丈夫、きっとなんとかなる。「やってみたい、けれど一歩
でない」「頭ではわかっているけど、やる気が起きない」「一瞬モチベーションが上がっ
ても、続かない」…。そんな悩みを解決する小さな行動習慣と思考習慣。

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1 やる気が出るコツ

□動けることから動き出す 
 
   何でもいいから動く-動くからやる気が生まれる



□不安を直視する

 今日、人から「ありがとう」と言ってもらえることは?
ワナビー族 'I wana be


 
□目の前にあることからとりあえずやってみる


 
□声に出して自分への催眠を

  「私はわくわくタイプです」
  
  「私は動くと決めています」

  「私はやる気を出せる人間です」

  「私は諦めないタイプです」



□「達成」ではなく「経験」を目的に 「失敗が怖いから」→「経験を目的に!」

   いつもと違う行動をする
   
    ~ 好奇心に素直に従って動けば必ず経験値がつく

   自分の心臓の鼓動を確認する





◇ やる気の出る行動・習慣

① 朝、パッと起きる        

 ② 太陽の光を浴びる
 
 ③ いつも目線を高く 空を見上げる 

 ④ 食事はおいしいといいながら食べる
   
 ⑤ 笑いで悪魔払いをする      

 ⑥ 「凄い、私って」と自分を褒める
   
 ⑦ 冷蔵庫の中には好物を      

 ⑧ 家に帰ってそのまま寝ない







2 動ける自分のつくり方

□自己概念を知る  
   
  プラスに変えていこう 
  
 「できたこと」ばかりに目を向ける


 
□自分の思考パターンに陽転思考を入れる 
  
 「よかった」を探す


 
□できている部分に目を向けてあげる


 
□褒められたことを思い出す


 
□乗り越えたことを思い出す


 
□誰かを励ます  
 
   少し自信過剰になる


 
□「前向きな言い訳」をする
 
  ~ 陽転思考
     動くか動かないかを決めるだけ   





◇ 扉を開けるのはあなた自身の力  

□全部私の決断です






3 モチベーションを維持する力

□わくわくしたら三時間以内に動く



□一本締め  
   
  目標の山脈を登る 
  
  堂々とした心を持つ 
  
  別の種を一本建てる


 
□確認しない(振り返らない) 
 
  思い切って捨ててしまう 捨てたものを拾ってもよい

 
□初心の感動を持ち歩く 自己規律をもつ モチベーションは無年齢

「為せば成る」の幻想を捨てる 

  - 人と比べて自分を責めない





◇自分を元気づける言葉

 「あと一歩」


 「絶対に解決させる」


 「大丈夫、必ず終わる」


 「なんて私は幸せなんだろう」






4 プレッシャーがきついとき、落ち込んだときの対処法

(1)プレッシャーは絞り器、自分はオレンジだとイメージする 

期待されるということは本当に人を輝かせること

プレスの「圧力」は期待、プレッシャーを掛けられて出てくるのは「本当の自分」

しかし、自分を責めない
 

(2)子どもになってだだをこねる

言うだけ言ったらすっきりする

   → はき出す 感情を表出する


(3)感動・失敗の判断を急がない
 

(4)過去は変えられる(概念)から、後悔しない
  
 ◎ 毎日、よかったを探す
    その日が終わる前にハッピーエンドにシナリオを書き換えてしまう

「よかった」を探そう(陽転広場HP)


◎ 圧倒的なプライドをもつ

   「私は○○には自信がある」


◎ どうしても嫌なことは掘り下げず、他の道を探す

 ◎ 動かないと決めるとき

   「自分が自分をコントロールしている」という意識
  
 ※ わくわくする方を選ぶ



◇エピローグ

「誰かの幸せになる」ことであなたの自信がもどってくる
     Life goes on  なるようにしかならない
                   なるようになる  

◇和田裕美 ㈱ペリエ
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キーワード「新津」21-「ふるさと新津」新津婦人学級 昭和57年3月5日発行(6) / 『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑫【再掲載 2018.4】 [読書記録 民俗]

今回は、11月30日に続いて、わたしの教育ノートから、
キーワード「新津」21回目の紹介です。

新津婦人学級による「ふるさと新津」6回目の紹介です。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「初エビス   たきたてのごはんつぶで札をはる」
- ご飯粒で札を貼ったことは覚えていますが、懐かしいなあ。


・「8日神送り 
  早朝男の子が笹竹と鉦
家々の軒先をはらい村外れまで行き厄神送り出す 12月8日」
- 浜松市南部の五島地区の「おんべ」、今でも続いているでしょうか。


・「9月 十五夜 『お月見』『芋名月』
 10月 十三夜 『豆名月』『栗名月』」
- 芋と豆ですね。


・「地の神様 新藁と青竹で祠をつくる そこに砂を盛って赤飯を12個
以前は『こんこんさま』キツネの鳴き真似をしながら各家のおむすびを下げて回った」
- 遊び仲間で、近所の赤飯むすびをもらいに回ったものでした。自分の家のものを食べ
 られなくなったことを覚えています。わたしたちが最後の世代でしょうか。「地の神様」
 は浜松ならではの風習と言われています。家の敷地の北西にほこらでお祀りしています。
 死んでから50年たつと地の神様となって家を護るとも聞きました。父が存命中は毎年
 新藁でほこらをつくっていましたが、今はホームセンターで買った物をおまつりしてい
 ます。11月15日と記されていますが、12月15日ではないかと思われます。そう、明日で
 す。お赤飯、うれしいです。狸は見られるようになったということですが、狐はまだか
 えってきていません。


先週に引き続き、土・日曜日に生け垣の剪定。
北西角は何年かサボっていたので、枝がひどく伸びていました。
それを電動ノコギリで処理しました。高い脚立上での作業を3時間ずつ。
右腕がパンパンになってしまいましたが、気持ちよく新年を迎えられそうです。
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もう一つ、再掲載となりますが、
「新版 静岡県伝説昔話集」(上巻)⑫を載せます。
火の玉は子どもの頃見た覚えもあり、話をよく聞きましたが、
このごろは聞かなくなりました。
神ヶ谷は「うなぎパイファクトリー」の近くです。





<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト




☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
2.jpg







<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
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☆キーワード「新津」21-「ふるさと新津」新津婦人学級 昭和57年3月5日発行(6)


◇新津の年中行事

1.正月行事 

 門松・注連縄,餅つき,年越し,元旦,お供え割り,小正月




2.エビス講 

 1月20日(初エビス)
    夕方下におろして東向きにおまつりする

たきたてのごはんつぶで札をはる


 11月20日 同上




3.節分

 餅つき,ナタ餅・ヤタ餅,ヤイカガシ,豆まき(神棚に供えてから)




4.八日餅  

 8日神送り 

 早朝男の子が笹竹と鉦
家々の軒先をはらい村外れまで行き厄神送り出す 12月8日



5.雛祭り

 よもぎ餅




6.彼岸   

 鴨江観音 - 先祖供養

 3・8・9月は祝い事を控えた




7.端午の節句

 戦後生活改善運動 - 鯉のぼりは一組だけと申し合わせ

 菖蒲と蓬を束ねて軒先に飾り菖蒲湯

 柏餅 ヨシまき




8.虫除け  

 6月1日朝 門口の両側にイチジクの葉

 その上で束にした線香を焼く




9.七夕

 月遅れ8月7日

 七夕飾りの前に胡瓜・茄子・南瓜




10.丑浜
 
 土用の丑の日「丑浜」

 男子は海水を浴びて浜ごり

 帰りに潮の華(浜砂)手ぬぐいに包む

 昭和18・19年頃までは屋台も並ぶほど盛んだった




11.お盆

[施餓鬼]
   内施餓鬼と寺施餓鬼 
      死者が男なら四角の白布袋に名前と米一升 仏さまに供える

死者が女なら三角の白布袋に名前と米一升 仏さまに供える


[お盆]
  8月13日~16日

13日 夕方「迎え火」松を焚く 
     夜中に墓前でも焚く

  14日 お寺参り
     この日「盆切り」

  15日 初盆の家 昼頃「送り火」
仏前の灯明から松明に火をうつす
送り火の後,会食

  16日 供え物 サトイモの葉に包み精霊送り
夕方仏供養~送り火


[倉松大念仏]
戦前まで倉松町では鉦・太鼓で賑やかだった
寿福寺は三方原合戦ゆかりの寺




12.お月見

  9月 十五夜 
  「お月見」「芋名月」
縁側にヘソ団子(12個)農作物(サトイモ,サツマイモなど)ススキと共に満
   月に供える

    団子の替わりにサトイモの皮をむいたものも…

  10月 十三夜 
   「豆名月」「栗名月」
毛イモ 枝豆 ススキ




13.亥の子餅 

 10月亥の日

 「亥の子ボタ餅」大きなぼた餅を作り仕事を休む

 休養をとる必要からか?




14.神さまのお発ち

  11月1日早朝 餅をつき重箱に入れ神棚に祀る
  = 神さまのお弁当
のし袋にお金,御神酒と共に

  新津地区は11月





15.地の神さま 

 11月15日「イヌイヅマ(乾隅)」
新藁と青竹で祠をつくる

そこに砂を盛って赤飯を12個

 ※以前は「こんこんさま」キツネの鳴き真似をしながら各家のおむすびを下げて回った
 
  → 昭和30年頃「生活改善運動」で風習廃止
(しかし,倉松町では昭和45年頃まで残っていた-ハマコウ註)




16.庚申講

 道教の思想 青面金剛本尊

 [倉松]新縄でなった縄を輪の形にする 
 前浜で浄めた板を渡して鴨居から下げその上にお供え物
「ナム ホンテン タイシャワ ショーメー コンゴードージ」三回唱える
その後,会食
ごはん,みそ汁,煮ず和え(大根,人参,蓮根,椎茸,油揚げ,蒟蒻,昆布),
     飛竜頭または油揚げの煮しめ,おつば
2か月に一度 信仰と娯楽
倉松では昭和38年頃まで続いていた





17.お日待ち

 夕方集まって会食をし,伊勢皇太神宮や秋葉大権現をおまつりしてから夜通し雑談,太
陽が昇ってから氏神様にお参りしたり太陽を拝んでから解散する。

 まち = まちごと「神のおそばにいる」

 神と共に夜を明かす

 寄り合いと同















☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑫【再掲載 2018.4】

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5 祟りと怨霊、妖怪塚と墓



(1)八十松火 (浜名郡神久呂村神ケ谷・現浜松市)
 神久呂村神ケ谷には、昔から八十松という怪火が出現して人を驚かしている。しかも今
もって時には現れるといわれている。


 神ケ谷神田原の水神様のお池から源を発して、神ケ谷の東の谷を南流し、入野村早土の
総氏神様と片葉の葦で有名な一本松の間に出て、それから堀留に通じる運河と佐鳴湖に通
じる川と合流して浜名湖に注いでいる清流がある。


 これを同地ではただ「川」と呼んでいる。


 神ケ谷本村の南方の田の中に「お休み場」という所があり、その東方は高台地で墓地と
なっている。


 この間をその清流が流れているので、墓地に通じる橋を中橋と呼んでいる。


 土地の人の恐れているその八十松火は、この川の下の方から現れて、以前はこの中橋ま
でであったが、現今ではずっと上の方まで上って来るという。


 数十年前、当地の島村某という者が、若い元気にまかせてその正体を見届けようと、あ
る夕方、お休み場まで出掛けた。


 当時そこには4人抱え位の大松が一本あったので、その大木の根に身をひそめて怪火の
出現を待っていたが、なかなか出ないので帰ろうとして、ふと下手の方を見ると、彼方か
ら小さな白い火が動いて来るのが見えた。


 某は、にわかに元気が出て、

「おのれ、正体を見届けて村人を驚かさん」

と息を殺して待っていた。


 怪火は川岸を次第に上に来た。


 そして中橋付近に来ると、不意に方向を転じてお休み場の方に真一文字にとんで来て、
某との距離約2、3間(約3.6~5.4m)まで来ると、また突然に逆戻りをして下
手の方へ走った。


 元気者の島村某も、その火が近づいた瞬間には流石に驚き恐れて、堅く目を閉じて急に
総身がぞっと冷たくなった。


 やがて目を開いた時には付近には火影も見えず、はるか下手の方に走り去った時であっ
たから、やっと生き返った思いで急ぎ逃げ帰ったという。


 現今の古老の間にも、その八十松火を見たものが多いという。


 この八十松火について次のような物語が残っている。




 昔、八十松という小僧が、主人の金を持って某地に使いし、この川の近くで失くしてし
まったので、小僧は大いに驚き思案にくれた結果、ついに主人にその訳を正直に物語り平
身低頭してその罪を謝った。


 それを聞いて主人は大いに怒り叱責したので、小僧は無念やる方なくてついに自殺した。


 その怨霊が、夜な夜なこの川の付近に現れて、先に失くした金子を求めるのである。
                                 (本田みち)


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