今回は、わたしの「教育ノート(要約)」から
「戸田唯巳さんはこんなことを」の紹介 1回目です。
戸田唯巳さんは、わたしが尊敬する教育実践者です。
兵庫県で小学校の教員をされ、1985年校長として退職されました。
多数の御著書があり、たくさんのことを教えていただきました。
特に家庭教育の大切さについて、よく説かれています。
絶版本が多いのですが、母親となったわたしの娘には、ぜひ読んでほしいと思っています。
もう一つ、再掲載となりますが、「加藤シヅエさんはこんなことを」を載せます。
社会運動家、政治家加藤シヅエさんが亡くなられてからもう20年経ちました。
再度、要約を読み直し、背筋がまっすぐになったような気がします。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆戸田唯巳さんはこんなことを ①
◇「お母さんと先生のつきあい方」教育資料出版会 1994年
□大切なもの
若い先生に
・先生の謙虚さ
・親たちの温かく見守る目
・同僚への今少し親身な協力
□猿も木から… 失敗したときげんこつで頭を…
「猿も木から落ちる しかしこの猿は落ちすぎて困る」
◇「ダメな子はいない」雷鳥社 1989年
□幼稚園
学校ではできる子を相手に授業を進めがちになる
↓↑
幼稚園はその逆
◇「お母さんの知恵」 明治図書(1) 1968年
□話さなくなる子
原因 1あまりに尋ねすぎた
2後始末が良くなかった
対策 親の方も話してやる
注意 質と量
◎おしゃべりな子をつくるのでなく話のできる子をつくる
□家の手伝いをしない子
お手伝い - 「家族の一員として当然しなければならない仕事」
受動的 能動的
□自分の仕事のしつけ
・分担者以外は手助けしない
・周囲の者が適切な注意や励ましを与える
・条件整備(すぐにできること)
子どもの自主性を大事にする
□ひがむ子
口では直らない
→ 「あなただけじゃない」を慎む
積極的にほめる
∥
◎当たり前のことをほめる
◎ 子どもにはしくじりや躓きがあるのは当然で,それを一つでも消してゆくのは随分
大変なことだ
□不安がる子
夫婦げんか … 夫婦以外に分からないもの
沈黙と拒否の持久戦
してもいいが後始末を → 子どもに話をして反省-口を
□我が物顔に振る舞う子
教える機会を持つ
- 叱ったり怒鳴ったりしただけではなかなか入りきらないものを入れていく。
◎さからわずに「他人の気持ちを知れ」という前にまず「本人の気持ちを知ってやる」
□自分をてらう子
見栄やてらい
「いいかっこ」をするために精力が使われる
親
「よく分かってもらう」努力
「よく見てもらう努力」
・子供と一緒に懇談する
☆加藤シヅエさんはこんなことを【再掲載 2011.10】
◇「加藤シヅエの遺言」求龍堂 1997年
<出版社の案内>
1997年3月に満百歳の誕生日を迎えた加藤シヅエ。百年生きてきて、我が日本が、日本
人が最も変わったこと…それは品位を失くしたこと。そう語る筆者による、21世紀に向
けた対談集。
□はじめに
百年生きていて我が日本が日本人が最も変わったこと
= 品位がなくなった
□「信じるということ」龍村仁 映画監督 1996.1.20帝国ホテル
生涯現役政治家
社会問題・人口問題・産児制限・婦人の向上
「一日に十回感動する」
深く感じて心に命じる
「テレビは嘘発見器。ちゃんとみると大概あたります。」
政治家は作り笑いをする
人間は一生懸命やろうと思ったことをやって誰かがそれを認めくれた…
… 一人しかいなくても嬉しいもの(ピンクレター)
∥
◎ 単に褒めているのではなくきちんとした批判が入っている
「後で後悔することはなさいますなよ」
マッカーサーの民主主義
朝鮮戦争で発達が中途半端に-嘘ばっかり
日本の国際的信用はがた落ち
日本の女性は質がいいから持ち前の力というものがある
知性があり感受性がある
ただそれを自由に発散することをしなかっただけ
↓
「小さい国ではあるけれども,高い品位のある国だ」
□「戦争・女性・未来」下村満子 1996.3.23 帝国ホテル
自分の年を数えてみる
口で唱えてみる (ひとつふたつみっつ・・・)
「歴史というものは変わるんですから,今度はいい方にかえるようにみんなが力を尽くす
というところに生きがいがあるのです」
米軍チラシ
「日本人よ。もう戦争に負けます。だけれども,あなた方は降伏して民主主義の国になる
のです。決して占領したり殺したりというようなことはなく,民主主義になるように指
導します」
◎ 戦争前の人と戦争後の人とこれで同じ日本人かと思うほど変わった
※ 前の日本人
機械的なこと科学的知識には大変遅れていたけれど,精神的には正しいものを正
しい,嘘をついてはいけない,人のものを盗んではいけないとか,そういうような
秩序は正しく守るという考え方がみんな徹底していた。
戦後
「あんなことを平気でするような日本になったか」
「今の日本は最悪です」
議員 = 公僕 = サーバント = 召使い
◎ お国のための召使い
尽くす・貢献する
男女はコインの裏表
いい男が増えればいい女が増える
男がだめになれば女がだめになる
「日本の男性の頭はグレー,女性の頭はレッド」
□「世界の中の日本」岩國哲人 1996.7.21 帝国ホテル
「二つの文化のはざまから」1935 アメリカで出版
明治民法では女性は無能力者
女はおしゃべり - 情報を早く伝達する
情報発信能力,受信能力
「善処するということは本当はしないということなんです」
政治家は選べるが役人は選べない
|
「世論が成長しなければだめですね」
「貢ぐくん」の国家 軽蔑と侮辱の中に生きる
|
◎ 世論の成長
日本の文化 = 感じ取る文化 ※合理主義との違い
「地方自治が民主主義の墓場」
◇加藤シズエ・倉本聡ラジオ対談
(1)誇りがなくなった
昔は貧しくても誇りを持っていた
今「法律にかかりさえしなければ」
(2)闇がなくなった
神の存在の否定
畏れるものの存在を知らない
(3)「感」がなくなった
① 感じ 気持ち
② 心に深く感じること
※ 感慨 感覚 感涙 感泣 感興 感激 感受 感謝 感傷 感情 感心 感服
感動
◇加藤シヅエさん死去(中日新聞夕刊平成13年12月22日)
家族計画運動草分け・初の女性国会議員 104歳
日本初の女性国会議員の一人で、家族計画運動や女性の地位向上のため活躍した加藤
シヅエ(かとう・しづえ=本名静枝)さんが22日午前8時56分、呼吸不全のため、東
京都文京区の義理の娘宅で死去した。百四歳だった。
東京都出身。自宅は…。葬儀・告別式は…瑞輪寺で。喪主は二女で国際コーディネータ
ーの加藤タキさん。
国際的な貢献が評価され91歳で日本人初の国連人口賞を受賞、百歳を超えても日本家
族計画連盟会長を務めた。
「政治をやったら一生責任がある。だから私は現役政治家」と話し、日本の政治、女性の
自立などで辛口の発言を続けた。
資産家の長女として生まれ、女子学習院中等科卒業後、17歳で鉱山技師の旧華族と結
婚。夫の赴任地の三井三池炭鉱で、貧困と多産に苦しむ女性たちに接し、衝撃を受けた。
米国留学中の1920(大正9)年ごろ、女性解放の視点から産児制限運動を提唱した
マーガレット・サンガー夫人と出会い、その思想に共鳴。
帰国後,当時タブー視されていた避妊の付普及に努め、婦人参政権獲得運動にも力を注
いだ。しかし軍国主義の下で、治安維持法違反容疑で逮捕されるなど弾圧を受けた。
離婚して労働運動家加藤勘十氏と再婚。46年、戦後一回日の総選挙に社会党から出馬
して初の女性衆院議員39人の一人となり、「おしどり議員」に。
衆院2期、参院4期を務めた。
この間、売春防止法や公害防止法などの成立に尽力。77歳で政界を引退した。79年
に労組依存の社会党に不満を抱き離党。その後も国際家族計画連盟の創設に参加するなど、
第三世界の人口問題に携わった。
著書に「ある女性政治家の半生」 「百歳人加藤シヅエ生きる」など。
「戸田唯巳さんはこんなことを」の紹介 1回目です。
戸田唯巳さんは、わたしが尊敬する教育実践者です。
兵庫県で小学校の教員をされ、1985年校長として退職されました。
多数の御著書があり、たくさんのことを教えていただきました。
特に家庭教育の大切さについて、よく説かれています。
絶版本が多いのですが、母親となったわたしの娘には、ぜひ読んでほしいと思っています。
もう一つ、再掲載となりますが、「加藤シヅエさんはこんなことを」を載せます。
社会運動家、政治家加藤シヅエさんが亡くなられてからもう20年経ちました。
再度、要約を読み直し、背筋がまっすぐになったような気がします。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆戸田唯巳さんはこんなことを ①
◇「お母さんと先生のつきあい方」教育資料出版会 1994年
□大切なもの
若い先生に
・先生の謙虚さ
・親たちの温かく見守る目
・同僚への今少し親身な協力
□猿も木から… 失敗したときげんこつで頭を…
「猿も木から落ちる しかしこの猿は落ちすぎて困る」
◇「ダメな子はいない」雷鳥社 1989年
□幼稚園
学校ではできる子を相手に授業を進めがちになる
↓↑
幼稚園はその逆
◇「お母さんの知恵」 明治図書(1) 1968年
□話さなくなる子
原因 1あまりに尋ねすぎた
2後始末が良くなかった
対策 親の方も話してやる
注意 質と量
◎おしゃべりな子をつくるのでなく話のできる子をつくる
□家の手伝いをしない子
お手伝い - 「家族の一員として当然しなければならない仕事」
受動的 能動的
□自分の仕事のしつけ
・分担者以外は手助けしない
・周囲の者が適切な注意や励ましを与える
・条件整備(すぐにできること)
子どもの自主性を大事にする
□ひがむ子
口では直らない
→ 「あなただけじゃない」を慎む
積極的にほめる
∥
◎当たり前のことをほめる
◎ 子どもにはしくじりや躓きがあるのは当然で,それを一つでも消してゆくのは随分
大変なことだ
□不安がる子
夫婦げんか … 夫婦以外に分からないもの
沈黙と拒否の持久戦
してもいいが後始末を → 子どもに話をして反省-口を
□我が物顔に振る舞う子
教える機会を持つ
- 叱ったり怒鳴ったりしただけではなかなか入りきらないものを入れていく。
◎さからわずに「他人の気持ちを知れ」という前にまず「本人の気持ちを知ってやる」
□自分をてらう子
見栄やてらい
「いいかっこ」をするために精力が使われる
親
「よく分かってもらう」努力
「よく見てもらう努力」
・子供と一緒に懇談する
☆加藤シヅエさんはこんなことを【再掲載 2011.10】
◇「加藤シヅエの遺言」求龍堂 1997年
<出版社の案内>
1997年3月に満百歳の誕生日を迎えた加藤シヅエ。百年生きてきて、我が日本が、日本
人が最も変わったこと…それは品位を失くしたこと。そう語る筆者による、21世紀に向
けた対談集。
□はじめに
百年生きていて我が日本が日本人が最も変わったこと
= 品位がなくなった
□「信じるということ」龍村仁 映画監督 1996.1.20帝国ホテル
生涯現役政治家
社会問題・人口問題・産児制限・婦人の向上
「一日に十回感動する」
深く感じて心に命じる
「テレビは嘘発見器。ちゃんとみると大概あたります。」
政治家は作り笑いをする
人間は一生懸命やろうと思ったことをやって誰かがそれを認めくれた…
… 一人しかいなくても嬉しいもの(ピンクレター)
∥
◎ 単に褒めているのではなくきちんとした批判が入っている
「後で後悔することはなさいますなよ」
マッカーサーの民主主義
朝鮮戦争で発達が中途半端に-嘘ばっかり
日本の国際的信用はがた落ち
日本の女性は質がいいから持ち前の力というものがある
知性があり感受性がある
ただそれを自由に発散することをしなかっただけ
↓
「小さい国ではあるけれども,高い品位のある国だ」
□「戦争・女性・未来」下村満子 1996.3.23 帝国ホテル
自分の年を数えてみる
口で唱えてみる (ひとつふたつみっつ・・・)
「歴史というものは変わるんですから,今度はいい方にかえるようにみんなが力を尽くす
というところに生きがいがあるのです」
米軍チラシ
「日本人よ。もう戦争に負けます。だけれども,あなた方は降伏して民主主義の国になる
のです。決して占領したり殺したりというようなことはなく,民主主義になるように指
導します」
◎ 戦争前の人と戦争後の人とこれで同じ日本人かと思うほど変わった
※ 前の日本人
機械的なこと科学的知識には大変遅れていたけれど,精神的には正しいものを正
しい,嘘をついてはいけない,人のものを盗んではいけないとか,そういうような
秩序は正しく守るという考え方がみんな徹底していた。
戦後
「あんなことを平気でするような日本になったか」
「今の日本は最悪です」
議員 = 公僕 = サーバント = 召使い
◎ お国のための召使い
尽くす・貢献する
男女はコインの裏表
いい男が増えればいい女が増える
男がだめになれば女がだめになる
「日本の男性の頭はグレー,女性の頭はレッド」
□「世界の中の日本」岩國哲人 1996.7.21 帝国ホテル
「二つの文化のはざまから」1935 アメリカで出版
明治民法では女性は無能力者
女はおしゃべり - 情報を早く伝達する
情報発信能力,受信能力
「善処するということは本当はしないということなんです」
政治家は選べるが役人は選べない
|
「世論が成長しなければだめですね」
「貢ぐくん」の国家 軽蔑と侮辱の中に生きる
|
◎ 世論の成長
日本の文化 = 感じ取る文化 ※合理主義との違い
「地方自治が民主主義の墓場」
◇加藤シズエ・倉本聡ラジオ対談
(1)誇りがなくなった
昔は貧しくても誇りを持っていた
今「法律にかかりさえしなければ」
(2)闇がなくなった
神の存在の否定
畏れるものの存在を知らない
(3)「感」がなくなった
① 感じ 気持ち
② 心に深く感じること
※ 感慨 感覚 感涙 感泣 感興 感激 感受 感謝 感傷 感情 感心 感服
感動
◇加藤シヅエさん死去(中日新聞夕刊平成13年12月22日)
家族計画運動草分け・初の女性国会議員 104歳
日本初の女性国会議員の一人で、家族計画運動や女性の地位向上のため活躍した加藤
シヅエ(かとう・しづえ=本名静枝)さんが22日午前8時56分、呼吸不全のため、東
京都文京区の義理の娘宅で死去した。百四歳だった。
東京都出身。自宅は…。葬儀・告別式は…瑞輪寺で。喪主は二女で国際コーディネータ
ーの加藤タキさん。
国際的な貢献が評価され91歳で日本人初の国連人口賞を受賞、百歳を超えても日本家
族計画連盟会長を務めた。
「政治をやったら一生責任がある。だから私は現役政治家」と話し、日本の政治、女性の
自立などで辛口の発言を続けた。
資産家の長女として生まれ、女子学習院中等科卒業後、17歳で鉱山技師の旧華族と結
婚。夫の赴任地の三井三池炭鉱で、貧困と多産に苦しむ女性たちに接し、衝撃を受けた。
米国留学中の1920(大正9)年ごろ、女性解放の視点から産児制限運動を提唱した
マーガレット・サンガー夫人と出会い、その思想に共鳴。
帰国後,当時タブー視されていた避妊の付普及に努め、婦人参政権獲得運動にも力を注
いだ。しかし軍国主義の下で、治安維持法違反容疑で逮捕されるなど弾圧を受けた。
離婚して労働運動家加藤勘十氏と再婚。46年、戦後一回日の総選挙に社会党から出馬
して初の女性衆院議員39人の一人となり、「おしどり議員」に。
衆院2期、参院4期を務めた。
この間、売春防止法や公害防止法などの成立に尽力。77歳で政界を引退した。79年
に労組依存の社会党に不満を抱き離党。その後も国際家族計画連盟の創設に参加するなど、
第三世界の人口問題に携わった。
著書に「ある女性政治家の半生」 「百歳人加藤シヅエ生きる」など。