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「深谷昌志さんはこんなことを」④-『子どもをどれだけ知っているか』 明治図書 1993年(3) /「霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味」「「真理は現実のただ中にあり」」 - 『小さな人生論』藤尾秀昭 致知出版社2003年 より ⑪【再掲載 2012.2】 [読書記録 教育]

今回は、3月5日に続いて、わたしの「教育ノート」から
「深谷昌志さんはこんなことを」の紹介4回目、
『子どもをどれだけ知っているか』3回目の紹介です。


出版社の案内には

「子どもを対象とした調査を20年以上にわたって行ってきた著者が、教師に
 むけて、今の子どもの地域社会や学校、家庭のなかでの現状を紹介する。」

とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「父性で社会的な権威を代表して裁判官のように是非を決定する。母性で
  善悪を越えた慈悲の心で子どもを救う。」


・「現代の日本は、父性が衰退し、母性が優位になったためけじめを欠いた
情緒社会になった。」(河合隼雄)
  

・「豊かな社会の不幸せ
= 金銭の価値を知らずに使い手の感覚しか持っていない子供が育って
 いる」





もう一つ、再掲載となりますが、藤尾秀昭さんの
『小さな人生論』⑪を載せます。
10年も前の記事ですが、未だに来訪してくれる方が多い記事です。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆「深谷昌志さんはこんなことを」④-『子どもをどれだけ知っているか』 明治図書 1993年(3)

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<父親>

◇「道具的」と「表出的」

 パーソンズ理論

   ◎道具的(父)   引っ張り型リーダー 厳父 「切る」

   ◎表出的(母) なだめ型リーダー 慈母 「包む」


 父性 = 社会的な権威を代表して裁判官のように是非を決定する

 母性 = 善悪を越えた慈悲の心で子どもを救う



 「現代の日本は、父性が衰退し、母性が優位になったためけじめを欠いた
  情緒社会になった。」(河合隼雄)
  


◇パートナー型の夫婦

 人間的な味わいのある父親の良さも高く評価すべき

 


<金銭>

◇預金通帳に9万円

一か月の小遣い 
4年生 もらっていない   19.8%

~500円 35.3%

~1000円 27.3%

~1500円   6.1%

~2000円 4.3%

それ以上 7.2%

※ 平均 922円(1990年頃)
  


◇500円からが大金

 ◎労働して収入を得た体験を持たぬまま完全な消費者になる

  落ちていたら → 500円から警察に届けるが5割



◇豊かな社会の不幸せ

 アジア 
   子どもと労働と生活



  残酷だから子どもを労働から解放してやりたいと多くの大人は努力



  日本は「子どもが労働しなくてすむ社会」
   
  ◎金銭の価値を知らずに使い手の感覚しか持っていない子供が育っている

◎現在でもアメリカでは子どもが草刈り、ベビーシッターなどで小遣いを稼ぐ
= 労働体験(むやみに金銭を与えないしつけ)
人のためにお金を使う経験を











☆「霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味」「「真理は現実のただ中にあり」」 - 『小さな人生論』藤尾秀昭 致知出版社2003年 より ⑪【再掲載 2012.2】

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◇霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味

「霜に打たれた柿の味、辛苦に耐えた人の味」しみじみと胸に響く言葉である。


 軒端に吊るされた渋柿は冬の寒天にさらされ、霜に打たれることで何とも言
えぬ美味に染まる。


 人間も同じである。辛苦に耐えることで人としての風味を増すのだ。


 ある文芸評論家が、こう言っている。

 「日陰がなく、日向だけの男は暴力である」


 病気を知らず、逆境に悩んだこともなく、挫折に苦しんだこともない。人生
の陰影に乏しく、ただ明るいだけの男は、存在そのものが堪え難い、というの
である。


 同じことを別の観点から言ったものだろう。

 
 しかし、柿は霜に打たれれば確実に旨味を増すが、人間は辛苦に耐えればそ
れでいいのだろうか。


 辛苦を味わうことで人の痛みがわかり、思いやりに溢れた滋味を身につける
人がいる。


 だが、辛苦の経験が偏狭さとなり、傲岸不遜、悪どくしたたかになってしま
う人もいる。


 大事なのは辛苦そのものではなく、耐えるというその一語の重さにある。


 辛苦を味に変えるような人生をこそ、生きたいものである






◇「真理は現実のただ中にあり」 

 『二宮翁夜話』 にこんな一節がある。


 二宮尊徳がある村を巡回した時、怠惰・無気力で、掃除もしない者がいた。


 その人に、尊徳はこう諭した。



 こんな不潔きわまることにしておくと、お前の家はいつまでも貧乏神のすみ
かになるぞ。

 貧乏からのがれたければ、まず庭の草を取って家の中を掃除するがよい。

 また、こんなに不潔では疫病神も宿るに違いない。だからよく心がけて、貧
乏神や疫病神がおられないように掃除しなさい。

 家の中に汚ない物があればくそばえが集まるし、庭に草があればへびやさそ
りが得たりとばかり住むのだ。肉が腐ればうじが生じる。水が腐ればぼうふら
が生じる。

 そのように、心や身が汚れて罪とがが生ずるし、家が汚れて病気が生ずるの
だ。恐ろしいものだぞ。



 現実を知りつくした人の言葉である。


 同時に、この言葉は現実を変革する力も持つ。


 つねに自然を師とし実行を友とした人ならではの言葉である。


 この尊徳の言葉に大きな影響を受けた一人に森信三氏がいる。

「まことの道は天地不書の経文を読みて知るべし」の言葉に、氏はそれまで尾
てい骨のように残っていた大学的アカデミズムから完全に解放された。


 真理は哲学書の中になどない。


 むしろ、この現実の天地人生のただ中に文字ならぬ事実そのものによって
書かれている。


 そのことに開眼したのである。

 
 天地不書の経文から何を学ぶか。各人各様の人生の課題がここにある。


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