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「認知症専門医の『認知症ライフ』」長谷川和夫 『ラジオ深夜便』2019.3 (後半) /「はじめて学ぶ日本児童文学史」鳥越信 ミネルヴァ書房 2001年 ①【再掲載 2016.9】 [読書記録 一般]

今回は、3月13日に続き、月刊誌『ラジオ深夜便』2019年3月号より
長谷川和夫さん「認知症専門医の『認知症ライフ』」の紹介2回目(後半)です。


NHKラジオ深夜便4時台に放送された
「明日へのことば」インタビューをまとめたものです。

昨秋亡くなられた長谷川さんですが、
認知症についてわかりやすく教えてくれます。ご冥福をお祈りします。




もう一つ、再掲載となりますが、鳥越信さんの
「初めて学ぶ日本児童文学史」①を載せます。
わたしは、児童文学が大好きです。


昨日は卒業式。
前の学校とは随分と違う形式でしたが、
子どもたちの思いが伝わってくるようなよい卒業式でした。
昼食時、学校でわたしに電話がありました。
前の学校で昨年度担任していた6年生からでした。
「先生、ぼく今日卒業しました。」
お母さんからも、挨拶がありました。
気持ちが伝わらなくて、先生なんて大嫌い、といったこともありました。
何回も子どもたちと話し合った昨年度を思い出しました。
しばらく話をしましたが、40年近くの勤務の中で初めてのことでした。
よりさわやかな一日となりました。




<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。






☆「認知症専門医の『認知症ライフ』」長谷川和夫 『ラジオ深夜便』2019.3 (後半)

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◇これまでと変わりない日常生活

- 今は毎日をどのように過ごしていますか。


長谷川
 朝起きてからお昼、ごはんを食べてちょっとの間くらいまではいいんで
す。午後2、 3時ごろになると疲れてきて、認知症の症状が出てきます。
そして翌朝は普通に戻っている。夜中に睡眠をとるから、脳が修復するので
しょうか。その繰り返しです。
 朝は妻よりも早く新聞を取りにいって日付を確認します。食事はしっかり
3食とっています。朝はクロワッサン、お昼はバナナくらいかな。夜にお肉
なんかを食べれば栄養は十分ですね。
 外出もしますよ。もう30年くらい通っている喫茶店があるんですけど、そ
こでお気に入りのストロングコーヒーをいつも飲んでいます。40年くらい行
きつけの散髪屋さんでの楽しみは床屋談義ですよ。散髪がてらトランプ大統
領の話とか国際情勢とか、いろんなことをおしゃベりしています。
 出かけたきり家に帰れないなんてことは、現実にはそんなに起こりません。
高齢になると足が弱くなりますから、そんなにふらふらと遠くまで出歩けま
せん。


- ごく普通の暮らしぶりですね。ほかには 何をして過ごしていますか?


長谷川
 本もよく読みますよ。文芸書なら夏目漱石が好きでかなり読んでいます。
音楽もよく聴きます。妻も娘も音楽大を出ているので、ピアノを弾いてくれ
るときもあります。
 すると自分の魂にスポッと入り込んでくるので心が躍るよね。
 医者として認知症の人に「ディサービスという處に行くといいですよ」と
勧めていましたが、今では自分が行くようになりました。そこは昼食前にお
風呂に入れてくれて、まるで王侯貴族のような気分を味わえます。
 職員さんは利用者一人一人のことをよく知っていて、とても気を配ってく
れるんです。僕が松本清張の推理小説を読んだりしていると「長谷川さん、
おもしろいですか?」と声をかけてくれる。
 ディサービスは僕の想像以上にすばらしいところでした。



◇誰もがその人らしく生きていける世の中に


- 介護や認知症のケアなど、日本のレベルは世界的に見てどうなんでしょ
うか?


長谷川
 日本は世界一の長寿国です。だから日本が高齢者の認知症にどう対応をして
いるのか、世界中が注目しています。
 東南アジアは日本よりも高齢化の進行が早いそうなので日本が持つノウハ
ウや技術を輸出するといいと思います。海外の人を日本に呼んで学ばせるの
ではなく、日本の専門家が海外に出ていって、現地の人と相談したうえで各
国の実状に合ったやり方を教えてさしあげる。それが日本の特技だし、そう
いうやり方がこれからは必要なんじゃないでしょうか。


- 認知症患者やそれを支える人たちにアドバイスやメッセージをいただけ
ますか。


長谷川
 僕が認知症であることを公表したのは、認知症の患者さんが「その人らし
く生きていく」きっかけになればいいと思ったからです。認知症の本質的な
症状というのは、要 は日々の暮らしを普通にはしづらいことなんです。
 人生百年時代と言われるようになりましたが、百年たつと若いころに比べ
て、知的能力や認知能力というものは、誰もが当たり前に落ちていくでしょ
う。認知症の人はその度合いがちょっと大きいだけなんです。
 認知症といわれると「もうこの人とはつきあえない」とかね、差別が生ま
れる場合もあります。
 そうではなくて、暮らしていくことに障害があるということを理解して
「大丈夫ですよ」と言ってあげるだけでもホッとしますよ。お互いが心の絆
を大切にして生活していけばいいんです。
 僕と同じ生活史を持っている人が誰一人としていないように、認知症の患
者さんも、人それぞれに貴重な体験をしている尊い人間なんです。
 そのことを患者さん自身も、患者さんを支える側の人々もよく分かってほ
しいと願っています。

2018年11月28日放送「実はボク、認知症になったんです。」








☆「はじめて学ぶ日本児童文学史」鳥越信 ミネルヴァ書房 2001年 ①【再掲載 2016.9】

<出版社の案内>
明治維新から昭和期にかけての日本児童文学の歩みを最も初期の時代(草
創期)を起点に、科学読み物・知識読み物の歴史およびキリスト教児童文
学の歴史、外国作品の歴史と幅広い視点から考察。
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◇序章

□起点 

 漣山人 「こがね丸」1891 菅忠道

 
 ハックレー・山形俤三郎「理科仙郷」1886 木村小舟


 三輪広忠「少年之玉」1890 鳥越信



□現在 

 福沢諭吉 「訓蒙 窮理図解」1868
明治・近代的内容
子供向け 物理学入門




<近代日本児童文学の夜明け>

◇時代思潮 

□1868~1890 児童書70点

 ① キリスト教伝道 

 ② 科学・知識読み物 

 ③ 翻訳・翻書物

 ④ 赤本・草双紙系



◇キリスト教と児童文学

□明治政府 

 キリシタン3700名を流刑
  → 1873年 釈放



□日曜学校 「さいわいのおとずれ」太陽暦と日曜学校

1872.11.9「12月3日をもって明治6年1月1日とする」

明治6年2月 
全国2月学校制度 
◎ 休みは1・6の付く日

1876(明治9)年4月より日曜日が休日に



□1880年代 

 「七一雑報」「女学雑誌」

 
 「西洋 稚児話の友」省己遊人 中外堂 1873年

 
「珊瑚の虫」前田泰一 宝文堂 1874年

 
「よろこばしきおとづれ」1876年12月~1882年2月ミス・マクシール


「童蒙道の栞」田村直臣 十字屋 1880年

「喜の音」1882年3月~1921年8月
マクニール → 三浦徹


「世を渡るたつきの風琴」香両女史 1882年


「女学雑誌」「小供のはなし」1888年2月18日


「ちゑのあけぼの」普通社 1886年11月28日~1888年4月13日


野辺地天馬 沖野岩三郎 有島武郎 山村暮鳥


1932年 上沢謙二中心に基督教童話協会 村岡花子,小出正吾
      戦後 今西佑行,石森延男,竹崎有斐
    ↓
        集大成 「日本キリスト教児童文学全集」




◇日本の近代化と科学読み物

□福沢諭吉 

「福翁自伝」
  - 東洋になきものは,有形において数理学と無形において独立心と
   この二点である。



□科学読み物とは何か

 板倉聖宣(1930~)
仮設実験の論理で積み上げられた法則的・概念的知識体系

仮設実験授業学派



□日本最初の科学読み物

 「訓蒙 窮理図解」福沢諭吉  理を窮める

 「天変地異」  小幡篤次郎(慶應義塾塾長)1876年



□窮理ブームの中の科学読み物

 窮理熱  
   文部省 - 窮理重視のカリキュラム



□「理科」の誕生と「理科仙郷」

 1886年 
 山県悌三郎 「理科仙郷」(バックレー著・山県訳 全10冊(736頁)



□少年雑誌類興隆の時代の科学読み物

 1888年「少年団」 


 1889年「日本之少年」 


 1889年「小国民」



□科学読み物の目的多様化

 石井研堂 「少年工芸文庫」


 樋口勘次郎 「理科適話」同文館 1900年


 木村小舟 「理科春秋」



□科学読み物の歴史から見えてくるもの

 「科学する心」の重要性 


  身近な動植物テーマでなく物理学中心か

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