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「ボクシングに賭ける」脇浜義明 岩波書店 1996年 [読書記録 教育]

昨日 伯父の新盆に出かけました
袋井で 禅宗の新盆でした
松焚き 飾り物から
浜松とは近いのですが 
我が家の浄土真宗のやり方とは大きく違いました

大変世話になった伯父
「ありがとうございました」
の心が伝わるとよいのですが…

「子どもの遠州大念仏」とも言える
「かさんぼこ」が伯父の家に来ました
太鼓に合わせて 唱える子どもたちの様子を見て
命のつながりを感じました

今回は 脇浜義明さんの
「ボクシングに賭ける」を紹介します
読んだ当時、大変感動した本です


なるほどそうだなと納得したことを思い出します
「リクルート文化の犯罪」
と 脇浜さんは訴えます
先日紹介した「就活とブラック企業」にもつながるものを
感じます

就職、将来の職業にあまりにとらわれすぎず
「学校は学校としての独自の文化があってもよいのではないか」
とも 思います

「アカンタレをほんとのアカンタレにしてはいけない」
の言葉に 脇浜さんの責任感の強さを感じました

「教員は片想いの恋人」
当人に一生懸命さが気づかれることのない存在
まさにそうだなあと思います

今日も明日も飽きることなく
「賽の河原で石を積む」のでしょうか







☆「ボクシングに賭ける」脇浜義明 岩波書店 1996年

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◇私とボクシング

後藤正治『リターンマッチ』(文藝春秋1994)大宅壮一ノンフィクション賞 モデル

55歳 定時制高校教員
   「学校が嫌いで、事実学校から受ける恩恵がほとんど無かった層にも
    学校化の波が及んで支配している」


◇打たれても目を離さない少年

ボクシング インタハイ ボクシングのみ定時制も全日制に交じる
「辛抱強く見守って、困ったときに助けてくれる人がいるほど幸
      せなことはない」

ワル → 人間回復のきっかけ

     ボクシング = 「負けん気が強くないとダメ」
  闘争心がない子はいくら器用で運動神経が優れていてもモノ
      にならない

少年の美徳とは「卑怯者になることを極端に嫌う」こと
ヒロイズムは利益を伴わず、人目に触れず、華やかに誇示さ
      れないから感動的なのである

「今の教育問題を生み出す原因の一つは学校教育云々もさることながら、一
 般社会に教育力がなくなったことだ」
    = 社会の病弱化こそ教育荒廃の元凶

遊びは平等でも、その代償は極めて不平等 
= 金持ちは金を使うが、貧乏人は人生を使う

金持ちはいつでも「マトモ」な生活に戻れるが
貧乏人は戻る道が無くヤクザの道に

創造するには時間と根気がいるが崩れるのは一瞬だ 


◇阪神大震災の慰問試合

「生徒や民衆はそのような行動をとれるのにその上に立つ管理的な立場の人
 の中にそれができない人が多かった」

マスコミ報道のひどさ =「世界残酷物語」式の押しつけ
①悲惨なネタ探し
②お涙ちょうだい式浪花節探し

震災は決して平等ではなかった
=平常時の社会的差別とパラレルな被災状況

脇浜が腹を立てたこと 
①社会的差別
②それを欺瞞的に補う浅薄な偽善的ヒューマニズムの氾濫
③平常時には差別を叩いた先進部分の沈黙
④犠牲者庶民の心情(悲しいまでに優しく忍耐強い)


◇賽の河原で石を積む

妙な妥協をしたり偽善ぶるより誠実な生き方の方がよい
「相手を倒したパンチのことはよく覚えているが、その前に打ったパンチ
  のことは覚えていない」 = 捨て駒が大切

「賽の河原のようにコツコツ石を積んでいたら鬼が来てそれを崩すのだ。し
 かし、地震のようにすっかり破壊することはない。少しは残してくれるか
 ら、またそこから積み直す」


◇ドロップアウト達の牙

かつての夜学には反抗する子が多かった
知的反抗  → 左翼
暴力的反抗 → 不良
  しかし、内にこもる植物的生徒が増えてきた

社会への異議申し立てが退行した姿、外部社会に圧倒され、悲鳴すら
  も出なくなった被抑圧者の姿

矛盾の犠牲者の吹きだまりとしての定時制

学歴インフレ
  ↓ 高卒者が中卒者の仕事をするようになった
 ↓ ∥
   ↓ 中学卒業者の就業機会を制限する
現在 「せめて高校ぐらい、いや大学ぐらい」というせっぱ詰まった惨め
     な進学 競争

子供が親より物質的に豊かになれる時代は終わった


「負のサイクル」 岡村達雄『現代公教育論』
貧困層-低い学力-低い就学機会-不安定・低賃金職業機会-貧困層


「単位制高校」
  文部省筋の考え = 定時制の使命は終わった
→ 多様化への対応

単位制高校 全日制からドロップアウト軍を追い出して(犯罪1)別途
        学校をつくってやってそこに収容する。その学校は定時制
        から勤労学生を追い出す(犯罪2)

ユダヤとパレスチナ
より弱い立場のものを犠牲にして矛盾を解決しようとす
        るが矛盾を生み出す元凶には手をつけないのである
↑↓
全日制のオチコボレを勤労学生に同化させること
 「誰にせよ働く必要のない者なんかいない」=主流に同化させること


問題 - 仕事に誇りと人生設計がなくなった
= だれでもできる、期待されていない

単に金のためにだけ働く

<若い人に影響を与える仕事を!>

<「持続」と「信用」の思想を!>

リクルート文化の犯罪
  若者を刹那主義に追いやった罪
知的資本、技能的資本を欠く中卒者・定時制高校労働者の精神を汚
   染した

リクルート文化
「忍耐」「努力」という発想を潰し、際限ない安易な転職を是とする思想
を若者に与えた

資本を持たない貧困者が唯一資本に拮抗できる資産である「持続」と
「信用」の思想を破壊した
「けつわり」→「とらばーゆ」

◇「アカンタレがほんまにアカンタレになった」

「ペッキング・オーダー」 = つつき順

早い時期に自己の限界にぶつからせて、それでも意欲を失
       わぬ強さ、したたかさを身に付けさせる


 悲惨なことはテスト点数がテスト点数だけでは終わらないこと。

かつてのように、成績は悪いが人情がある、腕っ節が強い、走るのが速い、
絵がうまい、親孝行だ、よく働く等々、生きていく上で大切な資質、能力が
まだ無傷に備わっていると言えなくなった。そういうものまで破壊されてい
るのだ。

テストの成績序列が最底辺だと、生きる能力、人格、義理、人情、感性、
他人への思いやりなどの人間的資質も最底辺となっていくことだ。

今の学校教育は、エリートはあらゆる面でエリートらしく、オチコボレ
はあらゆる面でオチコボレ化するような人間形成を促進する目に見えない
カリキュラムがあるとしか思えない。



この法則を潰したい
学校教育に於ける南北問題
北の価値観で勝負すれば南に勝ち目はない

アカンタレの世界に抵抗できる力があったはず
「アカンタレがほんまにアカンタレになってはいけない」



◇我慢比べ

教員 = 片思いの恋人

「教員はシンドイことをやっているのだからシンドイのは当たり前だ」

学校の楽しさ = 銭湯で裸でわいわいやっている楽しさ。風呂を
         上がって外に出て、世の中の冷たい風に当たる        
         と忽ち風邪を引く楽しさだ。


◇グロムーブをはめた生徒の目

「ボクシング、それは美しい」
必死の目は本当に美しい
関西テレビ『ドキュメント 夜間高校ボクシング部の夏』
| (1988.8.20放映)
感動が時々あるからボクシングをやっている


◇人生とボクシング

余りパッとしない青春時代の中で何か生命の炎を燃やすものがあればよいの
だが

学校教育は余りにも多くの人生の楽しみから生徒を疎外している
「偏差値」と「出席日数」が支配

ボクシングは厳しい自己抑制を必要とする
= ストイックな管理スポーツ


◇密かな夢の実現

「成長というものは漸次的に段階を踏むものではない。あるとき急に飛躍す
 る。ずっと実らなかった努力がある日突然に開花する」

ボクシングとの出会い
子供たち「ボクシングをやったことはきらきら光る思い出だ」

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