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「いじめで子どもが壊れる前に」藤川大祐 角川学芸出版 2012年 ① / 読書ノート「遠藤周作さんはこんなことを」26- 「信じる勇気が湧いてくる本」遠藤周作 2002年 ⑥(最終)【再掲載 2014.11】 [読書記録 教育]

今回は藤川大祐さんの、
「いじめで子どもが壊れる前に」の紹介 1回目です。


出版社の案内には、

「津市の事件をはじめ、加速する現代のいじめ問題について、その様態、
 教訓と対策、学校の危機管理など、徹底的に解説。子を持つ親や現役
 の教師はもちろん、すべての大人が向きあうべきいじめ問題の本質に
 迫る!」

があります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「いじめがあった、なかったとは単純には言えない微妙なもの。ある
状態がいじめと感じられる人もいれば感じられない人もいる」


・「いじめをなくすことはできなくても、子どもを壊してしまううな深
  刻ないじめ被害を激減させることはできるはず」


・「いじめは教師たちの見ていないところで始まり、やがて教師たちの
前に兆候が現れます。その兆候に対して教師たちが適切に対処する
ことができずに、いじめを容認する態度をとってしまうことで、
  いじめを止めることが難しくなってしまう」


・「調査上のいじめ件数はいじめに対する社会の関心により大きく変動
してきた。いじめの件数の増減が深刻さを反映しているとは言い難
い」



もう一つ、再掲載になりますが、
「遠藤周作さんはこんなことを」26を載せます。





☆「いじめで子どもが壊れる前に」藤川大祐 角川学芸出版 2012年 ①

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◇はじめに
 いじめは身近にある
2012.7 前年2011.10 大津中学生自殺事件メディアで
単独の「いじめ」は1970年代頃から
文科省
    「当該児童生徒が一定の人間関係のある者から、心理的・物理
     的な攻撃を受けたことにより精神的な苦痛を感じているもの」

 「あった」「なかった」とは言えない
単純には言えない 微妙なもの 
    - ある状態がいじめと感じられる人もいれば感じられない人
     もいる

  いじめはどこにもある
  不快感 嫌悪感 嫉妬 憎しみ 恨み 
     → 感情の共有
      → ありうること
 いじめのあるないを確定することは容易ではない
      - 待っていると手遅れ

 できることはたくさんある
  いじめをなくすことはできなくても、子どもを壊してしまうよ
   うな深刻ないじめ被害を激減させることはできるはず


◇現代のいじめ状況
  度を越した悲惨な実態
  2011.10 大津市中学生自殺
近年のいじめは度を越している いじめと言うより犯罪
犯罪
        … 傷害罪 暴行罪 脅迫罪 強制わいせつ罪 
          名誉毀損罪

  子どもは残虐になりうる
  エスカレートしうる 
     ~ 集団心理
   加害集団の中では被害者に対する攻撃を進めることで集
      団のまとまりが維持される
       ~ エスカレートする可能性

  犯罪には犯罪としての対応を
  1963~「学校警察連絡協議会」(学警連)
現在全国に2000以上
  内藤朝雄(社会学者) いじめの研究
暴力系のいじめ  ← 警察
コミュニケーション操作系のいじめ

  教師による荷担
  教師がいじめを助長してしまうことがある

  教師による判断の難しさ
  望ましい行動により肯定を否定
  常に否定的な態度を示す子 ← いじめと結びつく

  いつも教師が否定的に対応している子どもに対しては、他
     の子どもたちも攻撃してよいと考えてしまう
             (=教師がお墨付きを与えることになる)
◎ いじめは教師たちの見ていないところで始まり、やがて教師
    たちの前に兆候が現れます。その兆候に対して教師たちが適切
    に対処することができずに、いじめを容認する態度をとってし
    まうことで、いじめを止めることが難しくなってしまう。

  いじめが隠蔽される背景
  学校は理想を語りたがる
「子どもたちを平等に」「すべての子に可能性」
     「みんな仲良く」
    → 現実的にはいても理想は理想として語られる
  言霊主義のもとであっては「いじめはあってはならな
       い」ので、いじめの可能性を言葉にすることが避けられ
       る

  公表の難しさ
  学校には児童生徒のプライバシーを守る責務があり、事実を解
   明し公表することの間での調整が難しい
  - 本来は隠蔽を避けるように備えられているべき

  件数が乱高下するいじめ統計
  文科省が毎年調査

 件数が変動する背景
  いじめ状況調査 昭和60(1985)年から
  1986.2 中野富士見中学校事件
 1993 山形県マット死事件
 1994  西尾市中学生いじめ自殺事件
  - 連鎖的にいじめ自殺事件
1994 文科省「いじめ対策緊急会議」
調査方法が変わり件数が激増
「発生件数」→「認知件数」
 ◎ 調査上のいじめ件数はいじめに対する社会の関心により大
     きく変動してきた
     -いじめの件数の増減が深刻さを反映しているとは言い難い   

  いじめ件数の読み方
  認知件数内での傾向を見る上で重要な資料となる








☆読書ノート「遠藤周作さんはこんなことを」26- 「信じる勇気が湧いてくる本」遠藤周作 2002年 ⑥(最終)【再掲載 2014.11】

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◇人間の心の底にひそむもの
 ○人間は分からない。人間の心の深さに脱帽すべき。
                    『お茶を飲みながら』   

  ○アラヤ識  
    人間の心の深層 = 無意識
アラヤ = たまっている場所
ヒマラヤ
       - ヒマ(雪)のアラヤ(たまっている場所)


◇こんな私がいた
○三分法
  人生や人間は二分法で割り切れずその中日かもしくは対立し
    ている二つのものと併合している状態

  ○性格
  大事なのは「否定」ではなく「転化」だということだ。その
    転化のやり方やきっかけを見つけるのが,私の生き方だけでな
    く,小説上でも会得した作法なのである。
                         『心の夜想曲』

 
◇自分を信じ切る方法
○仏教
    善悪不二
      善と悪とは別々のものではない
二分法の考え方はやめろ!
            『あなたの中の秘密のあなた』
  ○無意識のα

  ○スランプの時
  「その時は逆らわないことです。次に目が表に出るまで辛抱す
     るのです」

  ○シスター
「従順であれ」
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「きみ ひとを育む教師(ヒト)ならば」岡崎勝 ジャパンマシニスト社 2011年 ③(最終) / 新津の伝説⑥(最終)-「米津浜の砲台」浜松市南区(現中央区)米津町【再掲載 2014.4】 [読書記録 教育]

今回は、1月27日に続いて岡崎勝さんの
「きみ 人を育む教師ならば」の紹介3回目 最終です。



出版社の紹介には


「次の世代に伝えておきたい、学校・教室での基礎基本。学級経営、教
 員の作法から,職場でのトラブル解消法まで。『?』と感じた先生たち
 の言動……、『そういうことか』と、親が読んでも納得の1冊です。」

 
とあります。


学校現場をよく知ってている方の言葉から
多くのことを考えさせてくれる本です。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「学校と家庭で異なった価値観をもちたい」


・「『鶴の恩返し』のような多忙化の理由は次の2つだと考える。1つ
は『子どもと親が多様化(個性化)したこと』。あと1つは『教育
の一般的常識が壊れた』ことにより、対応が複雑化したこと。」


・「公立学校の教員は労働契約を結んでいない。『労働の内容、労働時
間、給与の契約」』を教えてもらわずにいる。まずは、『私の仕事
内容と勤務時間を教えてください』と尋ねることから。」


・「教師だって過ちを犯すし、一人一人を大事にするのは難しい。信頼
は存在するものではない」



もう一つ、再掲載になりますが、新津の伝説集6
「米津浜の砲台」を載せます。
浜松のお台場です。




☆「きみ ひとを育む教師(ヒト)ならば」岡崎勝 ジャパンマシニスト社 2011年 ③(最終) 

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◇親に「問題」を感じたとき
せっぱつまった覚悟
じっくりと別れを味わってもらう
キメ言葉や全能感で語らない


◇保護者からクレーム注意があったとき
「即断」は失敗のもと
「聞く」事が安心につながる
「大人の話」ができない場合も
教師も謝罪になれておこう


◇家庭を学校にしない
「学校の躾」と「家の躾」
どんな子も受け入れるのが公教育
親が先生化すると厳しくなる
学校と家庭で異なった価値観を!


◇先生の暮らし方
教員は精神疾患になりやすい
「鶴の恩返し」のような忙しさ
    多忙化の理由
     -◎「子どもと親が多様化(個性化)したこと」による
◎ 教育の一般的常識が壊れた ← 対応の複雑化
「公立学校」には「労働契約」がない
公立学校の教員は労働契約を結んでいない
    「労働の内容、労働時間、給与の契約」を教えてもらわずに… 
◎「私の仕事内容と勤務時間を教えてください」
  授業と生活指導に追われる日常
  勤務時間が過ぎたら早く帰る 


◇職員室にいたくないとき
学校は「テンネン」が許される
居場所がないときの選択肢は3つ
パワハラとセクハラには支援を
◎法的な対処で問題を「公」に
    苦情申し立て制度、措置要求制度 


◇心身の疲労を感じたとき
「手のかかる子ども」は給料分の疲れ
たいへんですね、の一言から
休んだって地球も学校も回る


◇教員をやめようと思ったとき
定年で辞めるのは半分くらい
依頼退職、不当解雇、退職強要
不本意なら3日は考える
「はてのないすごろく」が続く


◇「教える技術」をどう伝えるか
若い教師に何を教えられるか
学校の外で学び合う
好きな教師のまねをしてみる


◇教師という仕事
教師だって過ちを犯す
「一人一人を大事にするのは難しい」
◎信頼は「存在」するものではない






☆新津の伝説⑥(最終)-「米津浜の砲台」浜松市南区(現中央区)米津町【再掲載 2014.4】

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「最近、アメリカ、イギリスなどの黒船、日本の各地を窺がっている。
 貴藩に於ても、海岸に砲台を作り、黒船近づきなば、直ちに砲撃せよ」


 弘化4年(1847年)5月、当時諸外国から、開国通商を強要され
ながらも、依然として鎖国主義を続けようとする徳川幕府は、浜松城主
井上河内守正直に対しても外国船打払いの命令を通達して来たのであっ
た。


 井上河内守は、

「尤もな次第、早速にも」

と直ぐ、兵法学者として全国的にも知られている、部下の藩士、岡村杢
之進に、

「普請奉行となって、米津浜海岸に早急に三ケ所の砲台を作れ」

と命じた。

「承知いたしました」

 杢之進は即日、配下の武士十数人を連れて、浜松の南の米津村の海岸
に行った。


 そして地形を調査し、海岸に近い砂山の、適当な位置を選定して、地
元の百姓達を労役に使って、砲台の築造にかかった。


 杢之進は兵法学者だけに、当時とすると可成りに理想的な台場を作っ
た。


 この台場は高さ20メートル、周囲80メートルの円丘型で、前面は石
で以って積み上げ、内部の下層は地下室の形をして、石階を以って上部
に出ると、そこに2トンの重さの大砲一門を備えるのだった。


 勿論この土を盛る事は砂丘を利用したのであるが、併し当時としては、
目をみはる程の大砲台と思われるのであった。


「なる程、これなら」


 農民も、又藩の武士達も感心するのだった。

 斯うした同型の砲台を、嘉永元年(1848年)9月までに、東、中、
西の三基を作ったのである。

 そしてこの砲台にはそれぞれ、「お台場役」と言う井上藩の武士22名
宛、併せて66人が昼夜交代で勤務しているのであった。


 そして万一外国船が海岸に近づけば、各砲台一発宛、三発の威嚇発砲
をして、それでも尚近づいて来るときは、砲撃して撃沈してもいい事と
なっていた。


 だからお台場役は、

「近寄ると、あぶないぞ」

と、戦争のつもりで、張り切って居たという。


 だが黒船の外国船は、幾回となく沖合を航行したが、この米津浜には、
一度も上陸する気配を見せたことはなかった。だから張り切っているだ
けで、一度も砲弾を撃つ事はなかった。


 併しこの大威張りの大砲も、砲弾は丸い石の玉、試みに撃って見ると、
漸く波打ちぎわまでしか届かなかったという。


 太平洋戦争の昭和19年頃、米軍が米津浜に上陸すると言って、竹槍
を持って戦々恐々としていたのと、大部よく似ている。


 今米津浜に残る砲台跡は、中台場が一つのみ、周囲70メートルの小
丘には、緑の松が茂って、小さい記念碑が建っている。


 大砲は姿を見せないが、砲弾は一個だけ、浜松市立新津小学校にあ
る。

 直経約15センチメートル程の、花崗岩を丸くしたものだ。



 尚、大砲は何処から持って来て、最後はどう処分されたか、よく分ら
ない。
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