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「若者はなぜ就職できなくなったのか」 児美川 孝一郎 日本図書センター 2011年 ① /「日本子育て物語-育児の社会史」 上笙一郎 筑摩書房 1991年 ③ 【再掲載 2017.1】 [読書記録 一般]

今日は4月30日、火曜日です。

今回は、児美川孝一郎さんの
「若者はなぜ就職できなくなったのか」の紹介 1回目です。


出版社の案内には、

「『就職内定率』悪化、下落率は過去最大、もはや勝ち組ではない、燃え
尽きる『正社員』、 技術を得る機会を与えられない『非正規労働者』、
『職業的レリバン』」の低い教育を続ける学校現場・・・。『日本的雇用』
『新規学卒就職モデル』の崩壊をきっかけに、就職できない若者があ
ふれるニッポン社会。いま、学校や親には何ができるのか?若者たち
は何を知るべきなのか?ルール無き時代を生き抜くための『リアルな
入門書』が遂に登場。」

とあります。


キャリア教育が小学校にも取り入れられてしばらく経ちます。
十分な時間と予算がなければ効果は期待できず、ただ多忙感が…




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「今日の学校は、将来の『職業人』へと育てていくための準備教育の役
  割を強化し、促成栽培の場所となっている?」


・「1990年代以後、企業の採用方針の変化し、『正規雇用から非正規雇用』
『正規雇用を即戦力として求める』傾向となっている。企業は、従来
より育成のための時間と労力を掛けなくてすむ人材を求め、役所は企
業の意向を汲んで考えるようになっている。『エンプロイアビリティ』
の大合唱の状況にある」


・「一匹の妖怪が学校教育の世界を徘徊している。キャリア教育という妖
  怪が」
- 小学生のうちから将来を見定める必要があるのだろうかとわたしは
思ってしまいます。


・「学校は促成栽培の『職業人養成所』ではない。教育を担うための施設
である」



もう一つ、再掲載になりますが、上笙一郎さんの
「日本子育て物語-育児の社会史」③を載せます。
わたしが多くのことを教わった本です。





☆「若者はなぜ就職できなくなったのか」 児美川 孝一郎 日本図書センター 2011年 ①

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◇学校はいつから「職業人育成所」になったのか
  今日の学校
   → 将来の「職業人」へと育てていくための準備教育の役割強化
促成栽培?

  社会人になるための能力って何だ?
経産省 「社会人基礎力に関する研究会」2006.1

就職できる能力を証明する?
職業基礎能力習得証明書

「エンプロイアビリティ(雇用され得る能力)」の大合唱
1990年代以後の企業の採用方針の変化
1 正規雇用 → 非正規雇用
      2 正規雇用を「即戦力」として求める
→ 従来より育成のための時間と労力を掛けなくてすむ人材
→ 役所は企業の意向を汲んで考える
= 「エンプロイアビリティ」の大合唱

  対応を迫られた大学の行方
    「YESプログラム」厚労省

  大学はキャリア教育花盛り

  そもそも大学は何のためにあるのか?

  「キャリア支援」流行りの弊害

  すべてが正社員の枠に入らない
    「なんちゃって正社員」「周辺的正社員」 

  小中高への影響は?
高卒者の就職難 
      ① 高卒主要行き先の製造業が大幅に求人減
② かつての高校生採用に大学生が採用 
         = 学歴代替

「キャリア教育」という妖怪
「一匹の妖怪が学校教育の世界を徘徊している。キャリア教育と
    いう妖怪が」
2004年はキャリア教育元年
2003年 
    経産省・厚労省・文科省・内閣府の「若者自立挑戦プラン」
→ 文科省 
        ・小中高現場にキャリア教育普及に腐心
・職場体験 - フリーター・ニート対策

  大混乱の学校現場
上からの強引な導入 
      「初めにキャリア教育ありき」
- 経済界における「エンプロイアビリティ」の大合唱の周辺

  大学と学校の変化の行方
◎学校は促成栽培の「職業人養成所」ではない 
     教育を担うための施設








☆「日本子育て物語-育児の社会史」 上笙一郎 筑摩書房 1991年 ③ 【再掲載 2017.1】 

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≪原始時代≫③

◇「埋甕」と「胞衣納め」の語るもの - 縄文人の子産みのエートス
□住居の入り口に埋められた謎の甕
「埋甕」説 
    - 貯蔵穴・水甕・トイレ・墓?
木下忠『埋甕』1981
    ~ 日本の産育民俗 

□家の入り口に胎盤を埋める習俗
昭和8(1933)年
  天皇 = 明仁が生まれた時 昭和天皇多額な寄付
      「子供と母親の保護のために使うように」
 - 恩賜財団母子愛育会 
        柳田国男の指導で日本の産育民俗の調査
昭和51(1975)年ようやく上梓
  恩賜財団母子愛育会編『日本産育習俗資料集成』第一法規
 「胞衣」 = 胎盤(後産)
  ① 近郷の山腹に埋める
   ② 日が暮れてから海岸の砂地に埋める
 ③ 子供を産んだところの縁の下に埋ける
④ 「ヨナオサメ」と称する土焼きの蓋のある器に入れ,家の
     戸口の人の良く踏むところに埋める
埋める理由
   ① 子供が丈夫になると言われた 
        男は敷居の内,女は外
  ② 最初に踏んだものを畏れる
        = 父を畏れる(一生)
   ③ 願掛け
    -  「つながり」= フレイザーの言う類感呪術
「踏みつける」
    =働けば働くほど手足が逞しくなり体が丈夫になっていく

□「血への畏怖」に発した子育てのエートス
「埋甕」の意図 = 生まれた子供を丈夫に育てる
  ① 血に関わる
        血に対する畏れと恐れ
 ② 受胎のプロセスの無知
  → 精確に把握できない分,神秘的・畏敬的
  - 臍帯についても「へその緒」
   ◎ 遠い縄文の世からの民族的な子育てのエートスの発露


◇「豊女(とよめ)」と「屎麻呂(くそまろ)」
   - 弥生文化に見る子供の名前
□事実は小説より奇なり 
 「命名法」奈良時代の戸籍
     3世紀末 中国史書 日本の一少女の名前

□中国の史書に残っていた日本の一少女の名前
3世紀半ば『魏志倭人伝』
   卑弥呼
     ~ 姫の命(みこと) = 女性の天皇の意味
卑弥呼の姪 
    台与(とよ)か壱与(いよ)か?
  トヨに相違ない
奈良時代の戸籍に「トヨ」という名をたくさん見る
  「トヨ」田畑の実りの豊かさを表す
  - 豊穣にちなんだ名前が男女ともに多い

□最愛の我が子に排泄物の名前を
7世紀 
    屎売(くそめ)小屎麻呂(おぐそまろ)全屎(またくそ)
  玉門売(くぼめ)米比留売(めひるめ)由波里売(ゆばりめ)
    麻里売(まりめ)
(由波里=小水 玉門=女性器 米比留=目くそ 麻里=大小便)
  - 人間の名前というものに対する原始の人の心性
≪実名敬遠の習俗≫  
    名実一如の心情
 - 悪しき神や聖霊が人間の名を知りその名に悪意の働きかけ
      をしたら,その名の持ち主はどのような不幸な目に遭うか分
      からない
    - 神や聖霊の嫌うものを名前に!
    = 親心の表れ

□名前は移り変わる世の中を示す
江戸時代
    男子 <兵衛・平・衛門・作・助>杢兵衛・田子作式
= 奈良・平安時代の官職が落ちぶれた
  女子 動植物名をひらがなで書いた二文字名前
まつ・たけ式
  近代   
    抽象的思考を表す文字
<英・正・美・雅>
工業生産に基づく社会
     = 個人主義
現代
    欧米風の名の万葉仮名書きの氾濫
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「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」暮しの手帖社 2023年 ① / 酒井臣吾さんはこんなことを【再掲載 2017.4】 [読書記録 一般]

今日は4月29日、月曜日です。


今回は、暮しの手帖社から出されている
「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」
の紹介 1回目です。


出版社の案内には、

「豪華執筆陣で贈る珠玉の随筆集『あなたの暮らしを教えてください』
は、『暮しの手帖』の本誌と別冊に寄せられた『暮らし』がテーマの随
筆作品を選りすぐり、全4冊にまとめたシリーズです。
 第2集は、日々の気付きにまつわるお話を集めています。当時の話題に
触れて感じたこと、近所の猫やお店のこと、仕事や家事を通しての発見
や、趣味や学びのなかで思うことなど、小さな日常をいつくしみたくな
る一冊です。」

とあります。


そのような見方もあるのだと気付かせてくれました。

もう一つ、再掲載になりますが、
「酒井臣吾さんはこんなことを」を載せます。






☆「忘れないでおくこと 随筆集あなたの暮らしを教えてください2」暮しの手帖社 2023年 ①

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◇天国 三木卓

 戦争が終ったときぼくは中国にいたので、いろいろな軍隊に出会った。


 最悪だったのはソ連軍で、強盗団のようなものだった。


 中国国府軍も、ここは自分の土地だから、それほど悪質ではなかったが、よ
いとはまるでいえず、日本軍も、中国の民衆に対して相当わるいことをしてい
た。


 戦争している軍隊がやさしいわけがないけれど引き揚げてくると、日本人の
こどもが、米軍の兵士になついている。


 米兵は体格がよく、お尻もパンパンにはっていて小さなジープに乗って、活
気あふれる動きをしている。


 日本人のこどもがすぐについていって

「チョコレート、ちょうだい」、

と平気でいう。米兵は、ニッコリわらって手をあげて、それに応え「ハーィ」
といって、行ってしまう。

「チョコレートなんて、あるのか」

ぼくが訊くと、

「あるある。前は、いくらでもくれたぞ」

といった。米兵は人気の的だった


 ぼくは一度もその恩恵に浴さなかったけれど、かれらは本当にくれた。あい
つらはこどもが好きなんだよ、という。


 このちがいは何なのか。

 アメリカは豊かで、信じられないほど人がいい。

 米兵はなぜか天使だ。  


 大人になった、それも相当たってのある日、ぼくはようやく気づいた。


 あれは占領時の内密の指令があったからだ。

 こどもから手なずけよ。

 この内情を書いたものには、まだお目にかかっていないけれど、しかし、今
はミエミエだ。

兵士諸君まず、こどもたちにチョコレートやガムをくばって、あかるくふるま
え。


 そして、ぼくらは、みごとにそれにひっかかった。

 米軍はぜいたくで、GIはみんなすごくお人好しだ。

 戦争中に鬼だ強姦魔だと思っていた連中のイメージとは、まったくちがう


 巧妙な懐柔。


 いろいろな局面で今はそれがよくわかるが、あの「チョコレート・ギブミー」
もその一環だった。


 続いて大量に公開されたハリウッドの映画も、その一翼をになっていた。


 水着の女王、エスターウィリアムズ。

 チョイわるでカッコいい、ヒゲのエロールフリン。

 エロールフリン主演の『ロビンフッドの冒険』は、『風と共に去りぬ』とと
もに終戦前のカラー作品である。


 そしてデモクラシー。


 ぼくがアメリカにソ連より好意をもったのは、「チョコをくれるか。もって
いるパンをうばいとられるか」のちがいの記憶のせいだ。


 あのころのスターは、「ハーシーのチョコレート」「リグレーのガム」。

 「ハーシー」は、ドル安の今、ぼくのいる鎌倉でも売られているが、なつ
かしさにロに入れてみると、昔の気持ちがよみがえる。

 しかし、ハーシーってこんなに牛乳くさい香りがしたのか。

 昨今の空輸の欧州チョコに比べると、ずいぶんひなびている。

 しかし、あの時は、これで充分天国に行き、とても帰ってこられなかった。
2012年3月






☆酒井臣吾さんはこんなことを【再掲載 2017.4】

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◇図書館指導
  図書室で(最初の図書室指導で=ハマコウ註)
    ①「目をつぶりなさい」
  ②「今から言う本があるところを指で指し示しなさい」
「文学は?」
       「年鑑は?」 
      「科学関係は?」
       「歴史関係は?」
  ③「テストをします」
  ④「班の代表者はベートーベンの本を探して持ってきなさい」
 ※ 何回か繰り返す
  ⑤「いろいろな種類の本があるね。」
    ⑥「いろいろなところにある本を読もう」
    ⑦「今から5分間図書室にある本を整頓しなさい」


◇みんなが主役
  1 教師主役の授業  
      自分が主役になるべき時には主役に徹しきれる
     - 必ず教師の出番
  2 子供が主役の授業 
      発問の回数を数える 
       → 一回ごとに減らしていく


◇学級経営二つの柱
 ① きっぱりと叱る  
      私情を入れない 
  ② 自分を表現する  
      表現力を付ける


◇授業研究テーマ
□「研究不可能なテーマ」ばかりでばかばかしい
  例「自ら学ぶ子供の育成」
   「生きる力をはぐくむ授業の創造」
 「新しい授業観における指導の在り方」
     → 正対した緒論を導き出すことは可能かという観点で
  テーマと直結した結論を
  ①テーマをうんと具体的に
  「授業のどこで何を記述させるか」
   ②研究の廃止
  成長した事実のみ記録


◇叱り方
□叱り方の下手な教師  二つのタイプ
 ① まったく叱れないタイプ 
     → 教師には不適格
② 叱り方過剰タイプ        
     男性教師 →  怒鳴り散らす
女性教師 →  お説教タイプ
      → 子供はストレスがたまりいじめ  不登校に?

□「叱る」はスパイス      
  「叱る」はコショウで「ほめる」はラーメン。
    → 褒め方が下手だから叱り方が下手になる

□「褒める」とは「口に出す」こと。
  → 具体の発見が大切  
  = 具体を発見しようと目を皿にする

□「叱る」効果が上がるのは,教師と子供の人間関係があってこそ。


◇「良いことは良い」と教える中でこそ
  不正義を知らないで正義を知ることはできない
   = 教師を仕事としている者ならば善悪の判断は単純に割り切り,よ
    りシンプルに、そして力強く子供たちに反映すべし。


◇黒板の思想
   子供を教育するためのもっとも大切な道具である黒板というものを
  大切にしよう。
   → 多様で自由な空間にする工夫を


◇担任の力量
 「できないことをできるようにさせること」
   当たり前のことを当たり前にできる力がどれくらいあるか
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「わたしの校長奮闘記」山内宣治 一茎書房 2000年 ⑥(最終) /「日本人の死はどこへ行ったのか」山折哲雄・島田裕巳 朝日新書 2008年 ①(前半)【再掲載 2017.4】 [読書記録 教育]

今日は4月28日、日曜日です。


今回は、4月25日に続いて、山内宣治さんの
「大わたしの校長奮闘記」の紹介6回目 最終です。



出版社の案内には、


「学校が学校となる。喜博を追い求めた著者が、涙あり笑いありのエピ
 ソードを交えてかきつづった学校づくりの物語。」


とあります。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「もし子どもが悪くなったら、それ は自分の責任であると考えて教師
である自分を人間としてみがき、その上でどんな思いをしてでも輪郭
のはっきりとした子どもを育てなければならない。」


・「ある時期には一つのことを徹底してやり、それで子どもに自信をつけ
させるということはあって良いことである。と同時に、学校の教育は、
教科学習に限らず、あらゆる領域の中で行うべきで、中でも、並んだ
り歩いたりなどの日常行うことで、本当に主体的に行動しているかど
うかにこだわり続ける必要がある。」


・「自分の仕事が独りよがりにならないためには、学校というのは社会に
開かれたものでなければならない。」



もう一つ、再掲載になりますが、山折哲雄さん、島田裕巳さんの
「日本人の死はどこへ行ったのか」①を載せます。




☆「わたしの校長奮闘記」山内宣治 一茎書房 2000年 ⑥(最終)

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◇津久志小学校学校経営方針②

1.教育目標

〈集中力があり、主体的に生きる子どもの育成)

  人の言うことをきちんと聞き取ることができ、常に頭を働かせて自分
 から行動することのできる子どもになれば、その子どもは「集中力があ
 り、主体的に生きている」と考えてよいのではないか。



2.学校経営の方針

 ①教師である自分を人間としてみがく
   たとえ教え方はまずくとも、教師の人間性が子どもを変えるという
  ことはありうることで、そういう意味では、教育は「人」である。
   もし子どもが悪くなったら、それは自分の責任であると考えて教師
  である自分を人間としてみがき、その上でどんな思いをしてでも輪郭
  のはっきりとした子どもを育てなければならない。
   そうして子どもを育てることが、同時に人間としての自分を成長さ
  せることにもなる。

 ②教師としての専門性を培うため、はだかになつて学ぶ
   教師という仕事は職人と同じで、子どもを変える事実を創り出すた
  めには、教師としての専門性を身につけておかなければならない。
   それには、研究者や優れた実践家を自ら求め、そして、どんなもの
  からでも、はだかになって学ばなければならない。

 ③あらゆる領域で子どもを育てる
   教育というのは、何かで自信をつければそれが波及して別の面にも
  効果を及ぼすということがある。
   だから、ある時期には一つのことを徹底してやり、それで子どもに
  自信をつけさせるということはあって良いことである。
   と同時に、学校の教育は、教科学習に限らず、あらゆる領域の中で
  行うべきで、中でも、並んだり歩いたりなどの日常行うことで、本当
  に主体的に行動しているかどうかにこだわり続ける必要がある。
   そんな地道な日常の営みの積み重ねでこそ真に主体的な子どもは
  育つのだと考える。

 ④開かれた学校にする
   私たちは、「教育とは何か」ということを実践を通して哲学的に捉
  えておかなければ教師が最善であると思ってすることが、むしろ子
  どもをだめにしてしまうということがある。
   教育という仕事はそういう怖い側面を持っているということを自戒
  して、常に「教育とは何か」ということを自分の仕事に問いかけ、子
  どもの事実でもって検証していきたいものである。
   要するに、自分の仕事が独りよがりにならないためには、学校とい
   うのは社会に開かれたものでなければならない。



3.重点目標
(1)一人ひとりが力を出しきって学習する集団をつくる。
  ① 人の言うことは、一回で正確に開く。
  ② 常に頭を働かせ、自分の判断で行動する。
  ③ 不思議に思ったり、変だと思うことを問題として追究する。
  ④ 自分の考えは必ずみんなの前に出す。
  ⑤ 合唱や表現・行進など、他の人と対応して、身体で自分を表現す
   る。

(2)継続して取り組むことの大切さを分からせる。
  ① 毎朝の走ろう運動を続け、自信をつけさせる。
  ② 時間を工夫して毎日柔軟運動を行い、あらゆる運動の基礎づくり
   をする。
  ③ 書き込みやノートづくりを工夫して、個人学習を充実させる。
  ④ 掃除や草花づくりなど、努力の成果が目に見えるように工夫する。

(3)小規模校で学ぶことの良さを最大限に利用する。
  ① 美術館を利用した学習など、杖外学習を積極的に取り入れる。
  ② 器械運動など個人指導を要する教材を積極的に利用して自信をつ
   けさせる。

(4)心のふれあいを大切にする。
  ① 世代間交流・ふるさとづくりなど、地域との交流を深める。
  ② 交流学習、集合学習など、他校との交流をして人間関係を広げる。
  ③ 山百合訪問、地域美化活動など、勤労生産奉仕活動をすすめる。

(5)中身のある研修にするよう工夫する。
  ① 事実に即して考えるような授業研究を中心に据える据える。
  ② 校内研修を公開する。
  ③ 教職員の人間性を豊かにするための研修を取り入れる。
  ④ 雑談を大切にする。


  この学校経営方針は少なくとも総花的ではなく、もしかすると広島県
 では少し変わっていると思われるかもしれない。
  しかし、私は、これほど具体的で、校長の顔つきがはっきりとした経
 営方針はないと自分では思っている。
  一言で言えば、教育は「人」である。だから、教師を育てるのが校長
 の仕事ですよと、校長の責任を明確にした内容になっている。しかも、
 今まで津久志小学校でやってきたことを意味づけて広がりを持たせ、こ
 れからの方向をはっきりとさせているつもりである。
  私は、これまで二十数年間、公立学校の教師をしてきたが、自分の勤
 める学校の教育目標を覚えたことは、たったの一回しかない。
  その一回というのは、恥ずかしながら校長の登用試験の問題に出るか
 もしれないからと聞いて覚えたにすぎないもので、子どもの教育の指針
 として覚えていたことは一度もないというのが実情である。
  私がずぼら教師であるからそうなのか、あるいは、学校というのは一
 般的にそういう実態にあるのかそれは分からない。
                             (以下略)








☆「日本人の死はどこへ行ったのか」山折哲雄・島田裕巳 朝日新書 2008年 ①(前半)【再掲載 2017.4】

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◇人はなぜ死ななければならないのか
  五山の送り火で心して御霊をお送りしたい

  時代を超えて働きかける共鳴装置としての自然

  あの世とこの世の対話という問題
    宗教は哲学の中心だった
  
  宗教学と宗教の間をどうつなぐか


◇魂が行くところ 
落日の彼方に浄土あり 
    日本人の浄土信仰・落日信仰

  親鸞の浄土観は海上浄土観

  この世とあの世を半々に見る
    半眼 
     ~ あの世とこの世,過去と現在
  
  海岸ではブッダ一本槍 
    日系人の為に開教師(戦前は浄土真宗一色) 

  夕陽と天国という思想 
    日本人の夕陽信仰

  この世にとどめようとするエゴイズム
   → 位牌より写真が中心に
 昔は静かで穏やかな写真
   → 明るい,最近の写真
  = 本来なら送るべき死者を引き留めようとする生者のエゴイズム 
     往生際の悪さ

  不分明な人生の区切り  
    伊勢神宮遷都
     ~ 20年で神の死と再生
20年間で組織は変わらなければならない

  死がタブー視されている 公務員の新陳代謝
① 文科省は「生きる力」一本槍
        一方で死を受け入れる心の教育の必要性
② 「共生」メッセージ 
        本当は共生共死
     日本の社会は「生きる力」と「共生」
       創価学会 
         2代目会長戸田城聖『生命論』 = 現世中心主義
- (他の日蓮系 霊友会,立正佼成会は先祖供養が核)
  友人葬
  
  死ぬ神 死なぬ神 
    大無量寿教 法華経
創価学会 
     - 先祖供養を大事にしない
     ~ 近代主義?

  死を内面化してきた民族 
    「死ぬ覚悟で」

  土地と神との関係 
    日本人の信仰は本質的には人信仰


◇日本人の死(1)
  殺すなというメッセージ 
    神殺し,仏殺しの時代
本題に触れることをいやがる時代
     ~ 覚悟がない

  個と組織のどちらを選ぶか
日本最古の企業
     = 金剛組(寺社建築) 創業578年 
       千数百年かの歴史
日本の会社
      個人が会社という組織を守りつづれた
         ←→ 企業は属した人の生活保障
西欧
      ① 一神教 
      ② 契約

  組織を裏切るなというモラル
日本は契約社会でなく信頼社会
日本 
     → 個人主義を良質の集団主義の中に抱え込んだ
     = 比較的良識のある管理社会

  組織が存在しないイスラム社会
コーラン(神のメッセージ集)
   バディース(ムハマントの言行録)
    イスラム法 
     - シャリーアが重要

  カメラマンの死

  「ひとり」という言葉 
    大和言葉「ひとり」

  ワーキングプアの中から一人の一遍,一人の空也が…
和して同せず
最近の若者 
     - はっきりした集団は嫌だけど群れてはいたい
  群れ 
     ひとりになりたがらない = 自立できない世代
殺意の蓄積
      平等社会 (他人と比較)
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「目と耳と足を鍛える技術」佐野眞一 ちくまプリマー新書 2008年 ②(後) /「教育一分話」柴山一郎 学陽書房 2000年 ①【再掲載 2017.4】 [読書記録 一般]

今日は4月27日、土曜日です。


今回は、4月24日に続いて佐野眞一さんの
「目と耳と足をきたえる技術」の紹介 2回目(後)です。


出版社の案内には、

「脳みそに汗かいて考えろ!世の中の動きと人びとの生態を一つ余さず凝
 視し、問題意識を身につける技術とは?必読書“百冊”を厳選した最強
 のブックガイド付き。」

とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「日本の高度成長牽引の両輪は
   ①高等教育の普及 と ②メディアの発達」


・「インプットからアウトプットへ」


・「高度経済成長三部作 中内㓛 正力松太郎 宮本常一」


・「『美しく大きく誰にも反論できない』説には眉唾」



わたしは、佐野さんのノンフィクションが好きでよく読みました。


もう一つ、再掲載になりますが、柴山一郎さんの
「教育一分話」①を載せます。






☆「目と耳と足を鍛える技術」佐野眞一 ちくまプリマー新書 2008年 ②(後)

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4 人物を見て社会を聞き時代を歩く
  『巨怪伝』1994 文藝春秋 正力松太郎
警察官僚
       → 読売新聞 

   大正12(1923)年暮れの虎ノ門事件
難波大助が摂政宮を狙撃
警護の責任を取って警視庁辞職

展覧試合 
     昭和34(1954)年6月25日 
     展覧試合のシーンから書き始め

リビドー 
     日本の高度成長牽引の両輪 
       ① 高等教育の普及 
       ② メディアの発達

  「日本人だ」『凡宰伝』2000 文藝春秋

  評伝とタイトル
   『凡宰伝』の小渕恵三と『てっぺん野郎』石原慎太郎
   
  背中を書く 
   『昭和虚人伝』1989 文藝春秋  
     江副浩正や細木数子



5 発想をかえる 
オリジナリティー  
     数字の効果

   ごみを遡行する 
     『日本のゴミ』1993 講談社  
       消費 - 流通 - 生産プロセス遡行
   
   終末からの文明批評  
     前田学・水質係主査  残飯屋 弥勒久 

   新手一生 
     『だれが本を殺すのか』2001 プレジデント社

   業界紙 
     『業界紙諸君』1987 中央公論社  
        こんにゃく新聞 村上貞一氏88歳

   三行広告 
     『紙の中の黙示録-三行広告は語る』1990 文藝春秋



6 インプットからアウトプットへ
図書館の利用

   『枢密院議長の日記』2007 講談社現代新書
倉富勇三郎の日記 297冊 大正81.1~昭和19.12.31
資料等のみにしたい

構成という難関 
    「宮中某重大事件」くにの宮の婚約辞退 
      - 家系に色盲遺伝子

   「ボルト」と「ナット」  
     鳥の目,虫の目
   
   執筆 
    テーマというボール 
    『旅する巨人』人間は伝承の森である 



7 ライフワークの旅
読む力
    『旅する巨人-宮本常一と渋澤敬三』1996 文藝春秋
高度経済成長三部作の最後(中内,正力,宮本)

   宮本常一の写真  
     『渋澤家三代』1998 文藝春秋 

   満州,沖縄



8 わたしの修業時代
幼少期 
     2007年暮れ 座談会 佐野眞一&半藤一利&宮部みゆき  
     下町

   学生時代 早稲田大学文学部 昭和40(1965)年
「美しく大きく誰にも反論できない」説には眉唾



9 歩く見る聞く者の戒めと覚悟
匿名と実名 
    『東電OL殺人事件』 2000年 新潮社

   怒りと爆発 
    『暴走-JR西日本脱線転覆事故』2005






☆「教育一分話」柴山一郎 学陽書房 2000年 ①【再掲載 2017.4】
 
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◇福沢諭吉  
    粗衣粗食,一見看る影もない貧書生でありながら,智力思想の活
   発高尚なることは王侯貴族も眼下にする
    自ら労して自ら食うは人生独立の本源なり
    文明開化,独立自尊


◇最澄
   一隅を照らす是国宝なり
受けて恩を忘れず施して報いを願わず


◇親鸞    
   人間はあやまちを冒さずには生きられない悲しい存在だ


◇鍋島直茂  佐賀藩祖
 人間には上中下の三種類がある
    上 
     = 他人のいい分別(考え)を学んで自分の分別にする人間
    中
     = 他人から意見をされてその意見を自分の判断に変える人間
下 
     = 他人から良いことを言われてもただ笑って聞き流す人間

  「上の人間は,他人のいいところを自分の胸から腹に飲み込んで,も
   う一度吐き出す。中は他人から学んだことを胸まで飲み込んで下に
   落とさない。下はどんなに良いことを聞いても耳に入らない。」


◇ミルトン 
   1608~1674年 イギリス詩人
「心は天国をつくり,また,地獄をつくる」


◇パスカル  
   1623~1662年 フランス・科学者哲学者
人間は考える葦である

  「人間は一本の葦である。自然のうちで最も弱い葦に過ぎない。しか
   し,それは考える葦である。これを押しつぶすのに宇宙全体が武装
   する必要はない。しかし,宇宙が人間を押しつぶす時も,人間は彼
   を殺すものよりも高貴であろう。なぜなら人間は宇宙が自分より勝
   ることを知っているからだ。宇宙はそれを知らない。だからよく考
   えよう。そこに道徳の原理がある。」


◇アダムズ  
   1767~1848年 
   アメリカ第六代大統領 モンロー主義推進者
「汝の祖先を思い,汝の子孫を思え」
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「この国の教育のあり方」山口隆博 アルク 2007年 /「国家を考えてみよう」橋本治 ちくまプリマー新書 2016年 ①【再掲載 2017.10】 [読書記録 教育]

今日は4月26日、金曜日です。

今回は、山口隆博さんの
「この国の教育のあり方」を紹介します。


出版社の案内には、

「月刊『子ども英語』誌上において、ぜひ会って話を聞いてみたいという
 方々に会い、インタビュー記事を連載。そのなかから、とくに『教育』
 というテーマにしぼり、読者からの反響が高かった15人に再登場いた
 だき、出版。」

とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「ナナメの関係」


・「光るものを見つけ出すのが教師の責任」


・「子どもの主体性を奪うことが悲劇を生む  
  周囲の元気が子どもを変えていく」


・「学力とは『自分の意見を言える力』」


・「ほんとうの学力は人間のポテンシャル」




もう一つ、再掲載になりますが、橋本治さんの
「国家を考えてみよう」①を載せます。




☆「この国の教育のあり方」山口隆博 アルク 2007年

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◇陰山英男
立命館小学校副校長
悪い事例に目くじら立てずよい事例に目を向けて挑戦を
改革を進める過程でトラブルはつきもの
大切なのは子どもが元気になること


◇藤原和博
かつての学校はまぶしい存在だった
ひとつの「正解」ではなく「納得解」をさがす力が必要
  ナナメの関係


◇金森俊朗
子どもの学びたいものが無視されている  
    先生はキャッチャー


◇親野智可等
杉山桂一 1958年生  
   「親力」と「楽勉」


◇宮城まり子
「光るものを見つけ出したい」
    - それが教師の責任


◇岡田尊司
1960年香川県生 精神科医 京都医療少年院
子どもの主体性を奪うことが悲劇を生む  
    周囲の元気が子どもを変えていく


◇魚住絹代
元女子少年院法務教官
親の無条件の愛 
    自分の「居場所」と「存在価値」を求め続けて


◇平井雷太
1949年生  すぺーすらくだ
一方的な押しつけでは子どもは決して育たない
なぜどの子どもにも同じ宿題が出されるのか
時間を計ることで子ども自身が自分の先生になれる
自分が学ばない人は教えない方がいい


◇有元秀文
国立教育政策研究所教育課程研究センター
「読解力」
学力とは「自分の意見を言える力」


◇鈴木敏志
未来教育デザイナー  
  競うのではなく「意志ある学び」で能力を高める


◇堀田力
1934年京都府生  
  逆戻りさせてはならない人を育てるゆとり教育


◇北城挌太郎
1944年生 日本IBM  
  イノベーションの担い手を育てる教育


◇寺脇研
1952年生  
  臨教審から国家の目標が変わった


◇村井実
慶応大学名誉教授
「個のための教育」を  
  ほんとうの学力は人間のポテンシャル






☆「国家を考えてみよう」橋本治 ちくまプリマー新書 2016年 ①【再掲載 2017.10】

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◇国家を考えない

□2つの国家
① 国家=国民  
       nation 人 = 国民を中心にして考える
② 国家=領土  
       state  土地=  領土を前提にして考える

□昔の中国の「国」と「国民」の考え方
國 クニ  境界
邑 クニ  人のいる国

□国家は誰のもの?
「国家は支配者のもの」
→ 「国家は国民のもの」(近代国家)

□国はなかなか国民のものにならない
 「国」と「国家」はどうちがう?
 国家
   - 家長のもの(天皇)

□長い間「国家」と無縁だった日本
明治時代から「国家」という言葉が定着
天下と国家

□日本で国家が始まる

□日本に「国家」がやってきた

□日本人である前に町人、百姓だった(階層)

□武士のみ「我々日本人」
  明治維新は一部の限られた日本人(支配階級)のやったものであった 

□王政復古と大政奉還

□明治の「国家」は天皇のものだった 
明治の「国家」
   = 天皇  
  「政府」
   = 国家を支える組織

□天皇がなんでもできる憲法
帝国憲法
   ~ 日本は天皇のもので天皇は何でもできる

□天皇も国民のように騙せられる
  しかし、天皇は何でもできるわけではない
    = 「天皇は何でもできる建前になっている」
       - 最終的に決定する権利を持っているだけ     
  とかく「国家」という言葉を使わなかった人

□福沢諭吉が語る政府
 <元来人民と政府との間柄はもと同一対にてその職分を区別し、政府
   は人民の名分となりなりて法を施し、人民は必ずこの法を守るべし
   と、固く約束したるものなり>
                   - 社会契約説に基づいて
  「政府と人民は約束してなんかいないんだから、政府の言うことにな
   んて従う必要なんかないよ」
     と暗に言っている
  「政府に従わなくていい」という罠
   = 政府への脅し
  ◎福澤は「学問のすすめ」の中で「国家」という言葉を使わなかった
    「政府も天皇のもの」にしてしまった人たち
  福澤 
   大日本帝国憲法が発布される前年『帝室論』
   「天皇はいくら尊敬されてもいいが政治に関係すべきではない」
  政府
   ~ 国家を運営する組織
  ◎ 後に「政府」を構成するような人たちが、まだ若い明治天皇を担
   ぎ出して始まったのが明治維新
  政治の中心は「政府」            
  文句の言いようのないシンボリックな人を担ぎ出したのはOK
  ◎「天皇は何でもできる」という前提を作っておけば「天皇がご了承
   になった」のひとことで明治政府はなんでもすることが可能になっ
   てしまう  
  「国家」や「天皇」から逃げる福沢諭吉
  「国家」に逆らうと国家的な不良になる
      昔のまともな人間は「親に背く不良」になることが怖くてで
     きない
     ~ 国家を批判することは、家長である「お父さん=天皇」の
      悪口を言うことになるのでできなかった
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「わたしの校長奮闘記」山内宣治 一茎書房 2000年 ⑤ /「加藤秀俊著作集3」中央公論社 1981年 ④【再掲載 2017.3】 [読書記録 教育]

今日は4月25日、木曜日です。


今回は、4月22日に続いて、山内宣治さんの
「大わたしの校長奮闘記」の紹介 5回目です。



出版社の案内には、


「学校が学校となる。喜博を追い求めた著者が、涙あり笑いありのエピ
 ソードを交えてかきつづった学校づくりの物語。」


とあります。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「どんな小さなものでも良い.自分の実践で自分の事実を創り出さない
限り、楽しい仕事ができないばかりか、人間としても枯渇してしまう」


・「教師の仕事は、授業や学校行事の中で、子どもを変え、子どもに力を
  つけることである」


・「質の高い授業や学校行事でなければ、清潔で顔つきのはっきりとし
た、強靭な子どもは育たない」


・「『質』を問題にし、具体的に行うことを『事実に即して考える』『形式
を排除する』『はだかになって学ぶ』と3つにまとめて示した」



 先年度、6年社会科を受け持ちました。12時までの勤務であり、3年、
4年、5年の授業も持っていたので、ノートを見る時間がありません。
 6年社会科は、1時間でこれだけのことを身に付けなければならないの
かと思うほど内容が詰まっています。好きな児童はよいのですが、皆が内
容を理解するのは難しいと感じ、毎時間プリントを活用することにしまし
た(他学年も同様)。
 教材研究に時間をかけ、プリントづくりに励みました。繰り返す内に、
まとめ方が上達し、内容が定着していくことを感じました。自分の知識も
深まりました。
 子どもに力をつけるためにどのような取り組みをするかが大切だと感じ
ました。




もう一つ、再掲載になりますが、
「加藤秀俊著作集3」④を載せます。

- 明治新政府「閥の思想」は郷党閥により創られた閥である
  派閥は内部利益の画策に努める

内部利益のみ…




☆「わたしの校長奮闘記」山内宣治 一茎書房 2000年 ⑤

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<「学校経営について」山内宣治さんの本より>

◇津久志小学校経営方針①

 校長になつたいきさつはどうであろうと、自分が校長なのだから校長と
しての仕事をしなければ、と腹をくくったのはこの時である。


 そうして出したのが次の経営方針である。

 6月29日のことであった。


  津久志小学校に来て

1.私は教育という仕事は創造的なものだと考えてきた。だから、教育と
 いう仕事は楽しいのだと思っている。どんな小さなものでも良い.自分
 の実践で自分の事実を創り出さない限り、楽しい仕事ができないばかり
 か、人間としても枯渇してしまうのだと思う。


2.教師の仕事は、授業や学校行事の中で、子どもを変え、子どもに力を
 つけることである。


3.子どもを変え、子どもにカをつけるためには、あくまでも質の高い授
 業や学校行事を追究し、創造しなければならない。質の高いものでなけ
 れば、清潔で顔つきのはっきりとした、強靭な子どもは育たない。


4.それには、教師には子どもが見え、教材が見えなければならない。

  ① あくまでも事実に即して考えること。

     目の前に子どもができないという事実があったら、それは教師
    のやり方が悪いのだと考えなければならないのだと思う。どんな
    にまずいと思えるやり方であっても、子どもが良くなれば、その
    中には優れた原理原則が含まれていると思うので、自分の目で見
    て、自分に取り入れることができるものをさがすように心がける。


  ② できるだけ形式を排除すること。

     形が人間をつくるということもあるし、自分たちの創り出した  
    ことが形となることだってある。しかし、形式に寄りかかると、
    形式ばかりが目について子どもが見えなくなる。そこで、今ある
    形式が子どもにとって意味のないものであったり、子どもをだめ
    にするものになっていないかどうか、今一度学校の中を見直して
    みてほしい。


  ③ はだかになって学ぶこと。

     教師の仕事は職人の世界と同じで頭では分かったつもりになっ
    ていても、やってみるとできないことがたくさんある。また、人
    のすばらしさというのは、苦労し努力したものでなければ、その
    すばらしさは本当には分からないのだとも思う。生みの苦しみは
    あるけれど、自分の身をもってやった分だけが本物で、自分を創
    るためには大いに恥をかかなければならない。


5.教育というのは総合的な営みである。だから、たとえ技術はなくても、
 教師の持つ人間性が子どもをつくることもある。したがって自分がより
 人間的な人間になるために、良いものを見たり、良い体験をしたり、そ
 してそれを職場に広げる関係をつくりたい。
  要するに、自分の精神を肥やすことを大切にしたい。


6.具体的にやりたいこと。
  ① 雑談を充実させる。
  ② 子どもを鍛え、子どもをつくる仕事。
  (書き込み、問題づくり、長距離走、柔軟運動、合唱、行進)
  
   学校づくりの要素にはいろいろあると思うが、私は単純に「教師づ
  くり」だと考えて、それに徹しようと思った。うちの学校はこんな研
  究をしているのですよ、というようなアドバルーンを上げたり、珍し
  いイベントを組んで学校の特徴を売り込むというようなことで「学校
  づくり」をしたと考えることだけはしたくなかった。私は、津久志小
  学校の先生方が、「教師」である前に、まず「人間」として生きても
  らいたいと願った。教育という仕事を通じて生きる喜びを知り、教師
  である自分に誇りを持ち、前向きに、しかも謙虚に生きてもらいたい
  と願った。そして、「子どもを育てる」というところから目をそらしさ
  えしなければ、技術や方法は必要があれば自然に身につき、おのずか
  ら生まれるものだとも考えた。



 私はここで「質」を問題にし、具体的に行うことを「事実に即して考え
る」「形式を排除する」「はだかになって学ぶ」と3つにまとめて示した
が、それは半月の間、私の目で学校を見て、井口さんと話し合った結論と
言ってもよかった。


 だから、これは、今の先生方にはこれが欠けていますよ、というに等し
いものだけれど、しかし、欠点を欠点としてあげるのではなく、このよう
な形で津久志小でなくてもどこにでも通用する一般的なものとして方向を
示すにとどめておけば、先生方には、実践を積むにつれて自分に欠けてい
たものが見えてくるだろうと言う私の計算であった。


 これを、まず井口さんに見てもらった。


 黙って一字一句を確かめるように読んでいた井口さんは、

 「私は、基本的にはこれで納得。この方針でやって下さい。」

 とうなずいてくれた。


 そして、自分自身に向けたように「山内さんは、大きいのう」と口の中
でつぶやくのを聞いて、尊敬に値する校長として認めてくれたかと思うと、
ほんとうに嬉しかった。
  

 そんなわけで私は、翌日の職務会に、自信を持って、意気揚々とこれを
提示した。


 ところが、先生方の表情はまったく動かず、私のことばがむなしく頭の
上を通り過ぎていくだけであった。


 もちろん質問も出ない。


「こんな良いことが香いてあるのに、分からんのかなあ」と思いながら話
すのでよけいにくどくなり、かなり長い話だったらしい。


 今でもその時の話になると田中悦子さんは、


 「あの時校長先生は、何やら難しい話を、長々とようしゃべっちゃった。」


 (以下略)







☆「加藤秀俊著作集3」中央公論社 1981年 ④【再掲載 2017.3】

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(2)不幸の問題
□資本 = 税金
日本の工業化は,大衆のエネルギーを徹底的に絞り上げ,吸い上げ
  ることによってのみ可能であった
   = 不満  
   → 西南戦争

□支配パターンが受け継がれる
  ① 政府権力の絶対化
  ② アウトサイダー,不遇な人々に対する冷淡さ
    新政府 
       閥の思想 = 郷党閥により創られた閥 
            → 派閥 
閥 → 内部利益の画策

□急速な工業化 = 見事な成果
しかし大きな犠牲もあった
 不幸な人々,閥の思想
   救いは新聞


◇強国日本
(1)軍隊
□軍事力が強くなれば西洋との競争に勝つことができない

□封建時代 
    ① 領主のためのサムライ集団だった
② 実戦経験がない 剣術→剣道に

□明治5年 
  徴兵令 国民皆兵

□日本の工業化は「軍事工業化」
長州の陸軍 VS 薩摩の海軍
ドイツ イギリス
閉鎖性

□統帥権問題 
  政治からの独立・世論からの独立

□軍は統帥権を掲げて自由な行動を取り得た
(日本の軍国主義を育てた協力発育剤=統帥権)

□担げたのは最高権力者として天皇をいだいていたから
統帥権の背景に天皇


(2)国家の成立
□絶対権力で強引に西洋とのスピード競争にかけた
= 明治政府はレーサー
 
□日本国憲法
伊藤博文 
     ハーバード・スペンサーと会った
 スペンサー
    「日本における天皇を西洋のキリスト教の神のかわりとして考え
     たらどうか?」
    = 一神教 信仰を統一原理に
    → 天皇制の確立

□教育勅語
  → 国家観念(国が大きな家=家長)
国が大きな家 = 家長にたとえられた
     = 国も大きな家であり家族は家長に従うものだ 
  国民は天皇に従順 
         忠孝一致「お互い日本人ではないか」

□天皇の神格化
学校教育を通じて 
   ご真影・教育勅語
    = 「聖物」
  ◎  日本の議会はその国家の枠の中での相対的自由をしかもらえな
    かった
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「目と耳と足を鍛える技術」佐野眞一 ちくまプリマー新書 2008年 ①(前) /「忘れられた子どもたち」宮本常一 八坂書房 2015年 ①(前半)【再掲載 2017.3】 [読書記録 一般]

今日は4月24日、水曜日です。


今回は、佐野眞一さんの
「目と耳と足をきたえる技術」の紹介 1回目(前)です。


出版社の案内には、

「脳みそに汗かいて考えろ!世の中の動きと人びとの生態を一つ余さず凝
 視し、問題意識を身につける技術とは?必読書“百冊”を厳選した最強
 のブックガイド付き。」

とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「『山びこ学校』は『…人々それぞれが尊いという確信の上に築かれた教育だ』
                           (鶴見俊介)」


・「取材は狩猟。テーマがいかに大切か(目の付け所)=観察眼」


・「宮本常一『忘れられた日本人』は、小文字だけで書き留められた名も
なき庶民の記録」


・「人物を描くとき,その人物でしか語れないエピソードで語」




もう一つ、再掲載になりますが、宮本常一さんの
「忘れられた子どもたち」①を載せます。





☆「目と耳と足を鍛える技術」佐野眞一 ちくまプリマー新書 2008年 ①(前)

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◇はじめに
ノンフィクション = 頭と足を使ったフィールド競技
  インタビューとフィールドワーク

1 目のつけどころ
『遠い山びこ-無着成恭と教え子たちの40年』文藝春秋 1992
綴り方の傑作
     鶴見俊介「…人々それぞれが尊いという確信の上に築かれた教育だ」

「母の死とその後」江口江一 文部大臣賞
取材は狩猟 
       テーマがいかに大切か(目の付け所)
        = 観察眼

  日本のバラエティ番組のMCは「棒持つ人々」が多い
    ~ 上から被せる司会

  ノンフィクション3つのプロセス
    ① 取材 
    ② 構成 
    ③ 執筆

  引きの強さ 
    43人の山びこ学校卒業生名簿作り
     ~ 1年間かけて
偶然

  庶民の戦後史 
   痛感「世の中には下積みの生活を強いられた人々がいかに多いか」
~ 高度経済成長とは無縁な陽の当たらない人生

  無着成恭
    ① いつも力を合わせていこう
 ② かげでこそこそしないでいこう
③ 働くことがいちばん好きになろう


2 足に刻みつける
大文字と小文字
  一番感動した本
      宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫
◎ 小文字だけで書き留められた名もなき庶民の記録

  語って説かず 
    小文字
     - 活字だけで世界がくっきり浮かび上がる言葉のこと
◎ 「語って説かず」がノンフィクションの要諦

  説得力と破壊力 
    トルコ風呂一号店 田守世四郎氏

  中内ダイエー 
    大文字「団塊の世代」 
    価格設定権を消費者に!

  未知の情報 
    『カリスマ-中内功とダイエーの戦後』1998 日経BP社
 大宅壮一文庫
   
  体験取材の強み 
    ルポは頭でなく足に記憶を刻みつける行為
     - 忘れにくい
   
  店内巡回の衝撃
    軍隊並みのダイエー 
     = スパルタ教育


3 耳を研ぎ澄ます 
肉声を再現する 
    見る取材
      - ルポルタージュ 
    聞く取材
      - インタビュー

  中内功
    ◎ 「戦争で一番恐ろしいのは隣の日本兵なんだ」

  精神の傷痍軍人 
    フィリピン捕虜収容所
スズキ,サトウ,タナカ…名前の多い順に吊るし首

  豆腐の値段   
   人物を描くとき,その人物でしか語れないエピソードで語れ

  歴史意識    
    2004.10.13 中内ダイエー 産業再生機構入り 第二の敗戦

  国家と人質

  壮絶な末路 
    2005.9.19 83年の生涯を閉じた哀れな末路

  目と足と耳でとらえた北京オリンピック
胡錦涛への歓声が小さい
     - アメリカ・ブッシュより低調拍手







☆「忘れられた子どもたち」宮本常一 八坂書房 2015年 ①(前半)【再掲載 2017.3】

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◇母親の心
□村のことわざ
「コヤライ貧乏」
  「金はコヤライの間でなければたまるものではない」

□常一の母 - 6人身ごもり3人育つ
  米の部分を一椀ずつ跡取りのもののため(麦がほとんど)
    生卵 センブリ
素直に子供たちを他郷に出してからの嫁達の子への思いやり
- 氏神様に早朝お参り
   「どうぞマメであるように。もし病気にでもなるようなことが
      あったら、どうぞこのわたしと代わらせていただきたい。例
      えどのような苦しみを受けましょうともよろしゅうございま
      す。」
  - すべての嫁達の言葉

□祖母 
  朝宮参りはしない人
~ しかし、ずっと宵参りをしていたことを後から知った
  陰膳を供えた

□昭和14年11月    
  出雲の海岸
  2日泊めていただく
     「わたしは神仏を拝むのも人に功徳を施すのも一つだと思いま
      した」

□千本幟 ~ 「潮をかく」
お百度 
   - 日曜を一日中これで潰してしまうようなことが多かった
        (「家郷の訓」三国書房 昭和18年)



◇子に生きる  
□丹生村(滋賀県長浜市)
  田戸地区  
    水害 明治28・29年 

□子どもを育てた話
 60になれば、隠居を別にもちそこに住まい本家から食糧を仰いで
  生活する (「村里を行く」三国書房 昭和18年)



◇母の悲願
□子育て幽霊  
  伊予・学信(浄土宗の僧)
  伝・亡母の腹中より生まれた 
     - 全国に分布
飴屋 子育て飴

□人買船  
  人の売買のために子どもの誘拐
    厨子王安寿姉弟

□生き肝をとる 
  「今昔物語」子どもの生き肝を取るため人をさらう噂(西日本)

□子を売る  
  飛島  子どもをもらう
       - 南京袋に入れて = 「南京小僧」
  漁業には多くの労力を必要とした
  焼津
    青年を山村から
ルイ・パストゥールの話(別れ住む苦しみ)

□堕胎間引き 
  高橋梵仙「日本人口史の研究」 
東国の風俗?  
    床の下に埋けて石を置いた

□捨て子の風 

□育つは喜び 
  明治時代までは半ばが早く世を去っている
     親たちが誰への遠慮もしないで産んで、子を思うままに育てる
    ことができた日が一番幸福であり希望に満ちたもの
           (『愛情は子どもと共に』馬場書店 昭和23年)

□[付資料]「子孫繁昌手引き書」 



◇間引きと堕胎
□子を産むは罪?

□悪魔のすすめ 
  間引き堕胎の風習はキリシタン宣教師に強い影響

□ある改宗者の懺悔
非道であると思っても無関心を装っていなければならぬ事情がある
   ~ 農業生産力の低さと農村の貧しさが原因 

□まぼろしの子ども 
  大阪のある町の墓  幻子 幻女
   『日本残酷物語Ⅰ 貧しさ人びとのむれ』平凡社 昭和34年



◇子どもを守る
□エズメ

□子守  
  伊豆の新島
   ~ 制度

□里親・里子

□育児の真心

□ホウソウ神 - 子どもの病気
ホウソウが子どもの命を奪った
   ~ 昭和10年ごろまで各地にホウソウ神送り行事
  「疳の虫」
   ~東日本 
    孫太郎虫
      - 幟  「陸奥名産孫太郎」行商人 

□地蔵さま 
  墓
    - 童女・童子 
    ~ 元服していない15歳以下
『石の小仏たち』森田拾史郎 芳賀書店 昭和49年

□子どもの保護 
種痘
   - シーボルト 高松東岡 最上徳内 緒方洪庵
  『日本の子どもたち』岩崎書店 昭和32年
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「小さな人生論」藤尾秀昭 致知出版社 2005年 ⑤(最終) / 21世紀に伝えたいこと(出典不明)①【再掲載 2017.6】 [読書記録 一般]

今日は4月23日、火曜日です。


今回は、4月19日に続いて、藤尾秀昭さんの
「小さな人生論 2」の紹介5回目 最終です。

出版社の案内には、

「『致知』創刊25周年の刊行以来、好評のうちに増刷を重ねて
 いる『小さな人生論』。本書は川島廣守氏(日本プロ野球組織
 コミッショナー)からヤンキースの松井秀喜選手に贈られた
 書としても話題を呼んだ作品の続篇だ。
 『自分を高める』『人生に残すもの』『何のために生きるのか』
 『命を伝承する』『人生の法則』『先哲の英知をくむ』の各章
 テーマのもと、著者の折々の思いが記している。
 『人は皆、一個の天真を宿してこの世に生まれてくる、という。
  その1個の天真を深く掘り下げ、高め、仕上げていくことこ
  そ、各人が果たすべき人生のテーマといえる……』
 人生と向き合うための座右の書として、活用いただきたい一冊。」

とあります。



もう一つ、再掲載になりますが、
「21世紀に伝えたいこと」①を載せます。




☆「小さな人生論」藤尾秀昭 致知出版社 2005年 ⑤(最終)

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◇生きる

 一人の人問が生まれるためには二人の両親がいる。その両親が生まれ
るためには、それぞれに両親がいる。


2代で4人、3代で8人、4代で16人である。

 このように命の起源をさかのぼっていくと、

  20代で1048576人、
  25代で33554432人、
  30代で1073741824人

という人数になる。50代、60代とさかのげれば、天文学的数字となる。


 その祖先のうち、もし1人でも欠けていたら、私たちの命はない。

 命の炎が1回も途切れることなく連綿と続いてきたからこそ、私たち
はいま、この世に生きている。先祖からの命の炎を託されて、私たちは
この世を生きている。


 この事実を受け止める時、粛然とした気侍ちにならざるを得ない。


 生きるとは単に生き永らえることではない。


 先祖から預かった命の炎を精一杯燃やしていくことである。




◇感動・笑・夢

 児童文学作家の故・椋鵠十さんが、こういう話をしておられる。


 椋さんの故郷は信州の伊那谷の小さな村。


 30年ぶりに帰省すると、小学校の同窓会が聞かれた。


 禿げ上がったり皺がよったり、初めは誰が誰やら分からなかったが、
次第に幼い頃の面影が蘇ってきた。


 だが一人だけ、どうしても思い出せない。


 背が低く色が揚く、威風がある。


 隣席の人に聞くと、

「あんな有名だったやつを忘れたのか。ほら、しらくもだよ」。

 椋さんは、えっ となった。


 しらくもは頭に白い粉の斑点が出る皮膚病である。


 それを頭にふき出して嫌われ、勉強はビリでバカにされ、いつも校庭
の隅のアオギリの木にポツンともたれていた。


 ゆったりした風格をにじませてみんなと談笑している男が、あのしら
くもとは…。


 聞けば、伊部谷一、二の農業指導者としてみんなから信頼されている
という。


 二次会で椋さんは率直に、

「あのしらくもがこんな人物になるとは思わなかった。何かあったのか」

と聞いた。彼は「誰もがそう言う」と明るく笑い、「あった」と答えた。


 惨めで辛かった少年時代。


 彼はわが子にはこんな思いはさせまい、望むなら田畑を売っても上の
学校にやろうと考えた。


 だが、子どもの成績はパッとせず、勉強するふうもない。


 ところが、高校2年の夏休みに分厚い本を三冊借りてきた。


 その気になってくれたかと彼は喜んだ。


 が、一向に読むようがなく、表紙には埃が積もった。


 彼は考えた。


 子どもに水を読めというなら、まず自分が読まなければ、と。


 農作業に追われ、本など開いたこともない。


 最初は投げ出したくなった。


 それでも読み続けた。


 引き込まれた。


 感動かこみ上げた。

 その感動に突き動かされ、三回も読んだ。


 その本はロマン・ローランの・ジャン・クリストフ=聴覚を失ってな
お音楽を求め苦悩したベートーヴェンがモデルといわれる名作である。


 主入公ジャンの乙悩と運命が、彼にはわがことのように思われたのだ。

 
 だが、ジャンは自分とは違っていた。


 ジャンはどんな苦しみに落ち込もうが、必ず這い上がってくる。


 絶望の底に沈んでも、また這い上がってくる。


 火のように生きている。


 自分もこのように生きたいと思った。


 そのためには何か燃える元を持だなければ。


 自分は農民だ。農業に燃えなくてどうしよう-。


 彼は農業の専門書を読みあさり、農業専門委員を訪ねて質問を浴びせ、
猛烈に勉強を始めた。


 斬新な農業のやり方を試みて成功させ、そして、しらくもはみんなか
ら頼りにされる農業指導者と化した。


 この話をされた椋嶋十さんは、終わりに力強くこう言っている。

「感動というやつは、人間を変えちまう。そして奥底に沈んでおる力を
 ぎゅうっと持ち上げてきてくれる」

 人間の目は前に向かってついている。


 前向きに生きるのが人間であることを表象しているかのようである。


 感動は人を変える。


 笑いは人を潤す。


 夢は人を豊かにする。


 そして、感動し、笑い、夢を抱くことができるのは、人問だけである。


 天から授かったこのかけがえのない資質を育み、さらに磨いていくと
ころに、前向きの人生は拓けるのではないだろうか。






☆21世紀に伝えたいこと(出典不明)①【再掲載 2017.6】

◇司馬遼太郎
□21世紀に生きる君たちへ
君たちだけが持っているもの
   = 未来
昔も今も未来も変わらないこと
   = 自然「不変のもの」
  ◎ 人間は自然によって生かされてきた
◎ 古代でも中世でも自然こそ神々
  20世紀自然への怖れが薄くなった
◎ 自分に厳しく相手には優しく
  ◎ 素直で賢い自己 
     → 自己の確立
    しかし,自己中心ではいけない
          ~ 人間は助け合って生きる
  ◎ 助け合う
     = 道徳
     ・いたわり
     ・他人の痛みを感じ取ること
       ・優しさ
  ※ 本能ではない 
     = 訓練して身につけること


□「たのもしさ」
   「私は先に自己を確立せよ,と言った。自分に厳しく,相手に
    は優しく,とも言った。いたわりという言葉も使った。それ
    らを訓練せよとも言った。それらを訓練することで自己が確
    立されていくのである。そして『頼もしい君たち』になって
    いくのである。」



◇木村尚三郎
◇「日本文化とコミュニケーション」
文化
   ~ 土地毎に「暮らしと命」の心地よさ,美しさの知恵とか形が
    ある
  文明
   ~ 全世界に共通する生き方


□21世紀 「移動」生活文化・心地よさ・美しさを求めて
文化・芸術の時代 
  動・コミュニケーションの時代



◇金子郁容(慶大教授)
□ボランタリー・コモンズ
  「ボランタリーな行動」
    自分から進んで関係を求める時に発生するある種の弱さを持っ
   た自発性
- 利己的か他利的か

□フラジャイルな集合体の持つ可能性 
  当事者の関係変化

□バーチャル・コミュニティ 
  インターネットはボランタリーな関係

□ボランタリー・コモンズというまとまり
自発する公共圏 
   = 情報を共用する場
  関係変化の場
   成果を生み出す場
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「わたしの校長奮闘記」山内宣治 一茎書房 2000年 ④ /「文系学部廃止の衝撃」吉見俊哉 集英社新書 2016年 ②【再掲載 2017.2】 [読書記録 教育]

今日は4月22日、月曜日です。

今回は、4月15日に続いて、山内宣治さんの
「大わたしの校長奮闘記」の紹介 4回目です。



出版社の案内には、


「学校が学校となる。喜博を追い求めた著者が、涙あり笑いありのエピ
 ソードを交えてかきつづった学校づくりの物語。」


とあります。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「目的を大きく投げ出して,その目的に到達する方法は子供に任せる」


・「践家から盗み取るのは子供に切り返す言葉とユーモア等」


・「研究紀要は、読んでおもしろいものにする。そのためには、顔つきの
  違うはっきりした文章が書けるようになること」



もう一つ、再掲載になりますが、吉見俊哉さんの
「文系学部廃止の衝撃」②を載せます。
-「民間ではありえないことです」
この頃よく聞くことですが、わたしは、
民間に倣うことがすべてよいことなのだろうかと考えてしまいます。




☆「わたしの校長奮闘記」山内宣治 一茎書房 2000年 ④

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◇校長の仕事
□単元学習
  校長の仕事
   =「子供の事実に即して教育内容を創造すること」
大田小の単元学習

□ささやかな仕事
立つ
     立たせる時,掌を上に向け無言でゆっくり上げる
 → 集中力を意識して指示
歩き方
     技術よりも「人間らしさ」
夢・希望 
      = 前向きに生きている
        目的を大きく投げ出して,その目的に到達する方法は子
       供に任せる
 ◎ 一人一人違うから,教師はそれを見なければならない
そのために…
実践家から盗み取る 
        ① 子供に切り返す言葉
② ユーモア 等

□研究紀要
読んでおもしろいものにする
 顔つきの違うはっきりした文章が書けるようになる

□校長は人脈も実力のうち

□校長会の研修

 
◇満月のもとで
苦しい日々







☆「文系学部廃止の衝撃」吉見俊哉 集英社新書 2016年 ②【再掲載 2017.2】

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4 法人化後ますます拡大する文理の格差
□国立大学法人化という決定打
  2006年 
   ◎「国立大に民間発想の経営手法を導入すること」
   ◎「大学に第三者評価による競争原理を導入する」

□文系の弱体化が加速する仕組み
毎年1%前後交付金減
   ~ 法人化以前より10%以上縮小
競争原理は理系に有利
 ① 成果は理系の方が見せやすく、短期間に結果を出しやすい
② 理系の予算は文系より大規模
③ 理系はチームワーク ←→ 文系は個人

□教育力と研究力の劣化が同時進行
問題点
 ① 法人化以降常勤教員の人件費は減少し、非常勤職員の人件費が
    急増
  不安定な教員ポストの数が急増
   ② 人文科学分野の教員数 1998~2007
       私立大 7.8%増加
       国立大 11.4%減少
        ▲ 国立大文系の教育力が弱体化             
   ③ 研究者の「企業家化」
      ▲ 資金獲得のための書類作成やプレゼントに膨大な時間と
       手間がかかる。本来すべき研究には手が回らない 
      ▲「研究時間や学術論文」の数は減少。基礎研究への影響、
       大学間格差が拡大                         


5「ミッションの再定義」の中で文系の未来は?                  
□繰り返し求められる「組織の見直し」と「機能別分化」

□文系改革の方向性が見えない                          

□「イノベーション」の流れから取り残される文系                 

□文系学部廃止騒動から分かったこと
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キーワード 読書について67-「はじめて学ぶ日本児童文学史」鳥越信 ミネルヴァ書房 2001年(1) /「斎藤茂太の心がラクになる事典」斎藤茂太 PHP 2000年【再掲載 2017.1】 [読書記録 教育]

今日は4月21日、日曜日です。


今回は4月11日に続いて、
「キーワード 読書について」67回目、鳥越信さんの
「はじめて学ぶ日本児童文学史」の紹介 1回目です。



出版社の案内には、


「明治維新から昭和期にかけての日本児童文学の歩みを最も初期の時代
(草創期)を起点に、科学読み物・知識読み物の歴史およびキリスト教
児童文学の歴史、外国作品の歴史と幅広い視点から考察する。
【ここがポイント!!】  
◎ 日本における児童文学研究の最新成果をとりこむ  
◎ 好戦的・侵略的児童文学の解明を試みる  
◎ 1868年から約120年間を6部に分ける」

とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「1868~1890に児童書70点刊行。次の4種に分類。①キリスト教伝道 
②科学・知識読み物 ③ 翻訳・翻書物 ④ 赤本・草双紙系」



・「明治6(1873)年2月に全国で学校制度始まる。休みは1・6の付く日」
「明治9(1976)年4月より日曜日が休日に」



もう一つ、再掲載になりますが、齋藤茂太さんの
「齋藤茂太の心がラクなになる事典」を載せます。




☆キーワード 読書について67-「はじめて学ぶ日本児童文学史」鳥越信 ミネルヴァ書房 2001年(1)

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◇序章
起点 
    漣山人 「こがね丸」1891 菅忠道
ハックレー・山形俤三郎「理科仙郷」1886 木村小舟
三輪広忠「少年之玉」1890 鳥越信

現在 
    福沢諭吉 「訓蒙 窮理図解」1868
  明治・近代的内容
子供向け 物理学入門



<近代日本児童文学の夜明け>

◇時代思潮 
1868~1890 児童書70点
① キリスト教伝道 
         ② 科学・知識読み物 
         ③ 翻訳・翻書物
④ 赤本・草双紙系


◇キリスト教と児童文学
明治政府 キリシタン3700名を流刑
→ 1873年 釈放
日曜学校 
    「さいわいのおとずれ」太陽暦と日曜学校
1872.11.9「12月3日をもって明治6年1月1日とする」

明治6年2月 全国2月学校制度 休みは1・6の付く日
1876(明治9)年4月より 日曜日が休日に
1880年代 
    「七一雑報」「女学雑誌」
  「西洋 稚児話の友」省己遊人 中外堂 1873年
  「珊瑚の虫」前田泰一 宝文堂 1874年
  「よろこばしきおとづれ」
       1876年12月~1882年2月 ミス・マクシール
  「童蒙道の栞」田村直臣 十字屋 1880年
  「喜の音」1882年3月~1921年8月
    マクニール → 三浦徹
  「世を渡るたつきの風琴」香両女史 1882年
   「女学雑誌」「小供のはなし」1888年2月18日
  「ちゑのあけぼの」普通社
        1886年11月28日~1888年4月13日
     野辺地天馬 沖野岩三郎 有島武郎 山村暮鳥
      1932年 
         上沢謙二中心に基督教童話協会 
           村岡花子,小出正吾
戦後 今西佑行,石森延男,竹崎有斐

集大成 「日本キリスト教児童文学全集」






☆「斎藤茂太の心がラクになる事典」斎藤茂太 PHP 2000年【再掲載 2017.1】 
 
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◇人付き合い
□ヤマアラシ  
  暖をとるときの距離
   → つかず離れず ショーペンハウエル
 会話 
    五分と五分で   ギブアンドテイク

□パーティ   
  会話を楽しむところ  
  初対面の人と知り合う

□聞き手のプロに  
  挨拶+α
  「眼で相づち」+「深く目をつぶる」+「下を向く」+「見つめ返す」

□初対面はチャンス 
  × 「しかし」「ですから」
      - 反論してはならない

□悪口の裏に    
  悪口は劣等感の裏返し

□酒上手      
  「下戸の建てたる蔵はなし」

□酒を飲む自由飲まない自由  
  手ぶらで  
  酒は自分のために

□恋愛は人生の肥やし
  →  愛する喜び、別れる哀しさを教えてくれる


◇仕事
□忙しい人こそチェンジ・オブ・ペース
① 仕事は平日だけ
② 仕事以外にやりたいことを
     = 時間は自らつくり出すもの

□ライバル

□叱り方
  ① 思いやりを持って叱る 
② ストレス解消のため気分で叱らない
  ③ 会社の威光を背にして叱らない
④ 同じ土俵の上に立って叱る
⑤ 目的をはっきりさせて叱る


◇家庭
□子供には最低限の躾を 
  「他人さまに迷惑をかけるな」

□父親の働く姿を見せてやる
  → 家庭にも仕事を堂々と持ち込む

□ストレスゼロでは成長しない
ストレスがあるから生きるための抵抗力が備わる
 = 生き物というものは,適度にストレスに慣らしておいた方が強く
   育ち,少々の困難にも生き抜く力を持つ。

□ストレスを与えるのは父親の役目

□何はなくとも「夫婦仲良く」
家族は小宇宙  
  父親が太陽,母親は太陽の周りを回る惑星

□「仁」の徳目

□長男的性格 
  … 慎重 控えめ 責任感が強い 

□次男的性格
  … 冒険的 おしゃべり 甘ったれ

□ユーモア  
ユーモアとは「~にもかかわらず笑うこと」

□心を癒す場所 = 落ち着ける自分だけの場所を
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樋口清之さんはこんなことを⑤-「日本人はなぜ水に流したがるのか」 MG出版 1988年(1) / 池田潔「自由と規律」 岩波新書 1949年 ①【再掲載 2017.2】 [読書記録 歴史]

今日は4月20日、土曜日です。


今回は、4月17日に続いて「樋口清之さんはこんなことを」5回目、
「日本人はなぜ水に流したがるのか」の紹介 1回目です。


梅干し博士の語り口を思い出します。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「日本人の行動様式は過去にこだわらずあげつらわず責めず忘れ受容し
許す。人間関係を維持する知恵であり寛容な人間性の美点である。
  しかし、国際社会では、無神経、無定見、無責任ととられる」


・「ごみを捨てても川から海へ流れて消えていくことから、自然の浄化作
用に頼ってものを捨てる習慣がついてしまった」


・「八百万の神は自然への感謝とともに自然の力を恐れて力を鎮めるため」




もう一つ、再掲載になりますが、池田潔さんの
「自由と規律」①を載せます。
75年間出版され続けている、わたしが大好きな本です。







☆樋口清之さんはこんなことを⑤-「日本人はなぜ水に流したがるのか」 MG出版 1988年(1)

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◇序   
<水に流す> 
□現実的な知恵
 (他人の過去や失策を許容しこれからのことに行動)
× 責任所在うやむや「なあなあ体質」
日本人の行動様式
   = 過去にこだわらずあげつらわず責めず忘れ受容し許す
人間関係を維持する知恵
寛容な人間性の美点
↓↑
国際社会では 無神経 無定見 無責任
  豊かな水資源
   → 「清浄志向」
「禊ぎ」穢れや罪も洗い流す
稲作の要は水 
   → 水を神に見,水の流れを生活信条,生きる哲学にまで高めた精
    神文化
  ◎ 水に流す日本人の心情,行動様式

 
◇清浄機能 
□川は巨大なごみ捨て場だった
オランダ人デレーケ
   石川県常願寺川に対して「これは川ではない滝だ」
流れの速い川
 ・年間降水量多い
・地形 急傾斜
     = 流れが速く清浄さをすぐ取り戻す
  ごみを捨てても川から海へ流れて消えていく
京都ではかつて死体を鴨川へ = 水葬
◎ 自然の浄化作用に頼ってものを捨てる習慣

□川はありがたや水洗便所
平安時代貴族 
    桶箱に用便し朝、加茂川に捨てた
     → 川の浄化作用
モンスーン 用便が不潔なため
      乾燥地帯では土に還る
便所 書院造り 
    便所 = 雪隠 暗闇 武士に不用心
農村では糞尿が肥料として重要に
   → 外便所くみ出しやすい
◎ 生活の清浄さ

□千差万別する日本の自然
川の氾濫は未だに止められない
- 日本は自然の恵みが豊かであるが自然から受ける脅威も大きい
  四つの形の災害
    火山 津波 日照り 水害
  八百万の神
   =「自然への感謝」 + 「自然の力を恐れて力を鎮めるため」

□災害が日本人を強くした
自然が大暴れするからといってなかなか土地を離れられない
= 土地への執着心(土地には祖先の霊が宿っていると信じた)
     祖霊は土地と家にくっつく
→ 自然の変化に対しては順応
変化に対して素直についていく性質
◎ 諦めの良さと立ち直り身替わりの素早さ

□日本人は二重人格的である
大きな寒暖差
    → じっと耐える我慢強い性格

□「済まない」は流れを濁らせたこと
住む 済む 
   = 澄む
川が澄んでいない
    澄まない
     = 済まない
「私のために流れが悪くなり済みません」
   - 人間関係を滑らかにする呪文
  ◎濁らすのは「異端者・病気・災害」
気心の知れた仲間意識があるから,正面から対立するより,否
    を認めた方が相手も許してくれる
◎「済みません」は一種の防御態勢

 
◇日本の禊ぎ思考
□水の聖水としての役割
禊ぎ
   =「水さそそぎ」「身をそそぐ」
水に物心両面にわたる汚れを洗い流す浄化作業(霊威)がある
    と信じられている
◎四大宗教
    水の聖水としての役割

□禊ぎの始まり 
  イザナギ

□喪に服するも禊ぎである
神社
   - 死穢を忌む風習 
     伊勢神宮は僧侶の参宮を許さなかった
- 死者の葬送 
      禊ぎに塩=海水の象徴(清めの塩)
喪に服す 
   最小単位七日間 初七日
14,21,28,49日
◎必ず水辺で禊ぎ 精進落とし

□禊ぎは悪霊退散のおまじない
 盛り塩 豆まき 流し雛







☆池田潔「自由と規律」 岩波新書 1949年 ①【再掲載 2017.2】

[出版社の案内]
ケンブリッジ,オックスフォードの両大学は,英国型紳士修業と結びつい
て世界的に有名だが,あまり知られていないその前過程のパブリック・ス
クールこそ,イギリス人の性格形成に基本的な重要性をもっている.若き
日をそこに学んだ著者は,自由の精神が厳格な規律の中で見事に育まれて
ゆく教育システムを,体験を通して興味深く描く

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◇パブリックスクールの本質と起源
□イギリス人文史
  = 個人の自由獲得の歴史

□イギリス産業史
  = 自由企業確立を目的とした不断の闘争
  富の原動力は鉄と石炭

□パブリックスクール 
  スパルタ式教育
 精神と肉体の訓練
   → 卒業後 ケンブリッジ,オックスフォード大へ

□イートン校 
  「ウォータールーの戦勝はイートン校の校庭において獲得された」

□イギリスの学校制度
  ①公立 エレメンタリースクール → グラマースクール
②私立 プレップスクール    → パブリックスクール
(寄宿制) (寄宿制)

□高等教育卒業生は政界,学界,教職,僧職,軍,官界上層へ
 実業世界へはまれ

□パブリックスクールの起源
 1387年 ウィンチェスター校                               オックスフォード・ニューカレージのため
1446年 イートン校
ケンブリッジ・キングスカレージのため
 創立当初は予備校
    → 現在は入試必要
 16世紀僧院没落 
    → 施設基金を教育目的に利用
   - 中世パブリックスクール
中世パブリックスクール 
    ラグビー校,イートン校,ハロー校,ストニーハースト校等
  近世パブリックスクール
    ウェリントン校,リース校等



◇パブリックスクールの制度
□1902年 教育法令
  官公立
    エレメンタリースクール(初等)グラマースクール(中等)
庶民学校
    基本知識 + 職業教育
 → 社会に出るか師範学校・専門学校へ
    極めて優秀な者のみ諸大学へ
  実社会 
    プロフェッションを除いては,高等教育必要なし
    - 学校は高度の学問を修める者のための施設観しっかり
かつて商工階級 
    物質主義的人生観
     - 文化教養を蔑視
 教育とは「必要でさえない害毒」
1870年 一大改革
  1876年 義務教育制度
  1899年 教育局
  1902年 教育法令 ランカスター・ベルの尽力
   ↑↓
  私立
    全校寄宿制度  寄付と高額な授業料・寄宿料
    プレパトリースクール(初等)パブリックスクール(中等)
 家庭の躾
    → 家庭教師
  → プレップスクール
      地方・様々な規模 学校の色・寄宿生活
 在学年限規定なし
  試験によりパブリックスクールへ
→パブリックスクール
     14~19世紀私財を以て経営され,全員寄宿制度によって
    指導階級の子弟に中等教育を施す私立のグラマースクール
イングランドに31 スコットランドに4
 修了後 オックスフォード・ケンブリッジ大学
    (大学は古代二大学に限られる=伝統尊重)
陸軍士官学校・海軍士官学校へ
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「小さな人生論」藤尾秀昭 致知出版社 2005年 ④ /「大いに盛り上がる-対談集」 丸谷才一 立風書房 1997年 ②(下)【再掲載 2017.2】 [読書記録 一般]

今日は4月19日、金曜日です。


今回は、4月16日に続いて、藤尾秀昭さんの
「小さな人生論 2」の紹介 4回目です。

出版社の案内には、

「『致知』創刊25周年の刊行以来、好評のうちに増刷を重ねて
 いる『小さな人生論』。本書は川島廣守氏(日本プロ野球組織
 コミッショナー)からヤンキースの松井秀喜選手に贈られた
 書としても話題を呼んだ作品の続篇だ。
 『自分を高める』『人生に残すもの』『何のために生きるのか』
 『命を伝承する』『人生の法則』『先哲の英知をくむ』の各章
 テーマのもと、著者の折々の思いが記している。
 『人は皆、一個の天真を宿してこの世に生まれてくる、という。
  その1個の天真を深く掘り下げ、高め、仕上げていくことこ
  そ、各人が果たすべき人生のテーマといえる……』
 人生と向き合うための座右の書として、活用いただきたい一冊。」

とあります。



もう一つ、再掲載になりますが、丸谷才一さんの
「大いに盛り上がる-対談集」②を載せます。




☆「小さな人生論」藤尾秀昭 致知出版社 2005年 ④

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◇精神爽奮

 以前、ある経営者に、人生でいちばん大切なものは何かと尋ねたこと
がある。


 その人は「それは自分にもわからないが、こういう人は絶対に成功し
ないという条件はある」と答えられ、次の4項目を挙げられた。



 一つは言われたことしかしない人、

 二つは楽をして仕事をしようとする-そういうことが可能だと思って
 いる人、
 
 三つは続かないという性格を直さない人、
 
 そして四つはすぐに不肖腐れる人、である。

 

 省みて、深くうなずけるものがある。


 多くの人生の達人が教える人間学のエキスは、いつ、いかなる状態に
おいても、常に精神を爽やかに奮い立たせることの大切さである。


 精神爽奮
  - そこに人生を開く鍵があるように思われる。



◇天知る、地知る、我知る

 言葉というものはありかたいものだと思う。


 先人の残した言葉というものは、しみじみとありかたいものだと思う。


 一つの言葉が生まれるには、おそらく、何万人、何十万人という人が
同じような重いを味わい、その思いの集積が飽和点に達した時、一滴の
しずくがこぼれ落ちるように、一つの言葉が生まれ落ちてくるのではな
いだろうか。


「天知る、地知る、我知る」という言葉も、そういう言葉の一つである。


 これは単に自分を戒める言葉にはとどまらない。


 いかなる不遇の状況にあっても至誠を貫かんとするものを励ます言葉
である。


 人は知らずとも、天は知っている、地も知っている、自分も知ってい
る。


 そう思って、己の誠を尽くしていく。


 人を相手にするのでなく、天地を相手に相撲を取る。


 道は無窮であることを教える言葉でもある。







☆「大いに盛り上がる-対談集」 丸谷才一 立風書房 1997年 ②(下)【再掲載 2017.2】

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◇なぜ今忠臣蔵か?(井上ひさし 池宮彰一郎)
□池宮「忠臣蔵」の新着眼点
池宮彰一郎『四十七士の刺客』で新田次郎賞

□物語作者に都合の良い「忠臣蔵伝説」
丸谷理論
   = 悠久の昔に日本人の心の中にあった春の神と冬の神との闘い

□資料に頼る危うさ

□刃傷の原因は何か? 

   … マーケットが違う・高級品と大衆品
徳川綱吉という変な人と浅野内匠頭というヘンな人とのぶつかり合い
  … 毎日の緊張

□討ち入りは体制に対する反乱だ
浪人のつらさ
   - 肉体労働でできない
綱吉の代に40名以上の大名がつぶれた
上野介
   - 将軍と天皇に代表される体制側
大石の女好きは日本文学の伝統



◇批評的だから小説が書ける(筒井康隆)
□小説を具体的に読む態度

□批評家ウンベルト・エーコの鋭さ
  「エーコの文学講義」

□朗読は一番いい「自己評価の手段」

□一緒に笑ってくれない真面目主義の国



◇西洋の踊り・日本の踊り(中村勘九郎)
□歌舞伎舞踏の基本 
  女形の踊りが中心
「子守」「越後獅子」から
「一小節の中でなら,辻褄があっておもしろければテンポはどう変え
   てもよい」

□男が女になる 
吉田健一 
= 戦後日本で一番偉い批評家
  日本文学で一番大事なのは天皇が詠んだ 恋歌
 歌舞伎
    = 「踊り」と「音楽」と「芝居」
男が女に化ける芝居
    - 王朝和歌(男が女になり女ごころをうたう)
着付けで体の線を殺す

□六代目菊五郎と「瀕死の白鳥」
お尻の穴から頭のてっぺんが一直線
 日本の踊りは大地を踏みしめる
   西洋の踊りは天に憧れて跳ぶ
西洋の踊りは形を大事にする
 ◎ 「枯れた」「味が出た」はない
  ◎ 跳べなくなったらおしまい
  - 形があって初めて枯れたとか味が出たとかプラスできる

□踊りは歌舞伎の中心
形ができたら心
見得,だんまり,立ち回りも広い意味の踊り
  踊りは最初100%形からはいる
  大人になると意味が分かってきて,同じ形をしていてもそこに
   心が入ってくる



◇四大国語辞典を引き比べる(井上ひさし)
□日本人の付加価値好き 
  付加価値底上げ手法
 大野晋「角川必携国語辞典」
  説明が易しく正確

□二重三重のインデックスを

□もっと語感の記述を

□「ら」抜き言葉を総チェック

□国語辞典の百科事典性 「大辞林」が比較的よい
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