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キーワード 読書について70-「はじめて学ぶ日本児童文学史」鳥越信 ミネルヴァ書房 2001年(4) /「日本民俗学のエッセンス」瀬川清子・植松明石編 ペリカン社 1979年 ①【再掲載 2017.9】 [読書記録 教育]

今日は5月21日、火曜日です。


今回は5月11日に続いて、
「キーワード 読書について」70回目、鳥越信さんの
「はじめて学ぶ日本児童文学史」の紹介 4回目です。



出版社の案内には、


「明治維新から昭和期にかけての日本児童文学の歩みを最も初期の時代
(草創期)を起点に、科学読み物・知識読み物の歴史およびキリスト教
児童文学の歴史、外国作品の歴史と幅広い視点から考察する。
【ここがポイント!!】  
◎ 日本における児童文学研究の最新成果をとりこむ  
◎ 好戦的・侵略的児童文学の解明を試みる  
◎ 1868年から約120年間を6部に分ける」

とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「文明開化・富国強兵、教育に関する勅語により日本の歴史に重点」


・「積文館、博文館、大同館書店、三省堂、大日本雄弁会、講談社、偕
  成社、学習社、偕成社、ポプラ社、講談社、国土社、学習研究社、
さえら書房」
- 児童書で知られていますね。


・「大衆児童文学としての軍事冒険小説 ①侵略的ナショナリズム ②新
科学兵器 ③英雄としての少年少女 -上笙一郎」


・「立川文庫-聞く講談から書き創る講談へ」




もう一つ、再掲載になりますが、瀬川清子さん、植松明石さん編の
「日本民俗学のエッセンス」①を載せます。




☆キーワード 読書について70-「はじめて学ぶ日本児童文学史」鳥越信 ミネルヴァ書房 2001年(4)

1.jpg

◇伝記と歴史読み物
文明開化・富国強兵
教育に関する勅語 
    日本の歴史に重点

  「家庭教育歴史読本」12編
    落合直文・小中対義象 博文館1891.2~1892.10

  「二宮尊徳翁」寺田露伴 博文館 1891.10 少年文学

  「近江聖人」村井弦斎 叢書「少年文学」14編 博文館 1892.10

  「アブラハム・リンコルン」国木田独歩 「少年伝記叢書」第3編
民交社 1896.5
   
  「日本歴史譚」第一編 博文館 1896.12

  「宇治川」巌谷小波 「日本お伽噺」第24編 博文館 1899.1

  「耶蘇」上田敏 「世界歴史譚」第3編 博文館 1899.4

  「中浜万次郎」石井研堂 「少年読本」第23編 博文館 1900.5

  「鬼吉川」大町桂月 

 通史の読み物シリーズ
「少年日本歴史」全6巻 積文館 1909.5~1910.8

「少年日本歴史読本」博文館 1911.2~1916.7

 以後
   大同館書店,三省堂,大日本雄弁会,講談社,偕成社,学習社

 伝記作家 
   池田宣政,森銑三,吉野源三郎

 戦後 
   偕成社,ポプラ社,講談社,国土社,学習研究社,さえら書房



◇押川春浪と立川文庫
1901.11 
   「海島冒険奇譚 海底軍艦」押川春浪(父は東北学院創始者 早大卒)
武侠六部作 春浪の武侠小説

  上笙一郎 
    大衆児童文学としての軍事冒険小説
① 侵略的ナショナリズム 
     ② 新科学兵器
③ 英雄としての少年少女

  冒険小説・科学小説・軍事小説
冒険小説
      「少年倶楽部」大日本雄弁会講談社 1914創刊

戦後
      瀬川昌男「白鳥座61番星」未都書店1960
中尾明 「宇宙島の少年」新光社1984
古田足日「ロボットカミイ」福音館1970
シリーズ
        「なぞの転校生」眉村卓
「時をかける少女」筒井康隆
「夕ばえ作戦」「消えた町」

  立川文庫の出現
1911.4 立川文明堂
         大阪→立川文庫
旧版に3銭を足すと新本と交換
     = 貧少年の支持
タツカワブンコ
講談師・二代目玉田玉秀斎 山田敬と出会う
「大阪赤本」
        → 人気者に 速記者確保
玉田文庫を計画 
       → 「立川文庫」なら
◎ 聞く講談から書き創る講談へ







☆「日本民俗学のエッセンス」瀬川清子・植松明石編 ペリカン社 1979年 ①【再掲載 2017.9】


1.JPG

◇明治以前の民俗研究  植松明石
  
□本居宣長(1730~1801) 
  言(ことば)と事(わざ)と意(こころ)
言が重要であるが事即ち伝承(風俗習慣)も同様に認識された  

□平田篤胤(1776~1843)
  事への関心
   - <国学> 事実主義,経験主義

□朱子学の世界にも 
  貝原益軒(1630~1714) 本草学 
  西川如見(1648~1724) 天文学
伊藤仁斎(1627~1705)    
  荻生そらい(1666~1728)
   - 江戸時代後期の思想上の転換
  
□都邑と巡歴
 <近世> 
   旅が容易になった → 多用な知識人の旅人の目
 橘南渓
     1783~1805 天明年間「西遊記」「東道記」
  古川古松軒
     1720~1807 「西遊雑記」「東遊雑記」
  菅江真澄 
    「真澄遊覧記」44年間 東北-秋田
   1754 三河生 白井英二 国学的素養
    天明3(1783)年30歳 故郷を離れる 旅日記70冊
     民俗誌の先駆的業績
  鈴木牧之 
     1770~1842 「北越雪譜」「秋山紀行」 
     商人 合理主義者 
赤松宗旦
     1806~1862 「利根川図志」
     下総にかなりの知識層
     豪農商
      - 平田門下
  屋代弘賢
     1758~1841 日本全域を集めようとした
   文政13(1816)年頃 年中行事冠婚葬祭等
「秋田風俗問答状」
積極的に民俗収集
  井沢蟠竜子
     1668~1730 「広益俗説辨」
喜多村信節
     1783~1856 「嬉遊笑覧」 
喜多川守貞
     1784~1856 「近世風俗志」

□国学と民俗研究
本居宣長  
  伴信友  
     考証学的側面
  本居春延
     国語学的側面
平田篤胤 
     古道学的側面
     死後の霊魂に興味「仙境異聞」仙道虎吉に聞いた幽冥界
      幽冥界の究明を民間的信仰を素材として行おうとした方法
      - 産霊の神の原理で宇宙の形成を論ずる
     ◎地方農民から平田学が支持される
  国学の門下,影響 地方在住者がかなりの数に
  → 国学が民俗学につながる部分 郷土研究の千脈の一つ
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樋口清之さんはこんなことを⑨-「温故知新と一所懸命」NTT出版 1991年 (1) /「児童生徒に聞かせたいさわやか1分話」柴山一郎 学陽書房 1993年 ③【再掲載 2017.4】 [読書記録 歴史]

今日は5月20日、月曜日です。


今回は、5月8日に続いて「樋口清之さんはこんなことを」9回目、
「温故知新と一所懸命」の紹介 1回目です。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「米ソも『農は国の基なり』」


・「米の発達史はそのまま日本の古代史であり稲作生産の神が優位に。
  コメが有形無形の日本の基本体質」


・「代掻きは田植え作業を容易にし雑草の発生を防ぐ。また、日本の土
  の性質は酸性が強いが、水に浸され中性化」


・「平将門の乱は土地所有の許認可を巡る争いであり、領主の館は政治・
経済・産業のセンターだった。朝廷が将門を鎮守府将軍と決めていれ
  ば乱はなかった。将門がついた餅(主従関係の絆、所領安堵)を頼朝が
  食べた。」





もう一つ、再掲載になりますが、柴山一郎さんの
「児童生徒に聞かせたいさわやか1分話」③を載せます。





☆樋口清之さんはこんなことを⑨-「温故知新と一所懸命」NTT出版 1991年 (1)
 
1.jpg

◇コメ    
  戦前 自信過剰 
→ 戦後 自信喪失過剰

  コメを知らずしてコメを語ることなかれ
日本には労働集約的水田農耕的オリジナリティ
      = コメ
        
  米ソも「農は国の基なり」

  「忠臣蔵」の原因も食べ物

  縄文時代日本人は東半分に住んでいた
一万年前 
      氷河期終わり → 新石器時代
縄文時代 
      東日本
       - 落葉樹
台地にも広がっている
西日本
       - 川海森のそばに限られる
縄文中期 
      食品貯蔵大型土器
縦穴住居       
      生活にゆとり→村の構成
・塩を取る技術
・粉食 - 栄養摂取の革命

  かつて雑穀はコメ以上の栄養源だった
昭和初期まで雑穀を主食とした地域も多い
雑穀
       - 粟 キビ ヒエ ハトムギ 豆
米 
       食塩 → 発酵食

  米 
    赤長米 → 丸く白い → 丸白米
7本枝分かれ 
      - それぞれに270粒
      - 離して田植え

  日本列島の位置こそ日本人の育ての親
水田農耕 
      気候のたまもの 梅雨と8月の太陽

  米の発達史はそのまま日本の古代史
稲作生産の神 優位に
→ ◎ コメが有形無形の基本体質
 


◇一所懸命  
  登呂遺跡 
    各水田数ミリの落差
     = 土木技術のレベル高い → 水管理

  古代の指導層はほとんど農業技術者
和銅6年(713年)「常陸国風土記」開墾説話

  コメの多収穫を可能にした代掻き
2000ミリの水が必要
     - 降雨量は800から900ミリ

  森林に蓄えられた水「米は森林の賜」

  水を知り尽くしていた日本人
代掻き 
      ① 田植え作業を容易にし雑草の発生を防ぐ
② 日本の土の性質 酸性が強い
         → 水に浸され中性化
    水耕法 
      病気が下火に → ハイポニカ農法 

  反当たり収量伸ばした班田収授法
  土地生産性高めることが唯一の収量増 
      一人当たり2反の水田

  墾田永年私財法は農民に対するインセンティブ
上々戸 - 労働力豊富 
    余剰品 - 雑穀 酒 塩 味噌など 

  米
   ~ 貧しい農民に貸し付け
出挙 利息10割
   抵当 水田家屋ぬひ布等 (公出挙は5割)
   ~ 増税
→ 逃散 浮浪人(荘園に逃げた)

  死ぬと土地を国に返す(努力に見合わない)

  金持ちが多かった古代の浮浪人
富豪の輩
     - 浮浪人でありながら富豪
国司は赴任せず都にいて報告受け税収外に莫大な贈り物
国司の土着化も多い

  平将門の乱は土地所有の許認可を巡る争い
私営田の経営者 
      将門が任官していない
       → 自らの力で東国支配を
領主の館は政治・経済・産業のセンター
朝廷が将門を鎮守府将軍と決めていれば乱はなかった
将門がついた餅を頼朝が食べた
主従関係の絆 所領安堵

 







☆「児童生徒に聞かせたいさわやか1分話」柴山一郎 学陽書房 1993年 ③【再掲載 2017.4】

[出版社の案内]
学活、「道徳」、朝会、学年集会、父母会、地域の集会、職場の話材・
例話に最適120話。『教育新聞』の「ちょっといい話」欄に連載した
ものをまとめた。

1.JPG

◇宮沢賢治  
  世界が全体に幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。


◇金子みすず 
  1903~1929
みんなちがってみんないい 
    「わたしと小鳥と鈴と」
 

◇西岡常一  
  1908~1995 宮大工
我執に囚われず慈悲心を持て
 「木も人も自然の分身ですがな。この物言わぬ木とよう話し合って
   命ある建物にかえてやるのが大工の仕事ですわ。木の命と人の命
   の合作が本当の建築でっせ。」


◇田中澄江  
  1908~(出版当時=ハマコウ註)
幸せを与える人は美しい
   「老いは迎え討て」
大嫌い
   ・人の悪口を言う人
   ・告げ口する人
   ・自慢する人
  ・人をけなす人
   ・責任をとらない人
   ・陰口を言う人
  ・大声で笑う人


◇J.F.ケネディ
  諸君が国家に何をしうるか考えよ
 民主主義の理念
   「都市国家アテネのために市民たちがどれだけ尽くせるかという
    点にあり,最も尽くせる人を政治家に選び一般市民も国家に尽
    くす」


◇孔子    
  前551~479 儒教始祖
 「われ十有五にして学に志し,三十にして立ち,四十にして惑わ
    ず,五十にして天命を知り,六十にして耳順う。七十にして心
    の欲するところに従えども矩(のり)をこえず」
  = 自らの修行の経路


◇「戦国策」
  中国古書
百里を行く者は九十里を半ばとす
   「気が緩む もう少しの所を半分と思え」


◇「唐詩選」
  人生意気に感ず


◇西行    
  1118~1190 歌人
 バカゲタという下駄を履き,エンの下の力持ちという餅を食べ,
  カンニン袋という袋を腹に巻いて世を渡ると間違いない
  - みんなのために尽くす,バカゲタコトと思っても人のためにや
   る骨を折って頑張るそんな人でありたい
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