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「橋本治の古事記」橋本治 講談社 2001年 ⑪ /「一人恐怖に強迫される若者たち-彼らは,ケータイを介して常時接続しあい,互いの存在を確認しあっている」 土井隆義 筑波大学大学院人文社会科学研突科教授 『月刊少年育成』 2009.2 ③【再掲載 2016.7】 [読書記録 一般]

今回は、2月10日に続いて橋本治さんの
「橋本治の古事記」の紹介 11回目です。



出版社の紹介には


「読みつがれてきた魅力。あなたのそばに古典を。第一線で活躍する作
 家が手がけた古典現代語訳の決定版シリーズ!日本最古の本『古事記』
 が新しくよみがえる。イザナギ、イザナミの国生み、天の岩屋戸、八
 俣の大蛇因幡の白うさぎ……など、だれもが知っているようで知らな
 い日本神話が、いきいきとした現代語で語られる。」

 
とあります。


今回は
「オオクニヌシの命」
「ヒコホノニニギの命」
「アメノウズメの命とサルタヒコの命」
「ヒコホノニニギの命とユノハナサクヤ姫」
の項の紹介です。



もう一つ、再掲載になりますが、土居隆義さんの
「一人恐怖に追白される若者たち」③を載せます。




☆「橋本治の古事記」橋本治 講談社 2001年 ⑪

1.jpg

21.オオクニヌシの神の国譲り
◎オオクニヌシ 
   「すべて差し上げる。しかし,隠居して住む神殿は立派な物にし
    て頂きたい」~ 高天原に届くほどに
    アマテラス大御神の許しを得て,出雲の地の多芸志の浜辺に
    立派な神殿が造られることになり,その後もオオクニヌシの神
    は大切に祀られることになった
アマテラス・タカムスヒの神と共にアメノオシホミミの命
命令 :しかしアメノオシホの命
         子のアメニシキシクニニキアマリヒコヒコユホノニニギ
アメニシキシクニニキアマリヒコヒコユホノニニギの命
 天にも地にも優しい空高く輝く太陽の子で大地に豊かな稲
     の実りをもたらす神
      アメノオシホの命とタカムスヒの神の子の織物上手女神ヨ
     ロズハタトヨアキヅシ姫との間の子
   アマテラス 
     ヒコホノニニキの命を地上へ
- 「天孫」アマテラス大御神の孫 ヒコホノニニギの命
       が地上に降臨


22.ヒコホノニニギの命の御降臨
◎ヒコホノニニギの命のお供 
     アメノウズメの神(岩戸の前で陽気に踊った神)
道が八方に分かれている天の八またに不思議な光 
     サルタヒコの神(道案内)
ヒコホノニニギの命のお供
アメノコヤネの命(中臣氏先祖)
フトダマの命(忌部氏先祖)
アメノウズメの神(儀式の舞 猿女の君の先祖)
イシコリドメの命(鏡作り職人先祖)
タマノヤの命(玉造職人先祖)

オモイカネの神,アメノダヂカラオの神,
     アメノイワトワケの神

   三種類の宝物 大きな勾玉・大きな鏡・剣


23.アメノウズメの命とサルタヒコの命
◎高千穂峰へと降臨
警護役 
       アメノオシヒの命(大伴氏先祖)とアマツクメの命(久米
       氏先祖)
クブツチの大刀 タカムスヒの神からの天のハジ弓,天の
     マカゴ矢
   サルタヒコの神ほお送りする
帰り先 伊勢 
       アメノウズメの神はサルタヒコの神を伊勢まで送る
アメノウズメの神 
     魚たちに仕えるか尋ねる
→ 返事をしない「なまこ」の口を切り裂いた
功績
      -「猿女の君」志摩から朝廷への海産物が届けられた
ときにはいただける身分
「猿」はサルタヒコの神の「サル」
      -女なのに「猿女の君」


24.ヒコホノニニギの命とユノハナサクヤ姫のご結婚
◎ヒコホノニニギの命
笠沙の岬(鹿児島県川辺郡笠沙町の野間岬)で美しい乙女を見た
→ 名前をたずねる=結婚
   「山の神オオヤマツミの神の娘でこの地に住むコノハナサクヤ姫」
 コノハナ=桜  姉はイワナガ姫
   「結婚したい」
     = 「一晩だけ一緒に寝たい」
一生連れ添う妻にしたいとは思わなかった
   イワナガ姫 ~ 永遠の命
コノハナサクヤ姫 ~ 満開の後散るもの 寿命も短く
     → 今の天皇の寿命も永遠のものではなくなった 
コノハナサクヤ姫
 「生まれるのが無事なら天の神の子,無事でなかったら土地
      の神の子」
       = ウケイ
     産屋を土で塞ぐ 
       燃えている火の中で3柱の子を産んだ
→ ホデリの命  隼人族の一つ「阿多の君」先祖」
ホスキリの命 
ホオリの命  初代神武天皇の祖父
「天津日高日子穂穂手見の命」
ヒコホホテミの命
     ※ ウケイに勝ち,神の子を証明






☆「一人恐怖に強迫される若者たち-彼らは,ケータイを介して常時接続しあい,互いの存在を確認しあっている」 土井隆義 筑波大学大学院人文社会科学研突科教授 『月刊少年育成』 2009.2 ③【再掲載 2016.7】

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3.同質的な仲間で閉じた世界

 多様性の時代には、あらゆる価値項目が等価に並び、従来のような序
列性が失われる。


 知識や能力にも明確な優劣の基準が見出せないから、自己に評価を下
す相手は、超越的な他者ではなく、自分と対等な他者になる。


 仲間集団からは階層性が失われ、若者たちは互いに対等な立場で評価
を下しあおうとする。


 「上から目線」を彼らが極端に嫌悪するのもそのためだろう。


 また、仲間内の評価だけではなく、大人から受ける評価についても、
メンタルには対等な他者からのものと感受されるようになる。


 こうして、たとえば学校においても、教師と生徒は対等だという意識
が広まっていく。


 この地平に、抑圧的な大人という敵はもはや存在しえない。


 若者たちのあいだに共通の敵が想定されていれば、彼らの関心の眼差
しはみな一様にそちらへ向けられるから、自分たちの人間関係のあり方
それ自体がクローズアップされることはさほど多くない。


 しかし、そのような共通の敵を見失った世界では、その抑圧に対する
反動形成として共有された対抗文化もまた衰退していく。


 かくして、若者たちのあいだに共通の関心事は成立しづらくなり、そ
の眼差しが注がれる対象も外部には見出せなくなっていく。


 共有された眼差しの対象として最後に残されるのは、互いの関係性そ
れ自体である。


 ところが、そこで営まれる関係性とは、自らの肯定感を維持していく
ために唯一の基盤となってくれるものである。


 もはや一人で立つことが困難になった自分にとって唯一の支えとなっ
てくれるものである。


 だから、そこでは、できるだけ自己承認を得やすい同質的な他者が求
められがちになってしまう。



 前回も指摘したように、あらかじめ客観的な評価の物差しがそこに存
在するわけではなく、他者がどのような反応を示すかは前もって予想し
づらいから、人間関係にも安全パイが求められ、できるだけ同質の人間
だけと結びつこうとするのである。


 他方、異質な人間とは、適度な距離をもって付き合ったり、あるいは
対決を試みたりするのではなく、そもそも最初から認識対象の圏外へと
押し出してしまおうとする。


 自分の内部に確固たる肯定感の基盤があって自己が安定していれば、
異質な人間とも接触を保ちつづけ、場合によっては対立を表明すること
もできよう。


 しかし、いまはその基盤を自分の内部にもちえず、入閣関係に対して
依存的になっているために、そこに立ち現われる異質な他者は、自己肯
定感の基盤を根底から揺さぶってしまうのである。


 このような事情を鑑みれば、自分にとって異質な人間を認識の圏外へ
と追いやり、同質な相手だけと接続しあおうとする今日の若者たちの心
性は、一般によく言われるようなケータイの普及によって広まった現象
ではない。


 しかし、そのような志向を示す人たちにとって、ケータイを端末とす
るネット環境が、きわめて好都合な世界であることは事実だろう。


 ケータイのおかげで、いまや私たちは、いつどこにいても、自分が繋
がりたい相手だけと即座に繋がりあうことができるようになっているか
らである。


 現在のようなネット環境がととのう以前は、時間と空間を隔てた相手
とコミュニケーションをとるための手段がかなり限られていた。


 理想の相手と繋がりあうためには、自分にとって不都合な人間とのコ
ミュニケーションも途中で経由しなければならなかった。

 たとえば、中学時代の私などは、ガールフレンドの自宅へ電話をかけ
るとき、

「あの怖そうな父親が出たらどうしよう」

と緊張しながらダイヤルを回したものである。


 自分にとって心地よい人間関係を築くためには、同時に不都合な人間
とも否応なく付き合わざるをえなかった。


 しかし、近年は、異質な人びとが時間と空間の制約を超えて、互いに
繋がりあうことを技術的に可能にしたネットという革新的なシステムが、
逆に、同質な人びとが時間と空間の制約を超えて、互いに繋がりあうこ
とを容易にする手段として、実質的には機能するようになっている。


 ネット空間へと聞かれたケータイの小さな窓を覗き込むことで、面倒
で不都合な人間とはいっさい触れ合うことなく、自分にとって心地よい
相手だけと即座に人間関係を築くことができるようになっている。


 たとえば、近年の若者たちのあいだでは、地元つながりによる人間関
係への依存が強まっている。


 高校へ進学したり就職したりして生活圏が拡大し、雑多な人間と付き
合わざるをえなくなった場合でも、中学時代までの人間関係をそのまま
ずっと緊密に保ち、その地元つながりを中心に日常生活を営もうとする
傾向が強まっている。


 時間や場所や相手の都合を気にせずに互いに繋がりあえるケータイ・
メールを駆使することで、それが実際に容易になっているのである。


 では、ケータイという文明の利器を駆使することで、今日の若者たち
は一人恐怖から解放されているのだろうか。


 前回も述べたように、けっしてそうではない。


 同質な人間との常時接続を可能にしてくれるケータイは、一人恐怖を
解消してくれる便利なツールのように見えて、じつはそのように機能し
てはいない。


 ケータイ自体はニュートラルな装置だから、使われ方しだいで、逆に
一人恐怖を煽るツールとしても機能しうる。


 じっさい、秋葉原で事件を起こした青年にとって、ケータイは自己の
疎外感を強めるツールヘと変貌してしまっていた。
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cheese999

建国記念の日に、神武天皇は神話だよね!天皇制について、わいわいがやがやしていました(^^♪
by cheese999 (2024-02-13 06:13) 

ハマコウ

cheese999さん ありがとうございます。
次から次へと生まれる神さま、本書を読んでいるときは大変楽しみ、おもしろく読むことができました。
by ハマコウ (2024-02-13 15:09) 

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