「わたしも昔は子どもでした。」「子どものしあわせ」編集部 かもがわ出版 2019年 ③(最終) /「悲しみの涙は明日を生きる道しるべ」柳田邦男 平凡社 2011年 ①【再々掲載 2012.3】 [読書記録 教育]
今回は、6月27日に続いて、「子どものしあわせ」編集部による
「わたしも、昔は子どもでした。」の紹介3回目 最終です。
出版社の案内には
「世の中の理不尽にたいして「おかしい」と声をあげるおとなたち。
そのエネルギーは、どのように培われてきたのでしょう。昔子ども
だったおとなたちが語る、自分を育ててくれた人たちのエピソード
と、子育てへの応援メッセージ。」
「学問や文化の分野で活躍中の方々が、自分の幼き日を語ります。団
塊世代の方が多いので、同年代の読者層を意識しました。子育てへ
のメッセージは個性的で温かいので、子育て中の方や孫育て中の方
にもぜひ読んでいただきたいです。松本春野さんがおひとりずつに
素敵なイラストを添えてくれました。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「平和な時間を過ごせるのは戦争がないおかげ」
・「居心地の悪さやもやもやしたものが残ることで人は学んでいく」
・「本の教育は個を育てることをしないですよね。企業に就職するのに
有利な人を育てることばかりが優先され、人間としての成長を保証
する教育が無視されています。そうなると、面白い人間は育ちませ
ん。」
・「大人が育てるのではなく子ども自身が育つ」
もう一つ、再々掲載となりますが、柳田邦男さんの
「悲しみの涙は明日を生きる道しるべ」①を載せます。
柳田邦男さんの本を読み、
高学年の子どもたちにも絵本を読むようになりました。
わたしが子どもたちに読むのをたのしみにしている本は、
宮西達也さんの「せいぎのみかた」シリーズの2冊です。
最初にどっと笑って、最後にしんみりする子どもたち。
共に楽しむ雰囲気が好きでした。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「わたしも昔は子どもでした。」「子どものしあわせ」編集部 かもがわ出版 2019年 ③(最終)
◇糸数慶子
1947年 沖縄県読谷村出身
バスガイド
→ 平和ガイド・県議
→ 衆議院議員
平和な時間を過ごせるのは戦争がないおかげ
基地は脅威
◇中野晃一
1970年東京都生 東大文哲卒 英オックスフォード大哲学コース卒
「君にはその権利はない」
フランスの子供が遊びの中で
他者性を前提にした連帯
※ 居心地の悪さやもやもやしたものが残ることで人は学んでいく
◇永井愛
1951年生 1981年大石○○と二兎社 1981年からは単独で主宰
独創性のある子がのびのびできる環境を
大人たちに笑ってもらいたい
一歳時両親が離婚(父は画家の永井潔)
誇りと恥ずかしさと
共産党
※ 日本の教育は個を育てることをしないですよね。企業に就職するの
に有利な人を育てることばかりが優先され、人間としての成長を保証
する教育が無視されています。そうなると、面白い人間は育ちません。
◇さいまきこ
東京都生 漫画家
しつけや教育の場でないところで認めてあげて
無条件に受け入れてくれた祖母
◇金子勝
1952年東京都生 経済学者 2018~慶大名誉教授 立教大院特任教授
親が介入してもうまくいくかどうかは紙一重
成功体験をもつことが大事
◇落合恵子
1945年生 クレヨンハウス
大人が育てるのではなく子ども自身が育つ
◇月刊誌「子どものしあわせ」
☆「悲しみの涙は明日を生きる道しるべ」柳田邦男 平凡社 2011年 ①【再々掲載 2012.3】
<出版社の案内>
絵本は、誰もが大切にしている心の故郷、現実とファンタジーが往還す
る子どもの豊かな感性の世界を生き直させてくれる! 好評エッセイ
「絵本は人生に三度・手帖」シリーズ3部作完結。
◇柳田邦男
1936年 栃木県生 ノンフィクション作家
□キャッチフレーズ
・「大人こそ絵本を」
・「絵本は人生に3度」
・「ケータイより絵本を」
・「絵本は子育てのバイブル」
・写真絵本 「みんな絵本から」講談社
◇失われたいのちへの深い哀しみ
□茨木のり子(詩人)
「貝の子プチキュー」福音館書店 山内ふじえ・絵
□野坂昭如
「ウミガメと少年」講談社 黒田征太郎・絵
□芥川龍之介
「蜘蛛の糸」偕成社 遠山繁年・絵(リトグラフ)
◇つなぐ心、つながるいのち
□「無言館」
・長野県上田市
戦没画学生の無念の思い
作家・窪島誠一郎創設
・1997年完成
絵の前に立つと言葉を失うから無言館
・窪島誠一郎
「約束 無言館への坂をのぼって」アリス館 かせ・りょう絵
□石倉欣二
「海をわたった折り鶴」小峰書店
□ティエリー・デデュー
「ヤワーバとライオン Ⅰ勇気」「同Ⅱ信頼」講談社
◇小熊の旅立ち、ぼくの成長
□緒方正人(水俣市・水俣病患者) 「本願の会」「チッソは自分だった」
「打ち上げられた鯨をなぜ食べてあげないのか」
□寮美千子
「イオマンテ めぐるいのちの贈り物」 パロル舎 小林敏也・絵
大自然への恩恵の深甚な感謝を忘れないアイヌ文化の豊かな精神性
読み聞かせ → 話し合い
□宮澤賢治
「なめとこ山の猫」三起商行 あべ弘士・絵
「生きることの哀しみ」
□あべ弘士
「エゾオオカミ物語」講談社 格調高い絵本
◇空から、火がふってくる夜に
□アンネゲルト・フックスフーバー(独)
「カーリーヒェンのおうちはどこ」一声社
□小林豊
「ぼくと弟はあるきつづける」岩崎書店
□大塚敦子(写真家)
「元気になってねフェンディ」小学館 アメリカ子ども病院
チャイルド・ライフ・スペシャリスト(専門職 - 病院)
◇いのちを守るほんとうの勇気とは
□ティエリー・デデュー(仏)
「ヤクーバとライオン Ⅰ勇気」
ライオンを殺すか殺さないか
□チェン・ジャボン
「ウェン王子とトラ」徳間書店
◇戦争に翻弄されたゾウの物語
□鎌田俊三
「カメラを食べたゾウ もうひとつのかわいそうなゾウの物語」
新日本出版社 大石容子・絵
鎌田さん
― 広島・小学校教諭・障害児教育
クエートの動物園
射殺・餓死
□つちやゆきお
「かわいそうなぞう」金の星社 たけべもといちろう・絵
「わたしも、昔は子どもでした。」の紹介3回目 最終です。
出版社の案内には
「世の中の理不尽にたいして「おかしい」と声をあげるおとなたち。
そのエネルギーは、どのように培われてきたのでしょう。昔子ども
だったおとなたちが語る、自分を育ててくれた人たちのエピソード
と、子育てへの応援メッセージ。」
「学問や文化の分野で活躍中の方々が、自分の幼き日を語ります。団
塊世代の方が多いので、同年代の読者層を意識しました。子育てへ
のメッセージは個性的で温かいので、子育て中の方や孫育て中の方
にもぜひ読んでいただきたいです。松本春野さんがおひとりずつに
素敵なイラストを添えてくれました。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「平和な時間を過ごせるのは戦争がないおかげ」
・「居心地の悪さやもやもやしたものが残ることで人は学んでいく」
・「本の教育は個を育てることをしないですよね。企業に就職するのに
有利な人を育てることばかりが優先され、人間としての成長を保証
する教育が無視されています。そうなると、面白い人間は育ちませ
ん。」
・「大人が育てるのではなく子ども自身が育つ」
もう一つ、再々掲載となりますが、柳田邦男さんの
「悲しみの涙は明日を生きる道しるべ」①を載せます。
柳田邦男さんの本を読み、
高学年の子どもたちにも絵本を読むようになりました。
わたしが子どもたちに読むのをたのしみにしている本は、
宮西達也さんの「せいぎのみかた」シリーズの2冊です。
最初にどっと笑って、最後にしんみりする子どもたち。
共に楽しむ雰囲気が好きでした。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「わたしも昔は子どもでした。」「子どものしあわせ」編集部 かもがわ出版 2019年 ③(最終)
◇糸数慶子
1947年 沖縄県読谷村出身
バスガイド
→ 平和ガイド・県議
→ 衆議院議員
平和な時間を過ごせるのは戦争がないおかげ
基地は脅威
◇中野晃一
1970年東京都生 東大文哲卒 英オックスフォード大哲学コース卒
「君にはその権利はない」
フランスの子供が遊びの中で
他者性を前提にした連帯
※ 居心地の悪さやもやもやしたものが残ることで人は学んでいく
◇永井愛
1951年生 1981年大石○○と二兎社 1981年からは単独で主宰
独創性のある子がのびのびできる環境を
大人たちに笑ってもらいたい
一歳時両親が離婚(父は画家の永井潔)
誇りと恥ずかしさと
共産党
※ 日本の教育は個を育てることをしないですよね。企業に就職するの
に有利な人を育てることばかりが優先され、人間としての成長を保証
する教育が無視されています。そうなると、面白い人間は育ちません。
◇さいまきこ
東京都生 漫画家
しつけや教育の場でないところで認めてあげて
無条件に受け入れてくれた祖母
◇金子勝
1952年東京都生 経済学者 2018~慶大名誉教授 立教大院特任教授
親が介入してもうまくいくかどうかは紙一重
成功体験をもつことが大事
◇落合恵子
1945年生 クレヨンハウス
大人が育てるのではなく子ども自身が育つ
◇月刊誌「子どものしあわせ」
☆「悲しみの涙は明日を生きる道しるべ」柳田邦男 平凡社 2011年 ①【再々掲載 2012.3】
<出版社の案内>
絵本は、誰もが大切にしている心の故郷、現実とファンタジーが往還す
る子どもの豊かな感性の世界を生き直させてくれる! 好評エッセイ
「絵本は人生に三度・手帖」シリーズ3部作完結。
◇柳田邦男
1936年 栃木県生 ノンフィクション作家
□キャッチフレーズ
・「大人こそ絵本を」
・「絵本は人生に3度」
・「ケータイより絵本を」
・「絵本は子育てのバイブル」
・写真絵本 「みんな絵本から」講談社
◇失われたいのちへの深い哀しみ
□茨木のり子(詩人)
「貝の子プチキュー」福音館書店 山内ふじえ・絵
□野坂昭如
「ウミガメと少年」講談社 黒田征太郎・絵
□芥川龍之介
「蜘蛛の糸」偕成社 遠山繁年・絵(リトグラフ)
◇つなぐ心、つながるいのち
□「無言館」
・長野県上田市
戦没画学生の無念の思い
作家・窪島誠一郎創設
・1997年完成
絵の前に立つと言葉を失うから無言館
・窪島誠一郎
「約束 無言館への坂をのぼって」アリス館 かせ・りょう絵
□石倉欣二
「海をわたった折り鶴」小峰書店
□ティエリー・デデュー
「ヤワーバとライオン Ⅰ勇気」「同Ⅱ信頼」講談社
◇小熊の旅立ち、ぼくの成長
□緒方正人(水俣市・水俣病患者) 「本願の会」「チッソは自分だった」
「打ち上げられた鯨をなぜ食べてあげないのか」
□寮美千子
「イオマンテ めぐるいのちの贈り物」 パロル舎 小林敏也・絵
大自然への恩恵の深甚な感謝を忘れないアイヌ文化の豊かな精神性
読み聞かせ → 話し合い
□宮澤賢治
「なめとこ山の猫」三起商行 あべ弘士・絵
「生きることの哀しみ」
□あべ弘士
「エゾオオカミ物語」講談社 格調高い絵本
◇空から、火がふってくる夜に
□アンネゲルト・フックスフーバー(独)
「カーリーヒェンのおうちはどこ」一声社
□小林豊
「ぼくと弟はあるきつづける」岩崎書店
□大塚敦子(写真家)
「元気になってねフェンディ」小学館 アメリカ子ども病院
チャイルド・ライフ・スペシャリスト(専門職 - 病院)
◇いのちを守るほんとうの勇気とは
□ティエリー・デデュー(仏)
「ヤクーバとライオン Ⅰ勇気」
ライオンを殺すか殺さないか
□チェン・ジャボン
「ウェン王子とトラ」徳間書店
◇戦争に翻弄されたゾウの物語
□鎌田俊三
「カメラを食べたゾウ もうひとつのかわいそうなゾウの物語」
新日本出版社 大石容子・絵
鎌田さん
― 広島・小学校教諭・障害児教育
クエートの動物園
射殺・餓死
□つちやゆきお
「かわいそうなぞう」金の星社 たけべもといちろう・絵
「涙と悲しみ」(「五木寛之のラジオ千夜一夜 第9話」『ラジオ深夜便」2019年3月号) /「坂東先生の教育講座」坂東義教 テレビ朝日 1988年 ①【再掲載 2018.3】 [読書記録 一般]
今回は、月刊『ラジオ深夜便』より、五木寛之さんの
「涙と悲しみ」を紹介します。
五木寛之さんは、ラジオ深夜便に随分以前から出ておられます。
月刊『ラジオ深夜便』は文章で放送を振り返ることができるのが好きです。
泣いたり涙を流したりすることも大切ですね。
もう一つ、再掲載となりますが、坂東義教さんの
「坂東先生の教育講座」①を載せます。
「モーニングショー」での坂東さんのトークを覚えている人も
かなり少なくなったのだろうと想像されます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「涙と悲しみ」(「五木寛之のラジオ千夜一夜 第9話」『ラジオ深夜便」2019年3月号)
◇涙と悲しみの効用
浄土真宗の開祖親鸞が亡くなったのは、90歳のときでした。
臨終のときを悟った親鷺は、弟子たちに次の言葉を残したとされています。
「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人
は親鸞なり」(『御臨床の御書』)
仏の教えを広めることに生涯をささげた親鸞は、この世の命が尽きたあとも、
仏の道を歩み続けようとしていました。
自分はこれから極楽浄土へ往き、仏になって帰ってくる。
だから弟子たちよ、一人でいるときは二人だと思いなさい。
二人でいるなら三人だと思いなさい。
うれしいときも、悲しいときも、決して一人ではない。親鸞はいつも皆の
そばにいるから。
そう言って旅立っていったというのです。
◇心と体は誰よりも頼りになる仲間であり、決して自分を裏切らない。
私たちは一人ではない。
親鸞のこのメッセージは、宗教や宗派の違いを超え、信仰の有無とも関係な
く、現代の私たちに通じるものがあります。
ほかならぬ自分自身の心と体が、いつでもどこでも自分とともにいてくれる
最も親しい友であり、誰よりも頼りになる仲間であり、決して自分を裏切るこ
とのない存在だからです。
私が健康に関して発言し始めたのは、かれこれ20年以上前のことでした。
当初から、人間の心と体は一対のものと捉え、『こころとからだ』(1996
年)というタィトルの本も刊行しています。
例えば、「日本人の二人に一人はがんになる」などと言われるほど、長寿社
会を生きる私たちにとって、がんは身近な病気になっています。
発症の要因はさまざまあるものの、ストレスががんを招く大きな要因の一つ
であることは定説になっていると言っていいでしよう。
「病は気から」というわけですが、では、強いストレスにさらされている人が
必ず病気になるかというと、そうでもないところが不思議です。
私自身、小説家としてデビューして半世紀、日々ストレスの連続でした。
きょうが締め切りなのに原稿が上がらない、いっそどこかに身を隠してしま
いたいと思うような場面を数限りなく経験してきました。
そんな私が、86歳の今もこうして原稿と向き合う毎日を過ごしていること
から見ても、ストレスだけが病気のもとではないことは明らかでしょう。
そうなると今度は、ストレスには良いストレスと悪いストレスがあるのだ、
という説が浮上してきます。
大変でもやりがいを感じられる仕事は良いストレス、いやいやながらやら
される仕事は悪いストレス、といったところでしょうか。
果たしてストレスをそんなふうに二つに分けることができるのか、私自身
はちょっと疑問に思ってはいるのですが、そうはいっても、人生も後半に入
るあたりから、当然のことながら、誰しもフィジカルに体力は落ちてくるも
のです。
そこをカバ-していくためには、やはり、心を整えて気持ちに余裕を持た
せることがとても大事になってくると思うのです。
◇ストレスから心を解き放つには、マイナスと呼ばれる感情を否定しないこと。
そこで問題になってくるのが、ストレスからいかに心を自由に解き放つかと
いうことです。
よく言われるように、運動はストレスを解放する有効な手段の一つです。
あるいは、笑ったり、楽しいことを考えるのもよい方法とされています。
中でも、笑いについては医学的な見地からも研究が進んでおり、その効用は
一般にも広く認識されるようになりました。
確かにそのとおりなのだと思います。
しかし私は、あえて問題提起をしたいのです。戦後長い間、笑うことや明る
いことを考えることなど、いわゆるプラス思考の状態だけが価値あるものとさ
れ、それらの対極にある、泣くこと、悲しむこと、悩むことはマイナス思考と
呼ばれ、悪いストレスと決めつけられてきはしなかったかと。
しかし、悲しいできごとを回想することによって、その悲しみが少しずつ薄
らいでいくこともあるのです。
ですから私は、プラスの感情だけではなく、マイナスと呼ばれる感情も大事
にすべきだと考えています。
◇神代の昔から泣くことを大事にした日本人。戦争によって、泣くことが弾圧されていった。
民俗学者の柳田國男は、1941(昭和16)年に「涕泣史談」という文章を発表し
ています。
「涕泣」とは、涙で顔がぐちゃぐちゃになるほど泣きじゃくる状態のことで、
このタイトルはさしずめ、「泣くことに関しての歴史」といったところでしょう
か。
その中で柳田は、日本人が近頃あまり泣かなくなつたとして、「最近五十年
百年の社会生活において、非常に激変した一事項」と指摘しています。
柳田によると、昔の日本人は非常によく泣いていたそうなのです。
しかも、時と場所、状況によって泣き方を使い分けていたらしい。つまり、
日本人は泣くことを大事にした民族であったというのです。
神話や物語の世界にもそれは表れていて、確かに、荒ぶる神須佐之男命
が、天も落ちよ地も裂けよとばかりに豪快に泣いています。
あるいは俊寛僧都はじめ、江戸時代の人気浄瑠璃作家•近松門左衛門が描い
た人間たちも実によく泣きます。
一方、「涕泣史談」が発表されたのは太平洋戦争開戦の年。
日本男児たるもの泣いてはならぬという空気がみなぎっていた時代です。
それは男性に限ったことではなく、当時少年だった私にも、「銃後の母」な
る美談仕立ての話が新聞紙面を飾っていた記憶があります。
戦死した一人息子が白木の箱になって帰ってくる。
それを迎えた老いたる母は、涙一滴こぼさず、「お国のために立派に死んで
くれました」と静かにほほ笑んでいたというのです。
それほどに、あの時代は泣くことが弾圧されていたということでしょう。
戦後になると、占領下でアメリカ的な明るい暮らしやプラス思考が一種の
憧をもって語られ、それがいかに心にも体にもいい影響を与えるラィフスタ
イルかという側面ばかりに光が当てられる時代が、長く続くことになります。
さらに、経済成長という新たな戦争を背景に、「泣いている場合ではない」
という前のめりの固定観念が、日本人の間に蔓延していったのではないでし
ょうか。
◇心から涙することを知っている人でなければ、腹の底から笑うことはできない。
その日本経済も右肩下がりの時代を経験し、ここ十年ほどの間に少し風向
きが変わってきました。
涙すること、嘆くことでむしろ心が浄化され、体が活性化することもある
のはないか、と言われるようになってきたのです。
心から涙することを知っている人でなければ、腹の底から笑うことはでき
ない、ということも言われるようになりました。
悲しみの効用について、本居宣長が『石上私淑言』の中でこんなことを書
いています。
生きている以上、誰しも必ず悲しみに出合う。
その悲しみを心に閉込めていては永遠に解放されない。
悲しいときは「ああ、悲しい」と声に出しておらべと。
つまり、悲しみは生きるエネルギーに転化できるということです。
そう考えると、『曽根崎心中』や『金色夜叉』といったお芝居を見て存分
に涙を流し、すっきりした顔で劇場を後にする人たちの明るい顔にも得心が
いくというものです。
明治、大正、昭和に流行した浪曲や浪花節にも、誰もが涙するストーリ
が実に多かった。
人々はそうやって、明日の生きるエネルギと勇気を取り戻してきたので
はないでしょうか。
私自身の引き揚げ体験を思い返してみても、難民としての苦しい日々の中
で、戦前の歌謡曲や演歌など、センチメンタルな歌をみんなで歌っていた記
憶があります。
つらいとき、人はその気持ちのまま、悲しい歌を聴き、歌うことで慰めら
れる。
明るく元気な歌は意外にも、今まさに艱難辛苦を味わっている人の心を励
ますことにつながりにくいものなのです。
涙や別れを歌うことの多い演歌や歌謡曲を「後ろ向きで古臭い」と軽んじ
る人がいますが、そうではないと私は思います。
人々は、涙する代わりに、哀切なメロディーに悲しみを昇華しているので
す。
それは、大きなストレスや悩みを浄化する術として、庶民が体験的に身に付
けた知恵なのかもしれません。
弱い人間が悲しい歌を歌うのではない。
むしろ、逆境に立ち向かおうとするとき、人は悲しみの歌を歌い、それによ
って生きる力を取り戻すことがあるのです。
世の中が大変な勢いで変化していくこの時代に、私たちは百年生きられるか
もしれない命を授けられ、生まれてきました。
その中で、いかに自分の心を治めていくか。それは、避けて通れないテーマ
といえるでしょう。
その意味で、骨や筋肉に強い負荷をかけ、破壊された細胞の再生力で体を作
っていくボディービルのトレーニング理論になぞらえれば、心にも適度な負荷
をかける必要がありそうな気がします。
笑うことによって心を緩め、泣いて負荷をかける。そのどちらをも否定せず、
自分の心と体を一体のものとして、長く治めていきたいものです。
車好きの私のことですから、自動運転が実用化されたら、ひょっとして90歳
を過ぎたころにまた車に乗れるかもしれないヽなどと空想を重ねつつ、この先世
の中がどうなっていくのか、見届けたい思いを強くしている今日このごろです。
2018年12月10日放送/聞き手・渡邉幹雄
☆「坂東先生の教育講座」坂東義教 テレビ朝日 1988年 ①【再掲載 2018.3】
◇愛情について
□ゲーテ
「天には星がなければならない。大地には花がなければならない。そして
人間には愛がなければならない」
□愛は「の」の字から始まる
愛は受けるもの(心理学)
= 心からそれを受け入れてやる
「の」の字さえつけておけばよい
例「あらあ、ほめられたの」
↑
そのまんま繰り返せばよい
人間は知と情
情で返すのが愛
□愛の反射鏡を磨く
言った言葉と同じ言葉を言って、顔も同じになって同じ気持ちになる
情を受け入れてやるのは大切
□認めてもらいたい願い
反射鏡
= 喜びが二倍になる、痛みは半分にしてくれる
□褒めて育てて大学者
カルタシス(浄化)
- 苦しいことをみんな聞いてもらえばほっとする
芥川龍之介
「ほんとにいい友達というのは、語るによく、訴えるによい」
□27秒の自制心
勇気を与える忍耐力
ほしいという気持ちは平均27秒(フロイト)
→ それだけの時間稼ぎをすればよい
◇幸福について
□笑顔を忘れないで
安い化粧品でも笑っていればきれいになる
奥さんの顔
= うちの中の太陽
= オクサン(SUN)
お母さんの顔つきが檀那さんの幸せを決めるのです
「幸せに振る舞うこと」
マカレンコ
「いい子供は必ず幸せなお母さんと一緒にいる」
□心のスイッチ右左
心のスイッチ左側
何でも悲観的に考える人
ないないづくし ないない考えれば不幸せ
↑↓
心のスイッチ右側
主体性・自主性
見られる自分のことを「自己」セルフ
見る自分を「自我」
自我が満足することが大切
「涙と悲しみ」を紹介します。
五木寛之さんは、ラジオ深夜便に随分以前から出ておられます。
月刊『ラジオ深夜便』は文章で放送を振り返ることができるのが好きです。
泣いたり涙を流したりすることも大切ですね。
もう一つ、再掲載となりますが、坂東義教さんの
「坂東先生の教育講座」①を載せます。
「モーニングショー」での坂東さんのトークを覚えている人も
かなり少なくなったのだろうと想像されます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「涙と悲しみ」(「五木寛之のラジオ千夜一夜 第9話」『ラジオ深夜便」2019年3月号)
◇涙と悲しみの効用
浄土真宗の開祖親鸞が亡くなったのは、90歳のときでした。
臨終のときを悟った親鷺は、弟子たちに次の言葉を残したとされています。
「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人
は親鸞なり」(『御臨床の御書』)
仏の教えを広めることに生涯をささげた親鸞は、この世の命が尽きたあとも、
仏の道を歩み続けようとしていました。
自分はこれから極楽浄土へ往き、仏になって帰ってくる。
だから弟子たちよ、一人でいるときは二人だと思いなさい。
二人でいるなら三人だと思いなさい。
うれしいときも、悲しいときも、決して一人ではない。親鸞はいつも皆の
そばにいるから。
そう言って旅立っていったというのです。
◇心と体は誰よりも頼りになる仲間であり、決して自分を裏切らない。
私たちは一人ではない。
親鸞のこのメッセージは、宗教や宗派の違いを超え、信仰の有無とも関係な
く、現代の私たちに通じるものがあります。
ほかならぬ自分自身の心と体が、いつでもどこでも自分とともにいてくれる
最も親しい友であり、誰よりも頼りになる仲間であり、決して自分を裏切るこ
とのない存在だからです。
私が健康に関して発言し始めたのは、かれこれ20年以上前のことでした。
当初から、人間の心と体は一対のものと捉え、『こころとからだ』(1996
年)というタィトルの本も刊行しています。
例えば、「日本人の二人に一人はがんになる」などと言われるほど、長寿社
会を生きる私たちにとって、がんは身近な病気になっています。
発症の要因はさまざまあるものの、ストレスががんを招く大きな要因の一つ
であることは定説になっていると言っていいでしよう。
「病は気から」というわけですが、では、強いストレスにさらされている人が
必ず病気になるかというと、そうでもないところが不思議です。
私自身、小説家としてデビューして半世紀、日々ストレスの連続でした。
きょうが締め切りなのに原稿が上がらない、いっそどこかに身を隠してしま
いたいと思うような場面を数限りなく経験してきました。
そんな私が、86歳の今もこうして原稿と向き合う毎日を過ごしていること
から見ても、ストレスだけが病気のもとではないことは明らかでしょう。
そうなると今度は、ストレスには良いストレスと悪いストレスがあるのだ、
という説が浮上してきます。
大変でもやりがいを感じられる仕事は良いストレス、いやいやながらやら
される仕事は悪いストレス、といったところでしょうか。
果たしてストレスをそんなふうに二つに分けることができるのか、私自身
はちょっと疑問に思ってはいるのですが、そうはいっても、人生も後半に入
るあたりから、当然のことながら、誰しもフィジカルに体力は落ちてくるも
のです。
そこをカバ-していくためには、やはり、心を整えて気持ちに余裕を持た
せることがとても大事になってくると思うのです。
◇ストレスから心を解き放つには、マイナスと呼ばれる感情を否定しないこと。
そこで問題になってくるのが、ストレスからいかに心を自由に解き放つかと
いうことです。
よく言われるように、運動はストレスを解放する有効な手段の一つです。
あるいは、笑ったり、楽しいことを考えるのもよい方法とされています。
中でも、笑いについては医学的な見地からも研究が進んでおり、その効用は
一般にも広く認識されるようになりました。
確かにそのとおりなのだと思います。
しかし私は、あえて問題提起をしたいのです。戦後長い間、笑うことや明る
いことを考えることなど、いわゆるプラス思考の状態だけが価値あるものとさ
れ、それらの対極にある、泣くこと、悲しむこと、悩むことはマイナス思考と
呼ばれ、悪いストレスと決めつけられてきはしなかったかと。
しかし、悲しいできごとを回想することによって、その悲しみが少しずつ薄
らいでいくこともあるのです。
ですから私は、プラスの感情だけではなく、マイナスと呼ばれる感情も大事
にすべきだと考えています。
◇神代の昔から泣くことを大事にした日本人。戦争によって、泣くことが弾圧されていった。
民俗学者の柳田國男は、1941(昭和16)年に「涕泣史談」という文章を発表し
ています。
「涕泣」とは、涙で顔がぐちゃぐちゃになるほど泣きじゃくる状態のことで、
このタイトルはさしずめ、「泣くことに関しての歴史」といったところでしょう
か。
その中で柳田は、日本人が近頃あまり泣かなくなつたとして、「最近五十年
百年の社会生活において、非常に激変した一事項」と指摘しています。
柳田によると、昔の日本人は非常によく泣いていたそうなのです。
しかも、時と場所、状況によって泣き方を使い分けていたらしい。つまり、
日本人は泣くことを大事にした民族であったというのです。
神話や物語の世界にもそれは表れていて、確かに、荒ぶる神須佐之男命
が、天も落ちよ地も裂けよとばかりに豪快に泣いています。
あるいは俊寛僧都はじめ、江戸時代の人気浄瑠璃作家•近松門左衛門が描い
た人間たちも実によく泣きます。
一方、「涕泣史談」が発表されたのは太平洋戦争開戦の年。
日本男児たるもの泣いてはならぬという空気がみなぎっていた時代です。
それは男性に限ったことではなく、当時少年だった私にも、「銃後の母」な
る美談仕立ての話が新聞紙面を飾っていた記憶があります。
戦死した一人息子が白木の箱になって帰ってくる。
それを迎えた老いたる母は、涙一滴こぼさず、「お国のために立派に死んで
くれました」と静かにほほ笑んでいたというのです。
それほどに、あの時代は泣くことが弾圧されていたということでしょう。
戦後になると、占領下でアメリカ的な明るい暮らしやプラス思考が一種の
憧をもって語られ、それがいかに心にも体にもいい影響を与えるラィフスタ
イルかという側面ばかりに光が当てられる時代が、長く続くことになります。
さらに、経済成長という新たな戦争を背景に、「泣いている場合ではない」
という前のめりの固定観念が、日本人の間に蔓延していったのではないでし
ょうか。
◇心から涙することを知っている人でなければ、腹の底から笑うことはできない。
その日本経済も右肩下がりの時代を経験し、ここ十年ほどの間に少し風向
きが変わってきました。
涙すること、嘆くことでむしろ心が浄化され、体が活性化することもある
のはないか、と言われるようになってきたのです。
心から涙することを知っている人でなければ、腹の底から笑うことはでき
ない、ということも言われるようになりました。
悲しみの効用について、本居宣長が『石上私淑言』の中でこんなことを書
いています。
生きている以上、誰しも必ず悲しみに出合う。
その悲しみを心に閉込めていては永遠に解放されない。
悲しいときは「ああ、悲しい」と声に出しておらべと。
つまり、悲しみは生きるエネルギーに転化できるということです。
そう考えると、『曽根崎心中』や『金色夜叉』といったお芝居を見て存分
に涙を流し、すっきりした顔で劇場を後にする人たちの明るい顔にも得心が
いくというものです。
明治、大正、昭和に流行した浪曲や浪花節にも、誰もが涙するストーリ
が実に多かった。
人々はそうやって、明日の生きるエネルギと勇気を取り戻してきたので
はないでしょうか。
私自身の引き揚げ体験を思い返してみても、難民としての苦しい日々の中
で、戦前の歌謡曲や演歌など、センチメンタルな歌をみんなで歌っていた記
憶があります。
つらいとき、人はその気持ちのまま、悲しい歌を聴き、歌うことで慰めら
れる。
明るく元気な歌は意外にも、今まさに艱難辛苦を味わっている人の心を励
ますことにつながりにくいものなのです。
涙や別れを歌うことの多い演歌や歌謡曲を「後ろ向きで古臭い」と軽んじ
る人がいますが、そうではないと私は思います。
人々は、涙する代わりに、哀切なメロディーに悲しみを昇華しているので
す。
それは、大きなストレスや悩みを浄化する術として、庶民が体験的に身に付
けた知恵なのかもしれません。
弱い人間が悲しい歌を歌うのではない。
むしろ、逆境に立ち向かおうとするとき、人は悲しみの歌を歌い、それによ
って生きる力を取り戻すことがあるのです。
世の中が大変な勢いで変化していくこの時代に、私たちは百年生きられるか
もしれない命を授けられ、生まれてきました。
その中で、いかに自分の心を治めていくか。それは、避けて通れないテーマ
といえるでしょう。
その意味で、骨や筋肉に強い負荷をかけ、破壊された細胞の再生力で体を作
っていくボディービルのトレーニング理論になぞらえれば、心にも適度な負荷
をかける必要がありそうな気がします。
笑うことによって心を緩め、泣いて負荷をかける。そのどちらをも否定せず、
自分の心と体を一体のものとして、長く治めていきたいものです。
車好きの私のことですから、自動運転が実用化されたら、ひょっとして90歳
を過ぎたころにまた車に乗れるかもしれないヽなどと空想を重ねつつ、この先世
の中がどうなっていくのか、見届けたい思いを強くしている今日このごろです。
2018年12月10日放送/聞き手・渡邉幹雄
☆「坂東先生の教育講座」坂東義教 テレビ朝日 1988年 ①【再掲載 2018.3】
◇愛情について
□ゲーテ
「天には星がなければならない。大地には花がなければならない。そして
人間には愛がなければならない」
□愛は「の」の字から始まる
愛は受けるもの(心理学)
= 心からそれを受け入れてやる
「の」の字さえつけておけばよい
例「あらあ、ほめられたの」
↑
そのまんま繰り返せばよい
人間は知と情
情で返すのが愛
□愛の反射鏡を磨く
言った言葉と同じ言葉を言って、顔も同じになって同じ気持ちになる
情を受け入れてやるのは大切
□認めてもらいたい願い
反射鏡
= 喜びが二倍になる、痛みは半分にしてくれる
□褒めて育てて大学者
カルタシス(浄化)
- 苦しいことをみんな聞いてもらえばほっとする
芥川龍之介
「ほんとにいい友達というのは、語るによく、訴えるによい」
□27秒の自制心
勇気を与える忍耐力
ほしいという気持ちは平均27秒(フロイト)
→ それだけの時間稼ぎをすればよい
◇幸福について
□笑顔を忘れないで
安い化粧品でも笑っていればきれいになる
奥さんの顔
= うちの中の太陽
= オクサン(SUN)
お母さんの顔つきが檀那さんの幸せを決めるのです
「幸せに振る舞うこと」
マカレンコ
「いい子供は必ず幸せなお母さんと一緒にいる」
□心のスイッチ右左
心のスイッチ左側
何でも悲観的に考える人
ないないづくし ないない考えれば不幸せ
↑↓
心のスイッチ右側
主体性・自主性
見られる自分のことを「自己」セルフ
見る自分を「自我」
自我が満足することが大切
「家族と迎える平穏死」石飛幸三 廣済堂出版 2014年 /「東井義雄一日一言」米田啓祐・西村徹 致知出版社 2007年 ②【再掲載 2016.4】 [読書記録 一般]
今回は、石飛幸三さんの
「家族と迎える平穏死」を紹介します。
出版社の案内には、
「介護現場の『声』から見えてくる-何もしない選択は、美しい最期。
看取りの医師と、そのスタッフがたどり着いた心得。」
とあります。
随分前ですが、脳梗塞で入院した父は胃瘻にして最期を迎えました。
胃瘻にして1か月もたたないうちに。
切望していたおにぎりをおなかいっぱい食べてもらいたかったと、
悔やむことしきりです。
老母は特養に入り5年。
コロナ感染が流行ってから、しばらく会えませんでしたか、
認知機能が急激に衰えてきたように感じます。
自分たちの今後を考えてしまう時間も増してきました。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「突然待ったなしに始まる → 心の準備を」
・「いい介護とは何だろう 大切なことは生活の質の向上」
・「高齢者の身体機能にV字回復はない
残有機能をどこまで引き出せるか」
・「胃瘻以外に栄養補給をする方法
鼻から点滴、カテーテル」
もう一つ、再掲載となりますが、米田啓祐さん、西村徹さんの
「東井義雄一日一言」②を載せます。
教育者、宗教者東井義雄さんの数々の言葉の中から、
米田さん西村さんのフィルターで選ばれた言葉が載せられています。
メモして残しておきたい言葉がばかりです。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「家族と迎える平穏死」石飛幸三 廣済堂出版 2014年
◇介護が始まるとき
□介護の心得
① 突然待ったなしに始まる
心の準備を
② 老化現象は受け入れなければならない
どうしたらいいかたちで加齢し、そして死んでいけるか
③ 「一対一」でなく「一対多」を心掛ける
人に相談 ~ アンテナを!
④ 「何のためにそれをするのか」を考える
介護される側の意思、気持ちの尊重
⑤ いい介護とは何だろう
大切なことは生活の質の向上
⑥ リズムや呼吸を見極める
⑦ おむつはしない方がいいのか?
した方がいい人もしなくてもいい人もいる
⑧ 高齢者の身体機能にV字回復はない
残有機能をどこまで引き出せるか
その人の能力・体力に応じたサポートを
⑨ 立って歩くことは大切
◇高齢者の身体でおきていること
□老化を受け入れる心得
① 高齢者の入院はこわい
生活の質の劣化があり得る
② 高齢者には薬のガイドラインがない
体内に薬がたまりやすい
③ 骨折がなぜ肺炎、胃瘻につながるのか
筋力 - 呼吸、嚥下にも
④ 自覚症状のない「サイレント状態」があることを知る
⑤ 胃瘻をつけても安心できない誤嚥性肺炎
⑥ 胃瘻以外に栄養補給をする方法
鼻から点滴、カテーテル
⑦ 量を減らせば楽になる
⑧ 人を診る医者を信頼する
☆「東井義雄一日一言」米田啓祐・西村徹 致知出版社 2007年 ②【再掲載 2016.4】
◇4月
□子どもは
「分からない子のために学校はあり先生がある」
□豊かさ
「教育においては 物の貧しさよりも豊かさの方が恐ろしい」
□問題に取り組ませる
→ 「自分の足で歩けるように」
□マンネリズムの中には教育はない
非教育があるばかりだ
□教師の仕事
逆の考えを持つ子供
□口で教えることの安易さ,待つことの大切さを知ろう
□憎しみ
自由主義教育の超克
光一杯
□授業の創造
~ 「テクニックの追究ではない。教師が古い自分を切り捨てて
新しい自分を生みだしていく創造的な仕事である」
□問いを育てる
「はてな」「なぜかな」という問いを育てるのが授業
□授業に既製品はない
教師の願い,信頼関係
□個の確立
~ 「個の中に仲間みんなが生き生きと生きてくるような個を目
指す」
□ 磨き合い
□教師は口先でものを言っておればいい人間ではない
「実践でものを言わねばならぬ」
□太陽
「太陽が昇るから夜が明けるのだ」
◇5月
□母の祈念
「人生を決定する人,最後の人,それがお母さん」
□鮭の詩
先祖達の必死の祈念
家庭の心の灯
□子と親
祈られている存在
家庭は修行の道場
我を待つ灯は一つ
□「百の灯あらんも われを待つ灯は一つ」
□「あの子のおかげで,だれもが歩むことのできない人生を知りました」
□豊かな自分を産む
父親の像
父なき世界
生き様で
□土作り
「髪の毛一本あなたのこしらえた物じゃない」
□母ちゃんと父ちゃん
「子あれば子を憂い,子無ければまた憂いて子あらんを欲す」
□放っておけばいつかは餅にも皮ができ「かび」が生えてくる
◇6月
□下農は雑草を作り中農は作物を作り上農は土を作る
□掃除は人間が生活で書く答案だ
□掃除の考え方
和田重正先生
① いくらやってもネタが尽きない
② だれでも一応できるが満足はない
③ どこでもできる
④ その上に生活上に実利をもたらす
□心を込めて
掃除の心
「掃除に心を入れてできる子は中学に行っても世の中に出ても
間違いがない」
□「痛覚」を呼び戻す
願い
「この汚れを取ってしまおうと思ってぞうきんを使うと,不
思議にそれが綺麗になる」
□僕が拾う
「九(苦)を乗り越えて - 九十九は百が近づいてきた印」
□しくじりから学ぼう
仏壇の中のお母さん
素直に
□ごみ・垢・汚れ
「箒」の精神
あなたの仕事
心の泉
□人生の年輪
問題を追いかけていく
「一点 」「あなたなら」
□石垣を積むように一日一日を積み上げさせてもらう
□夕焼けの小便
「家族と迎える平穏死」を紹介します。
出版社の案内には、
「介護現場の『声』から見えてくる-何もしない選択は、美しい最期。
看取りの医師と、そのスタッフがたどり着いた心得。」
とあります。
随分前ですが、脳梗塞で入院した父は胃瘻にして最期を迎えました。
胃瘻にして1か月もたたないうちに。
切望していたおにぎりをおなかいっぱい食べてもらいたかったと、
悔やむことしきりです。
老母は特養に入り5年。
コロナ感染が流行ってから、しばらく会えませんでしたか、
認知機能が急激に衰えてきたように感じます。
自分たちの今後を考えてしまう時間も増してきました。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「突然待ったなしに始まる → 心の準備を」
・「いい介護とは何だろう 大切なことは生活の質の向上」
・「高齢者の身体機能にV字回復はない
残有機能をどこまで引き出せるか」
・「胃瘻以外に栄養補給をする方法
鼻から点滴、カテーテル」
もう一つ、再掲載となりますが、米田啓祐さん、西村徹さんの
「東井義雄一日一言」②を載せます。
教育者、宗教者東井義雄さんの数々の言葉の中から、
米田さん西村さんのフィルターで選ばれた言葉が載せられています。
メモして残しておきたい言葉がばかりです。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「家族と迎える平穏死」石飛幸三 廣済堂出版 2014年
◇介護が始まるとき
□介護の心得
① 突然待ったなしに始まる
心の準備を
② 老化現象は受け入れなければならない
どうしたらいいかたちで加齢し、そして死んでいけるか
③ 「一対一」でなく「一対多」を心掛ける
人に相談 ~ アンテナを!
④ 「何のためにそれをするのか」を考える
介護される側の意思、気持ちの尊重
⑤ いい介護とは何だろう
大切なことは生活の質の向上
⑥ リズムや呼吸を見極める
⑦ おむつはしない方がいいのか?
した方がいい人もしなくてもいい人もいる
⑧ 高齢者の身体機能にV字回復はない
残有機能をどこまで引き出せるか
その人の能力・体力に応じたサポートを
⑨ 立って歩くことは大切
◇高齢者の身体でおきていること
□老化を受け入れる心得
① 高齢者の入院はこわい
生活の質の劣化があり得る
② 高齢者には薬のガイドラインがない
体内に薬がたまりやすい
③ 骨折がなぜ肺炎、胃瘻につながるのか
筋力 - 呼吸、嚥下にも
④ 自覚症状のない「サイレント状態」があることを知る
⑤ 胃瘻をつけても安心できない誤嚥性肺炎
⑥ 胃瘻以外に栄養補給をする方法
鼻から点滴、カテーテル
⑦ 量を減らせば楽になる
⑧ 人を診る医者を信頼する
☆「東井義雄一日一言」米田啓祐・西村徹 致知出版社 2007年 ②【再掲載 2016.4】
◇4月
□子どもは
「分からない子のために学校はあり先生がある」
□豊かさ
「教育においては 物の貧しさよりも豊かさの方が恐ろしい」
□問題に取り組ませる
→ 「自分の足で歩けるように」
□マンネリズムの中には教育はない
非教育があるばかりだ
□教師の仕事
逆の考えを持つ子供
□口で教えることの安易さ,待つことの大切さを知ろう
□憎しみ
自由主義教育の超克
光一杯
□授業の創造
~ 「テクニックの追究ではない。教師が古い自分を切り捨てて
新しい自分を生みだしていく創造的な仕事である」
□問いを育てる
「はてな」「なぜかな」という問いを育てるのが授業
□授業に既製品はない
教師の願い,信頼関係
□個の確立
~ 「個の中に仲間みんなが生き生きと生きてくるような個を目
指す」
□ 磨き合い
□教師は口先でものを言っておればいい人間ではない
「実践でものを言わねばならぬ」
□太陽
「太陽が昇るから夜が明けるのだ」
◇5月
□母の祈念
「人生を決定する人,最後の人,それがお母さん」
□鮭の詩
先祖達の必死の祈念
家庭の心の灯
□子と親
祈られている存在
家庭は修行の道場
我を待つ灯は一つ
□「百の灯あらんも われを待つ灯は一つ」
□「あの子のおかげで,だれもが歩むことのできない人生を知りました」
□豊かな自分を産む
父親の像
父なき世界
生き様で
□土作り
「髪の毛一本あなたのこしらえた物じゃない」
□母ちゃんと父ちゃん
「子あれば子を憂い,子無ければまた憂いて子あらんを欲す」
□放っておけばいつかは餅にも皮ができ「かび」が生えてくる
◇6月
□下農は雑草を作り中農は作物を作り上農は土を作る
□掃除は人間が生活で書く答案だ
□掃除の考え方
和田重正先生
① いくらやってもネタが尽きない
② だれでも一応できるが満足はない
③ どこでもできる
④ その上に生活上に実利をもたらす
□心を込めて
掃除の心
「掃除に心を入れてできる子は中学に行っても世の中に出ても
間違いがない」
□「痛覚」を呼び戻す
願い
「この汚れを取ってしまおうと思ってぞうきんを使うと,不
思議にそれが綺麗になる」
□僕が拾う
「九(苦)を乗り越えて - 九十九は百が近づいてきた印」
□しくじりから学ぼう
仏壇の中のお母さん
素直に
□ごみ・垢・汚れ
「箒」の精神
あなたの仕事
心の泉
□人生の年輪
問題を追いかけていく
「一点 」「あなたなら」
□石垣を積むように一日一日を積み上げさせてもらう
□夕焼けの小便
『わたしも昔は子どもでした。』「子どものしあわせ」編集部 かもがわ出版 2019年 ② /「死ぬときに後悔すること25」大津秀一 致知出版社 2009年【再掲載 2017.5】 [読書記録 教育]
今回は、6月24日に続いて、「子どものしあわせ」編集部による
「わたしも、昔は子どもでした。」の紹介 2回目です。
出版社の案内には
「世の中の理不尽にたいして「おかしい」と声をあげるおとなたち。
そのエネルギーは、どのように培われてきたのでしょう。昔子ども
だったおとなたちが語る、自分を育ててくれた人たちのエピソード
と、子育てへの応援メッセージ。」
「学問や文化の分野で活躍中の方々が、自分の幼き日を語ります。団
塊世代の方が多いので、同年代の読者層を意識しました。子育てへ
のメッセージは個性的で温かいので、子育て中の方や孫育て中の方
にもぜひ読んでいただきたいです。松本春野さんがおひとりずつに
素敵なイラストを添えてくれました。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「あなた達の子はあなた達の子ではない。あなた達とともにいるが、
あなた達のものではない。」
・「人生に裏ルートはたくさんある」
・「優等生のつらさは要求されたことを平均以上にこなせてしまうこと。
そして、自分が本当は何をしたいのかわからなくなってしまうこと」
・「日本はすぐ経済問題になってしまう。教育の無償化も一律に適用さ
れることで精神的なものが抜け落ちて、カネを出しているんだから
子供は国家のいうことを聞けとなってしまわないかと心配で。」
もう一つ、再掲載となりますが、大津秀一さんの
「死ぬ時に後悔すること25」を紹介します。
定年退職して2年目。再任用半日勤務のをしています。
人生の土曜日を慌ただしく過ごしていますが、
今後のくらしに活かしたい言葉がたくさん書かれています。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆『わたしも昔は子どもでした。』「子どものしあわせ」編集部 かもがわ出版 2019年 ②
◇ピーター・バカラン
子どもは親のものではないのだから
1951年 ロンドン生
ロンドン大学日本語学科卒
シンコー・ミュージック入社
嘘くさいものが大嫌い
レバノン作家 カリール・ジブラン『預言者』船井幸男訳 成甲書房
「あなた達の子はあなた達の子ではない。(略)あなた達とともにいる
が、あなた達のものではない。」
※ 親はそう言って自分に言い聞かせながら、なるべく子どもの個性を見
守っていくのがいいのではないでしょうか。
◇津田大介
1973年 東京都生 早大文学部
何か起きた時に守ってくれる大人が大事
「才気は感じる」
※ 人生に裏ルートはたくさんある
◇上野千鶴子
1948年 富山県生 元東大院教授
ああ面白かったといえる人生を
我慢を教えられなかった娘
金沢二水高校
「やりたいことの指導教官がいると思うな」
※ 優等生のつらさは要求されたことを平均以上にこなせてしまうこと
→ 自分が本当は何をしたいのかわからなくなってしまうこと
◇有原誠治
1948年生 アニメ映画監督
Aプロダクション → 虫プロ
創造することの楽しさを知って
土台は遊び惚けた子供時代
※ 手作り遊びを 創造する世界
◇大石芳野
東京生 ドキュメンタリー写真家
一番うれしいのは周りの人からの愛情
平和だからゆっくり眠れる
写真家としてのテーマ「戦争は終わっても終わらない」
※ 日本はすぐ経済問題になってしまう。
教育の無償化も一律に適用されることで精神的なものが抜け落ち
てカネを出しているんだから子供は国家のいうことを聞けとなって
しまわないかと心配で。
◇宇都宮健児
1946年生 弁護士
地下鉄サリン事件被害者対策弁護団長
日本弁護士連合会長
親が褒められると子どもはうれしい
弁護士としての信条
「社会的に弱い立場の人たちのために活動すること」
「年越し派遣隊」名誉村長
「反貧困ネットワーク」代表
2012 2014 都知事選立候補
農家出身は誇り
父が働く姿を見ながら
☆「死ぬときに後悔すること25」大津秀一 致知出版社 2009年【再掲載 2017.5】
<出版社の案内>
出版社の案内には、
ほとんどの人は死を前にすると後悔するという―。では、人生の最期に、
どのようなことに後悔するのか。本書は、終末期医療の専門家である著
者が、1000人を超す患者たちの吐露した『やり残したこと』を25に集
約して紹介。
『健康を大切にしなかったこと』
『他人にやさしくしなかったこと』
『故郷に帰らなかったこと』
『会いたい人に会っておかなかったこと』
など、儚くも、切ない思いが行間から滲み出てくるようで胸が締め付け
られる。
例外なく、死はすべての人に訪れる。だからこそ、一人でも多くの人
に後悔の少ない人生を送ってほしい。
心の苦痛を訴える末期患者と、正面から向き合ってきた著者が綴った
切実なメッセージが心に響く1冊である。
◇健康・医療編
1 健康を大切にしなかったこと
健康情報を鵜呑みにしない
- メタボ 体験談のからくり
ガンは増えているのか
- 早期発見が何より
2 たばこをやめなかったこと
喫煙リスク
~ ガン,肺気腫
3 生前の意思を示さなかったこと
良心的代理人に意思表示の代行を依頼する
大切なのは遠慮なく話し合うこと
4 治療の意味を見失ってしまったこと
「ただ生きること」が最上の目的なのか
最後の時間を有意義に過ごすために
~ 豊かな人生
◇心理編
5 自分のやりたいことをやらなかったこと
自分の気持ちに嘘をつかない
真面目に生きすぎない
自由に生きるか忍従に生きるか
6 夢を叶えられなかったこと
一つのことを続けるとよいことがある
人が人であるように生きる
7 悪事に手を染めたこと
度の過ぎる罪悪感は自らを損なう
→ 冷静に見つめる視点
8 感情に振り回された一生を過ごしたこと
平静な心と忍耐の限界
9 他人に優しくなかったこと
優しさを行う難しさ
心の優しい人は後悔が少ない
10 自分が一番と信じて疑わなかったこと
「耳順」の難しさ
良心的な医者はセカンドオピニオンを勧める
一歩引いて物事を考える
◇社会生活編
11 遺産をどうするか決めなかったこと
遺産と介護の問題
12 自分の葬儀を行えなかったこと
13 故郷に帰らなかったこと
死期が迫ると人は過去へと戻っていく
断ち切れない故郷への思い
14 美味しいものを食べておかなかったこと
食べようとしても食べられないという現実
15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
「仕事命」の人生を後悔しないために
16 行きたい場所に旅行しなかったこと
◇人間編
17 会いたい人に会っておかなかったこと
人は終わりまで他者を求めるもの
一期一会
18 記憶に残る恋愛をしなかったこと
スローラブのすすめ
19 結婚をしなかったこと
結婚という形がもたらす安心感
夫婦の深い結びつきが苦しみを和らげる
20 子どもを育てなかったこと
多くの家族に見守られた患者には笑顔が多い
自由と孤独は隣り合わせ
21 子どもを結婚させなかったこと
子どもが結婚していないという心残り
結婚を勧めない親の身勝手
まず子どもを独り立ちさせるところから
◇宗教哲学編
22 自分の生きた証を残さなかったこと
本・手紙
23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
「マイ哲学」を確立する
24 神仏の教えを知らなかったこと
世界で一番死を恐れる現代日本人
「来世」のもつ癒しの力
村田理論 天国泥棒
◇最終編
25 愛する人に「ありがとう」を伝えなかったこと
家族愛が問われる時代
かみ合わないコミュニケーション
「わたしも、昔は子どもでした。」の紹介 2回目です。
出版社の案内には
「世の中の理不尽にたいして「おかしい」と声をあげるおとなたち。
そのエネルギーは、どのように培われてきたのでしょう。昔子ども
だったおとなたちが語る、自分を育ててくれた人たちのエピソード
と、子育てへの応援メッセージ。」
「学問や文化の分野で活躍中の方々が、自分の幼き日を語ります。団
塊世代の方が多いので、同年代の読者層を意識しました。子育てへ
のメッセージは個性的で温かいので、子育て中の方や孫育て中の方
にもぜひ読んでいただきたいです。松本春野さんがおひとりずつに
素敵なイラストを添えてくれました。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「あなた達の子はあなた達の子ではない。あなた達とともにいるが、
あなた達のものではない。」
・「人生に裏ルートはたくさんある」
・「優等生のつらさは要求されたことを平均以上にこなせてしまうこと。
そして、自分が本当は何をしたいのかわからなくなってしまうこと」
・「日本はすぐ経済問題になってしまう。教育の無償化も一律に適用さ
れることで精神的なものが抜け落ちて、カネを出しているんだから
子供は国家のいうことを聞けとなってしまわないかと心配で。」
もう一つ、再掲載となりますが、大津秀一さんの
「死ぬ時に後悔すること25」を紹介します。
定年退職して2年目。再任用半日勤務のをしています。
人生の土曜日を慌ただしく過ごしていますが、
今後のくらしに活かしたい言葉がたくさん書かれています。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆『わたしも昔は子どもでした。』「子どものしあわせ」編集部 かもがわ出版 2019年 ②
◇ピーター・バカラン
子どもは親のものではないのだから
1951年 ロンドン生
ロンドン大学日本語学科卒
シンコー・ミュージック入社
嘘くさいものが大嫌い
レバノン作家 カリール・ジブラン『預言者』船井幸男訳 成甲書房
「あなた達の子はあなた達の子ではない。(略)あなた達とともにいる
が、あなた達のものではない。」
※ 親はそう言って自分に言い聞かせながら、なるべく子どもの個性を見
守っていくのがいいのではないでしょうか。
◇津田大介
1973年 東京都生 早大文学部
何か起きた時に守ってくれる大人が大事
「才気は感じる」
※ 人生に裏ルートはたくさんある
◇上野千鶴子
1948年 富山県生 元東大院教授
ああ面白かったといえる人生を
我慢を教えられなかった娘
金沢二水高校
「やりたいことの指導教官がいると思うな」
※ 優等生のつらさは要求されたことを平均以上にこなせてしまうこと
→ 自分が本当は何をしたいのかわからなくなってしまうこと
◇有原誠治
1948年生 アニメ映画監督
Aプロダクション → 虫プロ
創造することの楽しさを知って
土台は遊び惚けた子供時代
※ 手作り遊びを 創造する世界
◇大石芳野
東京生 ドキュメンタリー写真家
一番うれしいのは周りの人からの愛情
平和だからゆっくり眠れる
写真家としてのテーマ「戦争は終わっても終わらない」
※ 日本はすぐ経済問題になってしまう。
教育の無償化も一律に適用されることで精神的なものが抜け落ち
てカネを出しているんだから子供は国家のいうことを聞けとなって
しまわないかと心配で。
◇宇都宮健児
1946年生 弁護士
地下鉄サリン事件被害者対策弁護団長
日本弁護士連合会長
親が褒められると子どもはうれしい
弁護士としての信条
「社会的に弱い立場の人たちのために活動すること」
「年越し派遣隊」名誉村長
「反貧困ネットワーク」代表
2012 2014 都知事選立候補
農家出身は誇り
父が働く姿を見ながら
☆「死ぬときに後悔すること25」大津秀一 致知出版社 2009年【再掲載 2017.5】
<出版社の案内>
出版社の案内には、
ほとんどの人は死を前にすると後悔するという―。では、人生の最期に、
どのようなことに後悔するのか。本書は、終末期医療の専門家である著
者が、1000人を超す患者たちの吐露した『やり残したこと』を25に集
約して紹介。
『健康を大切にしなかったこと』
『他人にやさしくしなかったこと』
『故郷に帰らなかったこと』
『会いたい人に会っておかなかったこと』
など、儚くも、切ない思いが行間から滲み出てくるようで胸が締め付け
られる。
例外なく、死はすべての人に訪れる。だからこそ、一人でも多くの人
に後悔の少ない人生を送ってほしい。
心の苦痛を訴える末期患者と、正面から向き合ってきた著者が綴った
切実なメッセージが心に響く1冊である。
◇健康・医療編
1 健康を大切にしなかったこと
健康情報を鵜呑みにしない
- メタボ 体験談のからくり
ガンは増えているのか
- 早期発見が何より
2 たばこをやめなかったこと
喫煙リスク
~ ガン,肺気腫
3 生前の意思を示さなかったこと
良心的代理人に意思表示の代行を依頼する
大切なのは遠慮なく話し合うこと
4 治療の意味を見失ってしまったこと
「ただ生きること」が最上の目的なのか
最後の時間を有意義に過ごすために
~ 豊かな人生
◇心理編
5 自分のやりたいことをやらなかったこと
自分の気持ちに嘘をつかない
真面目に生きすぎない
自由に生きるか忍従に生きるか
6 夢を叶えられなかったこと
一つのことを続けるとよいことがある
人が人であるように生きる
7 悪事に手を染めたこと
度の過ぎる罪悪感は自らを損なう
→ 冷静に見つめる視点
8 感情に振り回された一生を過ごしたこと
平静な心と忍耐の限界
9 他人に優しくなかったこと
優しさを行う難しさ
心の優しい人は後悔が少ない
10 自分が一番と信じて疑わなかったこと
「耳順」の難しさ
良心的な医者はセカンドオピニオンを勧める
一歩引いて物事を考える
◇社会生活編
11 遺産をどうするか決めなかったこと
遺産と介護の問題
12 自分の葬儀を行えなかったこと
13 故郷に帰らなかったこと
死期が迫ると人は過去へと戻っていく
断ち切れない故郷への思い
14 美味しいものを食べておかなかったこと
食べようとしても食べられないという現実
15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
「仕事命」の人生を後悔しないために
16 行きたい場所に旅行しなかったこと
◇人間編
17 会いたい人に会っておかなかったこと
人は終わりまで他者を求めるもの
一期一会
18 記憶に残る恋愛をしなかったこと
スローラブのすすめ
19 結婚をしなかったこと
結婚という形がもたらす安心感
夫婦の深い結びつきが苦しみを和らげる
20 子どもを育てなかったこと
多くの家族に見守られた患者には笑顔が多い
自由と孤独は隣り合わせ
21 子どもを結婚させなかったこと
子どもが結婚していないという心残り
結婚を勧めない親の身勝手
まず子どもを独り立ちさせるところから
◇宗教哲学編
22 自分の生きた証を残さなかったこと
本・手紙
23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
「マイ哲学」を確立する
24 神仏の教えを知らなかったこと
世界で一番死を恐れる現代日本人
「来世」のもつ癒しの力
村田理論 天国泥棒
◇最終編
25 愛する人に「ありがとう」を伝えなかったこと
家族愛が問われる時代
かみ合わないコミュニケーション
月刊「少年育成」より ⑯(最終)-「いろいろあるよね、人生だもん」/「最強最後の学習法」後藤武士 宝島社 2005年 ②【再掲載 2016.8】 [読書記録 教育]
今回は、6月23日に続いて、
キーワード「月刊『少年育成』」より16回目の紹介 最終です。
執筆者等詳細は分かりません。、
冨田富士也さんの連載『せめぎあっておりあっておたがいさま』
からと思われます。
-いくつになっても親の話は感動します
その通りですね。
いや、むしろ、年を重ねるにつれ感動は大きくなるようです。
もう一つ、再掲載となりますが、後藤武士さんの
「最強最後の学習法」②を載せます。
要約に記したことは大変大切だと、読み直して思います。
おすすめの本です。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆月刊「少年育成」より ⑯(最終)-「いろいろあるよね、人生だもん」
近隣のお寺の僧侶が互いに協力し合って法要するような岐阜県のある
山間部の「おせがき」に招かれた。
盆供養を前にしての大事な年中行事で講演先の三か寺とも本堂は足腰
に手をあて撫でるお年寄りでいっぱいだった。
その合間をぬって地域にある養護老人ホームに″慰問″講演で訪れた。
入寮者、80名近くの平均年齢は84歳位だと付き添いの社会福祉協
議会会長さんが教えてくれた。
喜寿を迎える会長さんも″手品″の慰問によくホームに行っているよ
うで事前のレクチャーを送迎車のなかでうけた。
多くは一人暮らしのお年寄りであること。
肉親の有無は関係なくそれぞれの″事情″のなかで入寮している。
その事情は他人がとやかく語れるものではないので会長さんがさらっ
と話すひと言から勝手に私がイメージをふくらまして聞くしかない。
「人間関係が上手くいかなかったりね…」
「どんどん外に出て買物にいくお年寄りもいますねぇ…」
「入寮しているお年寄りのほとんどはこの地域の方ですよ…」
経済基盤の貧しい時代には老人ホームはなかった。
たとえばどんなにしんどい人間関係を家族のなかで抱えても雨露をし
のぐためには「この家」にいるしかなかった。
夫の理不尽な暴力から逃れ身をまもりたいと願ってもそんなに簡単に
「かけこみ寺」はなかった。
また地縁・血縁の村社会から飛び出ていくには「他人を頼らない、自
分の力だけを信じて生きていく」力強さが必須だった。
それはそのまま「他人に憎まれても恨まれても生きのびていく」たく
ましさでもあったはずである。
その生死をかけた覚悟に一歩踏み出す機会を見失ってしがらみに苦し
みぬいて一生をおえた人もいたにちがいない。
そう思うと福祉社会の到来で救われた人は数多いはずである。
しかしその一方、福祉で今日の生活は保障されたものの、それまでの
人間関係を背負い切れなかった、とその悲しみを今も引きずっている人
はいるはずである。
その葛藤が厳しく渦巻くのがまた福祉現場の実態でもある。
私は会長さんの話をうかがいながら、「元気な体でこの地域に暮らし
ていても人間関係の悲哀からホームに入っているお年寄りがいる」事
を察して少し切ない気持ちになっていた。
小さな村の集会所のような雰囲気のホーム内の会場には30名近く
のお年寄りが私の登壇を待っていてくれた。
男性数名を除いて他はすべて七、八十歳代の女性であった。
身綺麗で元気そうな「おばあちゃま」から、戦後の混乱を必死に生
きのびてきたような歴史を感じさせる顔立ちの「おばあちゃん」まで、
本当にさまざまな人がいてくれた。
多少の話の組み立ては考えるが、基本的にはその場にいる人のお顔を
みて講演の内容を変えていく私である。
最初は会長さんの送迎車のなかで聴いた演歌歌手の村田英雄さんの歌
を一緒に歌って山坂越えてきた人の一生を振り返ってみようと思ってい
た。
ところが、登壇すると同時に、気のよさそうな小柄な男性の笑顔が私
の目に飛び込んできた。
ステッキにジャージー姿が私の父親の晩年(享年83歳)に似ていた。
私は父親と母親と三人で暮らしていた幼いころの「夫婦げんかの絶え
ない日々」を語りはじめていた。
昭和30年代後半の話である。
貧困と外面のいい父親の家庭内での横暴さ、そして母親が「気丈にな
るしか家をもりたてられなかった」日々の話は予想以上に聴衆の気をひ
いた。
何度も別れ話のあった両親が結局は別れられず、私と同居するように
なってから、一人息子の私を″味方″につけ母親が圧倒的に父親をコン
トロールしていった話がとくに受けた。
もちろんそこには老いていく父親が強がりつつも、過去をわびる自責
の念があればこそである。
「おじいさんが死んでも私は泣かないよ」と気丈に言っていた母親が葬
儀でいよいよ茶毘に付すときに取り乱して柩にすがりつくシーンの話に
なった。
するとあの小柄な男性がもぞもぞし出した。
私は″落ち″に近づいていた。
「そんな母に私は父の年忌や供養の日になると言うのです。『あのとき
は驚いたよな。お袋は親父が本当は好きだったんだな』と。すると
母は私たち夫婦や孫に向かって『エーそんなことがあったかねぇ』
ととぼけ顔で言い返すのです」
若干反応の遅いお年寄りのなかで、その男性がいちはやく「クスッ」
と私の″落ち″に笑ってくれた。
「旦那さんも、いろいろあったみたいですね」
私の間髪を入れない問い掛けにその男性が目元に涙をいっぱいためて
照れ臭そうに黙って笑った。
私は父親の自責の念の思いを想い出していた。
約束の20分のお話が終わりホームを出て会長さんが感想を言ってく
れた。
「いくつになっても親の話は感動します」
子のない人はいても親のない人はいない。
私も今年の盆はしばらくぶりで母親と一緒に父親の墓参りに行くこと
にする。
すでに母親も父親の年齢を越える身となった。
投げ出す足を手で撫でる母親の姿を今日も旅先で思い出している。
☆「最強最後の学習法」後藤武士 宝島社 2005年 ②【再掲載 2016.8】
◇最強最後のノート活用法
□ノートは最高のデータバンク
まずは固定化 ← 分かりやすい字で
□ノートをこまめに見直すクセを付ける
余白を十分に
□日付を付けろ
□見出しは必要
効率的な見出し
□アンダーラインは少ないほど目立つ
□実は一番のおまけ
間違いをそのまま消さずにとっておく
◇あなたの勘違い学習法を正す
□勉強部屋は不要
□ながら勉強のすすめ
□TVドラマはビデオで見よう
□ゲームの分類とその害悪度
ゲームは気晴らしとなり得ない
◇「5分間」暗記法
□暗記から逃げることはできない
◎必要性の自覚
◎繰り返しの回数
□英単語
~ 25語を5分で覚える
◎暗記には必ず手と口を連動させる
□大切なのは効果測定
□反復反復反復
□ICRで反復
◇本音の学校選び
□公立? 私立?
「地域」
~ 将来において生活の基盤とするであろう地域
地方在住
- その後も地元 → 公立 = 人脈がものをいう
□中学受験の是非
都市部在住
◇最終兵器 ボールペン学習法
□最終兵器 「ボールペン」
◎成績の悪い子の共通点
= プライドが高い ~ 答えを隠す
↓
◎鉛筆やシャープの代わりにボールペンを用いる <消せない>
「早く一本使い切ってしまいたい」
◎大切 ~ 間違いを見つめる
自分の弱点としっかり向き合う
◇これなら実行できる「ぬりつぶし予定表」
□ぬりつぶしていく予定表
□課題をリストアップする
◇ズバリ答える相談室
× 「やればできる」
= 「やらなかったからできない」
□どんな状況であろうと,やる子はやるしやらない子はやらない
□3種類
① 何らかの理由で,やってもできない子
② やらなくてもある程度できる子
③ やってないからできない子
□教材
薄いものがベスト・解答が厚いもの (別冊)
◇後藤武士
1967年 岐阜県生 青山学院大学卒業
日本全国授業ライブ(GTP)主宰 takeshigoto.com.
キーワード「月刊『少年育成』」より16回目の紹介 最終です。
執筆者等詳細は分かりません。、
冨田富士也さんの連載『せめぎあっておりあっておたがいさま』
からと思われます。
-いくつになっても親の話は感動します
その通りですね。
いや、むしろ、年を重ねるにつれ感動は大きくなるようです。
もう一つ、再掲載となりますが、後藤武士さんの
「最強最後の学習法」②を載せます。
要約に記したことは大変大切だと、読み直して思います。
おすすめの本です。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆月刊「少年育成」より ⑯(最終)-「いろいろあるよね、人生だもん」
近隣のお寺の僧侶が互いに協力し合って法要するような岐阜県のある
山間部の「おせがき」に招かれた。
盆供養を前にしての大事な年中行事で講演先の三か寺とも本堂は足腰
に手をあて撫でるお年寄りでいっぱいだった。
その合間をぬって地域にある養護老人ホームに″慰問″講演で訪れた。
入寮者、80名近くの平均年齢は84歳位だと付き添いの社会福祉協
議会会長さんが教えてくれた。
喜寿を迎える会長さんも″手品″の慰問によくホームに行っているよ
うで事前のレクチャーを送迎車のなかでうけた。
多くは一人暮らしのお年寄りであること。
肉親の有無は関係なくそれぞれの″事情″のなかで入寮している。
その事情は他人がとやかく語れるものではないので会長さんがさらっ
と話すひと言から勝手に私がイメージをふくらまして聞くしかない。
「人間関係が上手くいかなかったりね…」
「どんどん外に出て買物にいくお年寄りもいますねぇ…」
「入寮しているお年寄りのほとんどはこの地域の方ですよ…」
経済基盤の貧しい時代には老人ホームはなかった。
たとえばどんなにしんどい人間関係を家族のなかで抱えても雨露をし
のぐためには「この家」にいるしかなかった。
夫の理不尽な暴力から逃れ身をまもりたいと願ってもそんなに簡単に
「かけこみ寺」はなかった。
また地縁・血縁の村社会から飛び出ていくには「他人を頼らない、自
分の力だけを信じて生きていく」力強さが必須だった。
それはそのまま「他人に憎まれても恨まれても生きのびていく」たく
ましさでもあったはずである。
その生死をかけた覚悟に一歩踏み出す機会を見失ってしがらみに苦し
みぬいて一生をおえた人もいたにちがいない。
そう思うと福祉社会の到来で救われた人は数多いはずである。
しかしその一方、福祉で今日の生活は保障されたものの、それまでの
人間関係を背負い切れなかった、とその悲しみを今も引きずっている人
はいるはずである。
その葛藤が厳しく渦巻くのがまた福祉現場の実態でもある。
私は会長さんの話をうかがいながら、「元気な体でこの地域に暮らし
ていても人間関係の悲哀からホームに入っているお年寄りがいる」事
を察して少し切ない気持ちになっていた。
小さな村の集会所のような雰囲気のホーム内の会場には30名近く
のお年寄りが私の登壇を待っていてくれた。
男性数名を除いて他はすべて七、八十歳代の女性であった。
身綺麗で元気そうな「おばあちゃま」から、戦後の混乱を必死に生
きのびてきたような歴史を感じさせる顔立ちの「おばあちゃん」まで、
本当にさまざまな人がいてくれた。
多少の話の組み立ては考えるが、基本的にはその場にいる人のお顔を
みて講演の内容を変えていく私である。
最初は会長さんの送迎車のなかで聴いた演歌歌手の村田英雄さんの歌
を一緒に歌って山坂越えてきた人の一生を振り返ってみようと思ってい
た。
ところが、登壇すると同時に、気のよさそうな小柄な男性の笑顔が私
の目に飛び込んできた。
ステッキにジャージー姿が私の父親の晩年(享年83歳)に似ていた。
私は父親と母親と三人で暮らしていた幼いころの「夫婦げんかの絶え
ない日々」を語りはじめていた。
昭和30年代後半の話である。
貧困と外面のいい父親の家庭内での横暴さ、そして母親が「気丈にな
るしか家をもりたてられなかった」日々の話は予想以上に聴衆の気をひ
いた。
何度も別れ話のあった両親が結局は別れられず、私と同居するように
なってから、一人息子の私を″味方″につけ母親が圧倒的に父親をコン
トロールしていった話がとくに受けた。
もちろんそこには老いていく父親が強がりつつも、過去をわびる自責
の念があればこそである。
「おじいさんが死んでも私は泣かないよ」と気丈に言っていた母親が葬
儀でいよいよ茶毘に付すときに取り乱して柩にすがりつくシーンの話に
なった。
するとあの小柄な男性がもぞもぞし出した。
私は″落ち″に近づいていた。
「そんな母に私は父の年忌や供養の日になると言うのです。『あのとき
は驚いたよな。お袋は親父が本当は好きだったんだな』と。すると
母は私たち夫婦や孫に向かって『エーそんなことがあったかねぇ』
ととぼけ顔で言い返すのです」
若干反応の遅いお年寄りのなかで、その男性がいちはやく「クスッ」
と私の″落ち″に笑ってくれた。
「旦那さんも、いろいろあったみたいですね」
私の間髪を入れない問い掛けにその男性が目元に涙をいっぱいためて
照れ臭そうに黙って笑った。
私は父親の自責の念の思いを想い出していた。
約束の20分のお話が終わりホームを出て会長さんが感想を言ってく
れた。
「いくつになっても親の話は感動します」
子のない人はいても親のない人はいない。
私も今年の盆はしばらくぶりで母親と一緒に父親の墓参りに行くこと
にする。
すでに母親も父親の年齢を越える身となった。
投げ出す足を手で撫でる母親の姿を今日も旅先で思い出している。
☆「最強最後の学習法」後藤武士 宝島社 2005年 ②【再掲載 2016.8】
◇最強最後のノート活用法
□ノートは最高のデータバンク
まずは固定化 ← 分かりやすい字で
□ノートをこまめに見直すクセを付ける
余白を十分に
□日付を付けろ
□見出しは必要
効率的な見出し
□アンダーラインは少ないほど目立つ
□実は一番のおまけ
間違いをそのまま消さずにとっておく
◇あなたの勘違い学習法を正す
□勉強部屋は不要
□ながら勉強のすすめ
□TVドラマはビデオで見よう
□ゲームの分類とその害悪度
ゲームは気晴らしとなり得ない
◇「5分間」暗記法
□暗記から逃げることはできない
◎必要性の自覚
◎繰り返しの回数
□英単語
~ 25語を5分で覚える
◎暗記には必ず手と口を連動させる
□大切なのは効果測定
□反復反復反復
□ICRで反復
◇本音の学校選び
□公立? 私立?
「地域」
~ 将来において生活の基盤とするであろう地域
地方在住
- その後も地元 → 公立 = 人脈がものをいう
□中学受験の是非
都市部在住
◇最終兵器 ボールペン学習法
□最終兵器 「ボールペン」
◎成績の悪い子の共通点
= プライドが高い ~ 答えを隠す
↓
◎鉛筆やシャープの代わりにボールペンを用いる <消せない>
「早く一本使い切ってしまいたい」
◎大切 ~ 間違いを見つめる
自分の弱点としっかり向き合う
◇これなら実行できる「ぬりつぶし予定表」
□ぬりつぶしていく予定表
□課題をリストアップする
◇ズバリ答える相談室
× 「やればできる」
= 「やらなかったからできない」
□どんな状況であろうと,やる子はやるしやらない子はやらない
□3種類
① 何らかの理由で,やってもできない子
② やらなくてもある程度できる子
③ やってないからできない子
□教材
薄いものがベスト・解答が厚いもの (別冊)
◇後藤武士
1967年 岐阜県生 青山学院大学卒業
日本全国授業ライブ(GTP)主宰 takeshigoto.com.
「評伝 田畑政治」杢代哲雄 図書刊行会 ③(最終) /「初めて学ぶ教育法規」 菱村幸彦 教育開発研究所 2008年 ①【再掲載 2015.3】 [読書記録 郷土]
今回は、6月22日に続いて、杢屋哲雄さんの
「評伝 田畑政治」3回目の紹介 最終です。
出版社の案内には
「2019年NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の主人
公・田畑政治の熱い生涯!戦前・戦後と日本のスポーツ界の発展に
尽力し、1964年の東京オリンピック招致を成功に導いた田畑政治。
その最も身近に接してきた著者が、『田畑政治オリンピック回想録』
出版に向けて田畑政治みずからが語った原稿を元に、オリンピックに
生涯をささげたその熱い生きざまを描く。」
とあります。
40年以上前、わたしが高校生の時、体育科の先生から
「東京オリンピックにかかわった田畑政治さんは浜松市出身だ」
と聞きましたが、その当時でさえ随分前のことで、ピンときませんでした。
NHK大河ドラマのおかげで、人物について知ることができました。
もう一つ、再掲載となりますが、菱村幸彦さんの
「初めて学ぶ教育法規」①を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「評伝 田畑政治」杢代哲雄 図書刊行会 ③(最終)
◇社会体育
「社会体育」の名付け親は田畑政治
育ての親でもある
市民スポーツの振興
田畑
~ 日本人の健康が肝心
10割スポーツ
用具と実力の関係 陸上・水泳
5割スポーツ
ボート
3割スポーツ
馬術
|
◎ 情報時代のせいかオリンピックの選手はすぐタレントなみの鼻持ち
ならない人間に様変わりしてしまう。だからこそ社会体育運動。
◇札幌の事務総長を支援せよ
札幌冬季オリンピック事務総長・佐藤朝生
スキージャンプ
1時間前倒し問題
田畑政治の声で26人の応援
ミスターオリンピック
◇青年平和友好祭の好判断
◇労働者スポーツ協会創立に協力
総評
◇田畑副会長就任のあいさつ
権力集中主義に戻るな
体協と競技団体は自主性をもて
意見の対立は君子の争い
◇河野一郎さんとの大構想
田畑政治と河野一郎は朝日新聞で同僚
◇JOC独立論
◇モスクワ大会ボイコットに激怒
1980年
◇ヤン・デンマンのスポーツバカ論
中学生の団体参加
◇田畑さんの極東大会○○
関東軍のごり押し
◇中倉・菅井ドライバーの話
◇杢代哲雄(もくだいてつお)
1927年東京生 スポニチ評論 OYC理事長
☆「初めて学ぶ教育法規」 菱村幸彦 教育開発研究所 2008年 ①【再掲載 2015.3】
◇授業をする
授業と教育課程
授業は教育課程の実施
学校
- 学習指導要領の「法的拘束力」
法規のヒエラルキー
憲法
- 法律(国会)
- 政令(内閣)
- 省令(大臣)
- 告示(大臣)
◎ 法律では基本的な事柄を定め,手続き等の細部は政令に委ね,細か
いことは省令に委ねる。
学習指導要領
学校教育法第20条
- 学校教育法施行規則第24条・25条
→ 告示
法律の委任に基づく法規
法的拘束力
「法規命令」基準は弾力的
授業の法的性質
授業 - 「公権力の行使」
教育は本来非権力的だが…
授業中の事故の賠償
授業も行政の一環
教職歴は教育行政歴
教育行政は校門に入る
行政の一環である教師 = 行政の一環としての職務遂行
◇教科書を使う
法律家から見た教科書
学校教育法第21条
(1)教科の主たる教材
(2)児童・生徒用図書
(3)教育課程の構成に応じて組織配列
例外的107条 107条本
教科書
① 検定教科書
② 国定教科書
③ 107条本
教科書をどう使うか
学教法21条
使用義務がある → 「教科書で教える」
神経質に考えない
◇補助教材を使う
補助教材 学教法21条②項~有益適切な教材 ① 準教科書
② 市販教材
学習帳,問題帳,練習帳,解説書,参考書
③ 教師の自作教材
補助教材の選定
教育委員会が定める(学校管理規則)
だれがどう選ぶか
教師-校長 = 校内に選定委員会
教育行政法第33条
① 承認を要する 準教科書
② 届け出を要する 副読本,学習帳,練習帳など
③ 承認も届け出も要しない 自作教材,コピー等
関連問題
著作権に気を付ける
リベートは受けない
「評伝 田畑政治」3回目の紹介 最終です。
出版社の案内には
「2019年NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の主人
公・田畑政治の熱い生涯!戦前・戦後と日本のスポーツ界の発展に
尽力し、1964年の東京オリンピック招致を成功に導いた田畑政治。
その最も身近に接してきた著者が、『田畑政治オリンピック回想録』
出版に向けて田畑政治みずからが語った原稿を元に、オリンピックに
生涯をささげたその熱い生きざまを描く。」
とあります。
40年以上前、わたしが高校生の時、体育科の先生から
「東京オリンピックにかかわった田畑政治さんは浜松市出身だ」
と聞きましたが、その当時でさえ随分前のことで、ピンときませんでした。
NHK大河ドラマのおかげで、人物について知ることができました。
もう一つ、再掲載となりますが、菱村幸彦さんの
「初めて学ぶ教育法規」①を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「評伝 田畑政治」杢代哲雄 図書刊行会 ③(最終)
◇社会体育
「社会体育」の名付け親は田畑政治
育ての親でもある
市民スポーツの振興
田畑
~ 日本人の健康が肝心
10割スポーツ
用具と実力の関係 陸上・水泳
5割スポーツ
ボート
3割スポーツ
馬術
|
◎ 情報時代のせいかオリンピックの選手はすぐタレントなみの鼻持ち
ならない人間に様変わりしてしまう。だからこそ社会体育運動。
◇札幌の事務総長を支援せよ
札幌冬季オリンピック事務総長・佐藤朝生
スキージャンプ
1時間前倒し問題
田畑政治の声で26人の応援
ミスターオリンピック
◇青年平和友好祭の好判断
◇労働者スポーツ協会創立に協力
総評
◇田畑副会長就任のあいさつ
権力集中主義に戻るな
体協と競技団体は自主性をもて
意見の対立は君子の争い
◇河野一郎さんとの大構想
田畑政治と河野一郎は朝日新聞で同僚
◇JOC独立論
◇モスクワ大会ボイコットに激怒
1980年
◇ヤン・デンマンのスポーツバカ論
中学生の団体参加
◇田畑さんの極東大会○○
関東軍のごり押し
◇中倉・菅井ドライバーの話
◇杢代哲雄(もくだいてつお)
1927年東京生 スポニチ評論 OYC理事長
☆「初めて学ぶ教育法規」 菱村幸彦 教育開発研究所 2008年 ①【再掲載 2015.3】
◇授業をする
授業と教育課程
授業は教育課程の実施
学校
- 学習指導要領の「法的拘束力」
法規のヒエラルキー
憲法
- 法律(国会)
- 政令(内閣)
- 省令(大臣)
- 告示(大臣)
◎ 法律では基本的な事柄を定め,手続き等の細部は政令に委ね,細か
いことは省令に委ねる。
学習指導要領
学校教育法第20条
- 学校教育法施行規則第24条・25条
→ 告示
法律の委任に基づく法規
法的拘束力
「法規命令」基準は弾力的
授業の法的性質
授業 - 「公権力の行使」
教育は本来非権力的だが…
授業中の事故の賠償
授業も行政の一環
教職歴は教育行政歴
教育行政は校門に入る
行政の一環である教師 = 行政の一環としての職務遂行
◇教科書を使う
法律家から見た教科書
学校教育法第21条
(1)教科の主たる教材
(2)児童・生徒用図書
(3)教育課程の構成に応じて組織配列
例外的107条 107条本
教科書
① 検定教科書
② 国定教科書
③ 107条本
教科書をどう使うか
学教法21条
使用義務がある → 「教科書で教える」
神経質に考えない
◇補助教材を使う
補助教材 学教法21条②項~有益適切な教材 ① 準教科書
② 市販教材
学習帳,問題帳,練習帳,解説書,参考書
③ 教師の自作教材
補助教材の選定
教育委員会が定める(学校管理規則)
だれがどう選ぶか
教師-校長 = 校内に選定委員会
教育行政法第33条
① 承認を要する 準教科書
② 届け出を要する 副読本,学習帳,練習帳など
③ 承認も届け出も要しない 自作教材,コピー等
関連問題
著作権に気を付ける
リベートは受けない
「わたしも、昔は子どもでした。」「子どものしあわせ」編集部 かもがわ出版 2019年 ① /「愛子とピーコのあの世とこの世」佐藤愛子 ピーコ 文藝春秋 2008 年【再々再掲載 2011.12】 [読書記録 教育]
今回は、「子どものしあわせ」編集部による
「わたしも、昔は子どもでした。」の紹介 1回目です。
出版社の案内には
「世の中の理不尽にたいして「おかしい」と声をあげるおとなたち。
そのエネルギーは、どのように培われてきたのでしょう。昔子ども
だったおとなたちが語る、自分を育ててくれた人たちのエピソード
と、子育てへの応援メッセージ。」
「学問や文化の分野で活躍中の方々が、自分の幼き日を語ります。団
塊世代の方が多いので、同年代の読者層を意識しました。子育てへ
のメッセージは個性的で温かいので、子育て中の方や孫育て中の方
にもぜひ読んでいただきたいです。松本春野さんがおひとりずつに
素敵なイラストを添えてくれました。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「自分自身の経験から出てくる本音を大切にしてほしい」
・「子どもたちには小さくてもよいから責任のある仕事を任せましょ
う。」
・「TPPの本質 = 『今だけ、金だけ、自分だけ』」
・「愛情を注いでくれる大人は多いほどよい」
もう一つ、何度目かの掲載となりますが、佐藤愛子さん、ピーコさんによる
「愛子とピーコのあの世とこの世」を載せます。
ブログのアクセス数解析を見ると、いつも比較的上位にある記事です。
要約ではよく分からないのですが、おもしろく読みました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「わたしも昔は子どもでした。」「子どものしあわせ」編集部 かもがわ出版 2019年 ①
◇かもがわ出版
発行者 竹村正治
〒602-8119 京都市上京区堀川通出水西入ル 075-432-2868
◇香山リカ
1966年北海道生 東京医大卒 精神病理学 立教大教授
子どもは大人のありのままの姿から学ぶもの
「ケガはなかったの?」小3担任
※ 自分自身の経験から出てくる本音を大切にしてほしい
◇池内了(さとる)
1944年兵庫県姫路市生 天文学者 名大名誉教授
小さくても責任のある仕事をもつ
反「軍学共同」
働きづめだったおふくろ
兄池内紀(独文学者)家事分配
「このままだと大きな仕事ができないよ」
自分は軍事研究をしない。他の人間がどうであれ、自分は人々
のために学問をするんだ。
※ 子どもたちには小さくてもよいから責任のある仕事を任せま
しょう。
◇長野ヒデ子
1941年愛媛県生 絵本作家
大人だって子どもの友達になれる
家庭文庫活動「おかあさんがおかあさんになった日」
天真爛漫な母
※ 自然がたくさんあれば豊かな心は育つと思う
◇鈴木宜弘
1958年 三重県志摩市生
農水省 ― 九州大学院教授
平均的でない子にも居場所をつくって
TPPの本質
「今だけ、金だけ、自分だけ」
◎ 多国籍企業が儲けのため自分たちに都合のいいルールを世界
規模で広げていく。食の安全も、人々の生活も知ったこっちゃ
ない。
浜が生活の場だった
「じゃあお前やってみろ」
高校進路相談 ― 東大志望時
※ 今の立場で何ができるかを考えて仕事をしてきました。
◇池田香世子
1948年 東京都生 独文学者 平和運動家
愛情を注いでくれる大人は多いほどよい
「世界がもし100人の村だったら」翻訳
☆「愛子とピーコのあの世とこの世」佐藤愛子 ピーコ 文藝春秋 2008 年【再々再掲載 2011.12】
<出版社の案内>
昨今のスピリチュアル・ブームを解剖し、江原啓之ブームを嘆く。問
題の根源は依存心にあり。日本人に活を入れて言う「波動を上げよ!」
50歳を過ぎてから恐るべき超常体験に次々と見舞われた佐藤愛子さ
ん、かたや片目を失ってから霊感が異常なまでに覚醒したピーコさん。
そんな二人がスピリチュアルなものについて語りつくした。とはいえ、
昨今のブーム便乗本の類ではない。二人の考えの基底=「死後の世界
は確実にある」に寄り添えば、自ずと生き方が変わってくるはずだ。
しかるに、昨今のスピリチュアル・ブームは、人々を悪しき方向に導
くものでしかない。圧巻は、人気絶頂の江原啓之に向けられた辛辣な
批判だろう。江原ファンもろともに、覚悟して読むべき書である。
◇愛子の心霊体験・ピーコの霊能力
成仏する霊しない霊
北条希功子,美輪明宏
眼を取ったら霊道が開いた
山川紘矢,亜希子夫妻
金色にかたどられた輪郭で
強まっていく能力 相曽誠治
◇死後の世界
「あの世」の構造
美輪明宏,大西弘泰,寺坂多枝子,江原啓之
相曽誠治,中川昌蔵
この世は三次元
→ あの世は四次元
幽現界 幽界 霊界 神界
49日間→成仏→
エーテル体 アストラル体
(執着)
美輪明宏の霊視
名古屋の小児科医・鶴田光敏氏の紹介
大切な審神者(さにわ)
霊能でお金儲けをしてはいけない
◇前世と守護霊 江原啓之への質問
霊能者という存在
霊能者は同じものは見えない
女性が依存症になっている
霊能者は世に出る必要はない
◇波動を上げよ
人間が平等なんてあり得ない
自己愛はあるのだけれど他人愛はない
幸福になる為のソフト(中川昌蔵)
今日一日 親切にしようと想う
今日一日 明るく朗らかにいようと想う
実行してはダメです
今日一日 謙虚にしようと想う
意識して実行すると失敗します
今日一日 素直になろうと想う
今日一日 感謝をしようと想う
神さまからの警告
災害は神さまからの警告
日拝を欠かさぬ事
もらった命の使命
「わたしも、昔は子どもでした。」の紹介 1回目です。
出版社の案内には
「世の中の理不尽にたいして「おかしい」と声をあげるおとなたち。
そのエネルギーは、どのように培われてきたのでしょう。昔子ども
だったおとなたちが語る、自分を育ててくれた人たちのエピソード
と、子育てへの応援メッセージ。」
「学問や文化の分野で活躍中の方々が、自分の幼き日を語ります。団
塊世代の方が多いので、同年代の読者層を意識しました。子育てへ
のメッセージは個性的で温かいので、子育て中の方や孫育て中の方
にもぜひ読んでいただきたいです。松本春野さんがおひとりずつに
素敵なイラストを添えてくれました。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「自分自身の経験から出てくる本音を大切にしてほしい」
・「子どもたちには小さくてもよいから責任のある仕事を任せましょ
う。」
・「TPPの本質 = 『今だけ、金だけ、自分だけ』」
・「愛情を注いでくれる大人は多いほどよい」
もう一つ、何度目かの掲載となりますが、佐藤愛子さん、ピーコさんによる
「愛子とピーコのあの世とこの世」を載せます。
ブログのアクセス数解析を見ると、いつも比較的上位にある記事です。
要約ではよく分からないのですが、おもしろく読みました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「わたしも昔は子どもでした。」「子どものしあわせ」編集部 かもがわ出版 2019年 ①
◇かもがわ出版
発行者 竹村正治
〒602-8119 京都市上京区堀川通出水西入ル 075-432-2868
◇香山リカ
1966年北海道生 東京医大卒 精神病理学 立教大教授
子どもは大人のありのままの姿から学ぶもの
「ケガはなかったの?」小3担任
※ 自分自身の経験から出てくる本音を大切にしてほしい
◇池内了(さとる)
1944年兵庫県姫路市生 天文学者 名大名誉教授
小さくても責任のある仕事をもつ
反「軍学共同」
働きづめだったおふくろ
兄池内紀(独文学者)家事分配
「このままだと大きな仕事ができないよ」
自分は軍事研究をしない。他の人間がどうであれ、自分は人々
のために学問をするんだ。
※ 子どもたちには小さくてもよいから責任のある仕事を任せま
しょう。
◇長野ヒデ子
1941年愛媛県生 絵本作家
大人だって子どもの友達になれる
家庭文庫活動「おかあさんがおかあさんになった日」
天真爛漫な母
※ 自然がたくさんあれば豊かな心は育つと思う
◇鈴木宜弘
1958年 三重県志摩市生
農水省 ― 九州大学院教授
平均的でない子にも居場所をつくって
TPPの本質
「今だけ、金だけ、自分だけ」
◎ 多国籍企業が儲けのため自分たちに都合のいいルールを世界
規模で広げていく。食の安全も、人々の生活も知ったこっちゃ
ない。
浜が生活の場だった
「じゃあお前やってみろ」
高校進路相談 ― 東大志望時
※ 今の立場で何ができるかを考えて仕事をしてきました。
◇池田香世子
1948年 東京都生 独文学者 平和運動家
愛情を注いでくれる大人は多いほどよい
「世界がもし100人の村だったら」翻訳
☆「愛子とピーコのあの世とこの世」佐藤愛子 ピーコ 文藝春秋 2008 年【再々再掲載 2011.12】
<出版社の案内>
昨今のスピリチュアル・ブームを解剖し、江原啓之ブームを嘆く。問
題の根源は依存心にあり。日本人に活を入れて言う「波動を上げよ!」
50歳を過ぎてから恐るべき超常体験に次々と見舞われた佐藤愛子さ
ん、かたや片目を失ってから霊感が異常なまでに覚醒したピーコさん。
そんな二人がスピリチュアルなものについて語りつくした。とはいえ、
昨今のブーム便乗本の類ではない。二人の考えの基底=「死後の世界
は確実にある」に寄り添えば、自ずと生き方が変わってくるはずだ。
しかるに、昨今のスピリチュアル・ブームは、人々を悪しき方向に導
くものでしかない。圧巻は、人気絶頂の江原啓之に向けられた辛辣な
批判だろう。江原ファンもろともに、覚悟して読むべき書である。
◇愛子の心霊体験・ピーコの霊能力
成仏する霊しない霊
北条希功子,美輪明宏
眼を取ったら霊道が開いた
山川紘矢,亜希子夫妻
金色にかたどられた輪郭で
強まっていく能力 相曽誠治
◇死後の世界
「あの世」の構造
美輪明宏,大西弘泰,寺坂多枝子,江原啓之
相曽誠治,中川昌蔵
この世は三次元
→ あの世は四次元
幽現界 幽界 霊界 神界
49日間→成仏→
エーテル体 アストラル体
(執着)
美輪明宏の霊視
名古屋の小児科医・鶴田光敏氏の紹介
大切な審神者(さにわ)
霊能でお金儲けをしてはいけない
◇前世と守護霊 江原啓之への質問
霊能者という存在
霊能者は同じものは見えない
女性が依存症になっている
霊能者は世に出る必要はない
◇波動を上げよ
人間が平等なんてあり得ない
自己愛はあるのだけれど他人愛はない
幸福になる為のソフト(中川昌蔵)
今日一日 親切にしようと想う
今日一日 明るく朗らかにいようと想う
実行してはダメです
今日一日 謙虚にしようと想う
意識して実行すると失敗します
今日一日 素直になろうと想う
今日一日 感謝をしようと想う
神さまからの警告
災害は神さまからの警告
日拝を欠かさぬ事
もらった命の使命
月刊「少年育成」より ⑮-「おれは金をかせぐんだ…」(執筆者、年号数不明) /「どこ吹く風」丸谷才一 講談社 1997年【再掲載 2017.3】 [読書記録 教育]
今回は、6月20日に続いて、
キーワード「月刊『少年育成』」より15回目の紹介です。
執筆者等詳細は分かりません。、
冨田富士也さんの連載『せめぎあっておりあっておたがいさま』
かもしれません。
文章を読んでいると、先輩、後輩の気持ちに共感し、
涙が出そうになりました。
もう一つ、再掲載となりますが、丸谷才一さんの
「どこ吹く風」を載せます。
軽妙洒脱な丸谷さんの文章に憧れています。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆月刊「少年育成」より ⑮-「おれは金をかせぐんだ…」(執筆者、年号数不明)
渦中に身をおくとしがらみを抱え冷静さを失い腹を立てたり相手の真意
を誤解して受けとったりしがちである。
表現は不適切かもしれないがそんなとき外野席からそのやり取りをみて
いると一人ひとりの優しさや心意気が感じられてくる
かつては水産の町として一世を風びした地域に講演にうかがった。
その翌朝移動をいそいでいた私は早目にその地域の海岸線を走る電車に
乗った。
電車にはすでに男子高校生が何人か乗っていた。
どの子どもも試験中なのかウォークマンと参考書で早朝から勉強に必死
の様子だった。
しかし、都会のラッシュでかい間みる悲そう感はない。
研ぎ澄まされた雰囲気なら私の心も冷えきっていくがけっしてそんなこ
とはない。
見ると次々と乗車してくる高校生の学校は違っていても軽く声は掛け合
っている。
同じ幼馴染みでも高校へ進学するとだんだん付き合いも他人行儀になり
がちだが、それほどの極端さは感じられない。
私は彼ら、また彼女らがいじらしく″外野席″からキョロキョロとみて
いた。
電車はガタゴトと音をたてて秋のさわやかな風を切り走っていた。
気がついたら私の関心はかつて中学で先輩と後輩の関係にあったような
二人の高校生のやり取りに向いていた。
大柄な先輩格の高校生が勉強中の後輩らしき少年にやたらと話しかけて
いた。
その大柄な高校生はけっして勉強を邪魔しようとしているわけではない
が、話し掛けてはやめ、そしてまた話し掛けるので後輩格の少年はウォー
クマンと参考書に集中できず苦慮しているようだった。
だが意地悪ではなくかまってほしいというメッセージが先輩格から伝わ
ってくるのかその少年は苦慮している姿をみせまいと余裕ある仕草で相手
していた。
「おっ、そうだよ、おれはさっ、おまえたちが食べるまぐろを獲りにいく
んだよ」
大柄な少年は片手を電車の窓ぎわにあずけ足を組み胸を張ると″先輩風″
をふかせたいような言い方で勉強を一時中断しつつあったその後輩格の少
年に言った。
まわりにいる勉強中の高校生も一見、他人事のような表情はしているが
後輩格の少年の集中したい気持ちにいくぶん同情しているようでもあった。
後輩格の少年が意を決するかのように参考書を閉じて先輩の話を開く体
勢に入ったときだった。
その向かいにいたやはり後輩らしき男子高校生がその先輩格の高校生に
声を掛けた。
「その魚、俺にください」
私はこのときこの少年の″友情”をまさに″堪能″させてもらえた気が
した。
後輩格の少年には「勉強をしたいだろうけど無視しないで立派だな」と
いうメッセージを流しているように思えた。
また先輩には「がんばっていますね」という激励である。
大柄な少年は参考書を開いて勉強に集中しているまわりのなかで、自分
に自ら親しく声を掛けてくれたこの少年に嬉しそうな顔をして返事した。
「おっ、おれはさっ、金をかせぐんだ」
すると彼の隣りで聞く体勢に″完全″に入っていた後輩格の少年が、そ
の強気な言い方に共感したように何度もうなずいた。
すると先輩格の少年はその場全体を見わたし、また隣りでうなずく少年
を論すようにこう言った。
「人生は金だ。金が大切だ。おれは、おまえたちとは違って…」
電車の音もあって正確には言い切れないが、このような表現であったと
思う。
この「…」に私はいろいろな思いを浮かべてしまった。
子どもたちは中学を卒業し、いろいろな状況を抱え、それぞれの高校へ
進学したのだろう。
そこには悔しさや、また不安もあったはずである。
そんな子どもたちがこうして毎朝、同じ電車に乗って決められた駅で途
中下車していくのである。
しがらみを抱え生活していくとき、たまには強がったりすることもある
だろうが互いの存在を無視しないで認め合っていく姿は尊い。
この電車に集うここの子どもたちは毎朝、ガタゴト揺れながら、それし
か「優しく生きる」道はないことを学んでいるのではないだろうか。
しかしそれは参考書を閉じウォークマンをはずしても、けっして人間的
に「遅れをとらない」ことを知っているからであるはずだ。
原稿〆切に焦っていたが、高校生の会話に車内で執筆することを「一時
中断」し、″外野席″についたおかげで学んだことだった。
私は水産高校のある駅で下車する大柄な先輩格の彼に唐突にも
「がんばってね」
と言って太目のズボンに手を添えていた。
☆「どこ吹く風」丸谷才一 講談社 1997年【再掲載 2017.3】
<出版社の案内>
藝もあります学もある、御存知丸谷エッセイ。黙って読めばクスリと笑え
る。天丼の諸問題から孔子伝まで、時には政治家をからかい、時にはスポ
ーツ選手を褒めちぎる、縦横無尽、痛快無比。挿画は勿論、和田誠。
◇日本史再考
政治家は公約を踏みにじる
→ 日本の政治は公約を破ってかまわない
明治維新以来 薩長土肥
~ 攘夷をやらず、開国に転じた
◇イギリス人得意のもの
① スパイ小説
② スパイ
③ 製薬
④ 陸上中距離
⑤ 演技
◇四大編集長
①「文藝春秋」 池島信平
②「週刊朝日」 扇谷正造
③「暮らしの手帖」 花森安治
④「ミセス」 今井田勲
◇都市的風景
電柱と電線を日本の街から追放しよう
◇昔の日本人
二木謙一(國學院大學)史学者
「昔の日本人は戦争の後で敵味方双方の戦死者の供養をした」
∥
◎ 敵に礼節を尽くした
近代に入ると弔うことをしなくなった
|
◎ 昔の日本人に比べて低級になった
御霊信仰
= 放っておいたのでは,恨みを呑んで死んだ者の霊が祟る
キーワード「月刊『少年育成』」より15回目の紹介です。
執筆者等詳細は分かりません。、
冨田富士也さんの連載『せめぎあっておりあっておたがいさま』
かもしれません。
文章を読んでいると、先輩、後輩の気持ちに共感し、
涙が出そうになりました。
もう一つ、再掲載となりますが、丸谷才一さんの
「どこ吹く風」を載せます。
軽妙洒脱な丸谷さんの文章に憧れています。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆月刊「少年育成」より ⑮-「おれは金をかせぐんだ…」(執筆者、年号数不明)
渦中に身をおくとしがらみを抱え冷静さを失い腹を立てたり相手の真意
を誤解して受けとったりしがちである。
表現は不適切かもしれないがそんなとき外野席からそのやり取りをみて
いると一人ひとりの優しさや心意気が感じられてくる
かつては水産の町として一世を風びした地域に講演にうかがった。
その翌朝移動をいそいでいた私は早目にその地域の海岸線を走る電車に
乗った。
電車にはすでに男子高校生が何人か乗っていた。
どの子どもも試験中なのかウォークマンと参考書で早朝から勉強に必死
の様子だった。
しかし、都会のラッシュでかい間みる悲そう感はない。
研ぎ澄まされた雰囲気なら私の心も冷えきっていくがけっしてそんなこ
とはない。
見ると次々と乗車してくる高校生の学校は違っていても軽く声は掛け合
っている。
同じ幼馴染みでも高校へ進学するとだんだん付き合いも他人行儀になり
がちだが、それほどの極端さは感じられない。
私は彼ら、また彼女らがいじらしく″外野席″からキョロキョロとみて
いた。
電車はガタゴトと音をたてて秋のさわやかな風を切り走っていた。
気がついたら私の関心はかつて中学で先輩と後輩の関係にあったような
二人の高校生のやり取りに向いていた。
大柄な先輩格の高校生が勉強中の後輩らしき少年にやたらと話しかけて
いた。
その大柄な高校生はけっして勉強を邪魔しようとしているわけではない
が、話し掛けてはやめ、そしてまた話し掛けるので後輩格の少年はウォー
クマンと参考書に集中できず苦慮しているようだった。
だが意地悪ではなくかまってほしいというメッセージが先輩格から伝わ
ってくるのかその少年は苦慮している姿をみせまいと余裕ある仕草で相手
していた。
「おっ、そうだよ、おれはさっ、おまえたちが食べるまぐろを獲りにいく
んだよ」
大柄な少年は片手を電車の窓ぎわにあずけ足を組み胸を張ると″先輩風″
をふかせたいような言い方で勉強を一時中断しつつあったその後輩格の少
年に言った。
まわりにいる勉強中の高校生も一見、他人事のような表情はしているが
後輩格の少年の集中したい気持ちにいくぶん同情しているようでもあった。
後輩格の少年が意を決するかのように参考書を閉じて先輩の話を開く体
勢に入ったときだった。
その向かいにいたやはり後輩らしき男子高校生がその先輩格の高校生に
声を掛けた。
「その魚、俺にください」
私はこのときこの少年の″友情”をまさに″堪能″させてもらえた気が
した。
後輩格の少年には「勉強をしたいだろうけど無視しないで立派だな」と
いうメッセージを流しているように思えた。
また先輩には「がんばっていますね」という激励である。
大柄な少年は参考書を開いて勉強に集中しているまわりのなかで、自分
に自ら親しく声を掛けてくれたこの少年に嬉しそうな顔をして返事した。
「おっ、おれはさっ、金をかせぐんだ」
すると彼の隣りで聞く体勢に″完全″に入っていた後輩格の少年が、そ
の強気な言い方に共感したように何度もうなずいた。
すると先輩格の少年はその場全体を見わたし、また隣りでうなずく少年
を論すようにこう言った。
「人生は金だ。金が大切だ。おれは、おまえたちとは違って…」
電車の音もあって正確には言い切れないが、このような表現であったと
思う。
この「…」に私はいろいろな思いを浮かべてしまった。
子どもたちは中学を卒業し、いろいろな状況を抱え、それぞれの高校へ
進学したのだろう。
そこには悔しさや、また不安もあったはずである。
そんな子どもたちがこうして毎朝、同じ電車に乗って決められた駅で途
中下車していくのである。
しがらみを抱え生活していくとき、たまには強がったりすることもある
だろうが互いの存在を無視しないで認め合っていく姿は尊い。
この電車に集うここの子どもたちは毎朝、ガタゴト揺れながら、それし
か「優しく生きる」道はないことを学んでいるのではないだろうか。
しかしそれは参考書を閉じウォークマンをはずしても、けっして人間的
に「遅れをとらない」ことを知っているからであるはずだ。
原稿〆切に焦っていたが、高校生の会話に車内で執筆することを「一時
中断」し、″外野席″についたおかげで学んだことだった。
私は水産高校のある駅で下車する大柄な先輩格の彼に唐突にも
「がんばってね」
と言って太目のズボンに手を添えていた。
☆「どこ吹く風」丸谷才一 講談社 1997年【再掲載 2017.3】
<出版社の案内>
藝もあります学もある、御存知丸谷エッセイ。黙って読めばクスリと笑え
る。天丼の諸問題から孔子伝まで、時には政治家をからかい、時にはスポ
ーツ選手を褒めちぎる、縦横無尽、痛快無比。挿画は勿論、和田誠。
◇日本史再考
政治家は公約を踏みにじる
→ 日本の政治は公約を破ってかまわない
明治維新以来 薩長土肥
~ 攘夷をやらず、開国に転じた
◇イギリス人得意のもの
① スパイ小説
② スパイ
③ 製薬
④ 陸上中距離
⑤ 演技
◇四大編集長
①「文藝春秋」 池島信平
②「週刊朝日」 扇谷正造
③「暮らしの手帖」 花森安治
④「ミセス」 今井田勲
◇都市的風景
電柱と電線を日本の街から追放しよう
◇昔の日本人
二木謙一(國學院大學)史学者
「昔の日本人は戦争の後で敵味方双方の戦死者の供養をした」
∥
◎ 敵に礼節を尽くした
近代に入ると弔うことをしなくなった
|
◎ 昔の日本人に比べて低級になった
御霊信仰
= 放っておいたのでは,恨みを呑んで死んだ者の霊が祟る
「評伝 田畑政治」杢代哲雄 図書刊行会 2018年 ② /「図とイラストですぐわかる教師が使えるカウンセリングテクニック80」諸富祥彦 図書文化社 2014年 ①【再掲載 2016.5】 [読書記録 一般]
今回は、6月19日に続いて、杢屋哲雄さんの
「評伝 田畑政治」の紹介 2回目です。
1988年に出版されたものが新装版となったものを読みました。
NHK大河ドラマ『いだてん』の放送に合わせて出された新装版を読み
した。
出版社の案内には
「2019年NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の主人
公・田畑政治の熱い生涯!戦前・戦後と日本のスポーツ界の発展に
尽力し、1964年の東京オリンピック招致を成功に導いた田畑政治。
その最も身近に接してきた著者が、『田畑政治オリンピック回想録』
出版に向けて田畑政治みずからが語った原稿を元に、オリンピックに
生涯をささげたその熱い生きざまを描く。」
とあります。
今回紹介分より、田畑政治さんが、事務総長を辞した後にも、
多くの仲間に支えられていたことが分かります。
もう一つ、再掲載となりますが、諸富祥彦さんの
「図とイラストですぐわかる教師が使えるカウンセリングテクニック80」
を載せます。
子どもたちばかりでなく、大人との接し方についても参考になることが
書かれています。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「評伝 田畑政治」杢代哲雄 図書刊行会 2018年 ②
◇昭和23年 田畑政治が日本水連会長になる(2)
戦後のオリンピック参加
ヘルシンキ大会で古橋選手病魔に
オリンピック募金事件
昭和35年 報知新聞 漆崎賢二記者
メルボルン大会
審判員は公正であれ
ローマ大会は運営の勉強
フレンケルの勧告
東龍太郎と田畑政治でオリンピック招致決定
政府の決定を促す
ロスのフレッド・和田イサムさんの協力
平澤和重プレゼンテーターの功績
東京オリンピック組織委員会づくり
スポーツ少年団の発足
事務総長を辞したいきさつ
津島会長との溝
ワシントンハイツ選手村
NHK移転
川島正次郎行政管理庁長官
津島氏辞任に関する注文
川島「津島おろしは田畑が言った」
第4回アジア競技大会のトラブル
1962年8月24日 インドネシア・ジャカルタ
スカルノ 台湾とイスラエルに招致状を出さず
台湾問題
大会の合法化に全力
AGF会議 陰謀の電報「やっぱりあの手か」
ペイの電報-ウソ
川島大臣の判断と謀略
川島正次郎オリンピック担当大臣
矛先を津島から田畑へ
田畑が見抜く 津島→→岸信介
無役時代の福吉町事務所
車が自由に使えなくなった
→ 筆者
車の調達 菅井精(まこと)2~3年 自分の車 給料なし
ガソリンは水泳仲間丸善石油OB早稲田石本 ガソリン一年分
|
無役なのに組織委員会事務局員田畑にAステッカー
菅井さんの車で選手を激励
|
本拠地は福吉町の邸宅 大阪高槻の辰野又一さんが提供
敷金なし、家賃無料、ただしこれからの東京に向かいいいアイデア
友人・渡辺尚文さんの仲介
|
トレパンを東京私立体操服に
それまでは白いズボン(戦争中の余り物)
東レで試作 「トレコンビ」
トレパンと田畑政治との関連
東京スイミングセンター
☆「図とイラストですぐわかる教師が使えるカウンセリングテクニック80」諸富祥彦 図書文化社 2014年 ①【再掲載 2016.5】
◇教師の哲学
1 教師として自分の哲学をもて
その後に哲学として統合を!
最初はテクニックからでよい
2「私は自分の人生の主人公だ」
→ 実存主義の哲学がカウンセリングのバッグボーン
「俺には俺の生き方がある」
3 教師としての使命感をもて
- フランクルの実存主義が教えてくれること
VEフランクル
◎「あなたは人生から問われている。自分の人生に与えられた使命を
あなたはほんとうに果たしているのかと」
◎ 幸福は使命を果たした結果手に入るもので、幸福を目標にしては
ならない
3年をスパンにして「教師の使命」
- 常に自問自答を!
◇教師は人間関係のプロでなければならない
4 教師は「人間関係のプロ」でなければならない
子どもとの関係、保護者との関係、同僚や管理職との関係
~ 様々な人間関係
◎ どんな相手であれ、数分から数十分の間に関係を築くことがで
きる力
5「リレーション」こそ、あらゆるカウンセリングテクニックのベースで
ある
どんな人が相手でもリレーションを瞬時に作る力こそ求められる力
6 子ども、保護者、同僚が助けを求めたくなる(援助希求できる)関係
こそ学校カウンセリングのキーポイント
「援助希求 = help-seeking」をしてもらえる関係づくり
◎「何だかこの人といるとほっとするね」
◎「この人のそばにいると、つい弱音を吐きたくなるね」
7「開かれた質問」を使って、相手が助けを求めやすいリレーションをつ
くろう
開かれた質問
- 「どうですか」
話すきっかけを作るため
閉ざされた質問
- 「何月何日生まれ」
正確な情報をつかむため
8 相手がホットできる「心のスペース」をつくろう。
→「忙しいビーム」 を放っている先生には誰も相談してくれない。
9 ロジャーズの「変容」とは子どもを甘やかすことではない。
苦しみを抱えた人が、「ありのままの姿でそこにいていいんですよ」
という雰囲気を感じることができる。
「この先生のそばにいれば、私はあるのままの自分で居ることができ
る」と感じることができる。そんな関係を提供することである。
ロジャースのカウンセリング
◎「相手のために十分なスペース(空間)を提供することである」
10 自分の気持ちを伝えたいときは「わたしメッセージ」で伝える
×「あなたは○○なのよ」
→ ◎「わたしは…」一人称に変換
「評伝 田畑政治」の紹介 2回目です。
1988年に出版されたものが新装版となったものを読みました。
NHK大河ドラマ『いだてん』の放送に合わせて出された新装版を読み
した。
出版社の案内には
「2019年NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の主人
公・田畑政治の熱い生涯!戦前・戦後と日本のスポーツ界の発展に
尽力し、1964年の東京オリンピック招致を成功に導いた田畑政治。
その最も身近に接してきた著者が、『田畑政治オリンピック回想録』
出版に向けて田畑政治みずからが語った原稿を元に、オリンピックに
生涯をささげたその熱い生きざまを描く。」
とあります。
今回紹介分より、田畑政治さんが、事務総長を辞した後にも、
多くの仲間に支えられていたことが分かります。
もう一つ、再掲載となりますが、諸富祥彦さんの
「図とイラストですぐわかる教師が使えるカウンセリングテクニック80」
を載せます。
子どもたちばかりでなく、大人との接し方についても参考になることが
書かれています。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「評伝 田畑政治」杢代哲雄 図書刊行会 2018年 ②
◇昭和23年 田畑政治が日本水連会長になる(2)
戦後のオリンピック参加
ヘルシンキ大会で古橋選手病魔に
オリンピック募金事件
昭和35年 報知新聞 漆崎賢二記者
メルボルン大会
審判員は公正であれ
ローマ大会は運営の勉強
フレンケルの勧告
東龍太郎と田畑政治でオリンピック招致決定
政府の決定を促す
ロスのフレッド・和田イサムさんの協力
平澤和重プレゼンテーターの功績
東京オリンピック組織委員会づくり
スポーツ少年団の発足
事務総長を辞したいきさつ
津島会長との溝
ワシントンハイツ選手村
NHK移転
川島正次郎行政管理庁長官
津島氏辞任に関する注文
川島「津島おろしは田畑が言った」
第4回アジア競技大会のトラブル
1962年8月24日 インドネシア・ジャカルタ
スカルノ 台湾とイスラエルに招致状を出さず
台湾問題
大会の合法化に全力
AGF会議 陰謀の電報「やっぱりあの手か」
ペイの電報-ウソ
川島大臣の判断と謀略
川島正次郎オリンピック担当大臣
矛先を津島から田畑へ
田畑が見抜く 津島→→岸信介
無役時代の福吉町事務所
車が自由に使えなくなった
→ 筆者
車の調達 菅井精(まこと)2~3年 自分の車 給料なし
ガソリンは水泳仲間丸善石油OB早稲田石本 ガソリン一年分
|
無役なのに組織委員会事務局員田畑にAステッカー
菅井さんの車で選手を激励
|
本拠地は福吉町の邸宅 大阪高槻の辰野又一さんが提供
敷金なし、家賃無料、ただしこれからの東京に向かいいいアイデア
友人・渡辺尚文さんの仲介
|
トレパンを東京私立体操服に
それまでは白いズボン(戦争中の余り物)
東レで試作 「トレコンビ」
トレパンと田畑政治との関連
東京スイミングセンター
☆「図とイラストですぐわかる教師が使えるカウンセリングテクニック80」諸富祥彦 図書文化社 2014年 ①【再掲載 2016.5】
◇教師の哲学
1 教師として自分の哲学をもて
その後に哲学として統合を!
最初はテクニックからでよい
2「私は自分の人生の主人公だ」
→ 実存主義の哲学がカウンセリングのバッグボーン
「俺には俺の生き方がある」
3 教師としての使命感をもて
- フランクルの実存主義が教えてくれること
VEフランクル
◎「あなたは人生から問われている。自分の人生に与えられた使命を
あなたはほんとうに果たしているのかと」
◎ 幸福は使命を果たした結果手に入るもので、幸福を目標にしては
ならない
3年をスパンにして「教師の使命」
- 常に自問自答を!
◇教師は人間関係のプロでなければならない
4 教師は「人間関係のプロ」でなければならない
子どもとの関係、保護者との関係、同僚や管理職との関係
~ 様々な人間関係
◎ どんな相手であれ、数分から数十分の間に関係を築くことがで
きる力
5「リレーション」こそ、あらゆるカウンセリングテクニックのベースで
ある
どんな人が相手でもリレーションを瞬時に作る力こそ求められる力
6 子ども、保護者、同僚が助けを求めたくなる(援助希求できる)関係
こそ学校カウンセリングのキーポイント
「援助希求 = help-seeking」をしてもらえる関係づくり
◎「何だかこの人といるとほっとするね」
◎「この人のそばにいると、つい弱音を吐きたくなるね」
7「開かれた質問」を使って、相手が助けを求めやすいリレーションをつ
くろう
開かれた質問
- 「どうですか」
話すきっかけを作るため
閉ざされた質問
- 「何月何日生まれ」
正確な情報をつかむため
8 相手がホットできる「心のスペース」をつくろう。
→「忙しいビーム」 を放っている先生には誰も相談してくれない。
9 ロジャーズの「変容」とは子どもを甘やかすことではない。
苦しみを抱えた人が、「ありのままの姿でそこにいていいんですよ」
という雰囲気を感じることができる。
「この先生のそばにいれば、私はあるのままの自分で居ることができ
る」と感じることができる。そんな関係を提供することである。
ロジャースのカウンセリング
◎「相手のために十分なスペース(空間)を提供することである」
10 自分の気持ちを伝えたいときは「わたしメッセージ」で伝える
×「あなたは○○なのよ」
→ ◎「わたしは…」一人称に変換
「自分を変える読書」戸田智弘 三笠書房 2013年 ⑤ /「続 坂東先生の教育講座」坂東義教 モーニングショー 全国朝日放送株式会社 1980年 ③【再掲載 2018.5】 [読書記録 一般]
今回は、6月14日に続いて戸田智弘さんの
「自分を変える読書」の紹介 5回目です。
出版社の案内には、
「この1冊で、あらゆる人生の疑問に答えてくれる本が見つかります!
人生論・幸福論・仕事・思考力・恋愛・自己と他者・お金・健康・
歴史・現状認識・未来・死生観…『セカイ観』がぐんと深まる50冊
を厳選!
『働く理由』『続・働く理由』で圧倒的共感を呼んだ著者が贈る、
『これから』のための新・読書案内!
さあ、自分を変えていくために、本を読もう!」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥
・「愛こそがじじいリテラシーに欠かせないファクター」
・「相づちが大切 - 相手の話を肯定的にとらえるように」
・「今の仕事が好きでも嫌いでもとにかく目の前の仕事に集中する」
・「読書、なかんずく小説を読む喜びは、もう一つの人生を経験する
ことができる、という点にある - 山本周五郎」
わたしは紹介されているほとんどの本を読みたくなりました。
もう一つ、再掲載となりますが、坂東義教さんの
「続 坂東先生の教育講座」③を載せます。
40年も前に出された本ですが、教職生活を続けてきて、
書かれていることは本当だなあと実感しています。
昨夕、コウノトリはいつもいる田んぼ近くの
用水ポンプ場の施設の上にいました。
近くにはなぜかサギが。
しばらく止まっていましたが、いつもの田んぼに飛んでいきました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「自分を変える読書」戸田智弘 三笠書房 2013年 ⑤
◇会社と仕事と人間関係力(2)
12 『じじいリテラシー』葉石かおり 星海社新書
親父を上手に転がす法
上司
① オレオレじじい
自分
② うんちくじじい
雑学
③ 肉食じじい
女性
出世欲
④ 茶坊主じじい
お世辞 出世欲
⑤ 9時5時じじい
やる気がない
⑥ 耕作じじい
ヒーロー
◎ 愛こそがじじいリテラシーに欠かせないファクター
「存在するものは皆よきものである」トマス・アクィナス
※『上司取扱説明書』藤野裕美 同友館
欧米視点
13 『プロカウンセラーの聞く技術』東山紘久 創元社
「聞く」ことのプロが教える「聞き上手」になるための極意
相づちが大切
- <相手の話を肯定的にとらえる>
相手の言ったことは相手のこととして認めると言うこと
「ハイ」
「エエ」
「そう」
「なるほど」
「ほんと」
相手の悪の部分や弱い部分、陰の部分も認められる
※『聞く力』阿川佐和子 文春新書
『心の対話者』鈴木秀子 文春新書
14 『働きマン』安野モヨコ モーニングKC
「わたしは仕事したなーと思って死にたい」
コミック誌「モーニング」2004~
世の中には人の数だけ仕事の数だけ働き方がある
今の仕事が好きでも嫌いでもとにかく目の前の仕事に集中する
※アニメ『働きマン』
テレビドラマ『働きマン』菅野美穂主演 DVDで
<コラム2> 読書の3つの効用
① 語彙が豊かになる
考えるツールを増やす
緻密な思考が可能に
感情豊で細やかになる
② 経験の幅を広げられる
山本周五郎
「読書、なかんずく小説を読む喜びは、もう一つの人生を
経験することができる、という点にある」
③ 実際の経験からは学べない知識を獲得するためである
人間の実感や直感だけから得られる知識は限られている
☆「続 坂東先生の教育講座」坂東義教 モーニングショー 全国朝日放送株式会社 1980年 ③【再掲載 2018.5】
◇自殺・心の中がうつろな子供たち
□家の手伝い一つしない
家事労働が忘れられてしまっている
□犬を飼ってくれないと自殺
わがままな間はヒマになればろくでもないことばかり考える
□何より大事な家事の手助け
躾られないで黙っていたら虚無
何にもゼロ
仕方ないからテレビ観る、仕方ないから死んでやる
= 躾はお行儀ばかりでない
□風呂桶に水を汲め
ある校長
- わざわざうちの中を便利にしない
= (理由)母親のありがたさが分かるから
◎ 家事労働から家族愛が生まれてくる
= 何もしない子供には愛情は分からない
□中学生で一家の母親になった少女
「わたしはまだいい 妹は母親と一緒に居られない」
□英国少年は「マイデューティ」ときっぱり言った
子供には役割を与えないといけない
□独逸と日本と正反対とは
俺はパブリックスクール出身だ
= 生活訓練の大変さ
◎ 家族愛をしっかり育てて
◇坂東先生最後の講義 -甘やかしたら育てたらもう絶対にダメ
□ホイホイミカンの食べ過ぎが死亡原因
太った子供
オーバー・インタルジェンス「過服従」
甘やかし
→ コントロールが必要
□叱らない教育なんて
羽仁進 放任教育テーマ 理想
□坂東先生 早熟の失敗
小4・5のときに母親に
「母さんと父さんがね、そういうイヌみたいなこと、やるんでない
かなあ」
→ 父親からバーンとぶっとばされた
↓
◎ 世の中言っていいことと悪いことがあるんだなあ!
◎ 子供は叱られたいと思っている。愛情と統制とは実は同じもの。
= 胸を張って叱れ!
□父さん、権威を持たなくっちゃ
ちゃんとして旦那さんを大事にする
~ 折り目をしっかり
□甘やかしすぎたらこの始末
叱らないで育てるとヒステリックな子ができちゃう
□奥さん、根気こそ肝心だ
甘やかされて育った子供の学力は積み重ねの必要な学科が弱い
- 算数ダメなのは甘やかしが原因
◎ 甘やかしていると「自己統制力」が育たない
□ああ恐ろしいこの自己中心一家
(最近このような家庭が増えているのではないかと心配します-ハマコウ)
□半年待ちなさい
平井信義(お茶の水大学)
子供に買うのを我慢させた
一か月
三か月
大きいものは半年ためてあげる
□とことん突き詰めれば悪いのはすべて甘やかし
40人の先生40クラスを調べたところ…
◎ 性格が良くて成績のいい子の親御さんは甘やかしていない
クラスの下の1/4の子
- 甘やかされている(最後には負ける)
↓
◎ 子供の甘やかしは見過ごさない、決して許さない
∥
制限とか禁止があって初めて本当の自由がある
「自分を変える読書」の紹介 5回目です。
出版社の案内には、
「この1冊で、あらゆる人生の疑問に答えてくれる本が見つかります!
人生論・幸福論・仕事・思考力・恋愛・自己と他者・お金・健康・
歴史・現状認識・未来・死生観…『セカイ観』がぐんと深まる50冊
を厳選!
『働く理由』『続・働く理由』で圧倒的共感を呼んだ著者が贈る、
『これから』のための新・読書案内!
さあ、自分を変えていくために、本を読もう!」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥
・「愛こそがじじいリテラシーに欠かせないファクター」
・「相づちが大切 - 相手の話を肯定的にとらえるように」
・「今の仕事が好きでも嫌いでもとにかく目の前の仕事に集中する」
・「読書、なかんずく小説を読む喜びは、もう一つの人生を経験する
ことができる、という点にある - 山本周五郎」
わたしは紹介されているほとんどの本を読みたくなりました。
もう一つ、再掲載となりますが、坂東義教さんの
「続 坂東先生の教育講座」③を載せます。
40年も前に出された本ですが、教職生活を続けてきて、
書かれていることは本当だなあと実感しています。
昨夕、コウノトリはいつもいる田んぼ近くの
用水ポンプ場の施設の上にいました。
近くにはなぜかサギが。
しばらく止まっていましたが、いつもの田んぼに飛んでいきました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「自分を変える読書」戸田智弘 三笠書房 2013年 ⑤
◇会社と仕事と人間関係力(2)
12 『じじいリテラシー』葉石かおり 星海社新書
親父を上手に転がす法
上司
① オレオレじじい
自分
② うんちくじじい
雑学
③ 肉食じじい
女性
出世欲
④ 茶坊主じじい
お世辞 出世欲
⑤ 9時5時じじい
やる気がない
⑥ 耕作じじい
ヒーロー
◎ 愛こそがじじいリテラシーに欠かせないファクター
「存在するものは皆よきものである」トマス・アクィナス
※『上司取扱説明書』藤野裕美 同友館
欧米視点
13 『プロカウンセラーの聞く技術』東山紘久 創元社
「聞く」ことのプロが教える「聞き上手」になるための極意
相づちが大切
- <相手の話を肯定的にとらえる>
相手の言ったことは相手のこととして認めると言うこと
「ハイ」
「エエ」
「そう」
「なるほど」
「ほんと」
相手の悪の部分や弱い部分、陰の部分も認められる
※『聞く力』阿川佐和子 文春新書
『心の対話者』鈴木秀子 文春新書
14 『働きマン』安野モヨコ モーニングKC
「わたしは仕事したなーと思って死にたい」
コミック誌「モーニング」2004~
世の中には人の数だけ仕事の数だけ働き方がある
今の仕事が好きでも嫌いでもとにかく目の前の仕事に集中する
※アニメ『働きマン』
テレビドラマ『働きマン』菅野美穂主演 DVDで
<コラム2> 読書の3つの効用
① 語彙が豊かになる
考えるツールを増やす
緻密な思考が可能に
感情豊で細やかになる
② 経験の幅を広げられる
山本周五郎
「読書、なかんずく小説を読む喜びは、もう一つの人生を
経験することができる、という点にある」
③ 実際の経験からは学べない知識を獲得するためである
人間の実感や直感だけから得られる知識は限られている
☆「続 坂東先生の教育講座」坂東義教 モーニングショー 全国朝日放送株式会社 1980年 ③【再掲載 2018.5】
◇自殺・心の中がうつろな子供たち
□家の手伝い一つしない
家事労働が忘れられてしまっている
□犬を飼ってくれないと自殺
わがままな間はヒマになればろくでもないことばかり考える
□何より大事な家事の手助け
躾られないで黙っていたら虚無
何にもゼロ
仕方ないからテレビ観る、仕方ないから死んでやる
= 躾はお行儀ばかりでない
□風呂桶に水を汲め
ある校長
- わざわざうちの中を便利にしない
= (理由)母親のありがたさが分かるから
◎ 家事労働から家族愛が生まれてくる
= 何もしない子供には愛情は分からない
□中学生で一家の母親になった少女
「わたしはまだいい 妹は母親と一緒に居られない」
□英国少年は「マイデューティ」ときっぱり言った
子供には役割を与えないといけない
□独逸と日本と正反対とは
俺はパブリックスクール出身だ
= 生活訓練の大変さ
◎ 家族愛をしっかり育てて
◇坂東先生最後の講義 -甘やかしたら育てたらもう絶対にダメ
□ホイホイミカンの食べ過ぎが死亡原因
太った子供
オーバー・インタルジェンス「過服従」
甘やかし
→ コントロールが必要
□叱らない教育なんて
羽仁進 放任教育テーマ 理想
□坂東先生 早熟の失敗
小4・5のときに母親に
「母さんと父さんがね、そういうイヌみたいなこと、やるんでない
かなあ」
→ 父親からバーンとぶっとばされた
↓
◎ 世の中言っていいことと悪いことがあるんだなあ!
◎ 子供は叱られたいと思っている。愛情と統制とは実は同じもの。
= 胸を張って叱れ!
□父さん、権威を持たなくっちゃ
ちゃんとして旦那さんを大事にする
~ 折り目をしっかり
□甘やかしすぎたらこの始末
叱らないで育てるとヒステリックな子ができちゃう
□奥さん、根気こそ肝心だ
甘やかされて育った子供の学力は積み重ねの必要な学科が弱い
- 算数ダメなのは甘やかしが原因
◎ 甘やかしていると「自己統制力」が育たない
□ああ恐ろしいこの自己中心一家
(最近このような家庭が増えているのではないかと心配します-ハマコウ)
□半年待ちなさい
平井信義(お茶の水大学)
子供に買うのを我慢させた
一か月
三か月
大きいものは半年ためてあげる
□とことん突き詰めれば悪いのはすべて甘やかし
40人の先生40クラスを調べたところ…
◎ 性格が良くて成績のいい子の親御さんは甘やかしていない
クラスの下の1/4の子
- 甘やかされている(最後には負ける)
↓
◎ 子供の甘やかしは見過ごさない、決して許さない
∥
制限とか禁止があって初めて本当の自由がある
月刊「少年育成」より ⑭-「″野に咲く花″と出会いませんか」(号数・執筆者不明)/「日本人として言い残しておきたいこと」会田雄次 大和出版 1995年 ①【再掲載 2014.11】 [読書記録 教育]
今回は、6月10日に続いて、
キーワード「月刊『少年育成』」より14回目の紹介です。
執筆者等詳細は分かりませんが、
冨田富士也さんの、
連載『せめぎあっておりあっておたがいさま』からかと想像されます。
-人は学校に行くためだけに、就職するためだけに生まれてきたのではない。
わたしもそう思うことが増えてきました。
もう一つ、再掲載となりますが、会田雄次さんの
「日本人として言い残しておきたいこと」①を載せます。
-品格品性はありますか?
そう問われると、わたしは恥ずかしくなります。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆月刊「少年育成」より ⑭-「″野に咲く花″と出会いませんか」(号数・執筆者不明)
なにげなしに見ず知らずの人と目があってしまうことがある。
そのとき、自分の心の余裕にも左右されるが相手の人がすくんだり、反対
に居丈高になってこちらを見ると関係を遠慮してしまうことがある。
そこに不快感が漂うからである。
「なにか私があなたに悪いことをしましたか」とわざわざたずねるほどの間
柄でもないし、「眼をつけたな」と言って因縁をつける理由もない。
ただ当たらず障らずで時のすぎるのを待つだけである。
ところがその場からお互いに離れていくことには変わりなくても、さわや
かな気持ちを残してすぎ去っていく人もいる。
まるでタンポポの花に似て、その種は風に乗って飛んでいき、どこかでま
た見ず知らずの人にしあわせの花を咲かせるのだろう。
私は都内の保育園での講演に出掛け、待ち合わせ駅の改札口で迎えの人を
待っていた。
前日の雨もあがり、駅のロータリーに植えられている木の青葉が私を改札
口から誘っていた。
待ち合わせ時刻まで5分間位あったので改札を離れ、売店の階段を数段お
りてその木をあおいだ。
そしてさわやかな気持ちをいただいて目線をおろした。
するとそこに青年が立っていた。
思わず視線が合ってしまった。
ところがその青年の体格、いで立ちがなんともあの山下清画伯に似ている
のだ。
いやテレビ番組で画伯を演じていた芦屋雁之助さんのようでもあった。
膝小僧が見えるか隠れるかといった半ズボン。
少し大き日のTシャツを着ているがお腹の出具合もまあまああって、私も
思わず自分のお腹をなでて「似ているな」とつぶやいてしまう。
背には大きなリュックサックを背負い、そこには白いビニール傘が上手に
くくられていた。
彼か私か、どちらが先にほほ笑んだか分からないが、なんとなく私は彼の
もとにTV番組の主題歌を心のなかで口ずさみながら近づいていった。
野に咲く花のように
風に吹かれて
野に咲く花のように
人をさわやかにして
そんなふうに 僕たちも
生きてゆけたら すばらしい
時には暗い人生も
トンネル抜ければ 夏の海
そんな時こそ野の花の
けなげな心を知るのです
ルルル…
『野に咲く花のように』
作詞・杉山政美
作曲・小林亜星
「どこかに行くの」
私は彼の変わらぬほほ笑みを確認してたずねた。
「うん」
「そうなんだ。誰かを待ってるの」
「うん、友だち」
「そうか、友だちか」
私は青空をみながら、リュックサックにぴったりとくくりつけられている
白い傘が人でもないのにいじらしく思えた。
「この傘、いいね。上手につけているね」
私の気まぐれな問いに彼は素直に答えた。
「うん、おかあさんがつけてくれた」
「母親」と呼んでもいいはずの青年の年齢を推し量るとき、「おかあさん」
という言い方が私に「純に生きる」ことを教えてくれるようだった。
私にはその白いビニールの傘がその青年の母親のようにも思えてきた。
お遍路さんが″同行二人″で頼りにする金剛杖にもみえてきた。
「僕と同じだね、君のおなかも」
私は自分の腹をさすって彼のおなかと見比べた。
彼もTシャツの上からおなかをさすった。
「ほんとだね、同じだね」
「君はいま何歳ですか」
「27歳」
「そうか、僕は47歳だよ。古いかな」
「そんなことないよ、若いよ」
「ありがとう」
私は勝手にこの青年と母親の日常を想像していた。
表裏一体。
つらい人生を抱えきることで、腰がすわり、覚悟をきめることで健気な心
がみえてくる。
そんな思いを感じつつ私はもっと彼と話し込んでいたくなった。
すると彼がまるで私の独り善がりを見ぬくかのようにいきなり結論を出し
た。
「ホームで (友だちを)待っていよう」
青年はそう繰り返すと私と目線を合わすことなく改札口に向かいホームの
ある階段へのぼり消えてしまった。
呆気ないひとときだった。
人は学校に行くためだけに、就職するためだけに生まれてきたのではない。
いろいろな使命をもってこの世に誕生している。
彼はまるで野に咲くタンポポのようだった。
健気な心を掘り起こすために彼はこの世に生まれてきたのだろう。
☆「日本人として言い残しておきたいこと」会田雄次 大和出版 1995年 ①【再掲載 2014.11】
<出版社の案内>
平和に安楽に生活できるのはありがたいが、なぜか生きがいというものが感
じられない日本の現実。志なき民族は死滅する。大切なのはコツコツとなす
べきことをなす心構え。これからの日本の進路を提示。
◇戦後日本が失ったもの
底深い日本人への蔑視
品格があればハンディは乗り越えられる
小村寿太郎
日本外交成功ハーバード大留学時の人脈
← 尊敬されていた
折り目正しい立ち居振る舞い
児玉源太郎
昭和天皇の内なる人格の光
1971(昭和46)年
ヨーロッパ訪歴 - 昔の古い村の哲人のような誠実さ朴訥さ
↓
対日感情を一変させた
= 内から発する篤実な人格
日本人が失ったもの,それは品格である
長所の格
品格品性
◇外国人の見た日本人像
外国人による日本人の観察記録
中国史書 - 中華思想による歪み
イエズス会宣教師たちの報告書
キリスト教宣教師を驚嘆させた日本人の性格
ザビエル 1547年
「日本人は怜悧で品性高い。民衆の末端に至るまで礼儀正しく名誉
を重んじて死をおそれない。教養も豊かで好奇心が強い。」
ヴァリアーノ 1579年
「日本人の利発さ,品性の高さ,名誉を何よりの価値基準とする高
潔さ。」
戦国時代には品格を備えた日本人がたくさんいた
日本人への批判点
= 性道徳の欠如(割り引いて考える必要あり)
日本人の美点
= 聡明さ,忍耐力,名誉を尊ぶ
品格を欠いていた明治維新期の民衆
チェンドレン・モース・ハーン
忍耐力・勤勉さ・情緒面のみ
∥
品性には触れていない
サトー
武士階級と下層民衆には信じられない品性の格差
咸臨丸
木村喜毅館長に勝海舟が不満を持った
木村 = 強い使命感・清廉潔白
提督に任ぜられると家屋敷を売り払った
↑
福沢諭吉は木村に傾倒 = 勝を嫌った
日本民衆
戦国期と幕末では格差(落差)がありすぎる
∥
◎ 近世300年が民衆を変えた
キーワード「月刊『少年育成』」より14回目の紹介です。
執筆者等詳細は分かりませんが、
冨田富士也さんの、
連載『せめぎあっておりあっておたがいさま』からかと想像されます。
-人は学校に行くためだけに、就職するためだけに生まれてきたのではない。
わたしもそう思うことが増えてきました。
もう一つ、再掲載となりますが、会田雄次さんの
「日本人として言い残しておきたいこと」①を載せます。
-品格品性はありますか?
そう問われると、わたしは恥ずかしくなります。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆月刊「少年育成」より ⑭-「″野に咲く花″と出会いませんか」(号数・執筆者不明)
なにげなしに見ず知らずの人と目があってしまうことがある。
そのとき、自分の心の余裕にも左右されるが相手の人がすくんだり、反対
に居丈高になってこちらを見ると関係を遠慮してしまうことがある。
そこに不快感が漂うからである。
「なにか私があなたに悪いことをしましたか」とわざわざたずねるほどの間
柄でもないし、「眼をつけたな」と言って因縁をつける理由もない。
ただ当たらず障らずで時のすぎるのを待つだけである。
ところがその場からお互いに離れていくことには変わりなくても、さわや
かな気持ちを残してすぎ去っていく人もいる。
まるでタンポポの花に似て、その種は風に乗って飛んでいき、どこかでま
た見ず知らずの人にしあわせの花を咲かせるのだろう。
私は都内の保育園での講演に出掛け、待ち合わせ駅の改札口で迎えの人を
待っていた。
前日の雨もあがり、駅のロータリーに植えられている木の青葉が私を改札
口から誘っていた。
待ち合わせ時刻まで5分間位あったので改札を離れ、売店の階段を数段お
りてその木をあおいだ。
そしてさわやかな気持ちをいただいて目線をおろした。
するとそこに青年が立っていた。
思わず視線が合ってしまった。
ところがその青年の体格、いで立ちがなんともあの山下清画伯に似ている
のだ。
いやテレビ番組で画伯を演じていた芦屋雁之助さんのようでもあった。
膝小僧が見えるか隠れるかといった半ズボン。
少し大き日のTシャツを着ているがお腹の出具合もまあまああって、私も
思わず自分のお腹をなでて「似ているな」とつぶやいてしまう。
背には大きなリュックサックを背負い、そこには白いビニール傘が上手に
くくられていた。
彼か私か、どちらが先にほほ笑んだか分からないが、なんとなく私は彼の
もとにTV番組の主題歌を心のなかで口ずさみながら近づいていった。
野に咲く花のように
風に吹かれて
野に咲く花のように
人をさわやかにして
そんなふうに 僕たちも
生きてゆけたら すばらしい
時には暗い人生も
トンネル抜ければ 夏の海
そんな時こそ野の花の
けなげな心を知るのです
ルルル…
『野に咲く花のように』
作詞・杉山政美
作曲・小林亜星
「どこかに行くの」
私は彼の変わらぬほほ笑みを確認してたずねた。
「うん」
「そうなんだ。誰かを待ってるの」
「うん、友だち」
「そうか、友だちか」
私は青空をみながら、リュックサックにぴったりとくくりつけられている
白い傘が人でもないのにいじらしく思えた。
「この傘、いいね。上手につけているね」
私の気まぐれな問いに彼は素直に答えた。
「うん、おかあさんがつけてくれた」
「母親」と呼んでもいいはずの青年の年齢を推し量るとき、「おかあさん」
という言い方が私に「純に生きる」ことを教えてくれるようだった。
私にはその白いビニールの傘がその青年の母親のようにも思えてきた。
お遍路さんが″同行二人″で頼りにする金剛杖にもみえてきた。
「僕と同じだね、君のおなかも」
私は自分の腹をさすって彼のおなかと見比べた。
彼もTシャツの上からおなかをさすった。
「ほんとだね、同じだね」
「君はいま何歳ですか」
「27歳」
「そうか、僕は47歳だよ。古いかな」
「そんなことないよ、若いよ」
「ありがとう」
私は勝手にこの青年と母親の日常を想像していた。
表裏一体。
つらい人生を抱えきることで、腰がすわり、覚悟をきめることで健気な心
がみえてくる。
そんな思いを感じつつ私はもっと彼と話し込んでいたくなった。
すると彼がまるで私の独り善がりを見ぬくかのようにいきなり結論を出し
た。
「ホームで (友だちを)待っていよう」
青年はそう繰り返すと私と目線を合わすことなく改札口に向かいホームの
ある階段へのぼり消えてしまった。
呆気ないひとときだった。
人は学校に行くためだけに、就職するためだけに生まれてきたのではない。
いろいろな使命をもってこの世に誕生している。
彼はまるで野に咲くタンポポのようだった。
健気な心を掘り起こすために彼はこの世に生まれてきたのだろう。
☆「日本人として言い残しておきたいこと」会田雄次 大和出版 1995年 ①【再掲載 2014.11】
<出版社の案内>
平和に安楽に生活できるのはありがたいが、なぜか生きがいというものが感
じられない日本の現実。志なき民族は死滅する。大切なのはコツコツとなす
べきことをなす心構え。これからの日本の進路を提示。
◇戦後日本が失ったもの
底深い日本人への蔑視
品格があればハンディは乗り越えられる
小村寿太郎
日本外交成功ハーバード大留学時の人脈
← 尊敬されていた
折り目正しい立ち居振る舞い
児玉源太郎
昭和天皇の内なる人格の光
1971(昭和46)年
ヨーロッパ訪歴 - 昔の古い村の哲人のような誠実さ朴訥さ
↓
対日感情を一変させた
= 内から発する篤実な人格
日本人が失ったもの,それは品格である
長所の格
品格品性
◇外国人の見た日本人像
外国人による日本人の観察記録
中国史書 - 中華思想による歪み
イエズス会宣教師たちの報告書
キリスト教宣教師を驚嘆させた日本人の性格
ザビエル 1547年
「日本人は怜悧で品性高い。民衆の末端に至るまで礼儀正しく名誉
を重んじて死をおそれない。教養も豊かで好奇心が強い。」
ヴァリアーノ 1579年
「日本人の利発さ,品性の高さ,名誉を何よりの価値基準とする高
潔さ。」
戦国時代には品格を備えた日本人がたくさんいた
日本人への批判点
= 性道徳の欠如(割り引いて考える必要あり)
日本人の美点
= 聡明さ,忍耐力,名誉を尊ぶ
品格を欠いていた明治維新期の民衆
チェンドレン・モース・ハーン
忍耐力・勤勉さ・情緒面のみ
∥
品性には触れていない
サトー
武士階級と下層民衆には信じられない品性の格差
咸臨丸
木村喜毅館長に勝海舟が不満を持った
木村 = 強い使命感・清廉潔白
提督に任ぜられると家屋敷を売り払った
↑
福沢諭吉は木村に傾倒 = 勝を嫌った
日本民衆
戦国期と幕末では格差(落差)がありすぎる
∥
◎ 近世300年が民衆を変えた
「評伝 田畑政治」杢代哲雄 図書刊行会 2018年 ① /「六所神社に奉納された楠正行の剣 おらが先祖は大楠公 町ぐるみが小楠姓の浜松市堤町一帯」『東海展望』より 出典不明 ②(下)【再掲載 2017.3】 [読書記録 一般]
今回は、杢屋哲雄さんの
「評伝 田畑政治」の紹介 1回目です。
1988年に出版されたものですが、
NHK大河ドラマ『いだてん』の放送に合わせて出された新装版を読み
ました。
出版社の案内には
「2019年NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の主人
公・田畑政治の熱い生涯!戦前・戦後と日本のスポーツ界の発展に
尽力し、1964年の東京オリンピック招致を成功に導いた田畑政治。
その最も身近に接してきた著者が、『田畑政治オリンピック回想録』
出版に向けて田畑政治みずからが語った原稿を元に、オリンピックに
生涯をささげたその熱い生きざまを描く。」
とあります。
今回紹介するのは、
田畑政治さんが日本水連会長になる昭和23年までの要約です。
浜松出身の田畑政治さん、
高校生の頃、先生から名前だけは伺っていましたが、
詳しく知ることができました。
もう一つ、再掲載となりますが、かつての雑誌『東海展望』より、
「六所神社に奉納された楠正行の剣 おらが先祖は大楠公 町ぐるみ
が小楠姓の浜松市堤町一帯」②
を載せます。
六所神社に奉納された剣は、
後に田畑政治さんの家にあったとわたしは聞いています。
どういったいきさつがあったのか、知りたいところです。
昨日は一日ほぼ雨でした。
午後になってコウノトリが昨日の近くの田んぼにやってきました。
雨の中、毛繕いのようなこともしていました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「評伝 田畑政治」杢代哲雄 図書刊行会 2018年 ①
◇田畑政治
明治31年12月1日
浜松市成子町生まれ
大正13年
一高から東大法学部 → 朝日新聞
「家が浜松一の大金持ち」説
川島正次郎大臣と衝突
- 第4回ジャカルタアジア大会
◇昭和23年 田畑政治が日本水連会長になる
サツマイモ、カエル
ハワイのカツミ米谷氏、ジェミー望月氏 4
42部隊(日系二世第100隊) ~ 選りすぐり
→ ロスへ
和田イサムが世話
世界記録-日本評価-オリンピックへ
織田さんの渡米
- マッカーサー
日米対抗水上大会
昭和6年 9月7~9日
キッパス監督との友情
→ 日本スポーツ界のトップを切り国際舞台に復帰
ロサンゼルス大会への対策
ワイズミュラー等を招く
ロサンゼルス大会の熱気
満州事変 対日関係がまずかった
松沢一鶴監督の作戦
古橋、橋爪コンビ
浜名湾から6名が参加
1928年7月30日 ロサンゼルスオリンピック大会
宮崎康二、牧野正蔵、鈴木政雄、竹林○二、片山兼吉、小池礼三
大会後ロスのプールに日本人は白人と一緒に入れるようになった
西竹一中尉との別れ
西竹一男爵 四谷に4千軒の家作
馬術で金メダル 「バロン西」
城戸俊三少佐
久軍号がけが - 廃馬を恐れて棄権
統制が勝因
神宮プールの建設
田畑中心で
ヒトラーのベルリン大会
1936(昭和11)ベルリン大会
圧力
松沢監督の不○
前畑秀子さんの快挙
JOCの初仕事
織田さんは日本初の金メダル アムステルダム大会
田畑流実践的判断
東京オリンピック返上
オリンピックロンドン大会に挑む
☆「六所神社に奉納された楠正行の剣 おらが先祖は大楠公 町ぐるみが小楠姓の浜松市堤町一帯」『東海展望』より 出典不明 ②(下)【再掲載 2017.3】
◇伊之助と伊左衛門
しかし伊兵衛による南朝方の志士結集はそうたやすいものではなかった。
第一遠江は今川氏の勢力圏内にあり、土豪のうちにも今川氏に従属して
いた者が少くなかったからである。
伊兵衛が遠江で東奔西走している間に天下の形勢はガラリとかわった。
九州より東上の足利勢の大勢を前にした正成は、足利尊氏に和議を申入
れたが聞き入れられず、わずか700騎をもった。
正成の子正行も父の遺風をうけ南朝につかえ、一時は勢力をもりかえし
たが、南下した高師直の大軍と河内国四条畷においてぶつかり、壮烈な死
をとげた。
それより前、南朝勢危し!とみた正行は遠江において勤王の志士を募っ
ていた小楠伊兵衛のもとに家来を発し、援軍をたのんできたのである。
正行は使者を遠江に出発させるにさいして、自分の持っていた剣を手渡
し、「伊兵衛にこの剣を…」とたのんだ。
剣をしっかり抱いた家来は夜を日に次いで東海道を東下遠江についた。
が、しかし、伊兵衛には援軍を組織するだけの兵がなく、自分自身の身
体さえ自由がきかなくなっていた。
そこで正行の剣を六所明神に奉納し、ただひたすら南朝の勝利を祈願し
続けた。
ところが祈りも空しく、正行四条畷の討死の報せに、伊兵衛は刀をすて
て一百姓として堤村に帰農してしまったのである。
正行の剣はそのまま六所神社に宝物としてつたえられ、昭和も戦前まで
保存されていたというが今はない。
伊兵衛には3人の男子があった。長男伊兵衛(襲名)、次男伊之助、三
男伊左衛門である。
長男伊兵衛の子孫はその後数代にわたって堤村に居住、新家や分家を生
んでいったが正統の伊兵衛家(何代かは判らない)は江戸時代に下諏訪に
移っていったという。
下取訪では生糸問屋を開き、屋号は本祖橘家の名に因んで橘屋と呼んで
いたという。
次男伊之助は堤村の西のはづれに分家した。屋敷を構えたところは堤か
ら小沢渡に行く道路の北側で今は畑地となっている。
この伊之助の流れも新家や分家をつくり野崎一帯で小楠姓を名乗ってい
るのはみな伊之助の一統であるという。
三男伊左衛門は伊之助の屋敷の西側に分家したといい、その後裔が現在
堤西に住んでいる小楠伊吉さん(教員・倉松)である。
◇好徳寺と観音堂
伊吉さんの父親は伊一郎(故人)といい、同家は代々名前に「伊」の字
を用いるしきたりになっているという。
この伊吉さんの家を土地の人は本家とも呼んでいる。
どういう理由からかは判らないが、堤町にある唯一の寺福寿山好徳寺の
檀家筆頭も伊吉さんの家になっている。 .
好徳寺は六所神社から西方50m、集落のほぼ真中にあり、臨済宗方広
寺派で大通院末として戦国時代に開かれた寺である。
開山は臨室源和尚で、寺記によると文禄3年(1594)4月12日、中興は
6世竜南長和尚で元禄5年(1692)4月に没している。
その後、幾多の盛衰を重ね、現林住職は昭和10年にこの寺にきたとい
う手塚禅染師。
檀家は現在60余戸であるが、このうち80%が小楠姓で、3人の檀頭
も小楠三夫、小楠伊吉、小楠金次郎、といづれも小楠姓である。
ところで堤における小楠一統の始祖となった伊兵衛が住居を構えたとこ
ろは六所神社南側であったというがその後竹藪となった。
この薮のなかに、伊兵衛家の門の土台に使ったという石が放置されてい
たが、堤村の開発者であり、楠正成の流れを汲む同家の門石をそのまま雑
草のなかに置いておくのは申し訳けないと好徳寺の境外堂である観音堂の
前に移した。
現在観音堂の前に置いてある25の大石がそれである。
六所神社が堤に創建されたのは何時頃かは判らない。
伊兵衛がこの土地に来た時にはすでにあったものと考えられるが裏付け
はない。
ところで堤という地名はいつ頃から使われるようになったのかをみると
保図帳の中にある浜松の浦の条に
長明の海道記に日く、引馬り此所を打過ぎ浜松の浦に来りぬ長浜砂土深
くして、行けども帰るが如し、堤の由、云々
とあるから、今から320年位前の正保の頃にはすでに堤と呼んでいたこ
とが判る。
伊兵衛はそれよりさらに300年前に土着しているわけだ。
さて堤町における小楠一統が楠正行の流れを汲むとする説に対し堤町の
現自治会長小楠竹雄さんは
「近頃の学校では大楠公、小楠公の話を教えなくなり、戦後はすっかり陽
かげ者になりましたが、私達は親から正成の血をひいているのだからし
っかりやらなければいけない…と教えられたものです、果して楠木氏の
系譜を継いでいるかどうかは疑問の余地があるとは思いますが、われわ
れはわれわれなりの解釈をしています。あえて史料にこだわることもな
いでしょう…」
と話していた。
「評伝 田畑政治」の紹介 1回目です。
1988年に出版されたものですが、
NHK大河ドラマ『いだてん』の放送に合わせて出された新装版を読み
ました。
出版社の案内には
「2019年NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の主人
公・田畑政治の熱い生涯!戦前・戦後と日本のスポーツ界の発展に
尽力し、1964年の東京オリンピック招致を成功に導いた田畑政治。
その最も身近に接してきた著者が、『田畑政治オリンピック回想録』
出版に向けて田畑政治みずからが語った原稿を元に、オリンピックに
生涯をささげたその熱い生きざまを描く。」
とあります。
今回紹介するのは、
田畑政治さんが日本水連会長になる昭和23年までの要約です。
浜松出身の田畑政治さん、
高校生の頃、先生から名前だけは伺っていましたが、
詳しく知ることができました。
もう一つ、再掲載となりますが、かつての雑誌『東海展望』より、
「六所神社に奉納された楠正行の剣 おらが先祖は大楠公 町ぐるみ
が小楠姓の浜松市堤町一帯」②
を載せます。
六所神社に奉納された剣は、
後に田畑政治さんの家にあったとわたしは聞いています。
どういったいきさつがあったのか、知りたいところです。
昨日は一日ほぼ雨でした。
午後になってコウノトリが昨日の近くの田んぼにやってきました。
雨の中、毛繕いのようなこともしていました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「評伝 田畑政治」杢代哲雄 図書刊行会 2018年 ①
◇田畑政治
明治31年12月1日
浜松市成子町生まれ
大正13年
一高から東大法学部 → 朝日新聞
「家が浜松一の大金持ち」説
川島正次郎大臣と衝突
- 第4回ジャカルタアジア大会
◇昭和23年 田畑政治が日本水連会長になる
サツマイモ、カエル
ハワイのカツミ米谷氏、ジェミー望月氏 4
42部隊(日系二世第100隊) ~ 選りすぐり
→ ロスへ
和田イサムが世話
世界記録-日本評価-オリンピックへ
織田さんの渡米
- マッカーサー
日米対抗水上大会
昭和6年 9月7~9日
キッパス監督との友情
→ 日本スポーツ界のトップを切り国際舞台に復帰
ロサンゼルス大会への対策
ワイズミュラー等を招く
ロサンゼルス大会の熱気
満州事変 対日関係がまずかった
松沢一鶴監督の作戦
古橋、橋爪コンビ
浜名湾から6名が参加
1928年7月30日 ロサンゼルスオリンピック大会
宮崎康二、牧野正蔵、鈴木政雄、竹林○二、片山兼吉、小池礼三
大会後ロスのプールに日本人は白人と一緒に入れるようになった
西竹一中尉との別れ
西竹一男爵 四谷に4千軒の家作
馬術で金メダル 「バロン西」
城戸俊三少佐
久軍号がけが - 廃馬を恐れて棄権
統制が勝因
神宮プールの建設
田畑中心で
ヒトラーのベルリン大会
1936(昭和11)ベルリン大会
圧力
松沢監督の不○
前畑秀子さんの快挙
JOCの初仕事
織田さんは日本初の金メダル アムステルダム大会
田畑流実践的判断
東京オリンピック返上
オリンピックロンドン大会に挑む
☆「六所神社に奉納された楠正行の剣 おらが先祖は大楠公 町ぐるみが小楠姓の浜松市堤町一帯」『東海展望』より 出典不明 ②(下)【再掲載 2017.3】
◇伊之助と伊左衛門
しかし伊兵衛による南朝方の志士結集はそうたやすいものではなかった。
第一遠江は今川氏の勢力圏内にあり、土豪のうちにも今川氏に従属して
いた者が少くなかったからである。
伊兵衛が遠江で東奔西走している間に天下の形勢はガラリとかわった。
九州より東上の足利勢の大勢を前にした正成は、足利尊氏に和議を申入
れたが聞き入れられず、わずか700騎をもった。
正成の子正行も父の遺風をうけ南朝につかえ、一時は勢力をもりかえし
たが、南下した高師直の大軍と河内国四条畷においてぶつかり、壮烈な死
をとげた。
それより前、南朝勢危し!とみた正行は遠江において勤王の志士を募っ
ていた小楠伊兵衛のもとに家来を発し、援軍をたのんできたのである。
正行は使者を遠江に出発させるにさいして、自分の持っていた剣を手渡
し、「伊兵衛にこの剣を…」とたのんだ。
剣をしっかり抱いた家来は夜を日に次いで東海道を東下遠江についた。
が、しかし、伊兵衛には援軍を組織するだけの兵がなく、自分自身の身
体さえ自由がきかなくなっていた。
そこで正行の剣を六所明神に奉納し、ただひたすら南朝の勝利を祈願し
続けた。
ところが祈りも空しく、正行四条畷の討死の報せに、伊兵衛は刀をすて
て一百姓として堤村に帰農してしまったのである。
正行の剣はそのまま六所神社に宝物としてつたえられ、昭和も戦前まで
保存されていたというが今はない。
伊兵衛には3人の男子があった。長男伊兵衛(襲名)、次男伊之助、三
男伊左衛門である。
長男伊兵衛の子孫はその後数代にわたって堤村に居住、新家や分家を生
んでいったが正統の伊兵衛家(何代かは判らない)は江戸時代に下諏訪に
移っていったという。
下取訪では生糸問屋を開き、屋号は本祖橘家の名に因んで橘屋と呼んで
いたという。
次男伊之助は堤村の西のはづれに分家した。屋敷を構えたところは堤か
ら小沢渡に行く道路の北側で今は畑地となっている。
この伊之助の流れも新家や分家をつくり野崎一帯で小楠姓を名乗ってい
るのはみな伊之助の一統であるという。
三男伊左衛門は伊之助の屋敷の西側に分家したといい、その後裔が現在
堤西に住んでいる小楠伊吉さん(教員・倉松)である。
◇好徳寺と観音堂
伊吉さんの父親は伊一郎(故人)といい、同家は代々名前に「伊」の字
を用いるしきたりになっているという。
この伊吉さんの家を土地の人は本家とも呼んでいる。
どういう理由からかは判らないが、堤町にある唯一の寺福寿山好徳寺の
檀家筆頭も伊吉さんの家になっている。 .
好徳寺は六所神社から西方50m、集落のほぼ真中にあり、臨済宗方広
寺派で大通院末として戦国時代に開かれた寺である。
開山は臨室源和尚で、寺記によると文禄3年(1594)4月12日、中興は
6世竜南長和尚で元禄5年(1692)4月に没している。
その後、幾多の盛衰を重ね、現林住職は昭和10年にこの寺にきたとい
う手塚禅染師。
檀家は現在60余戸であるが、このうち80%が小楠姓で、3人の檀頭
も小楠三夫、小楠伊吉、小楠金次郎、といづれも小楠姓である。
ところで堤における小楠一統の始祖となった伊兵衛が住居を構えたとこ
ろは六所神社南側であったというがその後竹藪となった。
この薮のなかに、伊兵衛家の門の土台に使ったという石が放置されてい
たが、堤村の開発者であり、楠正成の流れを汲む同家の門石をそのまま雑
草のなかに置いておくのは申し訳けないと好徳寺の境外堂である観音堂の
前に移した。
現在観音堂の前に置いてある25の大石がそれである。
六所神社が堤に創建されたのは何時頃かは判らない。
伊兵衛がこの土地に来た時にはすでにあったものと考えられるが裏付け
はない。
ところで堤という地名はいつ頃から使われるようになったのかをみると
保図帳の中にある浜松の浦の条に
長明の海道記に日く、引馬り此所を打過ぎ浜松の浦に来りぬ長浜砂土深
くして、行けども帰るが如し、堤の由、云々
とあるから、今から320年位前の正保の頃にはすでに堤と呼んでいたこ
とが判る。
伊兵衛はそれよりさらに300年前に土着しているわけだ。
さて堤町における小楠一統が楠正行の流れを汲むとする説に対し堤町の
現自治会長小楠竹雄さんは
「近頃の学校では大楠公、小楠公の話を教えなくなり、戦後はすっかり陽
かげ者になりましたが、私達は親から正成の血をひいているのだからし
っかりやらなければいけない…と教えられたものです、果して楠木氏の
系譜を継いでいるかどうかは疑問の余地があるとは思いますが、われわ
れはわれわれなりの解釈をしています。あえて史料にこだわることもな
いでしょう…」
と話していた。