野口芳宏さんはこんなことを ⑦ /「浜松の城と合戦」城郭遺産による街づくり協議会 サンライズ出版 2010年 ③(最終)【再掲載 2015.7】 [読書記録 教育]
今回は11月 6日に続いて、わたしの要約ノートより
「野口芳宏さんはこんなことを」の紹介7回目です。
野口さんが、学習指導、教室経営について、短く的確な言葉で教えてくれます。
基本を学ぶことは大切だと改めて思います。
野口さんの本を一度ご覧になることをお勧めします。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「白ボール紙 → 適当な大きさにして黒板塗料を塗る」
- ホームセンターで黒板塗料を買ってボール紙に塗ってつくった小黒板、懐かしい。
今は豊かな時代、いろいろな形の磁石黒板を使えます。また、デジタルも。
・「『作業・巡視→指名』の授業スタイル」
- 発表する力をつけるのも大切ですが、発表に頼らない授業をつくるのも大切ですね。
・「大切な学習ルールの確立 例え先生がいなくても」
- 担任をもつときはここに力を入れました。ルールの確立に時間がかかったり、難しく
なったりしている要因はどこにあるのだろうと考えてしまいます。
・「音読クリニック スピードアップ
モデルを見せる(教師)→ 目標を持たせる 例:30秒でどこまで読めるか競争」
- 特別支援学級を担任していたとき、国語の時間の最初に毎回1分間読みをしました。
「新幹線読み」(はっきり発音しているかに注意は必要)でどこまで読めたか、印をつけ
させました。2週間ぐらい同じ教材を読むのですが、読むのが速くなるのと共に、音読
を次第に上手にできるようになりました。
・「石井勲教授の石井方式」
- 石井式、わたしは好きです。
もう一つ、再掲載となりますが、城郭遺産による街づくり協議会による
「浜松の城と合戦」③を載せます。
先日、4年生の社会科の授業(きょう土の伝統・文化と先人たち-古くから伝わる芸能)で、
遠州大念仏を取り上げました。子どもたちの関心が高まっているのが感じられました。
このシンポジウムにぜひ参加したかったと今更ながら思います。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆野口芳宏さんはこんなことを ⑦
◇参加型板書
□コミニュケーション能力の開発
① 小黒板
シナベニヤ板 → 適当な大きさにして黒板塗料を塗る
② 紙黒板
白ボール紙 → 適当な大きさにして黒板塗料を塗る
□参加型板書
◎「小刻みなノート作業」 → 「作業・巡視→指名」の授業スタイル
小黒板に書かせる
◇一学期の学習規律
□学習時間の充実
黙々と打ち込める
イ 量的増大を
ロ テストからワークへ
□大切な学習ルールの確立
「一人一人の子供の中に勉強の大切さや楽しさが自覚されている」
例え先生がいなくても
◇テストを受けるコツ
① 全文をまず読み通せ
本文も問題文も
② 易しい問題から解いていく
順番は守らなくても良い
③ 問題文の指示文末には傍線を引け
・一つ選べ
・□を付けよ
・わけを答えなさい
↓
◎それにあった短い答え
◇音読クリニック
1 つかえ読み
◎「目ずらし読み」のすすめ
= 先の文字に目を注ぐ 一 教材マスター方式
◎「猪突読み」のすすめ
戻り読みの子
→ ゆっくりゆっくり読むこと
◎先へ先へ … 読み直さない
◎「追い読み」のすすめ
2 スピードアップ
モデルを見せる(教師)
→ 目標を持たせる
◎30秒でどこまで読めるか競争 → 発表会
◇漢字を身につけさせる指導法
漢字指導の課題 記憶力と使う機会
1 常に漢字を教師が多用する
大東文化大 石井勲教授の石井方式
「読み書き分離学習」
2 漢字は構成的理解に基づいて
◇指名方式
主張:「上澄み指名」より「乾杯式指名」を
□上澄み指名とは
「挙手-指名」型
∥
一部の発言好きの子供中心
□乾杯式指名とは
「作業-巡視-指名」型
∥
◎全員の確認
○か×か
∥
「○も×も書いていない人はいるか」
☆「浜松の城と合戦」城郭遺産による街づくり協議会 サンライズ出版 2010年 ③(最終)【再掲載 2015.7】
◇三方原合戦を語る
1 三方原合戦と浜松城 小和田哲男
□武田信玄と徳川家康
永禄11(1568)年12月13日
信玄が今川館を攻めた
家康も今川氏真が逃げた掛川城を攻めた
母の兄 水野信元 → 今川方から織田方へ
「清洲同盟」
□信玄の遠江侵攻
元亀3(1572)年敵対同士に
10月10日 遠江に入る 二万五千の軍勢
□三方原の闘いの前哨戦
◎三箇野川の戦いと一言坂の戦い
家康方は全体で8000人
偵察隊 - 本多忠勝、内藤信成
○三箇野川で小競り合い
↓
逃げ帰る
↓
○一言坂で追いつかれてしまう
本多平八郎がここで踏ん張る
◎武田方資料
「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」
※ 二俣城を落とすのに2か月もかかってしまった
□三方原台地に登る武田軍
信玄のおびき出し作戦
- わざわざ浜松城近くまで兵を進め直前で進路を変えた
信長より3000の援軍 ↓
◎ 家康は信長からの叱責が怖かった
◎ もう一つ、自分の家臣に見限られる恐怖感
元今川家臣が信玄についてしまう恐れ
→ 戦わざるを得なかった?
□三方原の戦いの虚実
12月22日(今の2月4日)
最初は石合戦 → 本格的な戦いへ
|
◎夏目二郎左右衛門吉信 留守
情報が入り馬に乗りわずかな兵を連れて行く
途中家康と出会い自分の馬を渡し逃げ帰らせた
↓
※自分が家康の身代わりになり「我こそは家康なり」のように叫んだ
→ 夜でよく分からない
→ 武田軍が集まり首を取られた
□酒井忠次
「酒井の太鼓」はこじつけ?(後世)
布橋も?
小豆餅、銭取りも作り話か?事実は?
□遠州大念仏
~ 盆の虫送りの行事か?
【遠州大念仏は、浜松市を中心に盆(7月あるいは8月)の夜に初盆の家を回って太鼓や鐘
などにあわせて念仏踊りを披露する、遠州地方の夏の風物詩、無形民俗文化財に指定さ
れている郷土芸能遠州大念仏は、この三方ヶ原の戦い、および犀ヶ崖の戦いで犠牲とな
った人を弔うために始まり、この戦いで命を落とした武田勢兵士の鎮魂のために迎え入
られた宗円僧侶の下、行われるようになった行事と言われている。=ハマコウ註】
<写真はIN HAMAMATSU.COMのサイトより>
2 シンポジウム 三方原合戦を語る
□弱い立場の家康
□宮下英樹
マンガ「センゴク」「センゴク天王記」
□見附(現磐田市)から浜松に移った理由 - 見附での築城を取りやめせめて引間
引間は今川時代の名前だから浜松に改名
◎政治都市-見附
◎経済都市-引間
□家康時代の浜松城に石垣はあったのか?
石垣 → 文禄期か?
古く見えるけい岩
□三方原合戦の主戦場はどこか
「みかたがはら」
二俣城に2か月 → 大きな誤算
□武田か徳川か北遠領主の
山の道は上にあった
□設楽原合戦
信長の鉄砲隊の勝手
□関ヶ原の合戦
家康が事前に旧豊臣大名たちの事前工作
「後詰め」救援 ~ 名将とは一度頽廃したものをいう
「野口芳宏さんはこんなことを」の紹介7回目です。
野口さんが、学習指導、教室経営について、短く的確な言葉で教えてくれます。
基本を学ぶことは大切だと改めて思います。
野口さんの本を一度ご覧になることをお勧めします。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「白ボール紙 → 適当な大きさにして黒板塗料を塗る」
- ホームセンターで黒板塗料を買ってボール紙に塗ってつくった小黒板、懐かしい。
今は豊かな時代、いろいろな形の磁石黒板を使えます。また、デジタルも。
・「『作業・巡視→指名』の授業スタイル」
- 発表する力をつけるのも大切ですが、発表に頼らない授業をつくるのも大切ですね。
・「大切な学習ルールの確立 例え先生がいなくても」
- 担任をもつときはここに力を入れました。ルールの確立に時間がかかったり、難しく
なったりしている要因はどこにあるのだろうと考えてしまいます。
・「音読クリニック スピードアップ
モデルを見せる(教師)→ 目標を持たせる 例:30秒でどこまで読めるか競争」
- 特別支援学級を担任していたとき、国語の時間の最初に毎回1分間読みをしました。
「新幹線読み」(はっきり発音しているかに注意は必要)でどこまで読めたか、印をつけ
させました。2週間ぐらい同じ教材を読むのですが、読むのが速くなるのと共に、音読
を次第に上手にできるようになりました。
・「石井勲教授の石井方式」
- 石井式、わたしは好きです。
もう一つ、再掲載となりますが、城郭遺産による街づくり協議会による
「浜松の城と合戦」③を載せます。
先日、4年生の社会科の授業(きょう土の伝統・文化と先人たち-古くから伝わる芸能)で、
遠州大念仏を取り上げました。子どもたちの関心が高まっているのが感じられました。
このシンポジウムにぜひ参加したかったと今更ながら思います。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆野口芳宏さんはこんなことを ⑦
◇参加型板書
□コミニュケーション能力の開発
① 小黒板
シナベニヤ板 → 適当な大きさにして黒板塗料を塗る
② 紙黒板
白ボール紙 → 適当な大きさにして黒板塗料を塗る
□参加型板書
◎「小刻みなノート作業」 → 「作業・巡視→指名」の授業スタイル
小黒板に書かせる
◇一学期の学習規律
□学習時間の充実
黙々と打ち込める
イ 量的増大を
ロ テストからワークへ
□大切な学習ルールの確立
「一人一人の子供の中に勉強の大切さや楽しさが自覚されている」
例え先生がいなくても
◇テストを受けるコツ
① 全文をまず読み通せ
本文も問題文も
② 易しい問題から解いていく
順番は守らなくても良い
③ 問題文の指示文末には傍線を引け
・一つ選べ
・□を付けよ
・わけを答えなさい
↓
◎それにあった短い答え
◇音読クリニック
1 つかえ読み
◎「目ずらし読み」のすすめ
= 先の文字に目を注ぐ 一 教材マスター方式
◎「猪突読み」のすすめ
戻り読みの子
→ ゆっくりゆっくり読むこと
◎先へ先へ … 読み直さない
◎「追い読み」のすすめ
2 スピードアップ
モデルを見せる(教師)
→ 目標を持たせる
◎30秒でどこまで読めるか競争 → 発表会
◇漢字を身につけさせる指導法
漢字指導の課題 記憶力と使う機会
1 常に漢字を教師が多用する
大東文化大 石井勲教授の石井方式
「読み書き分離学習」
2 漢字は構成的理解に基づいて
◇指名方式
主張:「上澄み指名」より「乾杯式指名」を
□上澄み指名とは
「挙手-指名」型
∥
一部の発言好きの子供中心
□乾杯式指名とは
「作業-巡視-指名」型
∥
◎全員の確認
○か×か
∥
「○も×も書いていない人はいるか」
☆「浜松の城と合戦」城郭遺産による街づくり協議会 サンライズ出版 2010年 ③(最終)【再掲載 2015.7】
◇三方原合戦を語る
1 三方原合戦と浜松城 小和田哲男
□武田信玄と徳川家康
永禄11(1568)年12月13日
信玄が今川館を攻めた
家康も今川氏真が逃げた掛川城を攻めた
母の兄 水野信元 → 今川方から織田方へ
「清洲同盟」
□信玄の遠江侵攻
元亀3(1572)年敵対同士に
10月10日 遠江に入る 二万五千の軍勢
□三方原の闘いの前哨戦
◎三箇野川の戦いと一言坂の戦い
家康方は全体で8000人
偵察隊 - 本多忠勝、内藤信成
○三箇野川で小競り合い
↓
逃げ帰る
↓
○一言坂で追いつかれてしまう
本多平八郎がここで踏ん張る
◎武田方資料
「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」
※ 二俣城を落とすのに2か月もかかってしまった
□三方原台地に登る武田軍
信玄のおびき出し作戦
- わざわざ浜松城近くまで兵を進め直前で進路を変えた
信長より3000の援軍 ↓
◎ 家康は信長からの叱責が怖かった
◎ もう一つ、自分の家臣に見限られる恐怖感
元今川家臣が信玄についてしまう恐れ
→ 戦わざるを得なかった?
□三方原の戦いの虚実
12月22日(今の2月4日)
最初は石合戦 → 本格的な戦いへ
|
◎夏目二郎左右衛門吉信 留守
情報が入り馬に乗りわずかな兵を連れて行く
途中家康と出会い自分の馬を渡し逃げ帰らせた
↓
※自分が家康の身代わりになり「我こそは家康なり」のように叫んだ
→ 夜でよく分からない
→ 武田軍が集まり首を取られた
□酒井忠次
「酒井の太鼓」はこじつけ?(後世)
布橋も?
小豆餅、銭取りも作り話か?事実は?
□遠州大念仏
~ 盆の虫送りの行事か?
【遠州大念仏は、浜松市を中心に盆(7月あるいは8月)の夜に初盆の家を回って太鼓や鐘
などにあわせて念仏踊りを披露する、遠州地方の夏の風物詩、無形民俗文化財に指定さ
れている郷土芸能遠州大念仏は、この三方ヶ原の戦い、および犀ヶ崖の戦いで犠牲とな
った人を弔うために始まり、この戦いで命を落とした武田勢兵士の鎮魂のために迎え入
られた宗円僧侶の下、行われるようになった行事と言われている。=ハマコウ註】
<写真はIN HAMAMATSU.COMのサイトより>
2 シンポジウム 三方原合戦を語る
□弱い立場の家康
□宮下英樹
マンガ「センゴク」「センゴク天王記」
□見附(現磐田市)から浜松に移った理由 - 見附での築城を取りやめせめて引間
引間は今川時代の名前だから浜松に改名
◎政治都市-見附
◎経済都市-引間
□家康時代の浜松城に石垣はあったのか?
石垣 → 文禄期か?
古く見えるけい岩
□三方原合戦の主戦場はどこか
「みかたがはら」
二俣城に2か月 → 大きな誤算
□武田か徳川か北遠領主の
山の道は上にあった
□設楽原合戦
信長の鉄砲隊の勝手
□関ヶ原の合戦
家康が事前に旧豊臣大名たちの事前工作
「後詰め」救援 ~ 名将とは一度頽廃したものをいう
2021-11-09 04:00
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コメント(2)
ボール紙に塗料を塗って黒板にする、というのは面白いですね^^
子どもたち、なぜか黒板には文字を書きたがりますもんね…
by ミケシマ (2021-11-09 16:28)
ミケシマさん ありがとうございます。
手作り感いっぱいのボール紙黒板、案外人気がありました。
多分気を遣ってくれたのだと思います。
今でも、家庭では、もしかするといいかもしれません。
by ハマコウ (2021-11-09 19:52)