「信は力なり」山口良治 旬報社 ④(最終) 1998年 [読書記録 教育]
今回は 5月19日に続き山口良治さん
「信は力なり」4回目の紹介(最終)です
ラグビー 伏見工業監督時代の熱き指導で知られる山口さん
かつてのテレビドラマの監督の姿がどうしても思い出されます
熱き教育論 心に響きます
今回紹介分から 心に強く残る言葉は
・「矢印を自分に」
- この言葉に 少し反省…
・「責任」と「信頼」
・「4年神様 3年天皇 2年兵隊 1年奴隷」
- 今はどうでしょうか
・「自分の気持ちは全部自分で決めること」
- 運がいい 運が悪い も
・「合わそう合わそうと思っている間は絶対合わない。無心になったときに合う。」
- なるほどと思います
・「青春とは意気であり、感激であり、顧みるときの微笑みである」
光る言葉がたくさん詰まっている本でした
※浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー
ものづくりの街 浜松
行くたびに新しい感動が得られる 山田卓司さんの世界
現在「海洋堂×小池徹弥 ネイチャージオラマワールド」展開催中(6/28まで)
ホームページをご覧になってください
☆「信は力なり」山口良治 旬報社 ④(最終) 1998年
◇「汗と涙で学んだことは忘れない」ゼロからの出発
冷たい歓迎にさらされて伏見工業赴任
矢印をどこに向けるのか - 指導者の原点
故・久保先生「辛抱やぞ辛抱してガンバレ」涙割りのビール
1975.5.17 花園高校との対戦
「お前等が悪いんや」
↑↓
「こいつ等どんな気持ちで試合やっているんだろう」
「悔しいやろな。情けないやろな。歯がゆい思いしてるんやろな。」
∥
「この子達に俺は今まで何をしてやったのだ」
= 「矢印を自分に」
新生・伏見工業ラグビーチームの誕生
112対0 負け犬根性をたたきのめせ!
◇全国大会V1への疾走
目標に向かってひたすら走った
目標を意識 「今何をやっているんだ」
①約束は守る
②失敗は仕方ない。同じ失敗を繰り返すな。
∥
「責任」と「信頼」
伏見工業初の高校日本代表 - 山本清吾(しんご) 「弥栄の清吾」
荒々しさの残る優しさ - 大八木淳史 親思いの優しい少年
私を魅惑した少年 - 平尾誠二
壁は高い程乗り越えたときの力の蓄えは大きい
仲間との出会い 素質の上に人の倍努力する「非凡さ」
歓喜の中でV達成 1981年1月7日 グラウンド、交換日記、連夜の家庭訪問
◇私を育ててくれた人たち
理想にできる大人に囲まれて
西郷中学校(現・美浜中学校) 藤井諄一先生
村中に響く声で子供に「おはよう」
1958年 若狭農林高校 慶子夫人との出会い 中尾一郎先生との出会い
葛藤と挫折の日々
1961年 日本大学文理学部
「4年神様 3年天皇 2年兵隊 1年奴隷」
挫折-中尾先生に相談
1962年 日本体育大学2年に編入
綿井先生との出会い
ラグビーとの邂逅 「自分の気持ちは全部自分で決めること」
1971年 対イングランド戦 忘れられない大舞台
1967~1973 日本代表
大西監督「接近・連続・展開」
◇新しい自分を求めて
白幡憲佑先生との出会い
知恩院合宿 一人ずつ木魚 みんなの音が一つになるまで叩く修行
↓
合わそう合わそうと思っている間は絶対合わない。
無心になったときに合う。
「満れば欠ける」 今たくさんの人に支えられて
◇あとがき
「青春とは意気であり、感激であり、顧みるときの微笑みである」
感動・感激の共有・共感
「新しき歴史の創造者たれ」
◇一つの言葉に一つの心 白幡憲佑
山口良治 「無償の優しさと厳しさ」-心のある言葉
仏教「我在る時死来たらず、死来たる時我在らず 我と死とついに相会わず」
◇平尾誠二
「厳しく恐く優しい」 「話がうまい」 「強さを求める」
「信は力なり」4回目の紹介(最終)です
ラグビー 伏見工業監督時代の熱き指導で知られる山口さん
かつてのテレビドラマの監督の姿がどうしても思い出されます
熱き教育論 心に響きます
今回紹介分から 心に強く残る言葉は
・「矢印を自分に」
- この言葉に 少し反省…
・「責任」と「信頼」
・「4年神様 3年天皇 2年兵隊 1年奴隷」
- 今はどうでしょうか
・「自分の気持ちは全部自分で決めること」
- 運がいい 運が悪い も
・「合わそう合わそうと思っている間は絶対合わない。無心になったときに合う。」
- なるほどと思います
・「青春とは意気であり、感激であり、顧みるときの微笑みである」
光る言葉がたくさん詰まっている本でした
※浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー
ものづくりの街 浜松
行くたびに新しい感動が得られる 山田卓司さんの世界
現在「海洋堂×小池徹弥 ネイチャージオラマワールド」展開催中(6/28まで)
ホームページをご覧になってください
☆「信は力なり」山口良治 旬報社 ④(最終) 1998年
◇「汗と涙で学んだことは忘れない」ゼロからの出発
冷たい歓迎にさらされて伏見工業赴任
矢印をどこに向けるのか - 指導者の原点
故・久保先生「辛抱やぞ辛抱してガンバレ」涙割りのビール
1975.5.17 花園高校との対戦
「お前等が悪いんや」
↑↓
「こいつ等どんな気持ちで試合やっているんだろう」
「悔しいやろな。情けないやろな。歯がゆい思いしてるんやろな。」
∥
「この子達に俺は今まで何をしてやったのだ」
= 「矢印を自分に」
新生・伏見工業ラグビーチームの誕生
112対0 負け犬根性をたたきのめせ!
◇全国大会V1への疾走
目標に向かってひたすら走った
目標を意識 「今何をやっているんだ」
①約束は守る
②失敗は仕方ない。同じ失敗を繰り返すな。
∥
「責任」と「信頼」
伏見工業初の高校日本代表 - 山本清吾(しんご) 「弥栄の清吾」
荒々しさの残る優しさ - 大八木淳史 親思いの優しい少年
私を魅惑した少年 - 平尾誠二
壁は高い程乗り越えたときの力の蓄えは大きい
仲間との出会い 素質の上に人の倍努力する「非凡さ」
歓喜の中でV達成 1981年1月7日 グラウンド、交換日記、連夜の家庭訪問
◇私を育ててくれた人たち
理想にできる大人に囲まれて
西郷中学校(現・美浜中学校) 藤井諄一先生
村中に響く声で子供に「おはよう」
1958年 若狭農林高校 慶子夫人との出会い 中尾一郎先生との出会い
葛藤と挫折の日々
1961年 日本大学文理学部
「4年神様 3年天皇 2年兵隊 1年奴隷」
挫折-中尾先生に相談
1962年 日本体育大学2年に編入
綿井先生との出会い
ラグビーとの邂逅 「自分の気持ちは全部自分で決めること」
1971年 対イングランド戦 忘れられない大舞台
1967~1973 日本代表
大西監督「接近・連続・展開」
◇新しい自分を求めて
白幡憲佑先生との出会い
知恩院合宿 一人ずつ木魚 みんなの音が一つになるまで叩く修行
↓
合わそう合わそうと思っている間は絶対合わない。
無心になったときに合う。
「満れば欠ける」 今たくさんの人に支えられて
◇あとがき
「青春とは意気であり、感激であり、顧みるときの微笑みである」
感動・感激の共有・共感
「新しき歴史の創造者たれ」
◇一つの言葉に一つの心 白幡憲佑
山口良治 「無償の優しさと厳しさ」-心のある言葉
仏教「我在る時死来たらず、死来たる時我在らず 我と死とついに相会わず」
◇平尾誠二
「厳しく恐く優しい」 「話がうまい」 「強さを求める」
かつて山口良治さんの講演を聴きに行ったことがあります。
道東の高校でラグビー関係者に向けたものでした。
しかしサッカー部監督の私を始め異種指導者も多く混じっていました。
とにかく熱い方でした。
話しながら泣き出すのですから驚きです。
しかもその涙に対し、一向に違和感が湧きません。
熱血教師が狩られていく昨今、学校に輝きが感じられません。
子ども教育に、山口良治さんのような方が必要な人材だと思います。
by tommy88 (2013-05-22 04:51)
tommy88 さん ありがとうございます
子ども教育に、山口良治さんのような方が必要
同感です
「組織で対応」も大切なことですが 教員一人ひとりの魅力も大切に と願います
by ハマコウ (2013-05-22 06:37)