(1)「博物館講座10 生涯学習と博物館活動」雄山閣出版 1999年 ⑤ (2)「飢饉日本史」中島陽一郎 雄山閣ブックス 1996年 ①【再掲載】 [読書記録 教育]
今回は、2月4日に続いて 大堀 哲さんの
「博物館講座10 生涯学習と博物館活動」5回目の紹介です。
出版社の案内には、
「博物館の教育サービス 博物館ボランティア 博物館の出版活動
館種別博物館の教育活動の特色」
とあります。
なるほどと思うことがたくさんありました。
もう一つ、再掲載となりますが、中島陽一郎さんの
「飢饉日本史」①を紹介します。
飽食の時代と言われる現代は極めて恵まれている時代だと言うことが改めて分かります。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
(1)「博物館講座10 生涯学習と博物館活動」雄山閣出版 1999年 ⑤
◇企画検討事項
□活動の対象
幅広い年齢層を(幼児・高齢者をも)
4つの層 芹沢(1976)
(1)「関心」レベル
(2)「勉強」レベル(あるテーマについて知識を得たい)
(3)「研究」レベル(自分で何かを研究したい)
(4)「専門」レベル(専門研究及びそれを目指す人)
□目的
(1)理解させること
(2)技術などを習得させること
(3)体験させること
(4)仲間作り
(5)団体行動や野外行動の訓練
□テーマ
館独自のテーマ
□安全性
傷害保険
□楽しさ
ゲームを取り入れることも
(1) 気分転換
(2)親密度を増し,和やかな雰囲気を作る
(3)チームワークを熟成し結束力を高める
(4)理解力判断力などの能力を高める
□広報
効率よく情報が届くメディア
(若者)ホームページ 雑誌 FM放送
□活動の評価
アンケート,ビデオ・写真記録
学校教育の現場での専門家(教員)に助言を受けることも有効
(2)「飢饉日本史」中島陽一郎 雄山閣ブックス 1996年 ①【再掲載】
◇天災・人災
飢饉・自信・火事・洪水・風害 → 飢饉が招く戦争と戦争が招く飢饉
「飢饉に奇策無し」
「三年の蓄え無くは国に非ず」
◇古代の飢饉 「飢饉は50~60年間に少なくとも一回ある」
◇16大飢饉
①安徳 1180-1181 大干ばつ
②後堀河 1230-1231 大冷害
③後嵯峨 1259-1260 大冷害
④称光 1420-1421 大干ばつ+戦乱
⑤後花園 1460-1461 大冷害+戦乱
⑥後奈良 1539-1540 風水害 戦乱
⑦正親町 1585
⑧明正 1640-1642 冷害
⑨霊元 1680-1682 異常気象
⑩東山 1695-1696 冷害
⑪東山 1701-1703 冷害
⑫中御門 1732- 享保の大飢饉 969900人死亡
⑬桃園 1755-1756 冷害
⑭光格 1782-1787 天明の大飢饉
⑮仁孝 1833-1839 天保の大飢饉
⑯孝明 1866- 関東
◇本質と分析
<飢饉の原因>
「天災と人災」
1 日照り 23.7%
2 水害 18.8%
3 流行病 10.0%
4 風害 7.0%
5 地域エゴ 6.0%
6 戦争 5.0パーセント
「天災の中では」
1 日照り30%
2 水害22.5%
3 風害8.25%
4 地震3.75%
「場所」
①東海道
②畿内
③南海道
④山陽道
⑤東山道
「人口減」
享保 100万人あまり
天明 1119000人
天保 293000人
◇享保飢饉
享保17年(1732)ウンカ地獄 中国・四国・九州一帯
○ウンカの害
伊予・百姓 作兵衛 麦の種を一斗蓄えていた
1732年12月 父・長男が餓死
種麦を食べることを勧めたが
「自分の命は軽く麦の種は命よりも重い」
麦袋を塊としたまま餓死
↓
一郡の人々は種を蒔き命をまっとう 美談として上申
↓
松山城主 年忌に盛大な仏事
幕府 子孫に毎年米一俵
○米価
1月に30匁 → 12月には120匁 4倍以上に
打ち壊し 高問伝兵衛
○西国の御大尽,百両握ったまま空腹死
江戸時代は金万能主義-大事な農業をいい加減に=天罰
↓
熊本・久厳禅寺の住職 梅岑禅師 大施餓鬼
1733正月11日~
数千の飢民に70余日
反面 弱い者は乞食に 強い者は強盗に
飢饉心理が火をつけた米価暴騰
○享保17年(1732)米62万5千石(損耗163万3千石)
飢民数 日本人口の一割弱 265万人
イナゴ害 飢餓死 約100万人
969900人
「徳川実記」
◇天明飢饉
○浅間山の噴火で焦熱地獄
○上杉鷹山 孫の粥嫌い
「人に上下の差別はあれど,五臓六腑は同じことぞ。食わずば食わすな。」
|
家臣に先んじて率先
天明時にも藩内に一人のが死者も出さず
内村鑑三「代表的日本人」
誠の人物は危機にぶつかったときこそ真価を示す
飢饉と難民の救助対策に奔走
平成の備蓄米
○浅間山の噴火に疫病の追い打ち
天明3(1783)7月に浅間山の大噴火 死者2万人
↓
穀留の法(地域エゴ)
生き地獄を現出した信州の浅間山麓
天明3(1783)年7月4日
20~30里四方は惨状
真っ暗闇 3~4日間 空恐ろしい変事
生きた心地もしない大騒動
馬肉見直される-三年続きの大凶作
○税金攻勢で自殺者激増
酷税と飢饉のダブルパンチ
南部藩一戸~十戸
獣肉はもちろん死人の肉も食べ尽くした
希有の食人鬼が出現
橘南渓「東遊記・捕逸」リアルな話
弱った者を生きているうちに殺して食う例も多かった
伊勢神宮神官も飢える
○大江戸に飛ぶ火の粉と流言
天明6(1786)春
天鼓の妖 玉川水道に投毒の妖
烈風 物の乾きがひどく早い
大火 - 長雨(大洪水)
日本国中雨 暑さ知らず
○東北飢饉が生んだ食糧一揆
無法非道の人情
米問屋襲撃 - 米の買いだめを大規模に盛大に行った悪徳商人が多くねらわれた
5月23日 御先手十組「手に余らば一揆の者ども斬り捨てて良い」
○ギョッとする一揆の張り紙
①米よこせ
②焼くか壊すか
③金持ちのバカ野郎覚悟は良いか
④新米買い占め
⑤米価安くなるよう願った狂歌
⑥団結乱す者は火祭りに
⑦米売り出しの朗報
○幕藩体制の弱体化を早めた天明飢饉 異常気象
◇天保飢饉
○人災型 天保4(1833)~天保10(1839)
天保7年(1836)全国的規模
大塩平八郎と大阪の世直し反乱軍
平八郎 役人・金持ちに怒った
○人災・天災複合型
全財産が股引だけに落ちぶれた富農
「博物館講座10 生涯学習と博物館活動」5回目の紹介です。
出版社の案内には、
「博物館の教育サービス 博物館ボランティア 博物館の出版活動
館種別博物館の教育活動の特色」
とあります。
なるほどと思うことがたくさんありました。
もう一つ、再掲載となりますが、中島陽一郎さんの
「飢饉日本史」①を紹介します。
飽食の時代と言われる現代は極めて恵まれている時代だと言うことが改めて分かります。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
(1)「博物館講座10 生涯学習と博物館活動」雄山閣出版 1999年 ⑤
◇企画検討事項
□活動の対象
幅広い年齢層を(幼児・高齢者をも)
4つの層 芹沢(1976)
(1)「関心」レベル
(2)「勉強」レベル(あるテーマについて知識を得たい)
(3)「研究」レベル(自分で何かを研究したい)
(4)「専門」レベル(専門研究及びそれを目指す人)
□目的
(1)理解させること
(2)技術などを習得させること
(3)体験させること
(4)仲間作り
(5)団体行動や野外行動の訓練
□テーマ
館独自のテーマ
□安全性
傷害保険
□楽しさ
ゲームを取り入れることも
(1) 気分転換
(2)親密度を増し,和やかな雰囲気を作る
(3)チームワークを熟成し結束力を高める
(4)理解力判断力などの能力を高める
□広報
効率よく情報が届くメディア
(若者)ホームページ 雑誌 FM放送
□活動の評価
アンケート,ビデオ・写真記録
学校教育の現場での専門家(教員)に助言を受けることも有効
(2)「飢饉日本史」中島陽一郎 雄山閣ブックス 1996年 ①【再掲載】
◇天災・人災
飢饉・自信・火事・洪水・風害 → 飢饉が招く戦争と戦争が招く飢饉
「飢饉に奇策無し」
「三年の蓄え無くは国に非ず」
◇古代の飢饉 「飢饉は50~60年間に少なくとも一回ある」
◇16大飢饉
①安徳 1180-1181 大干ばつ
②後堀河 1230-1231 大冷害
③後嵯峨 1259-1260 大冷害
④称光 1420-1421 大干ばつ+戦乱
⑤後花園 1460-1461 大冷害+戦乱
⑥後奈良 1539-1540 風水害 戦乱
⑦正親町 1585
⑧明正 1640-1642 冷害
⑨霊元 1680-1682 異常気象
⑩東山 1695-1696 冷害
⑪東山 1701-1703 冷害
⑫中御門 1732- 享保の大飢饉 969900人死亡
⑬桃園 1755-1756 冷害
⑭光格 1782-1787 天明の大飢饉
⑮仁孝 1833-1839 天保の大飢饉
⑯孝明 1866- 関東
◇本質と分析
<飢饉の原因>
「天災と人災」
1 日照り 23.7%
2 水害 18.8%
3 流行病 10.0%
4 風害 7.0%
5 地域エゴ 6.0%
6 戦争 5.0パーセント
「天災の中では」
1 日照り30%
2 水害22.5%
3 風害8.25%
4 地震3.75%
「場所」
①東海道
②畿内
③南海道
④山陽道
⑤東山道
「人口減」
享保 100万人あまり
天明 1119000人
天保 293000人
◇享保飢饉
享保17年(1732)ウンカ地獄 中国・四国・九州一帯
○ウンカの害
伊予・百姓 作兵衛 麦の種を一斗蓄えていた
1732年12月 父・長男が餓死
種麦を食べることを勧めたが
「自分の命は軽く麦の種は命よりも重い」
麦袋を塊としたまま餓死
↓
一郡の人々は種を蒔き命をまっとう 美談として上申
↓
松山城主 年忌に盛大な仏事
幕府 子孫に毎年米一俵
○米価
1月に30匁 → 12月には120匁 4倍以上に
打ち壊し 高問伝兵衛
○西国の御大尽,百両握ったまま空腹死
江戸時代は金万能主義-大事な農業をいい加減に=天罰
↓
熊本・久厳禅寺の住職 梅岑禅師 大施餓鬼
1733正月11日~
数千の飢民に70余日
反面 弱い者は乞食に 強い者は強盗に
飢饉心理が火をつけた米価暴騰
○享保17年(1732)米62万5千石(損耗163万3千石)
飢民数 日本人口の一割弱 265万人
イナゴ害 飢餓死 約100万人
969900人
「徳川実記」
◇天明飢饉
○浅間山の噴火で焦熱地獄
○上杉鷹山 孫の粥嫌い
「人に上下の差別はあれど,五臓六腑は同じことぞ。食わずば食わすな。」
|
家臣に先んじて率先
天明時にも藩内に一人のが死者も出さず
内村鑑三「代表的日本人」
誠の人物は危機にぶつかったときこそ真価を示す
飢饉と難民の救助対策に奔走
平成の備蓄米
○浅間山の噴火に疫病の追い打ち
天明3(1783)7月に浅間山の大噴火 死者2万人
↓
穀留の法(地域エゴ)
生き地獄を現出した信州の浅間山麓
天明3(1783)年7月4日
20~30里四方は惨状
真っ暗闇 3~4日間 空恐ろしい変事
生きた心地もしない大騒動
馬肉見直される-三年続きの大凶作
○税金攻勢で自殺者激増
酷税と飢饉のダブルパンチ
南部藩一戸~十戸
獣肉はもちろん死人の肉も食べ尽くした
希有の食人鬼が出現
橘南渓「東遊記・捕逸」リアルな話
弱った者を生きているうちに殺して食う例も多かった
伊勢神宮神官も飢える
○大江戸に飛ぶ火の粉と流言
天明6(1786)春
天鼓の妖 玉川水道に投毒の妖
烈風 物の乾きがひどく早い
大火 - 長雨(大洪水)
日本国中雨 暑さ知らず
○東北飢饉が生んだ食糧一揆
無法非道の人情
米問屋襲撃 - 米の買いだめを大規模に盛大に行った悪徳商人が多くねらわれた
5月23日 御先手十組「手に余らば一揆の者ども斬り捨てて良い」
○ギョッとする一揆の張り紙
①米よこせ
②焼くか壊すか
③金持ちのバカ野郎覚悟は良いか
④新米買い占め
⑤米価安くなるよう願った狂歌
⑥団結乱す者は火祭りに
⑦米売り出しの朗報
○幕藩体制の弱体化を早めた天明飢饉 異常気象
◇天保飢饉
○人災型 天保4(1833)~天保10(1839)
天保7年(1836)全国的規模
大塩平八郎と大阪の世直し反乱軍
平八郎 役人・金持ちに怒った
○人災・天災複合型
全財産が股引だけに落ちぶれた富農
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