「宮本常一と写真」石川直樹 須藤功 赤城耕一 畑中幸広 平凡社 2014年 [読書記録 民俗]
今回は、石川直樹さん、須藤功さん、赤城耕一さんの
「宮本常一と写真」を紹介します。
宮本常一さんが、民俗の調査の際、残した写真についての本です。
出版社の案内には、
「『忘れられた日本人』で知られる民俗学者が撮った10万枚におよぶ写真を読み解き、そ
の故郷を写す。」
とあります。
なんだかすかすかの要約になってしまいました。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「すおう大島文化交流センター
10万点の写真 オリンパスペン」
- 周防大島の文化交流センターに、宮本さんがオリンパスペンで撮影した10万点の写
真が保管されていると聞きました。
・「芸術写真は撮るな」
「読める写真を撮れ」
・「写真に私を出すな」
「学者に向かって書くな」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「宮本常一と写真」石川直樹 須藤功 赤城耕一 畑中幸広 平凡社 2014年
◇宮本写真の「浮力」 - 石川直樹
□柔軟な姿勢の在り方
1907 レヴィ=ストロースと同じ
73年間に16万㎞歩き続けた
4000日 民泊1000軒
すおう大島文化交流センター
10万点の写真 オリンパスペン
目の前のものが全てモチーフになる
通底する浮遊感
◎円の写真 被写体との適度な○○
◎人がいる写真
◇生活史としての写真 須藤功
「読める写真」を撮れ
宮本「芸術写真は撮るな」「読める写真を撮れ」
|
名取洋之助さんとの接触(岩波写真文庫)
・上手い写真はない
・懐かしい写真
「忘れられた」の由来
岩波写真文庫 1955.5.25発行 『忘れられた島』
|
昭和35(1960)『忘れられた日本人』発行
1934(昭和9)年5月『忘られた小宝島』
畑の作物は何?
昭和30年~昭和56(1981)年1月まで
10万点の写真
生活史の視点
宮本常一
「写真に私を出すな」
「学者に向かって書くな」
観文研 月刊「あるくみるきく」
1967.3~1988.12
民俗ではなく生活史
◇仕事・労働写真
◇再録 一枚の写真から 「あるくみるきく」連載
草屋根の意志
◇都市
グラデーションとノイズを写し取る
「宮本常一と写真」を紹介します。
宮本常一さんが、民俗の調査の際、残した写真についての本です。
出版社の案内には、
「『忘れられた日本人』で知られる民俗学者が撮った10万枚におよぶ写真を読み解き、そ
の故郷を写す。」
とあります。
なんだかすかすかの要約になってしまいました。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「すおう大島文化交流センター
10万点の写真 オリンパスペン」
- 周防大島の文化交流センターに、宮本さんがオリンパスペンで撮影した10万点の写
真が保管されていると聞きました。
・「芸術写真は撮るな」
「読める写真を撮れ」
・「写真に私を出すな」
「学者に向かって書くな」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「宮本常一と写真」石川直樹 須藤功 赤城耕一 畑中幸広 平凡社 2014年
◇宮本写真の「浮力」 - 石川直樹
□柔軟な姿勢の在り方
1907 レヴィ=ストロースと同じ
73年間に16万㎞歩き続けた
4000日 民泊1000軒
すおう大島文化交流センター
10万点の写真 オリンパスペン
目の前のものが全てモチーフになる
通底する浮遊感
◎円の写真 被写体との適度な○○
◎人がいる写真
◇生活史としての写真 須藤功
「読める写真」を撮れ
宮本「芸術写真は撮るな」「読める写真を撮れ」
|
名取洋之助さんとの接触(岩波写真文庫)
・上手い写真はない
・懐かしい写真
「忘れられた」の由来
岩波写真文庫 1955.5.25発行 『忘れられた島』
|
昭和35(1960)『忘れられた日本人』発行
1934(昭和9)年5月『忘られた小宝島』
畑の作物は何?
昭和30年~昭和56(1981)年1月まで
10万点の写真
生活史の視点
宮本常一
「写真に私を出すな」
「学者に向かって書くな」
観文研 月刊「あるくみるきく」
1967.3~1988.12
民俗ではなく生活史
◇仕事・労働写真
◇再録 一枚の写真から 「あるくみるきく」連載
草屋根の意志
◇都市
グラデーションとノイズを写し取る
コメント 0