「人生は廻る輪のように」E・キューブラー・ロス 角川書店 1998年 ② [読書記録 一般]
「ヒトラーはわたしたち全員の中にいるの」
「せっかく救われた命を、憎しみのタネを蒔くことに使ったとしたら、わたしもヒトラー
と変わらなくなる。憎しみの輪を広げようとする哀れな犠牲者の一人になるだけ。平和
の道を探すためには、過去は過去に返すしかないのよ」
今回は、2月19日に続いて、E・キューブラー・ロスさんの
「人生は廻る輪のように」の紹介2回目です。
臨死体験についての書『死ぬ瞬間』で知られるキューブラー・ロスさんの自伝です。
出版社の案内には、
「スイスで過ごした少女時代、国際平和義勇軍での難民救済活動、ナチス強制収容所で出
会った蝶の壁画の謎、父の反対を押し切り医師の道へ、結婚とアメリカへの移住、末期
医療と死の科学への取り組み、大ベストセラー『死ぬ瞬間』の執筆、チャネリング、夫
との別離、体外離脱体験、詐欺及び殺人未遂被害、ヒーリングセンターの設立、放火に
よるすべての焼失…。20世紀を駆け抜けた精神科医の愛とたたかいの記録。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「なぜ蝶なのか」
・「あなたもいざとなれば残虐になれるわ。ナチスドイツで育てられたなら」
・「小児科病棟へ → 対話『聞く技術』」
・「慈悲のこころがほとんどすべてを癒やす」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「人生は廻る輪のように」E・キューブラー・ロス 角川書店 1998年 ②
◇蝶の謎
□強制収容所
マイダネックに
「いのちはこれほどまでに残酷になれるものか」
至る所に蝶が描かれていた
「なぜ蝶なのか」
ゴルダ
「あなたもいざとなれば残虐になれるわ。ナチスドイツで育てられたなら」
「ヒトラーはわたしたち全員の中にいるの」
※ 生きて、あの人たちのやった非道を伝えるため生き延びた
「せっかく救われた命を、憎しみのタネを蒔くことに使ったとしたら、わたしもヒトラー
と変わらなくなる。憎しみの輪を広げようとする哀れな犠牲者の一人になるだけ。平和
の道を探すためには、過去は過去に返すしかないのよ」
憎しみを捨て、許しと愛を選んだゴルダ
8か月に受けた信じがたい教育
命をかけて帰国
<熊の巻>
◇一族再会
□アムスラー教授のもとへ
小児科病棟へ → 対話「聞く技術」
↓
医師になりたい希望 「マトゥラ」合格のため予備校へ
再びプラハ、ワルシャワへ
父との諍い ワンルームを借りる
1950年から受験勉強に本腰 妹夫婦から500フラン借りる
「マトゥラ」合格 → 合格を祝い父と仲直り
◇医学校
□死とその周辺の研究
CGユングとの邂逅
カントリー・ドクターを希望(全科目)
留学生とのふれ合い
イマヌエル・ロスとの結婚
1955年妹エヴァとセップリとの結婚
◇医学校で教えないこと
□義弟セップリの癌
1957年 医師合格
1958年2月 マニーとの結婚 ランゲンタールで臨時のカントリードクターに
義弟セップリの死
「切迫感を無視してはならない」と教えられた
慈悲のこころがほとんどすべてを癒やす
◇医師・キューブラー・ロス
インターンとしてグレンコーヴ・コミュニティ病院
コロンビア・ブレスビテリアン小児科レジデントに
↓ 夫はモンティフィオール病院へ
妊娠でマンハッタン州立病院研究員に(しかし流産)
「せっかく救われた命を、憎しみのタネを蒔くことに使ったとしたら、わたしもヒトラー
と変わらなくなる。憎しみの輪を広げようとする哀れな犠牲者の一人になるだけ。平和
の道を探すためには、過去は過去に返すしかないのよ」
今回は、2月19日に続いて、E・キューブラー・ロスさんの
「人生は廻る輪のように」の紹介2回目です。
臨死体験についての書『死ぬ瞬間』で知られるキューブラー・ロスさんの自伝です。
出版社の案内には、
「スイスで過ごした少女時代、国際平和義勇軍での難民救済活動、ナチス強制収容所で出
会った蝶の壁画の謎、父の反対を押し切り医師の道へ、結婚とアメリカへの移住、末期
医療と死の科学への取り組み、大ベストセラー『死ぬ瞬間』の執筆、チャネリング、夫
との別離、体外離脱体験、詐欺及び殺人未遂被害、ヒーリングセンターの設立、放火に
よるすべての焼失…。20世紀を駆け抜けた精神科医の愛とたたかいの記録。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「なぜ蝶なのか」
・「あなたもいざとなれば残虐になれるわ。ナチスドイツで育てられたなら」
・「小児科病棟へ → 対話『聞く技術』」
・「慈悲のこころがほとんどすべてを癒やす」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「人生は廻る輪のように」E・キューブラー・ロス 角川書店 1998年 ②
◇蝶の謎
□強制収容所
マイダネックに
「いのちはこれほどまでに残酷になれるものか」
至る所に蝶が描かれていた
「なぜ蝶なのか」
ゴルダ
「あなたもいざとなれば残虐になれるわ。ナチスドイツで育てられたなら」
「ヒトラーはわたしたち全員の中にいるの」
※ 生きて、あの人たちのやった非道を伝えるため生き延びた
「せっかく救われた命を、憎しみのタネを蒔くことに使ったとしたら、わたしもヒトラー
と変わらなくなる。憎しみの輪を広げようとする哀れな犠牲者の一人になるだけ。平和
の道を探すためには、過去は過去に返すしかないのよ」
憎しみを捨て、許しと愛を選んだゴルダ
8か月に受けた信じがたい教育
命をかけて帰国
<熊の巻>
◇一族再会
□アムスラー教授のもとへ
小児科病棟へ → 対話「聞く技術」
↓
医師になりたい希望 「マトゥラ」合格のため予備校へ
再びプラハ、ワルシャワへ
父との諍い ワンルームを借りる
1950年から受験勉強に本腰 妹夫婦から500フラン借りる
「マトゥラ」合格 → 合格を祝い父と仲直り
◇医学校
□死とその周辺の研究
CGユングとの邂逅
カントリー・ドクターを希望(全科目)
留学生とのふれ合い
イマヌエル・ロスとの結婚
1955年妹エヴァとセップリとの結婚
◇医学校で教えないこと
□義弟セップリの癌
1957年 医師合格
1958年2月 マニーとの結婚 ランゲンタールで臨時のカントリードクターに
義弟セップリの死
「切迫感を無視してはならない」と教えられた
慈悲のこころがほとんどすべてを癒やす
◇医師・キューブラー・ロス
インターンとしてグレンコーヴ・コミュニティ病院
コロンビア・ブレスビテリアン小児科レジデントに
↓ 夫はモンティフィオール病院へ
妊娠でマンハッタン州立病院研究員に(しかし流産)
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