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徳川家康由来の姓ほか - 「土のいろ」集成 第一巻 ひくまの出版 [読書記録 郷土]

 「土のいろ」のおもしろさ。
 浜松子供協会隻言として次の言葉があります。

  子供の魂の味方 子供の生活の正しい伴路者
  子供の味方として童話・童謡,踊り等の実演及び研究に主眼
 わたしたちには土と若さがなくてはいけません
 創立 大正11.12.15 会員は主として教育-初等教育者
  童話公演会 童謡踊り発表 童謡講習会 
      童謡・童話雑誌『花火』
土俗伝説雑誌『土のいろ』 

「遠州郷土を愛する人たちにとってこよない心の慰め」
「研究する者にとっては限りない豊富な資料」
  と鈴木実氏は言います。

「土のいろ」は
  遠州の土俗・伝説中心に民間伝承を掘り起こすことを目標
柳田国男も「蟷螂考」を寄稿しています。
  これが方言周圏論の 素材となったとも言われています。

  メモなので分かりにくいとは思いますが、
  様々な話題に触れられていることが分かると思います。
  大正末~昭和初の初等教育者の意欲に感心します。
  






☆「土のいろ」集成 第一巻 ひくまの出版
◇月報1
○飯尾哲爾 浜松市内小学校教員
      大正13年 「土のいろ」発刊
同人 渥美実・県善三郎・三浦桂作・鈴木実・渥美静一・古沢純道
  久保田閃次・山岡光男・田辺寛司・三浦巌・大村二郎
  佐々木清治・近藤用一・御手洗清・佐藤彰

 ○「土のいろ」大正13年~ 約50年間 
民俗の宝庫 ガリ版刷りの手づくり民俗誌
第一巻(大正13年創刊号~大正14年12号)

◇第一巻第一号 通刊1号 大正13年1月
○発刊の辞 浜松子供協会土のいろ社

○西郷村の五社神社(1)戸塚善雄
  小笠郡西郷村の旧社 「和名抄」佐野郡日根郷
「遠江風土記伝」式外社
元和5年 秀忠の生母・西郷の局の出身地
↓ 局の産土神  → 幕府より
浜松に分霊 県社五社神社

 ○家康と伝説 三輪桂作
(1)小粥という姓の由来
曳馬村島之郷に限り小粥姓がたくさんある
家康が負け戦の時に空腹で百姓家で雑炊
のち「望みはなし」→小粥の姓を贈った 
                  椀に二本の箸の家紋
小粥進氏の家
(2)提燈野と万能蛍 重富実秋
袋井・森町間
      たくさん兵隊がいるように見せた沼地
(3)銭取と小豆餅 桜井茂一郎
○発刊するまで 飯尾哲爾 遠州地方の「伝説と土俗」


◇第一巻第二号 通刊2号 大正13年3月
 ○子供の手になった入出風土記 飯尾哲爾
浜名郡入出小学校
   大正11年11月 入出村第一学年の児童が編纂
大正12年12月 高等科2年
老人から聞き取り・お坊さんを訪ねる・役場書類調査
門網で実測 ~ 伝説的・土俗的編纂 ~ 郷土教育

 ○家康と伝説 浅井政一
(1)提燈野・万能蛍及び石動橋
一言  万能
深田沼-石動橋の蛍は大きく光が強い=体長一寸
倒れた軍兵の霊魂の化身-万能蛍
中泉説、袋井付近説 → 中泉在が正当か?
  (2)蓑四郎左衛門
天龍村大字中野に家康が逃げる
         - 農夫・四郎左衛門に助けを求める
蓑と笠を与える→農夫に身をやつす

天龍村千手堂字須賀に蓑捨て場

平定後 「蓑」の姓 + 笠形紋章と中野村民の夫役
天正17年9月13日
         家康真筆7箇条の御朱印付き一巻と
         千羽鶴に笹の模様のある扇面蔵

 ○「よめたたき」 松下岩次
浜松市上中島 正月15日 嫁叩きの風習
男の子供
「大の子 小の子 嫁たたき 来年 男の子を 生むように」
大のこもって「おあし」をもらいに歩く
    初嫁をもらった家では1~2銭

◇第一巻第三号 通刊3号 大正13年4月
 ○西郷の局の遺跡 戸塚善雄

 ○袖仕ケ浦由来記(2) 小栗源市
岩水寺 俊光公より御寄付 田地70町 往古高700石
北条時頼 最明寺入道諸国巡礼
            只一人賤僧となって御巡幸
一宿を乞うが断られる
翌日鹿島の渡し場へ - 満水で渡船できず
御滞留-何とか渡る

一両年後 岩水寺鹿島社守被官召呼 寺領700石被召上
今は300石余 神主 蒲惣検校預かり 24郷惣社
池田庄・松尾社 守屋大神祀る 社領300石
飯田村・龍泉寺 御朱印40石余り
田村俊光公の父菩提寺のため寺一守建立
長上・頭陀寺 薬師 100石

 ○浜名納豆 飯尾哲爾
大福寺 真言宗 薬師如来 納豆と寺院との関係
天林寺が納豆を檀家に年玉に配った
「そんなに泣くと天林寺の納豆を食わせるぞ!」
三角の箱に入れて各寺で配った
①大豆を一夜水に浸し蒸す
②二本の指で押しつぶせる程度でやめ、
    熱い間に小麦粉の上を転ばして衣つけ
③室の床に藁を敷き詰めておき、その上に筵を
    2~3枚重ね大豆を並べる
-豆をよく広げて畝をつくる
秋の彼岸に仕込み12月に完成
粒状 乾納豆 辛皮~山椒
万病の薬 - 千金丹 
寺納豆や糸引き納豆でさえ茶菜や酒肴として賞味
浜松・やまや鈴木幸作氏

 ○コヤとコヤハヒ 飯尾哲爾
コヤハヒ(共同ちりづか)
多くの道路の分岐点等の空き地を利用
小屋灰 小屋の灰を捨てるところ
今より40年前 月水の女子-小屋に入り火を分けた

月水のことをコヤ
月水を大のけがれとした
  初めての月水
隣家2、3合の米を家に送り
「初花が咲いておめでとうございます」
→コヤに(一間四方で多くは便所の裏)
煮炊き・飲食を別に
コヤ井戸 井戸も別に ~ 数軒の共同
コヤ 一名 ヲタヤ=汚多屋か?
 
 ○浜松雑話 吉沢純道
  (1)森田という地名について 
      県籐七郎(井上藩) 棟梁(苗字帯刀御免)に出世 
半兵半農=屯田の制
家老・布施又左右衛門 屯田耕地と命名
のち屯田(モリタ)→森田
県籐七郎は今の鹿児島県知事・県忍氏の祖
(2)狐と赤マン
成子町法林寺の本堂下に古狐が住んでいた 
      たくさんの子狐 門前の豆腐油揚げをあげた
  (3)不遣池(ヤラズガイケ)
和地山 昔二匹の大蛇-道中往来の人々を苦しめ不遣不遣殺害
普済寺 開祖・華蔵禅師 弟子二匹を済度
蛇済度 → 白山妙理大権現 -干魃に
  (4)八日神 可美村・新津村
神送り 7月8日未明 子供隊 鐘をカンカン竹に御幣
「八日神を送れやーい」とよばって家々 家では一二銭
最後に川端 盛んに鐘を打って御幣を流す
八日の悪神を流し去る

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