「鎮守の森は泣いている」山折哲雄 PHP 2001年 ① /「学校って何だろう」苅谷剛彦 講談社 1998年④【再掲載 2015.7】 [読書記録 一般]
今回は、山折哲雄さんの、
「鎮守の森は泣いている」の紹介 1回目です。
出版社の案内には、
「いま日本人は自らの『心』の在り処を見失いつつある。何に感動し何
を悲しみ、日々をどう生き、死に際して何を考えたのか。この国に連
綿と繋がる感性を取り戻す事が強く求められている。
本書では『日本人の信仰のかたち』を見つめてきた著者が、人々の感
性を掘り起こしていく。
西行、芭蕉という『日本をさまよう』求道者がいた。彼らは蔑まれ孤
独の中に生きる『こじき』に憧れ、そうなる事で悟りを開こうとした
のだ。つまり私を無の状態にしたとき、ものがよく見えてくると信じ、
そういう心の在り方、生き方にどこまでもこだわった、と著者は言う。
また日本には『人間は一度死を通過する事で神になることができる』
という独自の死の感覚があり、そこから死の世界の近くにいる『老人』
が神にも等しい存在として崇められてきたのである、と述べていく。
日本人の行動規範をユニークかつ大胆な視点から論じていく、眼から
ウロコが落ちる日本人論。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「明治国家の過ち、問題の根源は『神仏分離政策』と中途半端な政教
分離政策』切り須知教に対抗しようとして、万世一系の天皇を基軸
として伝統神道のキリスト教化と祭祀と宗教の分離」
・「『慈母』であり同時に『厳父』である(天然の無常)自然観と多彩に
して変幻きわまらない(八百万の神)自然」
・「日本の神々は死と再生を繰り返してきた(=遷宮)」
もう一つ、再掲載になりますが、苅谷剛彦さんの
「学校って何だろう」④を載せます。
20年以上経っても教員のおかれる状況は変わらず…
学校は教育の場からサービスの場に…
☆「鎮守の森は泣いている」山折哲雄 PHP 2001年 ①
◇鎮守の森は泣いている?
□森首相
「神の国」発言
□明治国家の過ち
問題の根源
1 神仏分離政策
2 政教分離政策 中途半端
万世一系の天皇 基軸 キリスト教に対抗
→ 伝統神道のキリスト教化
天照大神
最高神の一つから唯一高神へ
- 批判
→ 祭祀と宗教の分離
□「宗教宣言」をしていない神道
天皇の人間宣言とともに伊勢神宮も宗教宣言
伊勢神宮
伝統神道か? 人工神道(国家神道)か?
高度3000mから 森、山
= 縄文以来の鎮守の森
□寺田寅彦の遺言「日本人の自然観」
自然は「慈母」であり同時に「厳父」である
~ 天然の無常
多彩にして変幻きわまらない自然
~ 八百万の神
□レヴイ=ストロースが感じた霊気
1986(昭和61)年 仏人類学者 レヴィ=ストロース来日 九州へ
日本では神話から歴史への移行がスムースに行われている
日本の聖地の歴史をこえる構造的な性格
- しかし、神道はさまざまな付加価値を外部から抱え込むことに
よって、かえって本来の特色を失っていった
□「鎮守の森」とは何か
日本の神々は死と再生を繰り返してきた(=遷宮)
「身を隠す神」と「葬られる神」
□2つの側面をもつ神
1 日本の神には、人間的な側面と人間を超える側面とがある
2 神霊の輪廻転生
神と人間とを結び付けるものが霊魂
3 神は死ぬことにより神話と歴史を自然な形で接続する役割
□宗教の本質を見据える
混乱をもたらす宗教 ~<開祖><教義><伝道>
↑↓
鎮守の森信仰 森羅万象に生命が宿る
|
柳田國男 産土の神の重要性
南方熊楠 神社合併・統合に反対
森発言により鎮守の森は泣いている
☆「学校って何だろう」苅谷剛彦 講談社 1998年④【再掲載 2015.7】
◇先生の世界
もうひとりの主人公
先生の仕事
教師本来の仕事
① 授業
② 生徒指導
③ 組織運営
生徒を理解する仕事
教師
「学力や進路との関係や学校内での行動」面の理解に限られる
→ 学校にかかわりのない部分についての理解は無理(文科省)
◎ なぜそれを求める声が大か?
教育の拡張
◎ どんな手段を使えば、どんな目的にたどり着けるのか。その
判断が曖昧であればあるほど、教育の仕事、つまり教師の仕事
は広がっていく
社会からの期待
限りない期待
給食 掃除 「あれもこれも教育のため」
→ ◎ 先生の仕事はどんどん増えていく
↑↓
アメリカの学校
社会の変化と子どもの責任
モーレツ社員の時代に変化 1970年代
学校の責任と教師
◎ 事件や問題が起こるたびに学校に任せてきた教育の責任が雪
だるま式にどんどん大きくなり先生の仕事を増やしていく
疲れる先生
◎先生にできることできないこと
中学校 29万人の先生
小学校 43万人の先生
高校 34万人の先生
- 計106万人 120人に一人が先生
◎ あれもこれもは無理
「鎮守の森は泣いている」の紹介 1回目です。
出版社の案内には、
「いま日本人は自らの『心』の在り処を見失いつつある。何に感動し何
を悲しみ、日々をどう生き、死に際して何を考えたのか。この国に連
綿と繋がる感性を取り戻す事が強く求められている。
本書では『日本人の信仰のかたち』を見つめてきた著者が、人々の感
性を掘り起こしていく。
西行、芭蕉という『日本をさまよう』求道者がいた。彼らは蔑まれ孤
独の中に生きる『こじき』に憧れ、そうなる事で悟りを開こうとした
のだ。つまり私を無の状態にしたとき、ものがよく見えてくると信じ、
そういう心の在り方、生き方にどこまでもこだわった、と著者は言う。
また日本には『人間は一度死を通過する事で神になることができる』
という独自の死の感覚があり、そこから死の世界の近くにいる『老人』
が神にも等しい存在として崇められてきたのである、と述べていく。
日本人の行動規範をユニークかつ大胆な視点から論じていく、眼から
ウロコが落ちる日本人論。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「明治国家の過ち、問題の根源は『神仏分離政策』と中途半端な政教
分離政策』切り須知教に対抗しようとして、万世一系の天皇を基軸
として伝統神道のキリスト教化と祭祀と宗教の分離」
・「『慈母』であり同時に『厳父』である(天然の無常)自然観と多彩に
して変幻きわまらない(八百万の神)自然」
・「日本の神々は死と再生を繰り返してきた(=遷宮)」
もう一つ、再掲載になりますが、苅谷剛彦さんの
「学校って何だろう」④を載せます。
20年以上経っても教員のおかれる状況は変わらず…
学校は教育の場からサービスの場に…
☆「鎮守の森は泣いている」山折哲雄 PHP 2001年 ①
◇鎮守の森は泣いている?
□森首相
「神の国」発言
□明治国家の過ち
問題の根源
1 神仏分離政策
2 政教分離政策 中途半端
万世一系の天皇 基軸 キリスト教に対抗
→ 伝統神道のキリスト教化
天照大神
最高神の一つから唯一高神へ
- 批判
→ 祭祀と宗教の分離
□「宗教宣言」をしていない神道
天皇の人間宣言とともに伊勢神宮も宗教宣言
伊勢神宮
伝統神道か? 人工神道(国家神道)か?
高度3000mから 森、山
= 縄文以来の鎮守の森
□寺田寅彦の遺言「日本人の自然観」
自然は「慈母」であり同時に「厳父」である
~ 天然の無常
多彩にして変幻きわまらない自然
~ 八百万の神
□レヴイ=ストロースが感じた霊気
1986(昭和61)年 仏人類学者 レヴィ=ストロース来日 九州へ
日本では神話から歴史への移行がスムースに行われている
日本の聖地の歴史をこえる構造的な性格
- しかし、神道はさまざまな付加価値を外部から抱え込むことに
よって、かえって本来の特色を失っていった
□「鎮守の森」とは何か
日本の神々は死と再生を繰り返してきた(=遷宮)
「身を隠す神」と「葬られる神」
□2つの側面をもつ神
1 日本の神には、人間的な側面と人間を超える側面とがある
2 神霊の輪廻転生
神と人間とを結び付けるものが霊魂
3 神は死ぬことにより神話と歴史を自然な形で接続する役割
□宗教の本質を見据える
混乱をもたらす宗教 ~<開祖><教義><伝道>
↑↓
鎮守の森信仰 森羅万象に生命が宿る
|
柳田國男 産土の神の重要性
南方熊楠 神社合併・統合に反対
森発言により鎮守の森は泣いている
☆「学校って何だろう」苅谷剛彦 講談社 1998年④【再掲載 2015.7】
◇先生の世界
もうひとりの主人公
先生の仕事
教師本来の仕事
① 授業
② 生徒指導
③ 組織運営
生徒を理解する仕事
教師
「学力や進路との関係や学校内での行動」面の理解に限られる
→ 学校にかかわりのない部分についての理解は無理(文科省)
◎ なぜそれを求める声が大か?
教育の拡張
◎ どんな手段を使えば、どんな目的にたどり着けるのか。その
判断が曖昧であればあるほど、教育の仕事、つまり教師の仕事
は広がっていく
社会からの期待
限りない期待
給食 掃除 「あれもこれも教育のため」
→ ◎ 先生の仕事はどんどん増えていく
↑↓
アメリカの学校
社会の変化と子どもの責任
モーレツ社員の時代に変化 1970年代
学校の責任と教師
◎ 事件や問題が起こるたびに学校に任せてきた教育の責任が雪
だるま式にどんどん大きくなり先生の仕事を増やしていく
疲れる先生
◎先生にできることできないこと
中学校 29万人の先生
小学校 43万人の先生
高校 34万人の先生
- 計106万人 120人に一人が先生
◎ あれもこれもは無理
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