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「死者の民主主義」畑中章宏 トランスビュー 2019年 ②(後) /「ふえる一方の不登校をどうとらるか(中)『心をほどく人間関係の大切さについて』 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ⑧【再掲載 2015.5】 [読書記録 一般]

今回は2月23日に続いて、畑中章宏さんの、
「死者の民主主義」の紹介 2回目です。


出版社の案内には、

「人ならざるものたちの声を聴け
 20世紀初めのほぼ同じ時期に、イギリス人作家チェスタトンと、当
 時はまだ官僚だった民俗学者の柳田国男は、ほぼ同じことを主張し
 た。
 それが「『死者の民主主義』である。
 その意味するところは、世の中のあり方を決める選挙への投票権を生
 きている者だけが独占するべきではない、すなわち『死者にも選挙権
 を与えよ』ということである。
 精霊や妖怪、小さな神々といったものは、単なる迷信にすぎないのだ
 ろうか。
 それらを素朴に信じてきた人びとこそが、社会の担い手だったのでは
 なかったか。
 いま私たちは、近代化のなかで見過ごされてきたものに目を向け、伝
 統にもとづく古くて新しい民主主義を考えなければならない。
 死者、妖怪、幽霊、動物、神、そしてAI……
 人は『見えない世界』とどのようにつながってきたのか。
 古今の現象を民俗学の視点で読み解く論考集。」

とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「南方熊楠の神社合祀反対運動も強調すべき民俗学の戦いだった」
「南方熊楠のマンダラ的世界観
   = 社会とは重層的で複雑で多様性に満ちたものだ」


・「民主主義の信条は、『結婚』『子どもの養育』『国家の法律』といっ
た最も重要な物事を平凡人自身に任せることだという。」


・「仏法は村の正気の大衆によってつくられるのに対し、書物は村のた
った一人の狂人が書くものだから伝説の方が歴史書よりも尊敬され
  なければならない」


・「妖怪は零落した神-柳田國男」



もう一つ、再掲載になりますが、伊藤友宣さんの
「ふえる一方の不登校をどうとらるか(中)『心をほどく人間関係の大
 切さについて』」⑧
を載せます。



☆「死者の民主主義」畑中章宏 トランスビュー 2019年 ②(後)

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◇南方熊楠の闘い
◎ 日本の民俗学が近代化の中で蔑ろにされようとしているものた
   ちに目を向けさせるための戦いでもあったということだ
   
  南方熊楠の神社合祀反対運動も強調すべき民俗学の戦いだった
 1906(明治39)第一次西園寺内閣
  集落ごとにある神社を合祀し一町村一神社を標準とせよと
     いう神社合祀を全国に促した
   
  ◎ 神社は住民の融和慰安や信仰のよりどころ 
     - 史跡と古伝を滅ぼさせる
    緑豊かな森林 
     - 併合された神社跡の林が伐採され生物が全滅   
→ 南方は危惧した
    南方熊楠のマンダラ的世界観
        社会とは重層的で複雑で多様性に満ちたものだ 
      奏功 1920(大正9)年  
        貴族院で「神社合祀無益」決議 


□「平凡人は人生を内側から見ている」
チェスタトン
民主主義の信条は、「結婚」「子どもの養育」「国家の法律」
    といった最も重要な物事を平凡人自身に任せることだという。

 「伝説の方が歴史書よりも尊敬されなければならない」
~ 仏法は村の正気の大衆によってつくられるのに対し、書物は
    村のたった一人の狂人が書くものだから

   非凡人の明晰明快な論証より平凡人の空想や偏見の方が、より好
  ましく「平凡人は人生を内側から見ているからだ」というチェスタ
  トンの辛らつな言葉から、現在の知識人が政治に果たしている役割
  のおぼつかなさをわたしは想起するのだった



◇「わたしは死んだのですか?」
□大震災を巡る「幽霊」と「妖怪」
わたしたちは数多くの「死霊」と出会ってきた
   さまざまな霊魂譚 
あの世からの伝言
松谷みよ子『あの世からのことづて 私の遠野物語』1984
東日本大震災では数が圧倒的に多かった
   新たな「妖怪」伝承は生まれるのか 
『災害と妖怪』2012



◇妖怪と公共
□柳田國男の妖怪体験
兵庫県 辻川  
    河童「ガタロ(川太郎)」 一つ目小僧
  妖怪の国際比較 
さまよう妖怪 
柳田 「妖怪は零落した神」
妖怪の発展と発見
共同体が伝承してきた妖怪 
    - 夢枕に立つ幽霊
   桜井徳太郎『モウリョウ信仰の基盤-とくに非業の死霊と供養儀
         礼について』1983
  
 ◎ いま妖怪に求められているのは、何事も明確にしたり、おもしろ
  がりたる「知的」な精神状況なのではあるまいか



◇死者に「○○」した大勢の若者たち
□渋谷のハロウィンをめぐる考察 
ハロウィンの起源と日本での流行
ハロウィンはもともとアイルランド(ケルト)の伝統社会で祖先
   や死者の霊を供養する節句
    「万霊節=サウィン」
「トリック・オア・トリート」
      ~ 明日からの一年を大切に暮らせるか?


 途中まで





☆ふえる一方の不登校をどうとらるか(中)「心をほどく人間関係の大切さについて」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ⑧【再掲載 2015.5】

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◇親の努力は徒労に終わり

 さて、もともと何のこだわりで2年生から不登校がはじまったかとい
うことですが、その当時からのことを、私はあらかじめ母親からはこう
聞かされていました。


「なんでか分からないのですが、朝になるとうっとうしくて、ぽつん、
 ぽつんと何日かに一日休むようになって。二日も続けて休むと次の日
 は、行ってくれるか行ってくれるかと気になってたのに、とうとうあ
 る日から休み続けたんです。どうでもこうでも行かないようになって。」


「問うても問うても、何も言ってくれんかった。」


「父親が荒れ立ってしまって、どうでも行けと力づくで引っぱり出そう
 として、あの子は泣いてわめいて、目付きまですごい様子で必死にさ
 からって動こうとせず、ちょっとでも尋ねるとものすごい怒るので…。
 親もなにがなんだか訳が分かリませんでした。」        


「あれこれの不登校の本に書いているように、そのへんを壊しまわるよ
 うになったかと思うと、私を叩いてきたり蹴りまわったりの時期もあ
 りました。」


「4年の頃から、近所の子が放課後や休みの日には遊びに来てくれるよ
 うになって、いつからか友達の来てくれるのを心待ちしていて。担任
 の先生も来てくれると、会いはするんですが、親や先生から、学校の
 話をすると、いやがって顔色が変るので、どうしようもなく、この四
 年間が過ぎたのです」

と。



◇散漫な表現の文章化を手伝ってやる

 それが、私には私と会ってまだろくに話も交わしてない内に、

「たいしたことやなかったんや。なあ」

と親に同意を求めながら、ぼろぼろとこぼれるように話しだしたという
わけです。   

      
「奴らがなあ、なんやかやと」


 話はいい加減なことばの羅列でしかありませんから、こちらが推測を
働かせて意味の分かる文章化を試みていきます。


「クラスの中の何人かの者が、か?」


「女ら、や」


「女の子が数人が?やな?」


「そう。うるさいんや」


 つまり、のんびり、おっとりしたような大介少年は口さがない女の子
たちグループの冗談やからかいの対象にされ、そのわずらわしさにうん
ざりして、もともと男の子の仲間で競いあったり夢中に遊びほうけたり
するほうではなかったもので、何もかもがおろそかになり、気力散漫の
常態がうとましくて、目覚めの朝から元気が湧かない。

 なにかにつけ、とどこおりがちな起居振る舞いを、親はせかしたり嘆
いたりで、まわりが自分を非難したり失望したりすることに慣れっこに
なる。


 心の不調は生理的な生活リズムにいよいよ直結してしまい、又今日も
あの女どもにいい加減遊ばれるのかと思うだけで気が滅入り、どうにも
動きがのろくて、これでは大幅に遅刻するしかなく、先生から嫌味のた
らたらかと思えば、ついに頭がズキンズキンと、熱もあるらしいと訴え
て、休んでしまうといったところであったらしいのですね。


 子の表現したげな顔つきの、その表情の変化を見守りながら、私は事
態のつながりを推測で展開してやると、「うん」とか「そう」とか、
「うん、だいたいそうやな」「ああ」「うん」と合いの手を大介は入れ
ながら、もともと四年前の不登校になりかかった頃の自分の心の姿が読
めて来たようで、日の光や頷き具合に、見る見る心の開いていく様子が
明らかだったのです。



「でな。新井ちゅう一番うるさい女。そいつが俺になにをしたと思う?
 背中に紙を貼りよんねんや。なんたらいやなこと書いてな。相手にな
 れんわ」


といつしか、気恥ずかしげな表現ながら自分で話し出しているのでした。   

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