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「思春期の心を開く」 八ツ塚実 朱鷺書房 [読書記録 教育]

昨日は 午前中より雨
冷たい雨のため 水泳はできず
子どもたちは不満たっぷり
プールの人気は高いですね
あやかりたいもの

八ツ塚実さん
亡くなられてからかなりたちます
読売教育賞を受賞した
元中学校の理科教諭

ラジオ深夜便「こころの時代」で聴いた
八ツ塚さんの実践に 心を動かされました
修学旅行のバスの車掌さんの
「みなさんのこころがけのよいおかげで今日は晴れ」
の言葉に疑問の声を上げる八ツ塚さん
「見くびらず買いかぶらず」
「上教は…中教は…下教は…」
早速本を買い求め
その内容に感服しました
NHK通販でCDも求め
今でも年に一度は通勤途中に聴いています

「人間科」の授業
大いに実践の参考になります








☆「思春期の心を開く」 八ツ塚実 朱鷺書房  

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◇生んでよかった

 目の前の「父や母」に対する対し方だって、下手な人がたくさんいる。
それがために大損をしている人もいる。
 その時期、父母からの投稿を「学級記録」にのせる。
 スミオのお母さんに無理矢理たのんで書いてもらった。もう色も変わ
ってしまったプリント綴りに、今もその文章は鮮 やかに残っている。


○「その子もいよいよ卒業」
 私は、体が弱いので、医師から子どもは生まない方がよいといわれて
いました。
 でも、私の母は六人も生み、みんな元気に育てました。
 私も女として、どんなことをしても、子どもの母になり、親となって、
母がどんな想いで子どもを育てたのか、知りたかったのです。
 駄目なのを承知で、もう一度病院へ相談に行きました。
 私があまりに熱心にいうので、病院では、
「そんなに生みたければ、とめることはできません。だが、これだけは
 わかっていただきたい」
と、いわれたのです。                               それは、
「死ぬかもわからないということです」
という言葉でした。
 私も気負っていたものの、そういわれると、一腕心がぐらつきそうで
した。
 夫に相談しても、
「そんなに無理をしなくてもいい」
と、叱られました。
 しかし、私は自分の心を変えることはできませんでした。
 死ぬかもしれないけれど、どうしても生みたい。
 私は夫の反対を押し切ったのです。
 普通でも大変なのに、私は毎日のように、目の前の食事は進まず、入
院・退院のくり返しでした。
 予定日が近づくと、ますます不安になりました。
 眠れない夜が続きました。
 いよいよ待ちに待った予定日がやってきました。
 覚悟していたつもりなのに、いよいよ私のいのちも今日までかと思う
と、急に悲しく なって泣いてしまいました。
 入院してから、十日くらいでしたでしょうか、私は三日間、こん睡状
態にもなりました。
 その時は、危篤の電報が打たれたそうです。
 夫は危篤の知らせを受け、かけつける汽車の中で、まるで夢遊病者が
歩いているように、うろうろしていたらしいです。
 病院へ釆てからも、何度も先生に呼ばれて、親子はあきらめなさいと、
言われたそうです。
 二週間後、とうとう私は、完全な麻酔もできないまま、帝王切開をし
たのです。
 もちろん、麻酔はできない体調だったのです。
 大学病院から先生が来られ、三時間半の手術でした。
 あの時の痛さといったら、とうてい言葉ではいい表わすことができま
せん。
 でも私は、一生懸命、神さまに祈りました。
 私は死んでも、子どものいのちだけは助けてくださいと、祈らずには
おれませんでし た。
 その内、私はあまりの苦しさに、こん睡状態になってしまったのです。
 四十度の高熱が出ました。
 高い熱のもとで、
「赤ちゃんは、赤ちゃんは……」
と、何度もたずねたそうです。
 三日目でした。
 熱も少しずつさがりはじめて、私は、自分が生きていることに気がつ
きました。
 横を見ると、小さな赤い顔の赤ちゃんが何事もなかったように、スヤ
スヤと眠っていたのです。
 私は、とうとうやったのだと思いました。
 後で聞いたのですが、子どもは四時間も泣かず、仮死状態だったとか。
 いま思っても、寒気がします。
 誕生日が来るたびに、
「お母さん、ぼくを生んでくれてありがとう」
と、にこにこしながら言ってくれます。
 私は、その一言で胸がいっぱいです。
 生んでいてよかったと、心から思います。
 誕生日が、一年に、二度も三度もきてほしいです。


 スミオは卒業していった。
 卒業式でのお母さんの胸中は、「万感せまる」ものだっにちがいない。
何度も何度も、心の中で「生んでいてよかった」と思われたにちがいな
い。そのことを、大声で叫びたかったかもしれない。
「私が生んだ子が!見てください!今ここに卒業ですよ!」と。
 このセリフは、どのお母さんとて同じだと思う。
 いのちを、この世に生み出すことを、私たちは、もっともっと教育の
中心にひき出さなくてはならない。
「学級記録」に、スミオのお母さんの記録をのせさせてもらえて、その
年に卒業したクラスの親も子も、あらためて親子関係について深く考え
たことだろう。
 生むとは、こういうことなんだ。
 生まれるとは、こういうことなんだ。
 生きるとは、共に歩み続けることなんだ。




◇子どもの心を開く力

「どう生きる科」「なぜ学ぶ科」
 佐高信著『親と子と教師への手紙』(現代教養文庫)を読んでいたら、
「どう生きる科」「なぜ学ぶ科」
という章に出会った。
 この言葉は、私の造語なので、オヤッと思った。読み進むと、それは
私の仕事について書いてくださっていることがわかった。
 自分で自分自身のことを書くのは気がひけるので、それを引用させて
いただくことにする。 
 その後で、この仕事が、一人の少年を見事に花聞かせた実例を紹介し
よう。



 言うまでもなく、教育とは「いのち」との関わりである。
 そう考える時、私はいつも、あるテレビコマーシャルを思い出す。
 夕暮れの京都の街を、一匹の小犬が歩いていく。人混みの中や川っぶ
ちを、ちょっと立ちどまったり、雨に打たれながら精いっぱい走ったり
して……。
 そこへナレーションが入る。
「いろんな命が生きているんだなあ。元気で、とりあえず元気で。みん
 な元気で」
 憶えている方も多いだろう、サントリーの「トリス・雨と小犬」のコ
マーシャルである。制作者は仲畑貴志。
 生へのいとおしみに充ちたこのコマーシャルをつくった仲畑は京都市
立洛陽工高時代、「夜ごと黒の上下に黒のネクタイを蹄め、黒のサング
ラスをかけて河原町、木屋町あたりをねり歩く」(『ビッグ・サクセス』1983年
12月号)大変なツッパリだった。
 あの、かわいい小犬のコマーシャルをつくったのが、手のつけられな
い落ちこぼれだったとは、誰が想像できるだろうか。

 教育とは、まず、生徒の「生へのエネルギー」に注目することだとい
うことを、私は『たいまつ』新聞主幹のむのたけじ氏に教えられた。
 私が山形県の庄内農高で教師をしていた頃だから、いまから20年ほ
ど前、講演会の講師として来てもらったむの氏と一緒に廊下を歩いてい
た私は、3、4人の生徒がダダッと、前を走って行ったので赤面した。
「不作法な」
と叱ろうとしたら、自然な感じで、むのが、
「元気があっていいですね」
と、にこやかに言った。
 その言葉に、私はハッとなった。
 御多分にもれず、私も教職1、2年目にして、最も多く発する言葉が、
「うるさい、静かにしろ」
という教師になっていたからである。
 しかし、考えてみれば、伸びざかりの生徒たちが何十人、何百人とい
るのに「静かな教室」「静かな学校」ほど不気味なものもないだろう。
 生徒たちのもつ野放図とも言える若さに対しては、教師たちも、当然、
それに拮抗する生のエネルギーをぶつけていかなければならない。

 広島の栗原中学で「どう生きる科」「なぜ学ぶ科」の「自主編成教科
書」として「学級記録」を出しつづける八ツ塚実も、それをよく知って
いる熱血教師だ。
「非行や校内暴力が起きた後では、いくら走り回っても敗戦処理にすぎ
 ない。その前になぜ子どもを燃えさせないのか」
と語る八ツ塚には、校内暴力にどう対処するかといった議論は、問題の
本質的な解決にはならない対症療法と映っているのではないだろうか。
「私には一日に百枚のプリントを作る力などない。でも、一日に一枚な
 ら作れる。それを百日続けることはできる」
として、八ツ塚は、「どう生きる料」「なぜ学ぶ科」の「教科書」を発
行し続けてきたのだ。
 この学級記録はワラ半紙にガリ版刷り。八ツ塚は今年もまた、「48歳
の抵抗」をつづける。
 この記録は毎年百号を超え、二百号を突破する年もある。知り合いの
印刷屋が惚れ込んで復刻してくれたという電話帳ほどの大部の合本から、
八ツ塚の詩「家庭訪問」を引いてみよう。

 みんなが書いた地図をたよりに
 ぼくは一人 テクテク歩く
 できるだけ人にたずねないで
 一軒一軒さがしあてる

 ひどい地図もあって
 行ったり来たり
 どうしてもわからない家もある
 迷路のような山手の坂道
 重いカバンを背おって
 大きなカバンをさげて
 みんなが毎朝あるく道
 毎夕たどる道
 それと同じ道を ぼくもたどる
 一歩一歩 坂道をのぼる
 坂道をくだる

 こんな遠くから通ってくるのか
 この坂道をのぼっているのか
 通いなれたみんなの道を
 ぼくが今あるいて行く
     (後略)


「疑問ノート」「誤答ノート」、そして「発見ノート」などをつくらせ、
「学級歴史年表」をつくる。こうした八ツ塚の実践は、前掲の詩に象
徴的に出ているように、とりたてて珍しいものではない。
 しかし、そこには生徒一人一人の生活にしつこいくらいに着目し、
自分も燃え、学びながら、「いのちの火」をかきたてる不屈のエネル
ギーがある。
 教育に奇手妙手はない。あくまでも基本を押すことだということを
八ツ塚の実践ははっきり教えていると言えるだろう。
「生徒を、教える対象としてでなく、一人の人間として扱う」
 生徒や親の前で平気で泣いたり笑ったり、そして、怒鳴ったりする
「生きている教師」八ツ塚は、ことなかれ主義の空気が充満する学校
に反発するように、こう言った。
   (後略)


○手作り教科書を通して
 私のトレードマークといえば、佐高氏に紹介していただいたように、
「自主編成の教科書」である。子どもたちの言葉と、私の言葉が文字
になって躍っている教科書だ。  
 もちろん世界に一つしかない。自分たちのために作る自分たちの教
科書だ。その教科書作りの過程で、「どう生きるか」「なぜ学ぶか」を、
克明に学んでいく。
 自分たちで作り出し、共有している生活そのものこそ最高の教科な
のである。


◇「生活の記録」を通して
 ・もっと努力をしましょう。
 ・まとめにやりなさい。
 この程度の言葉の連続のために、わぎわぎノートの交流をする必要
はない。もっともっと「見通し」のある、質の高いやりとりをするか
ら、わざわざノートを使うのである。
 何となくやっているようなことに、中学生が釣られて乗ってくるこ
とはない。私はかつて、ある雑誌の依頼で「生活の記録・私の対話心
得」を書いた。ここに再録させていだたく。

魅力ある対話心得
 ①君が好きだ……ということが間接的に伝わるように苦く。
  (君は……だから)
  (…しようとしている君だから)
 ②君のことが私の心の中にある…ということを、具体的な事実の中
  で伝える。
  (……している姿が忘れられない)
  (……しているのを見たよ)
 ③他の人が、君のことを感心し、ほめていたよと、そっと教える
  (先生がね…)
  (…と友だちが言ってたよ)
  (お父さんお母さんの気持ちは…)

 (途中 略)


 ⑱喜びを共有する表現。
  (ぼくも、うれしくてたまらない)
  (とうとうやったね0今こそ言おう、オメデトウと⊥     
 ⑲おとなも、みんな同じ道を通ったんだということを語りかける。
  (みんなドキドキしたんだよ)
  (誰だってアガルんだ)
  (その苦しみは、ぼくも味わったよ)
  (みんな同じ道を通って、成長していくんだよ)
 ⑳目安をはっきりさせてやる。
  (そら、目ぎす地点は目の前だ)
  (ここを乗り切ったら、あとはシメたものだ)
  (さあ、もう少しだ)

 ささやかな、たった一つの自信。それさえつかめば、どの子も自
分の足で歩いていける。自信を発見させ、つかませずして、何を息
まいているんだろう……と、思うような教育の営みがある。

 まだ対面していない「新しい自分」。まだ気がついていない「本
当の自分」。これをつかむ場面は、何もしないで待っていても、自然
発生することはない。その場面を用意し、そこへいざなうために、
親も教師も子どもの傍にいる。
 子育ては、お父さんゴッコ、お母さんゴッコをしているのではな
い。ときどき、思いついた嫌味をぶつけたところで、子どもの心は
育たない。
 学校は、教員が教員づらをするところではない。
 教員が言うから、やるから、それが無原則に、すべて教育活動と
して許されるものではない。子どもの自信を損なうような言動のす
べては、教育ではない。

「センセ、勇気づけて!」
 その日、私はたまたま夕刻遅くまで仕事をしていた。誰もいない
はずの教員室。私の後ろで人の気配がする。ふりむくと、そこにヒ
サヨが一人で立っている。そのときばかりは、ミチ子と連れだって
いない。

「どうしたんだ? こんな時間に。担任の先生はもう帰られたよ。
 もう遅いから、早く家に帰りなさい」
「いえ。今日はヤッツアン先生に用があるんです」              
「へえエ。ぼくに?何の用事?」                
彼女は、モジモジしながら、言った。
「センセ、勇気づけて!」                          

(以下 略)
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RUGBYおじさん

はじめまして。広島で中学校に努めているRUGBYおじさんです。
たまたま「八ッ塚実先生」を検索して、たどり着きました。
とっても嬉しいです。懐かしい・・・
今の僕があるのは、八ッ塚先生のおかげです。
新採用の4月、講演会でお会いしました。感動してずっと居残り、先生に声をかけました。
あの吸い込まれるような笑顔で、僕の手をがっちりと握り、「大丈夫、あなたにもできるよ。だって僕にだってできているんだから。それに今あなたは、やろうとしているじゃないか。頑張って!」
そう言ってもらえた僕は、あれからずっと通信を書き続け、生き方の教育を目指しています。
まだまだダメですけど・・・。
また訪問します。先生はこうやって、全国各地でやっぱり生きておられるんですね。
by RUGBYおじさん (2011-06-24 21:32) 

ハマコウ

コメントをありがとうございます。
「RUGBYおじさん」の書き込みからも、八ツ塚先生のお人柄、実践の大きさが分かります。直接かけて頂いた言葉が、大きな力になるのですね。講演会に参加されたことを、うらやましく思います。
わたしも八ツ塚先生のような大きく優しいまなざしをもつ教師を目指しています。
by ハマコウ (2011-06-25 05:42) 

しんしん

走る仲間の本から八ツ塚実先生の本を知り、数冊購入しました。
イジメのない世界を願っていた先生ですが今もイジメはなくなりません。
浜松市は平成の合併で広大な日本で二番目に大きな市になりました。
不便な生活を強いられている山間部の人間は、イジメを受けているような状態です。
イジメのない世界、差別のない世界、希望します。
ほくえんの風
http://hokuen.blog.shinobi.jp/
by しんしん (2019-05-02 04:09) 

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