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「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻 郷土出版社 ①古墳時代まで [読書記録 郷土]

昨日は曇天の一日
時折太陽も顔を出し
活動しやすい一日でした

学年園で馬鈴薯掘り
小さいのをたくさんとることができました
一人十個以上持ち帰ることができ、
どの子もにこにこ顔

「図説ふるさとの歴史シリーズ」
その名の通り、図版がたくさん載っています
この記録を参考に、プロジェクターを利用して
子どもたちへの資料にもしています

縄文海進、ことばでは納得できるのですが、
なかなかイメージすることができません

弁天島に湖底遺跡があることは知りませんでした

袋井が邪馬台国の近くの狗奴国?
その説は案外知られているとのことです

浜北の第二東名建設に当たっては
多くの遺跡の存在が分かり
発掘調査が行われました

中世武士の館?寺院跡?の中屋遺跡
http://www.d2.dion.ne.jp/~okamoto1/iseki.nakaya.html
白鳳期の瓦窯跡の篠場瓦窯
http://www.maibun.shizuoka-c.ed.jp/shinonba.html

1.jpg

縄文の集石遺構がたくさん見つかった中通遺跡

次回このシリーズが出版されたとき
掲載されるでしょうか





「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻 郷土出版社 ①古墳時代まで

<縄文時代>

◇縄文海進
○1万2千年前 海面が上昇→海進→三方原台地 海食崖に
   5千年前 現在より2~3m上昇 海進海退を繰り返した
  関東 65km内陸部まで

○動物相の変化
大型動物 ナウマンゾウ,オオヅノシカ,トラ

中型・小型 シカ,イノシシ,ウサギ ← 狩猟の対象

○海進により遠浅の海ひろがり 干潟 牡蠣や蛤
豊富な種類 干潟の水鳥

海進により海から豊富な食糧 + 土器使用

海岸部に生活の場
弁天島湖底遺跡(渚園付近)


◇貝塚とムラ
○江戸期(1678)「青山御領分絵図」蜆塚初見

○明治22(1889)年若林勝邦により「蜆塚遺跡」
2~30人 貝塚=数百年間のごみ 
         縄文カレンダー マツリの遺跡

 
<弥生時代>
◇米づくりの始まり

○紀元前3世紀 三ヶ日町・殿畑遺跡-遠賀川式土器(稲作のムラ)

○紀元前1世紀 舞阪町・大山遺跡 浜松市・梶子遺跡
  瓜郷式土器 ~ 濃尾平野から移住してきた人々?


◇戦うムラ
○伊場遺跡 2世紀~
   三重の濠 防御的集落=「戦うムラ」
 日本の歴史の中で,村の周りに濠,柵,土塁などの防御施設
  を巡らすのは弥生時代と戦国時代の二つだけ。

利害  水利権,耕作権,所有権,領有権,通行権

梶子遺跡 も 濠
向山遺跡 紀元前2~3世紀 都田・丘陵上
監視所や烽火所
水城  平野部濠
山城  高所のムラ
竪穴住居,掘立柱建物,高床式倉庫,鋤や鍬などの
      材料を水漬けで保管する穴,ゴミ捨て用穴,濠には橋
墓はムラ外れ,郷の外側・丘陵上


◇炊く・盛る・蓄える

○伊場遺跡 2世紀の弥生土器が多数出土
甕型25%,壺型40%,高坏型32%,鉢型3%
甕型 外面内面に煤やお焦げ~米
壺-貯蔵 高坏-食物を盛る


◇鳥・船・鹿
○弥生時代 鳥は特別な動物
長い竿をつけた木製の鳥
           -ムラの入口門の上に(鳥居に鳥が居た)
鳥 - 穀霊が扮装したもの
船 - 海の彼方から穀霊を運んでくる
ミニチュア木製船(浜松市・梶子遺跡)
土器に外航用船の絵(浜松市三和町・村前遺跡)
鹿 悪ヶ谷銅鐸にも 
鹿を犠牲獣とする種籾賦活儀礼
  ↓
鳥,船,鹿は豊作を祈念したり感謝したりするもの


◇銅鐸のマツリ
○弥生時代の楽器
   土笛,弦楽器の琴,体鳴楽器の銅鐸
西遠-「見る銅鐸」祭具の中心へ
正式発掘 前原銅鐸(浜松)
滝峯才四郎銅鐸(細江町)-「銅鐸の谷」
横たえて埋められた
   青銅の本来のいろは金色


◇階級社会への道
○浜松市・松東遺跡  3~4mの濠 4000㎡
東西20m南北30m区画

○浜松市・山の神遺跡 方形周溝墓 - 差別化志向
○浜松市三和町・村前遺跡 弥生末3世紀
特殊文様土器 直線と弧線を組み合わせ→古墳時代・直孤紋
直孤紋=支配階級専用の文様

紋様の世界にも独占が始まる


◇邪馬台国と狗奴国
○狗奴国 ①伊勢湾沿岸説
②原野谷川流域説
2~3世紀 伊勢湾周辺に一つの文化圏(東限が西遠)
袋井市周辺 久努(くの)
8世紀 久努豪族~狗奴国有力候補地
菊川式土器が分布
2~3世紀銅鐸 西遠江21点 うち8点は近畿式
↑↓
東遠江には敵対する勢力
   西遠江 VS 東遠江


<古墳時代>
◇古墳が造られた時代
○浜北市内野・赤門上古墳
1954内野地区分布調査 山下・通称赤門寺の竜泉院にちなむ
1961発掘 木棺
三角縁神獣鏡,大刀,管玉,銅鏃,鉄鏃,鎌,ヤリガンナ,刀子
全長56m


◇ムラのすがた
○集落 浜松市西鴨江町・中平遺跡(4世紀)竪穴165,掘立4
入野町・大平遺跡
→ 伊勢・尾張の影響


◇井伊谷の古墳群
神宮寺川 井伊谷の盆地
北岡大塚古墳,馬場平古墳,馬場平3号墳,陣座ヶ谷古墳

◇大型円墳と中期古墳
○古墳造営規制 
  大型は円墳に → 千人塚古墳 三方原学園内 1965発掘
大漁の武器類,農工具類
   瓢箪塚古墳,2号墳 1世紀に渡る首長墓
谷津古墳 入野古墳


◇内野積石塚と渡来人
○積石塚 川原石を積む
内野周辺・谷部に存在 → 渡来系民族?
和名抄「麁玉郡に覇多郷」浜北市内野か浜松市半田
秦氏 豊町の服織神社
○横穴式木室(木芯粘土室)-渡来系?
カマド塚
伊勢と遠江


◇すえづくりの工人
5世紀中頃から日本で須恵器の生産が始まる
日本最初・大阪南部 陶邑(すえむら)
     = 5世紀代唯一の生産地
県内 5世紀末 湖西市・明通り古窯
磐田市京貝塚古墳の外堤
6世紀初 湖西市・峠端古窯
浜松市・有玉古窯
本格化は6世紀後半から8世紀前半
6世紀前半までは埴輪も


◇かまどをもつ家
竪穴式住居   隅丸 → 方形 5世紀末
北側壁にカマド
5世紀     カマド 須恵器  
              煮炊きは土師器 → 丸底に
坏類や高坏類が増加 
            - 一緒盛
            → 銘々盛(個人個人に出す)
5世紀集落   伊場遺跡のみ
6~7世紀   都田・沢上Ⅱ遺跡


◇横穴式石室の登場
追葬可能=家族墓 墓としての機能重視
  6世紀初め 横穴式石室が首長層に
6世紀前半 興覚寺後古墳 磐田平甑塚古墳


◇群集墳と古代家族
6世紀 横穴 = 家族墓  密集小型=群集墳
医大周辺 - 古墳が密集 60近く


◇民衆の祭り
形代 = 模造品


◇古墳の終わりと火葬
6~7世紀 古墳が多い  8世紀 減少

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