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竹原泰三さんはこんなことを(月刊『少年育成』より)②-「W杯は若者に何を残したか?」 竹原泰三 ジャーナリスト /「学校の役割は終わったのか」NHK出版 2001年 ⑨(最終)【再掲載 2013.2】 [読書記録 教育]

今回は、10月20に続いて、かつての月刊『少年育成』誌のコラムから、
「竹原泰三さんはこんなことを」②を紹介します。

20年くらい前の文章です。



もう一つ、再掲載になりますが、NHK出版から出ている
「学校の役割は終わったのか」⑨を載せます。
出版されて20年以上たった今になって、わたしにはより理解できました。
その後の過程を振り返ることができるからだと感じます。



この週末、かつての同僚と正倉院展の見学に行きました。
コロナ禍まで30回くらい一緒に行っていた正倉院展、
4年ぶりに行くことができ、楽しみました。
ですが、ブログを訪問できずに残念でした。






☆竹原泰三さんはこんなことを(月刊『少年育成』より)②-「W杯は若者に何を残したか?」 竹原泰三 ジャーナリスト

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 日本と韓国で同時に開催されたワールドカップ・サッカー、日本は初めての
決勝リーグ進出という夢を実現した。


 一次リーグでは、初の勝ち点1、初の勝利、そしてグループトップでの決勝
リーグ進出。


 日本代表の試合のある日、東京の新宿や渋谷では、人通りが少なくなり、飲
み屋は閑古鳥が鳴くありさまだった。


 試合が終わると、ブルーのユニホームを着たサポーターが町に繰り出し、朝
方までにぎわったところもあったとか。


 不況に加えて政治的にも社会的にも閉塞感が漂う中で、久しぶりの快挙だっ
た。


 それだけに普段のサッカーファンにとどまらず、多くの日本人が、試合結果
に一喜一憂した。


 テレビに映し出される競技場のサポーターの熱気、「ニッポン、ニッポン」
の声援は日本中を興奮の渦に巻き込んだ。


 ″群集心理″といえるのかもしれないが、久しぶりの光景ではあった。


 久しぶりの群集心理というのは、阪神淡路大震災の時の「ボランティア」の
ことを思い出したからである。


 このときも、被災地には全国から大勢のボランティアが集まった。


 その様子をテレビで見ていて、日本人も捨てたものではないと思った人も少
なくないはずである。


 当時も若者たちの無気力さが大きな問題になっていた。


 その若者がなぜ、被災地に向かったのか。


 単なる被災者への同情とは思わない。かといって、若者たちにボランティア
の意味がどれだけわかっていたか、疑問が残ったのも事実である。


 そのいい例が、せっかく集まったボランティアたちが、仕事の分担ができず、
自分たちは何をすればいいのか、神戸市の職員などとの間でぎくしやくした関
係があったことからもわかる。


 ボランティアとはいうものの、その実体は、「俺たちがやってやる」といっ
た思い上がりのようなものを感じたほどだった。


 これも一種のブーム、群集心理だったのかもしれない。

 
 もう一つ群集心理の例がある。


 プロ野球の阪神タイガースが昭和60年に優勝したときのことである。


 優勝が近づくと阪神ファンは当然のように盛り上がり、観客席をウェーブが
走った。

 しかし、球場に詰めかけたのは阪神ファンばかりではなかった。


 阪神ファンの盛り上がりぶりをみて一緒に盛り上がりたくなった「阪神ファ
ン」のファンが大勢いた。


 ひいきのチームがどこかは関係なかった。

 
 話をワールドカップ・サッカーに戻そう。


 短期間ではあったが打ち込むものを見つけ、大いに燃えたサポーターたちは、
これからどうするのだろうか。


 しばらくは虚脱状態が続くのかもしれない。


 しかし、いつまでもそうではないだろう。


 何か別の換えるものを見つけるのだろうか。


 日本代表チームの成長ぶりは目を見張るものがあった。8年前のアメリカ大
会は、出場を目前にして「ドーハの悲劇」を味わった。


 前回のフランス大会は、初めて出場したものの三戦全敗、得点も一点にとど
まった。


 その日本チームが4年間の精進の結果、出場だけでなく、一戦一戦力をつけ、
一次リーグを突破するまでになった。


 その間の苦労は大変なものだっただろう。


 しかし、努力は必ず報われる。


 選手たちは大きく成長した。


 若いサポーターはそこのところを是非みてほしい。



 「最近の“若者は…」と言うようになると年をとった証拠だという。しかし、
あえて言おう。


 「最近の若者は覇気がない、やる気がない、根性がない、辛抱ができない」。


 言いたいことはいくらでもある。


 その若者たちが、「ニッポン、ニッポン」と叫ぶようすには想像を絶するもの
があった。


 「日本人でよかった」とインタビューに答えた若者もいた。


 本当だろうかと思う反面、今の若者も捨てたものじゃないという気もした。


 その若者に期待を込めて言いたい。


 4年後のワールドカップ・ドイツ大会に日本チームはさらにたくましくなっ
た姿を見せてくれるだろう。


 サポーターの若者もより大人になった姿を見せてほしい。


 もう無気力は終わりにしよう。


 何事も他人のせいにするのはやめよう。


 人生の目的とか、生き甲斐とか、楽しさとかは、どこかに転がっているもの
ではない。

 自分で努めて探さなければ見つからない。

 しかし、夢を持ち続けてがんばればいつかは手に入る。

 そんな可能性を教えてくれたワールドカップだったように思う。








☆「学校の役割は終わったのか」NHK出版 2001年 ⑨(最終)【再掲載 2013.2】

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◇学校の役割は終わったのか 宮台真司
□社会とずれてしまった学校 
「動機付け」の失敗
   ~ 新しい生き方ソースを!
若者の特徴 
   = 「仲間以外は皆風景」
  仲間の圧力 ピア・プレッシャー(同調圧力)に弱い
◎「社会の中の学校」と「学校がリードする社会」

 
□不登校の意味 
「時代とのズレ」「動機付けの失敗」 
  同調圧力
   = みんな仲良く

 
□主催者・国民へのパブリックサービス  
  ゆとり
   → 画一的につくられたゆとりに
民意
   「白も大事だけど黒も大事だ。でも今はとりあえず白を優先しよう」

 
□学校の役割の改革
  旧 ・社会をひっぱっていく
・知識を一方的に注入する

新 ・社会が求める学校になる
・試行錯誤を支援する
ドイツ、アメリカでも28~29で大学卒業

 
□1970年代半ば日本は成熟化社会になった
  学校での評価がそのまま地域に…
  「学校化」「日本的学校化」
      = 地域と一丸
=「学歴がなければ幸せになれない」学校的価値観で一元化
  
  →「第4空間化」
    = 自分の居場所さがし <シェルター ホームベース>

 
□学習内容の削減による学力低下への不安
  教育改革プログラム   
① 内容3割減
    ② 五日制                               
    ③ 学校選択の自由化                          
    ④ 中高一貫教育
⑤ 校長裁量権拡大                           
    ⑥ 不的確教師配置変え
  内容3割減
本来の目的 
     - 個別カリキュラムの考え方(寺脇)
  ◎ ミニマム・リクワイアメント(必要最小限のもの)を定めた
  「一斉に教えるのは最小限ここまで」
そこから先はどこまで教えてもかまわない
   = 多元的モデルの出現を期待
  文科省  
    知識 → 「知識+α」
   =「ミニマム・クワイアメントを下げているんだから『実は是が必要』
     『これをやりたい』という議論が必要。3割削減は『早く早く』
     『急げ急げ』ということ」
   ◎「3割削減はミニマム・リクワイアメント=最低限」 
◎ → 個々人はもっとたくさんのことをやらなければならない
(大学の一般教養)
◎ 高校も単位制に

 
□総合的な学習の行方
寺脇 
   「家庭地域の分までやらなくて良い」
   「問題行動は児童相談所や警察に」
◎楽々クリアできる教員とそうでない教員
= 自治体間の差 (情報公開+説明責任)
先生のコミュニケーション能力も必要


 ※ 社会全体の体質が問われている! 
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