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「遠江」28号 浜松史蹟調査顕彰会 2005年 [読書記録 郷土]

「来る月も来る月もB29にとって浜松はなじみの場所だった。日本に侵入したもののト
 ラブルに遭遇(故障等)した場合,パイロットたちは浜松に積荷(爆弾)を捨てるように指
 示されていた。そして,浜松は数え切れないほどの爆弾を投下された。なぜなら,当時
 のB29には数え切れないほどの問題が発生したから…」  
カーティス・E・ルメイ 米陸軍航空隊第21爆撃機集団司令官 






今回は、
「遠江」28号要約の紹介です。



「遠江」は浜松史蹟調査顕彰会が発行している冊子ですが、大変多くのことを学びます。

空襲回数は27回と多く、大きな被害を受けた浜松。
それを「ごみ箱」と例える神経には・・・




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「源太夫堀を開き新田開発  馬込川~天竜川」

- 海の近くは砂地に掘ったものだからすぐに埋まってしまい…
  管理が大変だったのではないかと思われます。
  以前勤務していた浜松市南部「五島地区」には、
  現在、「源太夫堀」跡の碑が立てられています。


・「2005年現在 浜松市に国宝が一点もない不思議さ」

- 「一点もない」に驚かされました。


・「音羽松  旧は音羽慎一家内  新は六所神社内」

- 旧のものは枯死してしまったのですが、新のものが社内に植えられています。






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☆「遠江」28号 浜松史蹟調査顕彰会 2005年

1.jpg
<「賀茂真淵記念館」のサイトより>


◇小笠原源太夫と伊藤東涯

□小笠原源太夫基長 正徳・享保・元文(1711-1740)

 浜松藩主 松平安芸守資俊・資訓 2代に仕える


 源太夫堀を開き新田開発  
   馬込川~天竜川


 昭和8年2月  
   関市三編 『郷土史』五島村



□古義堂学派領袖・伊藤東涯






◇岸田劉生のコレクター 浜松の山本貞次郎

□山本貞次郎の劉生コレクションと山本家の家系

 「松竹山房」文化の店 
   ~ 浜松駅前  竹村啓介


 貞次郎旧蔵は19点あった 
   2005年現在 浜松市に国宝が一点もない不思議さ



□山本貞次郎 1890-1923






◇浜松艦砲射撃

□C・E・ルメイの回想
   
 カーティス・E・ルメイ 米陸軍航空隊第21爆撃機集団司令官 

浜松は名古屋の南東,天竜川と浜名湖の間にあり海岸確認が容易だった
    

「来る月も来る月もB29にとって浜松はなじみの場所だった。日本に侵入したもののト
 ラブルに遭遇(故障等)した場合,パイロットたちは浜松に積荷(爆弾)を捨てるように指
 示されていた。そして,浜松は数え切れないほどの爆弾を投下された。なぜなら,当時
 のB29には数え切れないほどの問題が発生したから…」  


「わたしは,浜松が何トンの爆弾を投下されたのか正確には知らない。誰だってそうだろ
 う。そこは,本当に徹底的にやられた。我々は,搭乗員が浜松に爆撃しても,出撃に対
 する功績を認めることはできなかった。浜松は爆撃を終了するためのごみ箱だったのだ
 …」






◇浜松名木 渥美登良男

□颯颯之松  

 938年八幡宮が小沢渡より曳馬野に遷座



□音羽松   

 旧は音羽慎一家内  新は六所神社内

 社より600m東に松振川という沼地 → 鶴松

 今も六所神社のすぐ北に「八幡山」「八幡河岸」
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