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「人間らしいかしこさとは(2)」 八ツ塚実 『思春期の心を開く』③ 朱鷺書房 [読書記録 教育]

なかなか すっきりとは 晴れません
昨日も 1日 どんよりとした天気でした

蒸し暑さの中 1日校内研修

「板書」「道徳」等について
研修を深めました

夏休みに入ったものの
遅くまで残る職員も多数
放電・充電できるようにしなくては

今回も八ツ塚実さんの「思春期の心を開く」からです
子どもの育ちについてじっくり考えさせてくれます
かなり長いのですが…

C君の父親の言葉に感動しました

「受験」
いろいろなことを教えてくれます







「人間らしいかしこさとは(2)」 八ツ塚実 『思春期の心を開く』③ 朱鷺書房

2.jpg

<前回は…>
A君 まなび(本当の学力)
B君 受験テクニック(受験能力)



◇数値化できない″人間らしいかしこさ″
 教科のテストで、学力を数値に置き換える現在の試みは、学力の量によって
「知識や技能」が増大することを前提としている。

 学力の一部を当然構成する「人間らしいかしこさ」も、進歩し向上するもの
だ。こう考えると、

 ・おごりたかぶらなくなる
 ・より礼儀正しくなる
 ・他者への配慮ができるようになる
 ・人間らしさに厚みが増してくる

ことを見落としてはならない。                          


 教科テストのみを、学力判定の規準にするから、「人間らしいかしこさ」が
見失われるのだ。B君だって、この面を育ててさえいれば、入試のときのあ
の傲慢な態度はとらなかったはずだ。

 では、「人間らしいかしこさ」は、数値に置き換えられないのか。置き換
えられないし絶対に置き換える工夫をしてはならない。ただちに点取り技術
を訓練して、高得点をあげる者がでるから。

 それの専門の塾や家庭教師が三日もしないで開店するだろう。数値にできな
いのだ。機械的な判定には、なじまないのだ。それでいい。このような学力は、
日常生活の中でゆっくりと身につけ、共に生活する者同志が生活実感の中で、
認めあうことだ。

 比較的、点数に置き換えやすい「教科」にしても、もともと人物判定のため
に始めたものではない。教える側の人間が、自己反省のためにやりはじめたも
のだった。

 ・実際に身につけてくれただろうか。
 ・私のやり方に、まちがいはなかっただろうか。
 ・どんな内容がふさわしいんだろう。

 自分の教える行為を反省し、さらに進歩向上させる資料を得るために行った。
そこには、子どもに対する責任とやさしい心根とがあった。テストとは、もと
もと、こういうものだったし、こうでなくては、実施してはいけないものなの
だ。


 テストの結果を自己批判に使う教師こそ、本物の教師といえよう。


 ところで、A君とB君の「人間らしいかしこさ」のちがいは、どこから来た
のだろう。私には、家庭における「両親の生き方」のちがいが、色濃く影を落
としていたとしか考えられない。


 ここから先は、私の想像だが、おそらくまちがいはあるまいと思う。
 A君の両親は、日常次のようなことを語り聞かせていたにちがいない。

 ・人間、絶対にいい気になってはいけないよ。
 ・いつも、あなたの全力でぶつかりなさい。その結果がどう出ようと、父さ
  んも母さんも、あなたと一緒に喜ぶからね。
 ・人さまには、絶対に迷惑をかけてはいけないよ。
 ・人を小バカにしたり、つれない態度をとると、必ずそのお返しがくるよ。

 こういう教育をするからこそ、真の「学力」が育ったのではないか。私は、
A君への回想のたびにこう思うのである。



 一方、B君の場合を予想してみよう。
 B君は、日常、両親の次のような会話を耳にしながら育ったのでなかろうか。
 ・世の中、競争社会だ。強い者が必ず勝つのだ。だから、勝たなくてはなら
  ない。
 ・勝つためには全力を出せ。遠慮も、同情もいらない。
 ・教科の勉強以外のことで、無駄なエネルギーを使うな。
 ・強い者が高い収入を得、高い地位につく。これがこの世のおきてだ。

 こういう教育をするからこそ、中学卒業の年齢になっても、「バカを苦しめ
てやる」といった程度の低い状態にしかなれなかったのである。「人間らしい
かしこさ」という点から見れば全くの無学力状態といわざるを得ない。



◇中止させられた合格祝パーティー

 A君とB君の高校入試を回想したら、どうしても登場してもらわなくてはな
らない親子がいる。

 仮にC君としておこう。高校入試に伴って、C君のお父さんが、息子に対し
て行った指導は、忘れることのできない尊いものだった。

 その話を私が聞いたのは、C君が社会人になってからのことである。

 ある会合で、偶然に彼と同席した。懐かしい出会いが嬉しくて、二人で話し
込んでしまった。

「お父さん、その後、お元気ですか?」

という問いがキッカケで、C君のお父さんの話になった。

 私はC君のお父さんを、生徒の父親という存在以上に、人生の先輩として尊敬
している。その話をすると、C君は意外なことを言った。

「ぼくは、中学の終わりから高校にかけては、親父が嫌いでした。よその親父と
 ちがって、話のわからない、物わかりの悪い親父だと思っていました」

 ところが、成長するにつれて父親の偉大さがわかってきて、今では誇りに思
っているとC君は語った。         

 C君は、高校入試で希望の学校に見事に合格した。                
 合格発表の夜は、日頃仲良くしている友人数人と合格パーティーを開いた。
 C君の部屋に、食べ物や飲み物を持ち込んで、おたがいの合格を喜びあった。
やっとつかんだ喜びのひとときだった。

 そのとき、部屋の障子が荒々しく開けられた。そこに、日頃はおだやかな父親
が、仁王立ちになっていた。


「C、みなさんに帰ってもらいなさい。今夜は、こんなことをするときではない
 だろう」

 パーティーをしていた友だちは、一様に不愉快な顔をした。

「どうして?お父さん。こうしてみんなが来てくれて楽しく祝っとるんじゃない
 か」

 C君は、友だちの手前もあり、父親に向かって反論した。

「だから、楽しくやってはいかんと言っとるんだ」

「わからんなァ、お父さん。今日は合格発表の日よ。今日しかできんじゃないか」

 親子の押し問答になった。

 息子は、あくまでも、友だちとパーティーを続けようとする。

 父親は、あくまでもやめさせようとする。

 C君から見れば、わからず屋で、息子の立場をまるで理解しようとしない父親
に見えた。友だちのことを考えると、どうしても父親の言い分を聞くわけにはい
かないと思った。

 すると父親は、ホコ先をC君の友人に向けた。

「君ら、今日は帰ってください。せっかくの楽しみだろうが、こういうパーティ
 ーはしてほしくない。不合格だった人の気持ちを考えてほしいんだ」

 あくまでも自説を曲げない父親に、友人もしぶしぶ立ち上がった。

「話のわからん頑固親父が!」

 友だちは、小声で言いながら帰って行った。C君は、父親の真意をつかみかね
て、ただ、ただ、友だちとの人間関係をこわされたと思った。

 友だちが帰ってしまった後、C君は、あらためて父親に食ってかかった。

「子どもと一緒に、喜んでくれてもいいとやないか」

「まあ、そこへ座れ」

 C君のお父さんは、興奮している息子を座らせて、静かに話しはじめた。


◇人間らしく生きるとは                             


「そりゃア、お前は合格できた。嬉しいだろう。しかし、試験には、不合格がつ
 きものだ。お前だって、一つまちがえば、不合格だったかもしれない。そこの
 ところを忘れて、有頂天になってはいかん。
  高校定員増の運動も、大勢の人の力でやっと成功した。合格、合格といって
 も、自分一人の力で合格できたのではない。それくらいは、わかるかしこさを
 持っていてほしかった。今度の合格は、運動してくれた人たちの、おかげなん
 だ。
  今夜、泣きながら夜を過ごしている同級生のことも考えろ。自分の友だちが、
 不合格になったのを、笑い話にしながら楽しむほど、お前は不人情な人間だっ
 たのか。私は、父親として恥ずかしい。
  今夜は、静かに過ごす日だ。合格したんだから、もうそれでいいじゃないか。
 それだけで十分ほめられているし、嬉しいことじゃないか。
  その上、まだ、何がいるというんだ。不合格の人をみくびったり、有頂天にな
 ったり、私は、自分の息子には、そんなことはしてほしくなかった。合格通知だ
 けでいいんだ。
  人の痛みがわかる人間になれと、お前は、(八ツ塚先生の)人間学で勉強して
 きたんじゃなかったのか。
  勉強しただけとやダメだ。こうした、実際場面でそれが使えなくちゃ、意味が
 ない。
  お前は、自分の友だちを追い返されたと怒っているようだが、そうじゃない。
 あの子たちも、今夜は、自分の家で静かに過ごせばいいんだ。
  長い人生、高校合格くらい、小さなことだ。それくらいで、有頂天になったり、
 得意になったりするのは、人間として誠にみっともないことだ」


 それだけ言うと、C君のお父さんは部屋を出て行った。
 それでも、C君は、自分の友だちを追い帰されたことで、腹をたてていた。お父
さんの説得は、すぐには素直に受けとめられなかった。

 高校生になっても、心のすみでは、その夜のことを根にもっていた。

 しかし、さすがは親父の息子。C君も、ゆっくり時間を与えられるとわかってく
る。人権問題の学習も積み、自分の頭で考えるようになると、あの夜の父親の真意
が徐々に理解できるようになった。

「もっともだ」と思うようにもなった。

 どんなときも、人間らしく生きることの指導を怠らない父親の生き方に感動を覚
えるようになった。

 むしろ、あの夜を逃がさないで厳しく教えてくれたことに感謝するようになった。

 自分の父親は、こんなにも偉大な人だったのかと思うまでになった。

 C君のこの話が終わると、もう夜も更けていた。



       <続きは「略」>
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