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「幸田露伴が中国の古書『陰隲録』(いんしつろく)から学んだ大切なこと」  『こころの目で見る』鈴木秀子 清流出版 2004年 より [読書記録 一般]

昨日は 雨模様の一日でした
5年生が 三十分間回泳の練習を
雨の中 やっていました

わたしは 一日パソコンを前に
いろいろな文書の作成
からだが かたまってしまいました

今回は 鈴木秀子さんの「こころの目で見る」
鈴木秀子さんを知ったのは 遠藤周作さんの本からでした
「エニアグラム」を日本に広めた中のひとりです
キリスト教について いろいろなことを教えてくれます
たくさんの豊かな話を提供してくれます
子どもたちに 話して聞かせたことが たくさんあります

『陰隲録』
京セラの稲盛和夫さんも
ラジオ深夜便「こころの時代」で 話してくれたものです

「自分で動くこと」「自分で考えること」
の大切さを教えてくれます




☆「幸田露伴が中国の古書『陰隲録』(いんしつろく)から学んだ大切なこと」  『こころの目で見る』鈴木秀子 2004年 清流出版 より

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◇幸田露伴が中国の古書『陰隲録』(いんしつろく)から学んだ大切なこと

 ところで、露伴が愛読し、明治時代に彼自身が日本で広めた書物に、
明の時代に書かれた『陰隲録』というものがあります。

 著者は袁了凡(えん りょうぼん)という明の大儒ですが、その中に、
袁了凡が自らの体験を子供に書き残した次のような話が記されています。


 袁少年は、幼いときに父を亡くし、母の手一つで育てられますが、非
常に才能に恵まれた子供でした。

 母は、この子が成功して立身出世するためには、医者になるのが最も
手っ取り早いだろうと考えます。当時、知識階級の者がいちばん早く世
渡りの道をたてる手段は医者になることだったからです。

 袁に財力がなかったこともあって、少年は母を助けようと医者になる
ための勉強をします。

 そんなあるとき、気品のある孔某という老人に出会います。

 その老人は、哀少年に向かって、「何の勉強をしているのか」と尋ね
ます。少年が医者になるために勉強していると答えると、老人は袁少年
をつくづくと見ながら、

「おまえは進士として立派に成功する人相を持っているから、田舎で医
 者になるのはもったいない」
と言います。

 当時、進士の試験に合格することは、知識階級の大きな目標でしたが、
試験が非常に難しく、しかも予備試験から本試験まで何度も難関を越え
なければ、称号をとることはできませんでした。

 そこで、少年ははじめからあきらめていましたが、老人は、少年が試
験を受けたときに予備試験や本試験でそれぞれ何番で及第し、進士にな
って出世し、何年何月に死ぬこと、子は持たないことなどを予言します。

 それを聞いた少年はとても感激し、老人を家に連れて帰って大事にも
てなしたのです。


 以来、言われた通りに医者になるための勉強をやめ、役人になるため
の勉強に専念したところ、すべて老人が言った通りになり、予備試験か
ら本試験まで次々と及第していきます。


 予言は、見事に的中し続けたのです。


 成長した袁青年は、
人間は欲望を持って思い通りに生きようとしてもどうにもならない、
と考えるようになります。
 運命は決まっているのだから、その運命に忠実に生き、自分が与えら
れた役割をまっとうするのが最もいいことではないか、くだらぬことに
煩悩したり、野心を持ったりすることは愚かであり、神様がちやんと進
むべき道を予定してくれているのだから、下手にもがいてくだらないこ
とを考えても、何もならないのではないか。

 若くしてそんな心境になったのです。
 
 立派な役人となった彼は、若くして悟ったので、人と競争したり、金
を儲けようという気持ちがすっかりなくなり、落ち着きが出て、風格が
備わってきます。

 あるとき彼は、仕事の役目で南京付近の寺に滞在することになり、そ
こで雲谷という禅師に出会います。その禅師が、袁青年に

「密かに観察していると、あなたは歳に似合わない風格を備えているよ
 うです。これまでどういう修業をしてこられたのか」

と尋ねます。

 袁昔年は、以前は医学の勉強をして立身出世をしようと思っていたこ
と、ある老人と出会って運命を言い当てられてから人間の運命はどうに
もならないと悟り、いっさい悩まないことにしたことなど、これまでの
体験を包み隠さず話します。

 聞き終えた禅師は、

「そんなことなら、おまえはまことにつまらぬ人間である。見損なった」

と大声で笑い出します。
 そして、そのような考えでは、偉人、聖人といわれる人たちが何のた
めに学問修業をしたのか全く意義がなくなってしまうこと、自分の運命
は自分でつくっていくのであり、「学問修業とは人間が人間をつくって
いくことなのだ」と語ります。

 運命が初めから決まりきっているという考えに従うことは、学ぼうと
しないことと同じだとして、宿命というものの非を説いたのです。

 そう言われて袁青年は目を見開かれ、初めて自分がいかに凡人であっ
たかを理解します。

 それは、かなりの衝撃だったようで、「了凡」と号を変えたほどです。

 これを転機として、禅師に言われたように宿命に支配されているとい
う意識から開放されて、積極的に今していることに取り組み、自分の選
択に責任を持ちながら、自由な生活を始めるのです。

 不思議なことに、とたんにこれまで信じていた予言がことごとくはず
れ出し、できないと言われた子供が授かり、死ぬと言われた年を過ぎて
いくという、これまでと全く違った流れが起こり始めます。

 こうして袁青年は、自らの力で進歩向上し、出世の道を歩み、晩年に
なってから、これまでの経緯を子供たちへの教訓として『陰隙録』に書
き残したというわけです。


 この教訓は、現代に生きる私たちにも大切なことを教えてくれます。
 確かに袁青年は、運命に従って役人となり、運命を受け止めることで
「修業」を続けてきました。その甲斐あって立派な役人になったのです。

 みごとな人格者であった袁役人が「了凡」となって、何が変わったの
でしょうか。
 いままで通り、彼は現実をしっかり見つめ、自己を律しながら毎日、
眼前の仕事に真剣に脇目も振らず打ち込んで精進し続けました。たった
一つの違いは、自分の人生は決められているという宿命と受け止めるの
ではなく、大字宙が自分を生かしていてくれるという「こころの目」を
開き、大字宙との絆を感じ取りながら、よろこびのうちに生き始めたこ
とです。

 彼にとって、運命に従うとは、天の配慮にこころを集中し、天が自分
に求めることを、私心なくひたすら誠実に懸命にやりとげていく、その
ことの中によろこびが湧き出るのを体験したのです。


 私たちの人生は山あり谷ありで、自分の手に負えないようなこと、思
いがけないことが突如として起こってくるものです。そんな逆境のとき
に、袁青年の生き方とは反対に、「これは運命だから」と努力すること
をやめたり、失望したりして自分を投げ出してしまえば成長はそこで止
まってしまうでしょう。
「何となく生きていればいいや」とやり過ごしていれば、それこそ朦朧
とした人生になってしまいます。

 禅師は、袁青年の生き方を否定したのではなく、より大きな人間に成
長することを促したのです。
 禅師は、人間は生きている限り想像できないほどの生き抜く底力を持
っていることを教えたのです。
 その生き抜く力を発揮するには、志を高く持ち、望みを持ち続けるこ
と。そうした気持ちを維持するために学問をし、自分の心の切り替え方
を学んでいく必要があるのです。
 そう、まさに学問は人間が人間をつくっていく修業のようなものです。


◇鈴木秀子
1932年 静岡県生 東京大学大学院博士課程 聖心女子大学教授

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