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「共同浴の世界-東三河の入浴文化」印南敏秀 あるむ 2003年 [読書記録 郷土]

わたしの住むのは 浜松の海岸地区
もとは浜名郡の村だった 
一小学校一中学校の半農半漁の畑作地帯

いまは タマネギとサツマイモ
かつては スイカ 落花生
その前は サトウキビ…
わたしの父親世代までは地引き網漁も盛んに行われていました


わたしの小さな頃の記憶に 共同浴場があります
畑の真ん真ん中に 浴場がありました
そのころは4つの集落毎にあったものが一つに減っていました

男女の区別なく 一つの浴槽
混浴のため 新妻が嫌がった話
家毎に当番が決まっていて
世話が大変だった話
畑労働のあとの入浴で
終い湯の頃にはどろどろになっていたという話、
近所の人から聞いたものです… 


そんな共同浴の本
「共同浴-東三河の入浴文化」あるむ を読みました
著者は 歩く民俗学者・宮本常一さんの教え子、
愛知大学の印南敏秀さんです

この地域独特の文化、民俗だったと言うことが分かりました

まとめ方が雑ぱくすぎて 分かりづらいと思いますが
本はとても分かりやすく おもしろい本でした







☆「共同浴の世界-東三河の入浴文化」印南敏秀 あるむ 2003年

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◇印南敏秀

○1952年生 1974年武蔵美大-近畿日本ツーリスト-日本観光文化研究所

○現愛知大学経済学部教授 民具学・民俗学
共同浴~銭湯,もらい風呂,共同浴場

○共同浴場…仲間意識+海での共業(顔が見える相手と入る)
①身体観
   ②折り合い方



◇駒形共同浴場を訪ねて

○共同浴場の組合員
明治41年 元銭湯→大正6年共同浴場に 磯部村内の駒形組
昭和30年再建

○共同浴場組合員と善光寺講員

○共同浴場での観察



◇共同浴場の発見

○共同浴場を巡る人の輪
  静岡県側-小杉達氏の調査
東海地方 東三河~天竜川



◇二つの入浴文化の展開

○「フロ」と「ユ」の系譜
フロ ムロ(室) 窟あるいは岩屋-風呂(石風呂か)
ユ  ユ(斎)  潔斎のための沐浴

○入浴文化の地域差 
宮本常一  西日本 「風呂に行く」フロ
東日本 「湯に行く」 ユ

○「フロ」周縁の籠風呂



◇入浴文化とエネルギー

○共同浴とエネルギー  1/15のエネルギー
江戸時代の湯銭は蕎麦の「もり・かけ」とほぼ同額

○個人浴のエネルギー
鉄砲風呂,子持ち風呂,五右衛門風呂,籠風呂,へそ風呂,長州風呂

○もらい風呂と共同浴場
共同浴場 明治・大正・昭和前期 ~ 昭和30・40年代



◇共同風呂成立

○辻風呂から共同浴場
辻風呂-辻辻で営業しながら移動する小規模銭湯

○シマと共同浴場
「静岡県史資料編25 民族三」 小杉達氏論文
東三河 「シマ」中心に
シマヤ同士の競争意識 ~ 共同浴場ブーム

○沿海文化と共同浴場

○銭湯から共同浴場



◇共同浴場が衰退した理由

○だれと入るのか
  混浴のところも<経費・手間の軽減>
混浴だと女性特有の陰口や告げ口がなかった

内風呂の普及 =  嫁の力,女性の社会的地位の向上

○共同浴場のエネルギー 地域開発と共同浴場



◇共同浴場の魅力

○共同浴場と情報  情報伝達の場

○顔が見える交流

○子供の頃の記憶

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