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「全国学力調査の詳細分析報告 誰のための調査だったのか」 苅谷剛彦  「総合教育技術」2003年 7月号より [読書記録 教育]


日の照らないときは 涼しくなりました

今月下旬、校内運動会があるため
いろいろと あわただしくなってきました

日が照ると まだまだ暑い日中
気を付けさせないといけません…


今回は 苅谷剛彦さんの雑誌記事

全国学力調査の結果より、
「…授業改善に関する情報を得ようというのであれば、どんなタイプの学校
 や学級で、どういう指導のもとにおかれた、どんな子どもに、どういった
 学習上の問題があるのか。それを示すことが不可欠だろう。」
という見方に なるほどと思ったものでした。

全国学力調査の今後は…








                                       
☆「揺らぎ」を読み解く 「全国学力調査の詳細分析報告誰のための調査だったのか」 苅谷剛彦 「総合教育技術」2003年 7月号より


 5月中旬、文科省が、昨年実施した全国学力調査の評細な分析結果を報告し
た。総計9冊に及ぶ膨大な報告書である。私もさっそく入手し、読んでみた。


 第一印象は、いったい、誰のために書かれたのか、という素朴な疑問だった。


 なるほど、それぞれの設問ごとに、どんな誤答の傾向があるのか、予想され
た正答率や過去の調査と比べて、どこができないのかが詳しく分析されている。
さらには、分析に基づいて、授業での指導方法をどのように改善すべきかも書
いてある。

 しかし、気になったのは、たとえ詳細に解答傾向を分析しても、そこで論じ
られる解答パターンが、どのような児童生徒集団を想定して引き出されたもの
か、その具体的イメージがまったくつかめない点である。

 社会調査を専門にしている立場からいえば、今回の分析は、全国の「平均像」
を想定した報告である。複式学級を含む学校から、周りに塾や私学もたくさん
ある学校。家庭環境の面で困難な課題を抱える地域の学校から、裕福で親の教
育意識も高い地域の学校。熱心に授業研究をやっている学校もそうでない学校
も含まれる。

 多様に存在する現実の日本の学校を、全国からランダムに取り出し、その
「平均像」をもとに教育課程の実施状況を示したのが、今回の結果である。

 だが、この「全国平均の学校」は、日本に典型的な学校ではない。結果は、
どこの学校にでも当てはまる傾向を示しているわけでもない。授業改善に関す
る情報を得ようというのであれば、どんなタイプの学校や学級で、どういう指
導のもとにおかれた、どんな子どもに、どういった学習上の問題があるのか。
それを示すことが不可欠だろう。

 たとえば、塾に行く子どもが多数いて、先取り的な学習をしてしまう大都市
部の学校がある一方、そうした学校外の学習環境がないところもある。塾の影
響を取り除かないまま、全国の平均的な傾向を示されても、具体的な対応策を
取り出すことは容易でない。 

 このように考えてくると、いったい今回の分析は、誰のために、何のために
やったのかがわからなくなる。そもそも、学習指導の改善に資する情報を取り
出すのが目的だとすれば、45万人もの児童生徒を対象に、3億円以上の税金を
使ってこの種の全国調査をやる必要はなかった。

 それぞれの地域で、学校の特性も、学級の特徴も十分把握した上で実施した
方が、安上がりで、より有効な情報を引き出せるのである。

 それでは、全国調査は無用かといえば、そうではない。問題は、全国調査と
しての強みを生かした分析がなされないことにある。

 全国調査を実施する意味は、日本全体の子どもの学力がどういう問題を抱え
ているのかを経年的に調べるとか、地域の特徴や家庭環境によって、どのよう
な差異があるのか、学力の散らばりがどのような要因によって広がっているの
かを分析できるところにある。

 こうした分析をすれば、それぞれの地域や学校の特性に応じた教育のニーズ
を知ることができる。これまでの改革の問題点を取り出すことも可能だろう。
つまり、どんな分析視点に立つかによって、同じデータでも政策改善に役立つ
情報を取り出すことができるのだ。

 ただ、こうした論点を持ち込もうとすれば、これまでの改革や政策にどのよ
うな問題があったのかに触れざるを得なくなる。この視点の欠けた今回の報告
は、学力に変化があったとすればその原因を、学校現場の指導法の難点に求め
ようとする、そうした予見のもとに行われたものと見られてもしかたない。

 これでは全国調査の意味がない。調査論でいえば、データの特性と分析視点
との完全なミスマッチである。

 新旧の学力論にとらわれると、こうした調査が、誰のために行われているの
かが見えなくなる。

 子どものためか。では、どんな子どものためになるのか。
 教師のためか。では、どういう状況におかれた教師のためになるのか。

 こうした分析の視点が曖昧な報告では、結局は、誰のための調査なのかも曖
昧なままである。情報公開やアカウンタビリティが求められる時代には、教育
のパフォーマンスを測るこの種の調査は避けられない。だからこそ、誰が、何
のために行う調査なのかが争点になる。調査をめぐるポリテイクスの時代の到
来である。

 今回の報告は、今後の義務教育のあり方を決める中教審での議論の狙上にも
のるという。

 行政の責任を棚上げしたまま、「学校現場の一層の努力が必要」との根拠に
使われるだけかもしれない。そのとき、

「本当の学力は測れない、ペーパーテストの得点に過ぎない」

と言っていたのでは、このポリテイクスに不戦敗したも同然だ。学力論よりも、
政策評価論の上で、誰のための調査かを論じることが必要なのである。
    『総合教育技術』2003.7

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