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山本七平さんはこんなことを ②-「日本人とアメリカ人」PHP研究所 1993年 (2)  /  「生涯一年生教師物語」第9章 阪神大震災時代 鹿島和夫 月刊『少年育成』より ①【再掲載 2012.11】 [読書記録 一般]

今回は、4月10日に続いて「山本七平さんはこんなことを」②、
山本七平さんの「日本人とアメリカ人」2回目の紹介です。



大変古い本です。大部変わったことも多いでしょうが、いろいろ教えられます。
時代を感じさせる表現も見られますが。


出版社の案内には、


「なぜ日本人の目にアメリカは、『病める大国』と映るのか。綿密な現地取材を経て、鋭
 いペン先は、いまだ指摘されていない論点を鮮明に抉っていた。著者最盛時の埋れたル
 ポルタージュ、初の単行本化。」


とあります。




今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「似通った標識の裏にある文化の差の深淵」


・「アメリカとインドの相似点」
- メモしてなかっただけに、何が似通っているのか気に気に掛かります。


・「アメリカは新しいアイデアを構成に移すことだけでやってきた国」


・「法による規制には文句を言わぬ  - ルール違反者には非民主的」


・「八百長のないアメリカの怖さ」


・「アメリカに地方自治はない = オレが中心」
- トランプ大統領の姿にそれを思います。




もう一つ、再掲載となりますが、かつて発行されていた『月刊少年育成』誌に連載された
鹿島和夫さんの「生涯1年生教師物語」⑨を載せます。
現在、新型コロナ禍の中ですが、自然災害もおそろしいものです。
鹿島さんの文章からは、その恐ろしさが伝わってきます。









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☆山本七平さんはこんなことを ②-「日本人とアメリカ人」PHP研究所 1993年 (2)

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◇似通った標識の裏にある文化の差の深淵

 交通標識の背景にある異国


 対州外交のやり方が米外交の基礎


「ルツボ派」と「モザイク派」の交代


 心理的苦痛の大きかった日系二世


 ルツボに溶け込む以外,道がなかった二世


 戦後の父親像に似た「大正二世」
三世四世は無意識のアメリカ人

二世はアメリカ人と思いこんだ


 日本文化を継ぐ100%米人の三世


 正確な日本語を話すアメリカの古兵


 アメリカとインドの相似点
 




◇かみ合わぬ空間的思考と歴史的思考

 ドウジョーなら歓迎しない


 日本人はルーズベルトを憎むか


「歴史的必然」など信じぬアメリカ人


 マルクス,レーニンは旧約聖書


 文化的に共通なインドとアメリカ


「明日」で「今日」を規定しない社会


 理解しにくい「汝の敵を愛せ」の真意


 アイディアだけでは通用しない国
  構成の大切さ  
     一つの理念をどのようにして構成に移すか



アメリカは新しいアイデアを構成に移すことだけでやってきた国 





◇天皇制(心理的統制)のないアメリカに君臨する「オレ様が法」

 中央・地方という意識のない国
   アメリカに地方自治はない = オレが中心


 アメリカにない「大新聞・政党」 
   「オレ様」


 嫌なら出て行けを許す空間
入ってきた人間の国 = 嫌なら出て行け


 コーヒーハウスにもある店内法


 紙袋も折り畳めば「持ち込み可」


 法による規制には文句を言わぬ
ルール違反者には非民主的


 群集すれすれに突っ走る白バイ
  八百長のないアメリカの怖さ

  日本は八百長的合意のある国
 




◇捕鯨禁止運動の背後にある人種主義に気付かぬ日本人

 アメリカ人が激しく反応するある言葉                         
レイシズム 
   レイシスト 
   人種差別主義
   

「人種意識」なしに生活できぬ日本人
レバシリ  レバジン人とシリア人が最もがめつい


 欲求不満が噴き出した魔女狩り


 迂闊に信頼できぬ「正義の標語」


 


◇交わらぬ「サザエさん」と「スヌーピー」の世界

 勝ち抜き社会とチャーリー・ブラウン


 アメリカに残る開拓者精神


 漫画が象徴するタテ社会・ヨコ社会


 アメリカ人の憧れる「家族主義的理想像」












☆「生涯一年生教師物語」第9章 阪神大震災時代 鹿島和夫 月刊『少年育成』より ①【再掲載 2012.11】

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第9章 阪神大震災時代


1 その日のこと

 その日の朝,ぼくは,何か眠れずに起きてしまっていた。


 昨夜,岸本さん夫妻や春川さんが遊びにきて,久し振りに歓談のひとときを過ごしたも
のだった。


 酒をしこたま飲み,酔っぱらって早くから床につき熟睡できるはずだったのに,早くか
ら目を覚ましてしまっていた。


 階下の自分の部屋に入り,ワープロを入力し始めた。昨夜は,痛飲したため,子どもの
作品を学級通信に整理するのが残っていた。


 確か小さな地震があったように思ったが,みんな楽しく語らっていたために,さほど気
にならなかった。



 そういえば,夕方の6時頃だったか,やらないで過ごしてしまっていた。


 やがて,5時46分ぐらいであっただろうか。


 全部の入力が終り,印刷にかかろうとした時だった。


 ドドッと音の津波が西の方角から聞こえてきたかと思うと,部屋の電気がバシッと消え
てしまった。



 とたんに,真っ暗闇になった部屋が揺れだした。



 地震だ!



 ぼくは,咄嵯に,左手を伸ばして都市ガスの火を消していた。



 闇夜の中で,部屋が右に揺れ左に揺れる。まるで,大嵐の中をさまようヨットの船底で
いるようだ。


 ワープロが投げ出され,プリンターの台が横に倒れ,押し入れの道具が飛び出て本棚が
ドタドタとぼくの体にかぶさってきた。


 手で上にあげようとしても,ガンとして動かない。ぼくは必死の思いで本棚の下から這
いずり出てきた。


 そして,散らばった本の上を這いながら人目のドアの所にやってきた。開こうとノブを
引くがなにか道具がさえぎっていて開かない。



 どうしてなんだろう。引けども押せどもビクともしない。



 ぼくは焦った。


 ガタガタと震えが止まらない。



 そのうちに地震は,収まっていた。


 とたんに静寂がやってきた。あたりはシーンとして人声も聞こえない。



 「オーイ」



 ぼくは,大きな声で怒鳴ってみたがだれも答えない。



 2階で寝ている家内はどうしているんだろうか。



 3階で寝ている娘は。



 ともかく,脱出しなければ。



 闇の中,手さぐりで,何かあるのか,探ってみた。



 南側の雨戸は,きちんとしまっている。電動シャッターで動く西側の窓はぴしっと閉め
られている。


 真っ暗な密室というのは,恐怖の世界のように思える。


 明りが欲しい。懐中電灯はどこに置いていたのか。


 そうだ,廊下の物入れにあるはずだ。


 ぼくは必死で机やプリンター台を押しやり,ドアを開こうとした。すると,神の助けか,
ほんのと数センチほど開いたではないか。


 あわてて足を差し入れ,作を押し入れてみた。なんとか,ぼくの肥満体が抜け出ること
ができた。



 廊下も真っ暗。



 手さぐりで物入れの場所にいってみた。



 物入れの中も散乱している。



 確か棚の中ぐらいに置いていたから,このあたりに落ちているはずだ。


 やっと,手に懐中電灯があたった。


 あわててスイッチを入れてみる。


 さっと光線が光る。


 「わっ,これは,何だ」


 あたりは雑具がばらまかれているではないか。本棚は,真っ二つに割れて,ガラス戸は
粉々。ワープロは転がり,プリンターはコードが引きちぎられている。


 本やらフロッピーやCDが,足の踏み場もないぐらいに散乱している。


 ひどい。ひどい,これはひどい。


 その時になって,あわてて家族の事を思い出す。



 「お-い。だいじょうぶか!」



 「だいじょうぶ!」と家内の声。



 ぼくは,あわてて,階段を駆け上った。


 2階の居間に入ると,そこにも,すさまじい修羅場が展開されていた。


 ピアノは,壁と何回か衝突を繰り返したのだろう。壁と床を作製させて横転している。
ぼくの自慢のオーディオセットも,応接セットもみごとに粉砕されている。



 家内と台所へ。



 なんと,システムキッチンの食器棚に入れてあった道具や大きな皿や日常的に使ってい
る茶わんや食器が,観音開きの戸棚からすべて投げだされていた。それも,ふるいにかけ
たように茶碗が割れているため,まるで,砂利のように粉々になって。



 「これは,酷い」



 家内は,泣かんばかりに眩く。


 とたんに,また,ドドドッと建物が揺れる。



 「怖い,余震だ。早く,外へ逃げよう」



 ぼくたちは,あわててパジャマ姿のまま外へ飛び出した。



 「わっ,これは,なんや」



 ぼくは,驚きの声を上げてしまった。



 そこで見た外の景色が一変していたからである。昨日までに見ていた,あの風景は,ど
こにもなかった。


 向かいの鉄骨の建物が前に移動している。その隣の文化住宅が道路側に落ちている。


 下には,家を支えるようにして,トラックがひしゃげていた。奥まった所に建てられて
いた古いアパートは,1階がなくなってしまっている。


 西側の建物も,ほとんどぶっ倒れている。東側の金持ちの総ひのき造りの豪邸が,無惨
な姿に変貌している。瓦が落ち壁が落ち,建っていることで,かろうじて以前の姿をとど
めている。


 ぼくは,再び震えがきて止まらなくなってしまった。ぼくの家だけは,建ち残ったんだ。


 これは,特異な出来事なのだ。


 ぼくは,いままでにも何回か地震を体験しているが,家が倒壊したような事実を実際に
見たことがないし,経験したこともない。だから,地震を体験しても,家が建っていると
いうことは,別に不思議なことでなかった。


 外に出たとき,わが家が,建ち残っていることには,なにも疑念を抱かなかった。


 ところが,外に出た途端に,周りの家は,ほとんど壊滅状態になっている。ということ
は,わが家だけが残ったということは,特別なことだったのだ。


 再び,ゴオーッと轟音が聞こえる。


 道路に出ている人が,「余震だ」と叫ぶ。


 とたんに,道路がミシミシと揺れ始める。


 「わあ,こわい」と嬌声があがる。


 暫くすると,静かになる。


 向かいの文化住宅に対して,L字型にアパートが立っている。奥をみると,完全に崩壊
している。ぼく自身,放心状態になりぼんやりと見つめていたのだが,その時,奥から,



「だれか,助けて。助けてやって」



という中年婦人の声が聞こえたのである。


 そして,その狂乱した様子から,初めて気がついたのだった。



 「そうか,埋もれている人がいるんだ」



 ぼくたちは助かったけど,生き埋めになっている人がいる。


 そういえば,あのアパートには,独り身の人たちが多く住んでいたように聞いていた。


 交友はなかったから,名前も知らないし顔も知らない。そこに往んでいた人たちはだれ
も出てきていない。


 ぼくの右前の家の木造家屋は,ちょうど一年前頃に引っ越ししてきた人の筈だ。


 その家の息子が右往左往している



 「お父さんとお母さんと妹が埋まったままなんです」



 必死に助けを求めるがぼくには,どうしてやったらいいのか手の打ち様がない。


 懇意にしている三軒隣の酒店も崩壊している。おばあちゃんが寝ているはずだが,どう
なっているのだろう。


 裏手の家も,すべてぺっしゃんこだ。


 ぼくは,マンションからふらふらと表通りを出て,国道二号線沿いを西に向かって歩い
ていた。


 通りの木造家屋は,すべて倒壊していた。よく食べにいった食堂,毎朝,買っていたパ
ン屋さん,なじみの散髪屋さん,みんなみんな無残な姿を呈していた。


 助けてと泣いている男がいる。必死になって家屋を除けようとしているが,ほとんど動
かない。まわりが,こんなに崩壊してしまったのに,ぼくたち家族は,よく助かったもの
だ。


「子どもが,埋もれているんです。助けてやって」


 人々が,狂乱のように泣き叫んでいる。


 ぼくは,あてもなく西へ西へと歩いていった。しばらく歩くと,毎日,通勤時に見慣れ
ていた巨大な宮地病院が崩壊していた。

 鉄筋コンクリートの一階部分が崩れ落ちている。何人かの職員や看護婦さんたちは,入
院患者を運び出していた。そして,二人の当直看護婦さんが閉じこめられていると聞いた。


 ぼくは,唖然として急ぎ足で家に帰ったのだった。

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