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(1)「ジオラマファクトリー」 田辺 一邑(講談師=浜松市出身) 中日新聞夕刊コラム・紙つぶて より 2013.5.28 (2)特集「喜怒哀楽の人間学」のことば 『致知』2004年11月号より [読書記録 一般]

今回は コラムを2つ紹介します

一つ目は 田辺一邑さんの 「ジオラマファクトリー」
一邑さんは講談師 師匠は あの髭の講談師・田辺一鶴さん
一邑さんとは同級生ですが 読書好きで 音読が上手だったことを覚えています
「ジオラマファクトリー」
はままつ未来会議の建築士も知人なのですが
彼の頑張りにも驚きます
展示もしばしば変更され
楽しい企画も次々と生まれています
ぜひ 浜松を代表する場所になってほしいと 願っています

8月に 浜松で独演会が開かれますが 今から楽しみです





二つ目に紹介するのは 月刊誌『致知』2004年11月号より
特集「喜怒哀楽の人間学」のことば です
作家・西村滋さんの少年期の話 です
一昨年でしたか 浜松の映画館・シネマイーラでみた映画
『エクレール・お菓子放浪記』を思い出しましたが
母の愛情と 本当の心の内を知らせることの難しさを教わりました

『致知』の特集の言葉は
『小さな人生論』としてまとめられて出版されています
好きな本です








※浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー
 ものづくりの街 浜松
 行くたびに新しい感動が得られる 山田卓司さんの世界
 現在「海洋堂×小池徹弥 ネイチャージオラマワールド」展開催中(6/28まで)
 ホームページをご覧になってください
浜松ジオラマファクトリー






(1)「ジオラマファクトリー」 田辺 一邑(講談師=浜松市出身) 中日新聞夕刊コラム・紙つぶて より 2013.5.28

いちゆうの会.jpg

 年に一度、故郷浜松で独演会を開いています。

 その際頼りになるのは地元後援会の面々。と言ってもほとんどが高校の同級
生なのですが。

 真打ち昇進した年に、今は亡き師匠も呼んで、盛大なお祝いの講談会を企画
してくれたのがきっかけで続いています。


 その会長を務めてくれている建築家の同級生が2年ほど前から「はままつ未
来会議」というNPOを立ち上げました。
 現在、大抵の地方都市が抱えている問題、中心市街地の衰退をなんとかしよ
うという有志が集まってできた団体です。

 浜松も郊外に大型ショッピングセンターが林立し市街地は廃れる一方、かつ
て暮らした頃の活気はどこへやら、昼間はほとんど人通りがないような有様で
す。

 こんな現状を観光化によって打破すべく始めたのが「ジオラマファクトリー」
というスポット。

 ジオラマとは情景模型と呼ばれ、代表的なものが鉄道模型です。
 浜松在住のジオラマ作家山田卓司さんの作品を一堂に会して展示、作業風景
も見学できるという工房兼ミューージアム、ジオラマグランプリというコンテ
ストも開催しています。

 当初、打ち上げの席だったか、

「こんなことやってみようと考えてるんだ」

と言われた時は、まさか実現するとは夢にも思いませんでした。

 いろいろ苦労や問題もあるようですが、なにはともあれ、継続しているとい
うことに脱帽です。

 天晴れ、やらまいか精神!

 というわけで、毎年独演会で演る浜松の偉人シリーズ、今年は日本航空史に
名を残した「福長浅雄」です。







(2) 特集「喜怒哀楽の人間学」のことば

1.jpg

 少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。

 珠に母親の溺愛は近所の物笑いの種になるほどだった。

 その母親が姿を消した。庭に造られた粗末な離れ。そこに寵もったのである。
結核を病んだのだった。

 近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は離れに近寄らずにはいられ
なかった。


 しかし、母親は一変していた。
 少年を見ると、ありつたけの罵声を浴びせた。コップ、お盆、手鏡と手当た
り次第に投げつける。
 青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。

 少年は次第に母を憎悪するようになった。哀しみに彩られた憎悪だった。

 少年6歳の誕生日に母は逝った。「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオ
バサンに、少年は全身で逆らい、決して柩の中を見ようとはしなかった。


 父は再婚した。少年は新しい母に愛されようとした。
 だが、だめだった。父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。

 少年が9歳になって程なく、父が亡くなった。やはり結核だった。

 その頃から少年の家出が始まる。公園やお寺が寝場所だった。
 公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともある。そのたびに警察
に保護された。何度目かの家出の時、義母は父が残したものを処分し、家をた
たんで蒸発した。

 それからの少年は施設を転々とするようになる。

 13歳の時だった。少年は知多半島の少年院にいた。もういっぱしの「札付
き」だった。

 ある日、少年に奇蹟の面会者が現れた。

 泣いて少年に柩の中の母を見せようとしたあの家政婦のオバサンだった。
 オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。
 死の床で母はオバサンに言ったのだ。


「私は間もなく死にます。あの子は母親を失うのです。幼い子が母と別れて悲
 しむのは、優しく愛された記憶があるからです。憎らしい母なら死んでも悲
 しまないでしょう。
  あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、死んだ母親なんか
 憎ませておいたほうがいいのです。そのほうがあの子は幸せになれるのです」


 少年は話を聞いて呆然とした。

 自分はこんなに愛されていたのか。涙がとめどもなくこぼれ落ちた。
 札付きが立ち直ったのはそれからである。

 作家・西村滋さんの少年期の話である。
                                        


 喜怒哀楽に満ちているのが人生である。

 喜怒哀楽に彩られたことが次々に起こるのが人生である。
 だが、その表面だけを掬い取り、手放しで受け止めてはなるまい。喜慈哀楽
の向こうにあるものに思いを馳せつつ、人生を歩みたいものである。

 その時、人生は一層の深みを増すだろう。
 われわれが人間学を学ぶ所以もそこにある。

 中江藤樹の言葉がある。 

「順境に居ても安んじ、逆境に居ても安んじ、常に担蕩々として苦しめる処な
 し。これを真楽というなり。萬の苦を離れてこの真楽を得るを学問のめあて
 とす」

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コメント 4

ちょんまげ侍金四郎

師匠は田辺一鶴さんだったんですね。
田辺一鶴さんは平井という街に住んでらして、気さくに自転車で商店街を走ってらっしゃるのを何回かお見かけしたことがありました。
たしか2009年にお亡くなりなられてまして、こんなことならサインもらっておけばよかったと後悔しております。。。
by ちょんまげ侍金四郎 (2013-05-29 08:01) 

ハマコウ

ちょんまげ侍金四郎 さん ありがとうございます

一鶴さん お元気でいらして 楽しい講談を聴かせてくれたのに 驚きました
気さくな方だったのですね
by ハマコウ (2013-05-29 20:56) 

Lonesome社っ長ょぉ〜

私の中で浜松は静岡県の範疇だったのですが、大阪から2.5時間で
浜名湖まで来れて、ああ、中京圏なんだなあと実感しました。
毎年仕事で浜松にお邪魔しますが、正直横浜からは遠いですね。
県単位ではあまりにも観光資源が分散している静岡ですから、浜松市
観光部おもてなし課が必要かもしれませんね。
by Lonesome社っ長ょぉ〜 (2013-05-29 22:39) 

ハマコウ

Lonesome社っ長ょぉ〜 さん ありがとうございます

横浜-浜松間は確かに時間がかかりますね
浜松駅に止まるひかり号が少ないのも影響するのでしょうか

浜松は 言葉も 愛知県東部の三河にちかいものがあります
地デジ化される前は名古屋の民放局を楽しむこともできました

お国自慢もいいところですが 大勢の方が浜松に訪れるようになってほしいと思っています
by ハマコウ (2013-05-29 23:18) 

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