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(1)「人間形成の論理」上田薫 黎明書房 1985年 ③ (2)「教師はおびえ、保護者は仲たがい」大阪大学大学院教授 小野田正利  『内外教育』2012年2月24日【再掲載】 [読書記録 教育]

「厳密に科学的に捉えれば100点の子どももないかわりに0点の子どもも存在しないはず」


今回は 2月7日に続いて上田薫さんの
「人間形成の論理」3回目の紹介です

出版が随分以前(初版は1964年?)の本です


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「政治的道徳的歴史教育」

・「総合の欠如 → 何より人間把握」

・「『わからないこと』を基準に」

・「授業研究は授業を改善するための手がかり獲得が目的」




ひとりの人間としてとらえる - その大切さ改めて思います




もう一つ 再掲載記事となりますが 小野田正利さんの
『内外教育』誌の連載記事より「教師はおびえ、保護者は仲たがい」を紹介します
価値観の違う中でどうすれば… 努力しています





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☆「人間形成の論理」上田薫 黎明書房 1985年 ③

1.JPG

◇歴史とその教育

 歴史とは何か  
  過去は動かない


 歴史の相対性  
  史観の存在 


 客観的主義絶対主義の弊  
  政治的道徳的歴史教育


 動的な歴史理解の形成




◇歴史的事実の客観性

 不動の歴史的事実は存在するか


 間接と不可知   
  4つの関門  





◇歴史教育をあやまるもの 通史学習の問題

 注入への誘惑 


 歴史教育の類型  
   実証主義的立場 
   政治的連続的立場 
   問題解決的学習


 錯誤からの脱却  
   通史の問題点


 現在から過去へ





◇ミニマム・エッセンシャルズ

 ミニマム・エッセンシャルズは成立するか


 程度という逃げ場


 働く体制の問題  
   獲得の過程の持つ意義





◇動く学力を捉える立場

 転移の過程と計測


 点数による評価の矛盾
「78点と81点の子どもの学力の違いは一体何なのか」



厳密に科学的に捉えれば100点の子どももないかわりに0点の子どもも存在しないはず


 自己を変革することのできる学力


 関係追求による評価と価値観の問題





◇未来のための学力

 未来における価値転換と学力


 学力の発展はどうして可能になるか





◇評価の根本問題

 総合の欠如  
   何より人間把握


 評価の多面性


 関係追究的評価


 共通性と盲点  
  「わからないこと」を基準に





◇授業研究の問題

 授業研究のための2つの視点
授業研究は授業を改善するための手がかり獲得が目的



 重点を! 
  ◎授業の転換点 = 教師の身なり

  授業展開の中の曲がり角こそ核心

 <視点>
   1 指導計画の修正

  2リズムと問いへの着目


 リズム - 上昇・下降の流れ 
      「上昇しものは必ず下降する」


 問い  - 空白による充実 
  教師はともすれば語りすぎる


 思考は多くの場合沈黙の中で行われる - 南画の空白


 計画の破れ方 - 見切り
教師の指導はしつけ見切りの普段の繰り返し
 
   教師は見切ることによって目標を決定し、見切ることによって子どもを捉える 

 目標の重層性 - 目標連関と教材
未来性  分からないことから分からない事へ

  拮抗について













(2)「教師はおびえ、保護者は仲たがい」大阪大学大学院教授 小野田正利  『内外教育』誌2012年2月24日【再掲載】

◇ポイント

①「いい先生」といっても、全ての保護者や 子どもがそう思ってはいない


②新たな制度をつくり出し強要することで、大事なものまでなくしてしまわないか


③教師と保護者、そして保護者同士の間での風通しは確実に悪化する




◇「いい先生」と誰もが見るのではない

 子どもや保護者から「いい先生(だった)」といわれる教師でも、実は100%がそう
思っているわけではない。


「クラスの保護者の7割が担任を支持していたら、その先生は力のある先生や」


 一年以上前にある小学校長から聞いた言葉である。無論7割に科学的根拠があるわけで
はない。機会あるごとに私は「この見方をどう思うか」といろんな人に尋ねたが、割合に
は違いがあるものの、クラスの40人の保護者が、ある担任に絶対的な信頼を置いているこ
とはなく、必ず一定の批判的な見方をする保護者がいたり、どちらでもないと考えている
人がいることに、異論を挟む者は誰もいなかった。


 それは子どもも同じであろ


 学園ドラマで、手が着けられなかった非行少年・少女たちが立ち直っていく「GTO」
「ごくせん」「ルーキーズ」にしろ、冷ややかに見ている者は確実にいる。


 私は、長崎大学でも大阪大学でも、2年に1回のサイクルで「映画とテレビドラマを通
して考える教育学」という講義を組み立てて実施している。


 その中で一世を風靡した「3年B組金八先生」を題材として扱い、1985年12月に放
送されたスペシャルⅣ(I14分)を見せて解説した後「私は金八(のような)先生が好
きです(あるいは嫌いです)。なぜならば……」という書き出しでのリポートを指定して
いる。


 今、手元にある2006年(受講者数60人)と10年(同50人)のリポートを概観すると
「好き(大好き)」「嫌い(好きではない)」「どちらでもない」は、39・9・12(06年)、
33・4・8(10年)という結果になっている。


 架空のドラマであるが、要するに誰もが感動して同じように金八先生(主演‥武田鉄也)
を見ているわけではなく、3割程度は「肯定的ではない」。


 教師を評価するという制度の場合に、特に、注意しなければいけないのは、常にこうい
った実態があることを、慎重に考えながらシステムや手続きをつくっていくかということ
にある。


 そこに保護者や生徒が関与するとしても、それが分限免職につながっていく重さを持つ
が故に、適正な手続きが慎重につくられなければ、暴走する危険性が高い。



 教育行政の責任者が、最終的に分限免職判定の責任を負う形となっているとしても、保
護者と生徒と教師の間に亀裂が生じ、信頼関係に基づく授業改善や学校改良に向けての合
意の姿ではなく、相互に監視し合うという殺伐とした光景の方が、私には見える。

 なぜなら実効性よりは「実質毎年5%の教員をあぶり出す」教育目標を設定する権限を
首長に求めているからである

(本誌前号の第72回「信頼の構築ではなく仲たがいへ」を参照)


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