「鳥島漂着物語」小林郁 成山堂書店 2003年 [読書記録 郷土]
今回は、小林郁さんの、
「鳥島漂着物語」を紹介します。
静岡県西部、新居(現在は湖西市)のお話です。
出版社の案内には、
「江戸時代中期に鳥島へ漂着した『遠州人』や『土佐人・長平』たち―。彼らの無人島で
の暮らしぶりや救出劇を綿密な現地調査に基づき再現する。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「20年が過ぎる」
- 20年間諦めないことに胸が打たれました。
・「吉宗は3人を哀れみ一生安泰にと生涯扶持(一人3人扶持)を命じる」
・「織田作之助『漂流』」
- 小説になっているようです。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまち 浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品が、
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時には ぜひ お訪ねください。
☆「鳥島漂着物語」小林郁 成山堂書店 2003年
◇二形船鹿丸の遭難
□享保3(1718)年敷知郡新居湊出帆
鹿丸 千石船 船頭左太夫ほか全9名
|
生き残りは甚八、仁三郎、平三郎のみ(3名)
1720年は1月9日より漂流 ~ 1720年3月4日 50日間
それ以前
1674 幕府による調査 冨田寿丸
1681 土佐の船二艘 二組7人 破船から船を造り三宅島へ
1684.10 土佐船 伝馬船で出帆
1696.10 日向丸 2か月半 → 伝馬船で
□島の風土について
アホウドリと魚
アホウドリ一羽から椀三杯の油 ~灯火
6~9月は北へ (その間は魚を捕る)
□無人船の漂着と稲作
無人船-多くの米俵
□死にゆくものたち
自殺者も
□船頭左太夫の死
→ 3人の無人島生活 甚八、仁三郎、平三郎
神仏への信仰 伊勢神宮・秋葉神社・禅宗
□庄兵衛の談話
伊豆の権次郎 - 即身仏
□八右衛門の異様な物語
平三郎の本当の姿は
□20年が過ぎる
◇宮本善八郎の小笠原漂流と鳥島漂流民の救出
□八戸から江戸へ
1739.1.13州崎沖の遭難
□ 奇樹と鳥と亀の島々
船頭富蔵
伝馬船を残して本船没 母島と父島か
↓
1735.5.6 3人と出会う
□遠州人側の証言
□鳥島脱出
二組20人
一か月出帆の日を待つ
平三郎が伝馬船を修繕
→ 島を去るにあたりいくつかの道具を残す
□八丈島に上陸
5月1日 八丈の三根村へ 神湊
→ 温情あふれる取り調べ
「浦手形」海難証明書
□小笠原貞任事件の余波
「無人島については内緒に」 = 探検を命じられるのを恐れた
↓
偽証をするよう役人から
証言には役人による作為
□八丈島から江戸へ
御用船で本土へ
5月17日便乗 御赦免28名とともに
5月22日隅田川河口へ
□将軍吉宗に謁見
吉宗は3人を哀れみ一生安泰にと生涯扶持(一人3人扶持)を命じる
□事件の反響
松平豊後守資訓の長屋へ
「時の人」-芝居にまでなる
□郷里への第一報
第一報5月16日 八丈島滞在中
□「メッポウ島」について
飛騨・三島勘左衛門(1749-1832)
「伊豆七島風土便覧」父親看病のため新島へ
メッポウ島 = メッポウ遠い島
□懐かしき新居の風
厚遇 - かご
6月17日江戸出発 → 6月24日 無事帰郷
□遠州人たちの晩年
「新居町方流録」6月24日から死に至るまで毎日扶持米支給
平三郎 就職を願い出たが聞き届けられず
|
織田作之助『漂流』
1740.11 甚八病死
1741.8 仁三郎 死亡
1750 平三郎 死亡 → 末裔 佐原孝征氏
□宮本善八郎船乗組員の消息
自由な身に
「鳥島漂着物語」を紹介します。
静岡県西部、新居(現在は湖西市)のお話です。
出版社の案内には、
「江戸時代中期に鳥島へ漂着した『遠州人』や『土佐人・長平』たち―。彼らの無人島で
の暮らしぶりや救出劇を綿密な現地調査に基づき再現する。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「20年が過ぎる」
- 20年間諦めないことに胸が打たれました。
・「吉宗は3人を哀れみ一生安泰にと生涯扶持(一人3人扶持)を命じる」
・「織田作之助『漂流』」
- 小説になっているようです。
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お近くにお寄りの時には ぜひ お訪ねください。
☆「鳥島漂着物語」小林郁 成山堂書店 2003年
◇二形船鹿丸の遭難
□享保3(1718)年敷知郡新居湊出帆
鹿丸 千石船 船頭左太夫ほか全9名
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生き残りは甚八、仁三郎、平三郎のみ(3名)
1720年は1月9日より漂流 ~ 1720年3月4日 50日間
それ以前
1674 幕府による調査 冨田寿丸
1681 土佐の船二艘 二組7人 破船から船を造り三宅島へ
1684.10 土佐船 伝馬船で出帆
1696.10 日向丸 2か月半 → 伝馬船で
□島の風土について
アホウドリと魚
アホウドリ一羽から椀三杯の油 ~灯火
6~9月は北へ (その間は魚を捕る)
□無人船の漂着と稲作
無人船-多くの米俵
□死にゆくものたち
自殺者も
□船頭左太夫の死
→ 3人の無人島生活 甚八、仁三郎、平三郎
神仏への信仰 伊勢神宮・秋葉神社・禅宗
□庄兵衛の談話
伊豆の権次郎 - 即身仏
□八右衛門の異様な物語
平三郎の本当の姿は
□20年が過ぎる
◇宮本善八郎の小笠原漂流と鳥島漂流民の救出
□八戸から江戸へ
1739.1.13州崎沖の遭難
□ 奇樹と鳥と亀の島々
船頭富蔵
伝馬船を残して本船没 母島と父島か
↓
1735.5.6 3人と出会う
□遠州人側の証言
□鳥島脱出
二組20人
一か月出帆の日を待つ
平三郎が伝馬船を修繕
→ 島を去るにあたりいくつかの道具を残す
□八丈島に上陸
5月1日 八丈の三根村へ 神湊
→ 温情あふれる取り調べ
「浦手形」海難証明書
□小笠原貞任事件の余波
「無人島については内緒に」 = 探検を命じられるのを恐れた
↓
偽証をするよう役人から
証言には役人による作為
□八丈島から江戸へ
御用船で本土へ
5月17日便乗 御赦免28名とともに
5月22日隅田川河口へ
□将軍吉宗に謁見
吉宗は3人を哀れみ一生安泰にと生涯扶持(一人3人扶持)を命じる
□事件の反響
松平豊後守資訓の長屋へ
「時の人」-芝居にまでなる
□郷里への第一報
第一報5月16日 八丈島滞在中
□「メッポウ島」について
飛騨・三島勘左衛門(1749-1832)
「伊豆七島風土便覧」父親看病のため新島へ
メッポウ島 = メッポウ遠い島
□懐かしき新居の風
厚遇 - かご
6月17日江戸出発 → 6月24日 無事帰郷
□遠州人たちの晩年
「新居町方流録」6月24日から死に至るまで毎日扶持米支給
平三郎 就職を願い出たが聞き届けられず
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織田作之助『漂流』
1740.11 甚八病死
1741.8 仁三郎 死亡
1750 平三郎 死亡 → 末裔 佐原孝征氏
□宮本善八郎船乗組員の消息
自由な身に
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