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「いじめで子どもが壊れる前に」藤川大祐 角川学芸出版 2012年 ④ /「宮本常一著作集51 私の学んだ人」宮本常一 未来社 2012年 ③【再掲載 2015.8】 [読書記録 教育]

今回は、2月7日に続いて藤川大祐さんの、
「いじめで子どもが壊れる前に」の紹介 4回目です。


出版社の案内には、

「津市の事件をはじめ、加速する現代のいじめ問題について、その様態、
 教訓と対策、学校の危機管理など、徹底的に解説。子を持つ親や現役
 の教師はもちろん、すべての大人が向きあうべきいじめ問題の本質に
 迫る!」

があります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「日常の学校広報が重要」


・「学校の広報マインド不足。
  広報戦略に基づいた対応と 戦略的な広報を!」


・「学校では集団の中で価値観や態度が類似であることが求められ、多
数派に調子を合わせることが求められがち」


・「柔軟な対応ができる体制づくりを」




もう一つ、再掲載になりますが、宮本常一さんの
「宮本常一著作集51 私の学んだ人」③を載せます。




☆「いじめで子どもが壊れる前に」藤川大祐 角川学芸出版 2012年 ④

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◇学校はどう変わるべきか
□学校と世間の常識が違いすぎる
  危機管理の発想 
  リスクのマネジメントとクライシスマネジメント
  「現実」に備える
  問われる学校広報
  後半のできる組織へ
  日常の学校広報が重要
  

□事件時の報道対応のあり方
学校の広報マインド不足による
    → 広報戦略に基づいた対応を
  ◎ 戦略的な広報を!  
  

□積極的な情報公開を
学校が積極的に記者会見等を行って公開できる情報を開示する
「どのような調整を行い、いつ発表するか」
公表できない事情の説明
「捜査は警察に委ねる」も
  

□根強い同質原理
 「同質原理」Homophily
集団の中で価値観や態度が類似であることが求められる
 - 多数派に調子を合わせることが求められがち
◎『スクールカースト』森口朗
  

□異質原理がいじめを抑止する
  エネルギーはいるけれども…
  子どもが賢くなる事への警戒
  子どもたちがいくらでも情報にアクセスできる時代
  教師にも保護者にも求められるディベートの素養
  かけがえのない存在として
  承認欲求に応えるには?
  

□呼吸をし代謝をする学校へ
  学校外との交流が重要
  呼吸をし代謝をする学校へ
  教養はどうあるべきか
  

□柔軟な対応ができる体制づくりを







☆「宮本常一著作集51 私の学んだ人」宮本常一 未来社 2012年 ③【再掲載 2015.8】

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◇田岡香逸  明治38(1905)~平成4(1992)年
□昭和19(1944)年1月
   大阪堺市郊外の鳳に帰った 
      和泉一の宮 大鳥神社
  奈良県郡山中学校(郡山高校)
    国史の先生をしていた(宮本さん)
  兵庫県西宮市田岡香逸氏より手紙「歓迎会をしたい」
    西宮神社の北に田岡さんの家 
    1500冊の考古学関係の本
  民間学者 
    多いのは大阪民俗談話会、大阪史談会、上方郷土研究会 
田岡さんは優れた民間の考古学者
    京都大学 梅原末次博士 水野清一氏 小林行雄氏との交友  
  
□戦後文化都市再生を目指し市会議員に立候補 → 当選
   しかし一期でやめる(駆け引きの激しさと節操のなさに失望) 
 → 市の教育施設復興に全力

□考古学・民俗学・金石文調査に熱中
伊丹で古い寺跡の発掘
    ~ ささやかなグループで自分たちの力で発掘
   「田岡君だからできる仕事だ。しかも寺址の周囲に住んでいる人
    たちの協力が実に美しい。こういうものが本当の学問だ」
  → 何年も続いて発掘
仕事ぶりに伊丹市教委が心を打たれた
      史跡公園に「摂津伊丹廃寺跡」

□多くの人を失った       
理論的ではないが物に即し足が地に着いている
   その上謙虚でありつつ強い自負心をもっている
   ◎ 江戸時代以来の町人の学問の伝統は関西には生きている




◇早川孝太郎 明治32(1889)年12月~昭和31(1956)年12月
□昭和6(1931)年『郷土研究』に寄稿 
   ← 「案山子のことから」
  画書生
   - 松岡映丘(柳田国男の兄)に師事      
  明治22(1889)年12月20日 
    長篠村(新城市)横山生
  明治35(1902)年 
    私立素習学校 
     → 赤坂区葵橋洋画研究所 
      → 白馬会
      → 松岡映丘
  『炉辺叢書』に「三州横山話」郷土研究社 大正10
     ◎ 花祭り 地狂言 田楽  
  画家より民俗学の道を選んだ
  昭和2(1927)年 
    アチックミューゼアムの同人に
  昭和5(1930)年 
    上下2冊 1600頁 「花祭」岡書院
  昭和8(1933)年 
    九州大学農学部農業経済研究室助手 
      小出満二教授の指導
    九州各地 
     ~ 沖縄の先島
  昭和11(1936)年 
    東京 農村更正協会嘱託 大変な旅行家
  昭和13(1938)年~ 
    大蔵永常の研究に全力
    田原藩で指導
      → 崋山死後豊橋でひっそり
    「大蔵永常」山岡書店 昭和18年      
    「花祭」「猪鹿狸」昭和17年 
    「古代村落の研究」昭和16年
  戦後
    全国農業会の高等農事講習所講師 
教え子は早川氏を尊敬
  昭和27(1952)年 
    食生活研究所 
     - 日本の食料構造の調査
    面倒な調査に農民が協力
    
 ◎「早川さんの知識は書物で得たものではなかった。書物で得たもの
   は書物があればそれで伝えられる。早川さんはその知識を書物に
   して残すべき人であった。私はこの人の死が惜しまれてならない
   のである」
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