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日本は本当に繁栄しているのか 鍵山秀三郎 『致知』2004.8 [読書記録 一般]

昨日は、職員室で一日仕事
パソコンでの事務作業が中心で
肩がこってしまいました

夏休みに入っても 仕事が片付きません
ペースアップしないと…

職員室に風がよく入ってきたので
冷房も使わず 仕事ができました

暑すぎないのが ありがたく感じました

今回は、また「致知」
イエローハットの鍵山秀三郎さんの巻頭の言葉から


中国では「造反有理」の思想が、強い心の形成にはつながった一方、譲る心
・優しい心・温かくて広い心を失い、すぐにカーッとなる歪んだ人格・性格
も形成してしまったと  


日本でも見られます

次の世代に 何を伝えるのか
よく見直すことが大切だと感じます









☆日本は本当に繁栄しているのか 鍵山秀三郎 『致知』2004.8

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◇いまの世相は人の心の反映

 美しい姿や言葉、優しい仕草は、その人を活き活きとさせるだけではなく、
周囲の人々の心までも潤す力を持っています。背筋を伸ばし、姿勢を正して
いる姿そのものが周囲を浄化させるのです。

 残念なことに、このような人に会うことが少なくなりました。

 反対に、日本はいま、普段口にするのが憚られるような乱れた汚い言葉が
氾濫するようになりました。
 街頭や乗り物の中にあっては、聞きたくなくても聞かざるを得ず、心が暗
く沈んでしまいます。美しい姿や言葉、凛とした姿勢が周りの人々の心を潤
すのとは反対に、汚い言葉や卑しい仕草、横着で醜い態度が人々の心を暗く
し、苛立たせるのは言うまでもありません。

 言葉と態度・表情・仕草は一連のものであり、すべてその人の心から生じ
ています。

 人の心を穏やかにし、思いやりのある優しい心にするのは、子どもにとっ
ては親の義務であり、会社にあっては、社員にとって経営者の欠かせない責
務であります。

 いまの日本では、家庭にあっては親が、会社においては経営者が、社会で
はリーダーがこの責務を怠っているか、まったく気づいていないかのどちら
かであり、そのために起こる事件は目を覆うばかりです。

 これらのことは、企業が自社の繁栄のみに日を奪われていて、地球の資源
を貪り尽くすだけでなく、多くの人々の心を奪い、人間らしさを失わせたこ
とから生じているものばかりです。
「信じられない」、「このようなことがあってはならない」など、何かが起こ
るたびに関係者の口から出る言葉が空しく聞こえます。

 しかし、すべてのことは必然として生じたことであり、偶発的なことは一
つもありません。すべては起こるべくして起きています。いまの世相に歴然
と現れた言葉や表情、服装や仕草、態度の乱れや汚れは、人の心そのもので
あり、他の何物でもありません。


◇心の無駄遣いですべてを失う

 日本の企業の一部が目覚ましい業績をあげており、日本経済が底を脱して
上昇に転じたという報道が多くなりました。確かに喜ぶべきことであって、
否定するものではありません。

 しかし、その業績を支える人は、顔が見えて声の聞こえる範囲の人々とは
限りません。見知らぬ所の見ず知らずの人々もその一員であります。そこま
で包み込んでの好業績であれば諸手を挙げて大喜びもしますが、声の届かな
い人々の犠牲によってなされたものである限り、日本の社会は間違いなく崩
壊していくことでしょう。

 過去において大事なことから目を背け、対応を怠ったことで不祥事に至り、
いまになって責任を問われている企業が後を絶ちません。
 いまだけ、自分だけよければそれでよいという考えにもとづいて、栄耀を
極めている企業が、後世になって裁きを受けないという保証はありません。
裁きとは法律によるものよりも、良知良識によるもののほうが遥かに厳しい
のです。


 中国から日本に帰化された方から次のようなことを教えられました。
中国の「造反有理」の思想は、相手には負けたくないという強い心の形成に
はつながったが、一方で譲る心・優しい心・温かくて広い心を失って、すぐ
にカーッとなる歪んだ人格・性格も形成してしまったとのことでした。

 日本もまったく同じ傾向にあることは疑いもありません。心の無駄遣いは、
やがてすべてを失うことにつながっていきます。




☆特集-何のために生きるのか  編集長のことば
               
 近江聖人と謳われる中江藤樹にこんな逸話がある。藤樹11歳の時であ
る。『大学』を読み進み、次の一句に出合った。

「天子より庶人に至るまで、都斜に酢身を修むるを批て本となす」

 身を修めることこそ人生の根本-藤樹はこの言葉に深い感動を覚えて涙を
流し、衣の袖を濡らしたという。藤樹、11歳にして「何のために生きるの
か」の命題に開眼した瞬間である。

「闘病、投獄、倒産のいずれかを体験しなければ人間、真の大成は期し難い」
電力の鬼といわれた松永安左ヱ門の言葉である。
 人生のギリギリのところを通らなければ、「何のために生きるのか」の解
答を骨身に沌みて掴むことはできない、ということだろう。

 本誌に馴染みの深い95歳になる詩人・坂村真民さんは、
「詩を書くことで自分をつくり上げる」
「人々の心に光を灯す詩を書く」
 ことを自分の「人生の命題」「人生の目的」にしている。


 宋の儒学者・張横渠にこういう言葉がある。
 天地のために心を立つ
 生民のために道を立つ
 去聖のために絶学を継ぐ
 万世のために太平を開く


 安岡正篤氏もお話の中でこの言葉をしばしば紹介されている。
 雲霧朦朧たる天地開闢の時代から、はかり知れない創造の歩みを続けて、
地球が誕生したのが45億年前である。そしてなぜか、その地球にだけ水
が生まれた。その後10億年を経て、水は地球上に単細胞生命をもたらし、
やがて生命は、甲殻類、爬虫類、哺乳類と多彩な展開を遂げていく。

 その多彩な生命の中で、天は人間にだけ心という世界をひらいた。

 その心には厳粛、深遠な法則がある。「天地のために心を立つ」とは、
天地が創った心の法則を明らかにするということである。

 しかし、多くの人は心に法則があるなどとは知らない。運命のままに生
きている。そういう民衆のために心にはこういう法則がある、だから人間
はこう生きなければならないということを知らしめていく 

 それが「生民のために道を立つ」である。

 この心の法則を説くのが聖人の学だが、多くはそれを学ぼうとしないか
ら、ともすれば聖人の学は途絶えやすい。途絶えれば人間は堕落する。そ
うならないよう、「去聖のために絶学を継ぐ」-昔の聖人の学を絶やさぬよ
う継いでいこう。
 そして、「万世のために太平を開く」-永遠の平和を実現しよう。

 これは、多くの人にかく人生を生きてもらいたいという願いを込めた言
葉でもあろう。

 何のために生きるのか。各界の先達の言葉に耳を澄ましてみたい。

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ハマコウ

あんぱんち~さん nice! をありがとうございます
斉藤和義さん いいですね
by ハマコウ (2011-11-07 04:48) 

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