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①「表の体育 裏の体育」 甲野善紀 壮神社 2004年 ②「プロの条件」 - 『小さな人生論』藤尾秀昭 致知出版社2003年 より ⑦ [読書記録 一般]

今回は 古武術研究家として知られる甲野善紀さんの
「表の体育と裏の体育」を紹介します

抜き書きでまとめたものを読み直すと 
具体的にイメージできなくなってしまうのですが
実際に本を読むと大変納得するところが多かったことを覚えています

古武術と聞くと 何となく怪しいイメージもあったのですが
末次選手の「ナンバ走り」から 広く知られるようになりました
甲野さんも しばしばテレビ番組でお見かけします

大本教と少林寺拳法のつながりもあると聞きます
武術と宗教
何となく分かって何となく分からない
といったところが共通しているように思います


もう一つ 藤尾秀昭さんの『小さな人生論』より「プロの条件」
アマとプロの違いが はっきりと示されています
書かれていることに納得します




一昨日は わたしの住む地域では「地の神さま」をお祀りする日
赤飯を炊いておにぎりを作り 屋敷の北西角に祀られる「地の神」さまに
お供えしました
「地の神」さま 
わたしが子どもの頃は 父がわらで作った簡素で趣のあるものでしたが
今は 木製、コンクリート製など 
金物屋さんで売られている物が一般的になっています

わたしが子どものころ地域では「コンコンさま」とも言っていました

この日は
「供えられた赤飯むすびを 盗ってもいい日だ」
と 年長の子から伝えられ 
そろって各家に盗りに(実際は家の人からもらったことが多いのですが)…
よその家のものをたくさん食べて 我が家のものを食べられない
親から叱られたことを懐かしく思い出す日でもあります
(わたしの思い込みだけかもしれません)


ガキ大将が率いる各年代が組むちびっ子グループもなくなってしまいましたね









①「表の体育 裏の体育」 甲野善紀 壮神社 2004年

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◇はじめに
表の体育 - 西洋思想の学校体育

裏の体育 - 民間健康法,鍛錬法 全身をひっくるめてみる東洋的医学


◇裏の体育 その構造と特色 精神作用に対する深入り
裏の体育とは? 玉石混淆
桜沢式食養(桜沢如一) ルーツは明治軍医石塚左玄
玄米,熱を通した野菜 塩きつめ
二木式玄米食運動(二木謙三)
玄米,生野菜,薄塩

裏の体育のルーツ-霊術
霊術 -明治大正- ヨガ,太極拳
日本  和漢薬法,針灸<正当派>
  加持祈祷-宗教的法術 
        ~ 大正から昭和初期 治療目的の法術霊術            
          オカルト臭
  
 霊術家群像 浜口熊嶽(気合術師) 江間俊一(江間式心身鍛練法)
岩田式本能法-自律調整 岡田式正坐法 肥田式強健術
  
 大本の影響力
  空海の真言宗
大本教 明治25年 出口ナオ
大正期   出口王仁三郎
鎮魂帰神
大本分派 谷口雅春(生長の家)
世界救世教,真光教

手かざし,手あて

 裏の体育の焦点 - 丹田
白隠の内観法-丹田  上丹田(眉間)中丹田(中胸)
へそ下5~7㎝








②「プロの条件」 - 『小さな人生論』藤尾秀昭 致知出版社2003年 より ⑦

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◇プロの条件
 職業のジャンルを問わない。仕事をすることによって報酬を得ている人は、
そのことによって、すでにプロである。

 また、プロでなければならないはずである。

 しかし、現実にはプロとしての仕事の仕方をしていない人が相当数いるこ
とも事実である。プロとアマとの違いは何だろうか。

 それは次の4つに集約されるのではないか。


 第一は、プロは 「自分で高い目標を立てられる人」だということである。
自分なりにほどほどにやれればいい、この程度でいいだろうと、目標をでき
るだけ低く設定しようとするのがアマである。
 プロは違う。プロは自分で高い目標を立て、その目標に責任を持って挑戦
していこうとする意欲を持っている。


 第二は「約束を守る」ということだ。
 約束を守るというのは、成果を出すということである。自分に与えられた
報酬にふさわしい成果をきっちりと出せる人、それがプロである。
 成果を出せなくてもなんの痛痒も感じず、やれなかった弁解を繰り返して
やり過ごそうとする者がいる。アマの典型である。


 第三は、「準備をする」。
プロは「絶対に成功する」という責任を自分に課している。絶対に成功する
ためには徹底して準備をする。準備に準備を重ねる。自分を鍛えに鍛える。
 そうして勝負の場に臨むから、プロは成功するのである。
 アマは準備らしい準備をほとんどせず、まあ、うまくいけば勝てるだろう
と、安易な気持ちで勝負に臨む。この差が勝敗の差となって表れてくるので
ある。
 表現を変えれば、プロは寝てもさめても考えている人である。起きている
時間だけではない、寝ても夢の中にまで出てくる。それがプロである。
 少しは考えるが、すぐに他のことに気をとられて忘れてしまうのがアマの
通弊である。


 第四は、これこそプロとアマを分ける決定要因である。プロになるために
は欠かせない絶対必要条件だと言える。
それはプロは
「進んで代償を支払おうという気持ちを持っている」
ということだ。
 プロであるためには高い能力が不可欠である。
 その高い能力を獲得するためには、時間
とお金と努力を惜しまない。犠牲をいとわない。代償を悔いない。それがプ
ロである。
 犠牲をけちり代償を渋り、自己投資を怠る人は絶対にプロになれないこと
は自明の理であろう。


 最後に一流といわれるプロに共通した条件をあげる。

 それは「神は努力する者に必ず報いる、と心から信じている」ということ
である。不平や不満はそれにふさわしい現実しか呼び寄せないことを知り、
感謝と報恩の心で生きようとする、それが″一流プロ″に共通した条件であ
ることを付言しておきたい。

 さて、あなたはこれらの条件を満たしているだろうか、満たすべく努力を
しているだろうか。

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コメント 4

PATA

プロの条件、考えさせられますね。
私はいつも適当にやってしまうので
努力しなければいけませんね。
by PATA (2011-12-17 10:44) 

ハマコウ

PATAさん いつもご訪問、コメントをありがとうございます

本物のプロ 厳しいですね
怖くなります
気軽なアマ 
アマを自覚したアマ…がいいですね

職業とは離れたところで…
by ハマコウ (2011-12-17 17:35) 

扶侶夢

私も合気道の修練によって、たくさんの事を気づいたり身につけたりしました。武道は捉え方によっては科学は勿論、哲学に近いところまで習熟できるものですね。
by 扶侶夢 (2011-12-17 22:56) 

ハマコウ

扶侶夢さん nice!とコメントをありがとうございます

合気道をされているのですね
武道は身体の鍛錬だけでなく精神修行の面が大きいことを改めて知りました
by ハマコウ (2011-12-18 00:30) 

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