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「『児相』虐待からの再生-この十数年になにがあって、児相はなにか変化したのだろうか…」 団士郎 立命館大学大学院・応用人間科学研究科教授 『月刊少年育成』2003.6月号より ②(後半) [読書記録 教育]

今回は 12月4日に続いて『月刊少年育成』(2003年6月号)より 団士郎さんの

「『児相』虐待からの再生-この十数年になにがあって、児相はなにか変化したのだろ
 うか…」

後半を 紹介します



現在休刊中の『少年育成』誌
復刊を期待しています


同誌の団士郎さんによる連載『木陰の物語』も大変興味深く読みました
(ユーチューブに…)



※一般社団法人 大阪少年補導協会 公式HP 
 http://www.osaka-hodoukyokai.or.jp/index.html

※同上 少年育成手帳・月刊少年育成のページ
 http://www.osaka-hodoukyokai.or.jp/techo.html




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☆「『児相』虐待からの再生-この十数年になにがあって、児相はなにか変化したのだろうか…」 団士郎 立命館大学大学院・応用人間科学研究科教授 『少年育成』2003.6月号より ②(後半)

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◇使いごこち

 時代のスポットライトが照らし出すものが変わるたびに、新しい機能や言葉、商品が
現れる。その多くは世間的にはいわゆる新製品の良さと弱点を持っている。


 何しろ新しいシステムはまだ使用し続けられた歴史を持たない。社会への作用も副作
用もまだ誰も知らない。そんな商品を声高に売り込むのは、それによって利益を得る人
たちである。


 私は長年の経験から、それがどんな機能を持っているのかと同様、どのような副産物
を生むかが明らかになってから、信頼できるかどうかを見定めてきた。


 だから心理臨床世界においても、次々立ち現れる分類概念とそれに付随するマーケッ
トや新製品にはもともと冷ややかであった。


 児童虐待の現実やその対応騒ぎを否定しようとは思わないし、ここまでの取り組みに
意味がなかったなどとも思わない。

 しかし作り出された現状が、児童虐待に抑止力を発揮したとも思わない。結果的に、
子育てや親になる事への不安を広く植え付ける役目は果たしてしまったとは言えよう。


 少子化傾向の続くこの時期、児童福祉関連の人員も予算も削られて当然の行政力学の
中にあった。

 ここで児童虐待は数ではなく深刻な質の問題として、財政担当者に立ち向かう説得力
を持っていた。

 高齢化社会の数を頼んだ福祉予算の側にあっても、児童対策予算をカットする機運に
はないだろうとみんなに思わせた。この点では確実に機能した。


 しかしその渦中で台頭してきた心理臨床ブームが、本当に役に立つ新製品たり得たか
どうか、その検証はまだなされていない。





◇「家族」がえり

 家族問題が火を噴き始めて久しい。

 いつの間にか、少子化、晩婚化、児童虐待、不登校、障害児問題、家庭内暴力、離婚
の増加、中高年のリストラ、働き盛りの自殺の増加、引きこもり、DV、高齢者介護問
題と虐待…、などきりがないほどの家族関連問題を同時に抱える時代になった。


 もはやこの中のどれかをピックアップして対応していればしのげる時代ではなくな
った。

 項目別の縦割り対応では機能しなくなったのだ。


 それにもかかわらず、そんな体制しか持たない社会システムは、場当たりの当面性で
取り扱い要件を恣意的に決めてきた。こんな中で児相が児童虐待に取り込まれていった
ことには同情を禁じ得ない。


 しかしこの期に及んで、児相がまだ一過性の専門用語に振り回されていては存続その
ものも危ういと思う。今後、児相は地域関係者と共に、「家族」に取り組む道を探るし
かないと思う。


 幸いなことに「子育て支援」、「家族援助」、これらの言葉は近接領域の関係者に対し
て排他的ではない。


 そこでどんな道があり得るのかを、ここ数年、私が全国展開している仕事の意図を書
いて提案しておきたい。



 私はこれまで北海道(札幌)、島根(出雲)、岐阜県(岐阜)、新潟県(新潟)、青森
県(弘前)、群馬県(前橋)で家族理解・援助ワークショップを継続開催してきた。
(数回程度実施したのはもっと多くの県市地域であるが、3年以上、30人以上の参加
 での継続開催はこれらの地域である)



 第一歩は北海道・札幌で1997年に始まった。

 児相とその周辺で働く人たちの「家族理解」のためのワークショップを、現地のリク
エストで開催することになったものである。

 とりあえず家族療法という呼び方では行ったが、狭義のセラピー訓練を目指したもの
ではない。


 それにこれは、地域有志グループが主催したもので、従来の行政組織内の研修事業で
はなかった。この点が今までの研修との大きな違いだった。


 現在もそう変わりはないが、公的機関の準備した研修というと受講者はたいてい受身
である。

 参加動機も様々で、中には職場を離れて息抜き、休養のつもりの人もある。

 こういう慣行に一つずつ異を挟んでいった。
 

 世間には民間の企画する研修プログラムも多く存在する。

 かなり高額な参加費や交通費も自己負担で参加する熱心な人もある。こちらの動機付
けはかなり高いといえる。

 ただ、このような人の多くが勉強好きではあるが、おおむね職場スタッフとしては浮
いている。恵まれた条件の者にしか受講できない高額の花の研修は、それ故の付加価値や、エリート意識も作り出していた。

 教員の内地留学があまり成果があるように見えないのも似ている。
 

 これらにチャレンジするには、地元開催が一番だった。

 地域の仕事に資するための研修を地域で実施する。そして公の予算を当てにしないで、費用は自分たちが負担する。

 仕事の研修を私費で?と疑問の人もあるかもしれないが、これによって公的予算の切
れ目が縁の切れ目にならなくなった。参加も当然、地元の人たちにオープンである。


 各地バラツキはあったが、児相職員、関連行政職員、児童福祉施設職員、福祉専務所
ケースワーカー、家庭児童相談員、小中高校教員、養護教員、スクールカウンセラー、
家裁調査官、県警青少年担当者、精神科医、小児科医、大学教員、大学生、大学院生など、広範な立場の参加者が集まった。


 ここで「家族の構造」をベースにした新しい勉強を一緒にやり始めた。

 これが地域ネットワーク作りや、地元の異機関の間での共同作業を促す結果を作り出
すことになっている。





◇おわりに

 児相の変化はこれまでいつも、外からやってきた。

 問題意識はたくさん持ちながら、それに根ざした児相デザインにまで展開し得たとこ
ろは少なかった。

 次々に押し寄せる社会要因に、児相は圧倒され続けてきたのだと思う。

 そんな中で見つけた地域ぐるみの学習システム(「家族理解と家族・子育て支援」
ワークショップ)は、「事件反応型」の行政スタイルから、「対応の場作り型」への転
換可能性を秘めたものだと私は思っている。

 関心のある方はご連絡ください。   
 
                    『月刊少年育成』2003.6月号

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コメント 2

ojioji

団氏の文章、現場の様子がよく伝わり、非常に共感するところが多かったです。
信用できる感覚の方だと思います。(僭越至極m(__)m)
こういった取り組みが必要なくらい、子育て文化の継承が途絶えたり、時代に対応できなくなったりしているのでしょう。
が、人生で苦しみや悩みや傷つくことは悪で、あってはならないみたいな考え方が現代日本では幅を利かせ過ぎていると感じます。
お釈迦様を持ち出すまでもなく、人生は苦悩があるから喜びや楽しみがあると思います。
児童虐待ですらぼくはあって仕方無いと思っています。
もちろん対処は必要ですが根絶するほどの方策を取ると、大切なものが失われる気がします。文章から、団氏も感じてらっしゃるようです。この方は、尾木ママ氏に代表される茶の間受けする綺麗事とちがって、もっと洞察された上でそれを表現されていらっしゃる。

前半の回の文章にあった、
「かつては存在した、親からの「ありがとうございました」「おかげさまで」の感謝は消え去った。職員の顔ぶれの変化の早い行政機関が、自己防衝的で内省に乏しくなるのは今更言うまでもない。」
ここに大事に問題が2点明確に触れてあります。
感謝の言葉が言えなくなった大人社会。
親子二代に亙って世話する担当者みたいなことが有り得なくなった制度。

いくら至れり尽くせりの過保護社会制度を築いても、そこからはみ出る固体は必ずいます。綺麗事人たちは、そのほうが残酷なことがわからないのでしょうか。

群れで子育てをするのが合っている親子もあれば、単独で子育てをするのが合っている親子もあります。いろいろあるほうがよいじゃあないかと。
今日はシラフ^^;で書きました。
by ojioji (2014-12-08 18:39) 

ハマコウ

ojioji さん ありがとうございます

家庭内のものがどんどん社会の外に出て行くこと
よさもありまた困ることもあるのだと思います

「親からの「ありがとうございました」「おかげさまで」の感謝は消え去った」

ありがたいという気持ちは最初だけで 次第にそれが当たり前のものになっていく…

寂しさと引き替えに「豊かさ」が亡くなっていくように思います


「いくら至れり尽くせりの過保護社会制度を築いても、そこからはみ出る固体は必ずいます。綺麗事人たちは、そのほうが残酷なことがわからないのでしょうか。」
同じ思いです
by ハマコウ (2014-12-09 00:15) 

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