「小さな人生論」藤尾秀昭 致知出版社 2005年 ⑤(最終) / 21世紀に伝えたいこと(出典不明)①【再掲載 2017.6】 [読書記録 一般]
今日は4月23日、火曜日です。
今回は、4月19日に続いて、藤尾秀昭さんの
「小さな人生論 2」の紹介5回目 最終です。
出版社の案内には、
「『致知』創刊25周年の刊行以来、好評のうちに増刷を重ねて
いる『小さな人生論』。本書は川島廣守氏(日本プロ野球組織
コミッショナー)からヤンキースの松井秀喜選手に贈られた
書としても話題を呼んだ作品の続篇だ。
『自分を高める』『人生に残すもの』『何のために生きるのか』
『命を伝承する』『人生の法則』『先哲の英知をくむ』の各章
テーマのもと、著者の折々の思いが記している。
『人は皆、一個の天真を宿してこの世に生まれてくる、という。
その1個の天真を深く掘り下げ、高め、仕上げていくことこ
そ、各人が果たすべき人生のテーマといえる……』
人生と向き合うための座右の書として、活用いただきたい一冊。」
とあります。
もう一つ、再掲載になりますが、
「21世紀に伝えたいこと」①を載せます。
☆「小さな人生論」藤尾秀昭 致知出版社 2005年 ⑤(最終)
◇生きる
一人の人問が生まれるためには二人の両親がいる。その両親が生まれ
るためには、それぞれに両親がいる。
2代で4人、3代で8人、4代で16人である。
このように命の起源をさかのぼっていくと、
20代で1048576人、
25代で33554432人、
30代で1073741824人
という人数になる。50代、60代とさかのげれば、天文学的数字となる。
その祖先のうち、もし1人でも欠けていたら、私たちの命はない。
命の炎が1回も途切れることなく連綿と続いてきたからこそ、私たち
はいま、この世に生きている。先祖からの命の炎を託されて、私たちは
この世を生きている。
この事実を受け止める時、粛然とした気侍ちにならざるを得ない。
生きるとは単に生き永らえることではない。
先祖から預かった命の炎を精一杯燃やしていくことである。
◇感動・笑・夢
児童文学作家の故・椋鵠十さんが、こういう話をしておられる。
椋さんの故郷は信州の伊那谷の小さな村。
30年ぶりに帰省すると、小学校の同窓会が聞かれた。
禿げ上がったり皺がよったり、初めは誰が誰やら分からなかったが、
次第に幼い頃の面影が蘇ってきた。
だが一人だけ、どうしても思い出せない。
背が低く色が揚く、威風がある。
隣席の人に聞くと、
「あんな有名だったやつを忘れたのか。ほら、しらくもだよ」。
椋さんは、えっ となった。
しらくもは頭に白い粉の斑点が出る皮膚病である。
それを頭にふき出して嫌われ、勉強はビリでバカにされ、いつも校庭
の隅のアオギリの木にポツンともたれていた。
ゆったりした風格をにじませてみんなと談笑している男が、あのしら
くもとは…。
聞けば、伊部谷一、二の農業指導者としてみんなから信頼されている
という。
二次会で椋さんは率直に、
「あのしらくもがこんな人物になるとは思わなかった。何かあったのか」
と聞いた。彼は「誰もがそう言う」と明るく笑い、「あった」と答えた。
惨めで辛かった少年時代。
彼はわが子にはこんな思いはさせまい、望むなら田畑を売っても上の
学校にやろうと考えた。
だが、子どもの成績はパッとせず、勉強するふうもない。
ところが、高校2年の夏休みに分厚い本を三冊借りてきた。
その気になってくれたかと彼は喜んだ。
が、一向に読むようがなく、表紙には埃が積もった。
彼は考えた。
子どもに水を読めというなら、まず自分が読まなければ、と。
農作業に追われ、本など開いたこともない。
最初は投げ出したくなった。
それでも読み続けた。
引き込まれた。
感動かこみ上げた。
その感動に突き動かされ、三回も読んだ。
その本はロマン・ローランの・ジャン・クリストフ=聴覚を失ってな
お音楽を求め苦悩したベートーヴェンがモデルといわれる名作である。
主入公ジャンの乙悩と運命が、彼にはわがことのように思われたのだ。
だが、ジャンは自分とは違っていた。
ジャンはどんな苦しみに落ち込もうが、必ず這い上がってくる。
絶望の底に沈んでも、また這い上がってくる。
火のように生きている。
自分もこのように生きたいと思った。
そのためには何か燃える元を持だなければ。
自分は農民だ。農業に燃えなくてどうしよう-。
彼は農業の専門書を読みあさり、農業専門委員を訪ねて質問を浴びせ、
猛烈に勉強を始めた。
斬新な農業のやり方を試みて成功させ、そして、しらくもはみんなか
ら頼りにされる農業指導者と化した。
この話をされた椋嶋十さんは、終わりに力強くこう言っている。
「感動というやつは、人間を変えちまう。そして奥底に沈んでおる力を
ぎゅうっと持ち上げてきてくれる」
人間の目は前に向かってついている。
前向きに生きるのが人間であることを表象しているかのようである。
感動は人を変える。
笑いは人を潤す。
夢は人を豊かにする。
そして、感動し、笑い、夢を抱くことができるのは、人問だけである。
天から授かったこのかけがえのない資質を育み、さらに磨いていくと
ころに、前向きの人生は拓けるのではないだろうか。
☆21世紀に伝えたいこと(出典不明)①【再掲載 2017.6】
◇司馬遼太郎
□21世紀に生きる君たちへ
君たちだけが持っているもの
= 未来
昔も今も未来も変わらないこと
= 自然「不変のもの」
◎ 人間は自然によって生かされてきた
◎ 古代でも中世でも自然こそ神々
20世紀自然への怖れが薄くなった
◎ 自分に厳しく相手には優しく
◎ 素直で賢い自己
→ 自己の確立
しかし,自己中心ではいけない
~ 人間は助け合って生きる
◎ 助け合う
= 道徳
・いたわり
・他人の痛みを感じ取ること
・優しさ
※ 本能ではない
= 訓練して身につけること
□「たのもしさ」
「私は先に自己を確立せよ,と言った。自分に厳しく,相手に
は優しく,とも言った。いたわりという言葉も使った。それ
らを訓練せよとも言った。それらを訓練することで自己が確
立されていくのである。そして『頼もしい君たち』になって
いくのである。」
◇木村尚三郎
◇「日本文化とコミュニケーション」
文化
~ 土地毎に「暮らしと命」の心地よさ,美しさの知恵とか形が
ある
文明
~ 全世界に共通する生き方
□21世紀 「移動」生活文化・心地よさ・美しさを求めて
文化・芸術の時代
動・コミュニケーションの時代
◇金子郁容(慶大教授)
□ボランタリー・コモンズ
「ボランタリーな行動」
自分から進んで関係を求める時に発生するある種の弱さを持っ
た自発性
- 利己的か他利的か
□フラジャイルな集合体の持つ可能性
当事者の関係変化
□バーチャル・コミュニティ
インターネットはボランタリーな関係
□ボランタリー・コモンズというまとまり
自発する公共圏
= 情報を共用する場
関係変化の場
成果を生み出す場
今回は、4月19日に続いて、藤尾秀昭さんの
「小さな人生論 2」の紹介5回目 最終です。
出版社の案内には、
「『致知』創刊25周年の刊行以来、好評のうちに増刷を重ねて
いる『小さな人生論』。本書は川島廣守氏(日本プロ野球組織
コミッショナー)からヤンキースの松井秀喜選手に贈られた
書としても話題を呼んだ作品の続篇だ。
『自分を高める』『人生に残すもの』『何のために生きるのか』
『命を伝承する』『人生の法則』『先哲の英知をくむ』の各章
テーマのもと、著者の折々の思いが記している。
『人は皆、一個の天真を宿してこの世に生まれてくる、という。
その1個の天真を深く掘り下げ、高め、仕上げていくことこ
そ、各人が果たすべき人生のテーマといえる……』
人生と向き合うための座右の書として、活用いただきたい一冊。」
とあります。
もう一つ、再掲載になりますが、
「21世紀に伝えたいこと」①を載せます。
☆「小さな人生論」藤尾秀昭 致知出版社 2005年 ⑤(最終)
◇生きる
一人の人問が生まれるためには二人の両親がいる。その両親が生まれ
るためには、それぞれに両親がいる。
2代で4人、3代で8人、4代で16人である。
このように命の起源をさかのぼっていくと、
20代で1048576人、
25代で33554432人、
30代で1073741824人
という人数になる。50代、60代とさかのげれば、天文学的数字となる。
その祖先のうち、もし1人でも欠けていたら、私たちの命はない。
命の炎が1回も途切れることなく連綿と続いてきたからこそ、私たち
はいま、この世に生きている。先祖からの命の炎を託されて、私たちは
この世を生きている。
この事実を受け止める時、粛然とした気侍ちにならざるを得ない。
生きるとは単に生き永らえることではない。
先祖から預かった命の炎を精一杯燃やしていくことである。
◇感動・笑・夢
児童文学作家の故・椋鵠十さんが、こういう話をしておられる。
椋さんの故郷は信州の伊那谷の小さな村。
30年ぶりに帰省すると、小学校の同窓会が聞かれた。
禿げ上がったり皺がよったり、初めは誰が誰やら分からなかったが、
次第に幼い頃の面影が蘇ってきた。
だが一人だけ、どうしても思い出せない。
背が低く色が揚く、威風がある。
隣席の人に聞くと、
「あんな有名だったやつを忘れたのか。ほら、しらくもだよ」。
椋さんは、えっ となった。
しらくもは頭に白い粉の斑点が出る皮膚病である。
それを頭にふき出して嫌われ、勉強はビリでバカにされ、いつも校庭
の隅のアオギリの木にポツンともたれていた。
ゆったりした風格をにじませてみんなと談笑している男が、あのしら
くもとは…。
聞けば、伊部谷一、二の農業指導者としてみんなから信頼されている
という。
二次会で椋さんは率直に、
「あのしらくもがこんな人物になるとは思わなかった。何かあったのか」
と聞いた。彼は「誰もがそう言う」と明るく笑い、「あった」と答えた。
惨めで辛かった少年時代。
彼はわが子にはこんな思いはさせまい、望むなら田畑を売っても上の
学校にやろうと考えた。
だが、子どもの成績はパッとせず、勉強するふうもない。
ところが、高校2年の夏休みに分厚い本を三冊借りてきた。
その気になってくれたかと彼は喜んだ。
が、一向に読むようがなく、表紙には埃が積もった。
彼は考えた。
子どもに水を読めというなら、まず自分が読まなければ、と。
農作業に追われ、本など開いたこともない。
最初は投げ出したくなった。
それでも読み続けた。
引き込まれた。
感動かこみ上げた。
その感動に突き動かされ、三回も読んだ。
その本はロマン・ローランの・ジャン・クリストフ=聴覚を失ってな
お音楽を求め苦悩したベートーヴェンがモデルといわれる名作である。
主入公ジャンの乙悩と運命が、彼にはわがことのように思われたのだ。
だが、ジャンは自分とは違っていた。
ジャンはどんな苦しみに落ち込もうが、必ず這い上がってくる。
絶望の底に沈んでも、また這い上がってくる。
火のように生きている。
自分もこのように生きたいと思った。
そのためには何か燃える元を持だなければ。
自分は農民だ。農業に燃えなくてどうしよう-。
彼は農業の専門書を読みあさり、農業専門委員を訪ねて質問を浴びせ、
猛烈に勉強を始めた。
斬新な農業のやり方を試みて成功させ、そして、しらくもはみんなか
ら頼りにされる農業指導者と化した。
この話をされた椋嶋十さんは、終わりに力強くこう言っている。
「感動というやつは、人間を変えちまう。そして奥底に沈んでおる力を
ぎゅうっと持ち上げてきてくれる」
人間の目は前に向かってついている。
前向きに生きるのが人間であることを表象しているかのようである。
感動は人を変える。
笑いは人を潤す。
夢は人を豊かにする。
そして、感動し、笑い、夢を抱くことができるのは、人問だけである。
天から授かったこのかけがえのない資質を育み、さらに磨いていくと
ころに、前向きの人生は拓けるのではないだろうか。
☆21世紀に伝えたいこと(出典不明)①【再掲載 2017.6】
◇司馬遼太郎
□21世紀に生きる君たちへ
君たちだけが持っているもの
= 未来
昔も今も未来も変わらないこと
= 自然「不変のもの」
◎ 人間は自然によって生かされてきた
◎ 古代でも中世でも自然こそ神々
20世紀自然への怖れが薄くなった
◎ 自分に厳しく相手には優しく
◎ 素直で賢い自己
→ 自己の確立
しかし,自己中心ではいけない
~ 人間は助け合って生きる
◎ 助け合う
= 道徳
・いたわり
・他人の痛みを感じ取ること
・優しさ
※ 本能ではない
= 訓練して身につけること
□「たのもしさ」
「私は先に自己を確立せよ,と言った。自分に厳しく,相手に
は優しく,とも言った。いたわりという言葉も使った。それ
らを訓練せよとも言った。それらを訓練することで自己が確
立されていくのである。そして『頼もしい君たち』になって
いくのである。」
◇木村尚三郎
◇「日本文化とコミュニケーション」
文化
~ 土地毎に「暮らしと命」の心地よさ,美しさの知恵とか形が
ある
文明
~ 全世界に共通する生き方
□21世紀 「移動」生活文化・心地よさ・美しさを求めて
文化・芸術の時代
動・コミュニケーションの時代
◇金子郁容(慶大教授)
□ボランタリー・コモンズ
「ボランタリーな行動」
自分から進んで関係を求める時に発生するある種の弱さを持っ
た自発性
- 利己的か他利的か
□フラジャイルな集合体の持つ可能性
当事者の関係変化
□バーチャル・コミュニティ
インターネットはボランタリーな関係
□ボランタリー・コモンズというまとまり
自発する公共圏
= 情報を共用する場
関係変化の場
成果を生み出す場