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「学校のあたりまえをやめた」工藤勇一 時事通信社 2018年 ① /「中世の東海道をゆく」榎原雅治 中央公論新社 2008年【再掲載 2012.6】 [読書記録 教育]

今回は、工藤勇一さんの
「学校のあたりまえをやめた」を紹介します。



出版社の案内には


「『みんな仲良く』と教室に掲げても、子どもたちは仲良くなりません。他者意識のない
 作文、目的意識のない行事すべて、やめませんか。宿題は必要ない。クラス担任は廃止。
 中間・期末テストも廃止。何も考えずに『当たり前』ばかりをやっている学校教育が、
 自分の頭で考えずに、何でも人のせいにする大人をつくる。」


とあります。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「息苦しく感じる。会社のような学校。実社会 =企業? のびのび、ゆったりの反対」


・「目的と手段を見直し学校をリデザインする」


・「定期考査
  成績を『ある時点』で確定させることに意味はない = 瞬間最大風速にすぎない」


・「全員担任制  固定担任制は責任を持ちすぎる」


・「『みんな仲よくしよう』から『人は仲良くするのが難しい』へ」






<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
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☆「学校のあたりまえをやめた」工藤勇一 時事通信社 2018年 ①

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(息苦しく感じる。会社のような学校。実社会 =企業?  のびのび、ゆったりの反対)



◇はじめに

□服装頭髪検査を行わない



□宿題を出さない



□中間・期末テストの廃止



□目的と手段 ― 学校は何のためにあるのか

 自律「社会の中でよりよく生きていけるようになる」
            |

     自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する


□学校をリデザインする

  目的と手段を見直し学校をリデザインする


 
□最適な「手段」をどう構築していくか


 
□あなたには「あなたのできること」がある
 
  教師は人材育成のプロ





◇目的と手段の観点からスクラップ(見直し)する

1.宿題

 ◎ただこなすだけになっていなませんか

    分かっている生徒には無駄な作業

    分からない生徒には重荷



□「分からないことがわかねようになる」
  
 2つの作業
   ① 聞いたり調べたりする

   ② 繰り返すことで定着させる
    

 
□自分の時間を自分の考えで使うことの大切さ




2.定期考査

 ◎成績を「ある時点」で確定させることに意味はない

  瞬間最大風速にすぎない 一夜漬けで片づけることだろうか

    定期テスト → 単元テスト

    実力テスト3回 → 5回
   
  

□評価のためのテストでよいのか? → 大学




3.固定担任制の廃止

 ◎「チーム医療」型の学年経営を

 全員担任制  固定担任制 ← 責任を持ちすぎる ‐ 気負い

        大空小学校!




4.運動会のクラス対抗も生徒自身が廃止

  誰もが楽しむために

  最上位目的「生徒全員を楽しませること」




5.目標はスローガンではない

 ◎お飾りになっていませんか




6.生徒指導

 ◎それは本当に必要な指導ですか

 服装頭髪のルール → PTAに権限移譲                           
 命を大切にすること

 差別をしないこと




7.書く指導

 他者意識





8.No + 心の教育

 ◎行動こそが大切

 ×「みんな仲よくしよう」 → ○「人は仲良くするのが難しい」 













☆「中世の東海道をゆく」榎原雅治 中央公論新社 2008年【再掲載 2012.6】

<出版社の案内>

弘安3年(1280)11月、ひとりの貴族が馬に乗り、わずかな随伴者とともに東海道を
京から鎌倉へと向かっていた―。
中世の旅路は潮の干満など自然条件に大きく左右され、また、木曾三川の流路や遠州平野
に広がる湖沼など東海道沿道の景色も、現在とはかなり異なっていた。
本書は鎌倉時代の紀行文を題材に、最新の発掘調査の成果などを取り入れ、中世の旅人の
眼に映った風景やそこに住む人々の営みを具体的に再現するものである。
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◇湖畔にて-橋本

□浜名の風景 
 
・浜名へ

 明応の大地震 明応7(1498)年8月25日辰の時(午前7~9時)


 御前崎で発生 → 本州中部
大波で海辺2,30町の民家がことごとく流された

M8.2~8.4


 天竜川右岸
   地は裂け3~5尺の波,山は割れ崩れた

ほどなく大波が天をついて襲ってきた

幾万人か知らず流される
「円通松堂禅師語録」


 大きな引き潮現象 - 伊勢大被害



・浜名湖の変容

明応地震以後 
    「橋本宿」の名は消える

→ 近世「新居関」宿も

     ※しかし,風光明媚の地橋本宿は壊滅


 今切 2説
    
     ① 地震直後の津波により出現

② 地震で浜名湖全体の沈降 → 海水流入
翌6月10日台風による高潮により今切出現

       大波で海辺2,30町の民家がことごとく流された

  ↓



□浜名湖変化 

 ① 遠州灘と浜名湖はつながっていなかった


② 浜名川 以前は遠州灘に向かい西に流れていた


③ 地震により1m沈降 満潮時には海水が逆上する汽水湖に



3㎞以上隔たったところに



□古代・中世資料の描く浜名湖

・地震以前 … 橋が架けられていた 「浜名の橋」
長さ170m 広さ4m 高さ4.8m
  9世紀前半にはすでに架けられていた

・明治初期まで橋本村有り 現在も新居町浜名の内に
 
※入江があったかなかったか

橋本の形 P92 図3-2



□浜名湖は沈降したか

・浜名湖は淡水湖だったか 鎌倉時代にすでに汽水湖


・浜名湖淡水説の誕生 汽水化説は江戸時代中期より


・沈降説の誕生と進化 地震学者 都司嘉宣氏 1980年





◇平野の風景 遠州平野

□遠州の内海

・野津には津あり 「曳馬」は明治になって命名された新地名
中世の引間の位置はまだ特定されていない


・内陸水面,今之浦  都市・見付 裸祭り



□天竜川

・天中川か天竜川か
『続日本紀』 麁玉河 715年 → 広瀬河 853年

→ 天ちうといふ河 11世紀後半 

天中川     1223年

  鎌倉時代 「テンデューガワ」か?

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