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ふえる一方の不登校をどうとらるか 「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に」- 分かっていて動きのとれない、という心理- 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) ② /「昭和史をどう生きたか」半藤一利 東京書籍 2014年 ①【再掲載 2015.7】 [読書記録 教育]

今回は、4月30日に続いて伊藤友宣さんの
「ふえる一方の不登校をどうとらえるか」2回目を紹介します。



出典、年度は不明ですが、
平成14、15年頃の月刊「少年育成」誌ではないかと思われます。


文章を読むと、
ふとしたことで、このような状況になってしまう子どもは案外多いのではないか、
と想像してしまいます。






もう一つ、再掲載となりますが、半藤一利さんの
「昭和史をどう生きたか」①を載せます。
なかにし礼さん、半藤一利さんと平和の大切さを唱える方を続けて失いました。
憲法記念日についての報道を見ていろいろ考えました。



<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト







ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
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☆ふえる一方の不登校をどうとらるか  「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に」- 分かっていて動きのとれない、という心理- 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) ②

◇ 子どもが、まずこちらを確かめる

 ここはいわゆる「カウンセリング」なるものの技法とか理論として大いに異見を頂くと
ころです。


 聴き手に徹してこちらが話しすぎないこととされるのが一般ですが、黙しがちで意欲の
湧かない子が語り出すのをやたら待つだけで共に硬化状態のままで過ごすのは、得策と言
えないことが多く、その場にいつか「気」の生ずるか否かの勝負どころなのですから、私
は時に、自己の体験や考え方など、それを聞く相手の反応をさりげなくしっかり見守りな
がら、どんどんしゃべることがしょっちゅうです。


 特にこの春作の場合は、よく私の語るところを表情の変化を見つめながら聞き込んでい
るようでした。


 納得出来る人物だかどうかを、確かめながら耳をそばだてている少年の様子に、むしろ
こちらが思わず威儀を正すことになるのでした。


 柔道の心得のある父親の誘いで幼児期から柔道教室になじみ、少年野球では専らキャッ
チャーとして活躍していたが、中学に入ってからは背丈があるので、部活の先生の強いす
すめでバレーボールに入部し、それなりに期待された三年間だったと、ポツポツ語り出し
ます。


 勉強は中学になってからいい加減になってしまったものの、スポーツはなんでもかんで
もこなせる。

「なにが問題なのか。なにが気になるの?」

と、問えば、

「さあ、さあ…」

と首をかしげるばかり。


 まるで要領を得ないのです。

「友達は普通にいる…」

と答え、どうしても行けないから近所の友人に呼びかけ、この頃毎晩一緒に走ってもらっ
ているのだと言います。


 友人とは

「よ-しこれでいい。明日は必ず行くからな」

「お-ッ」

とかわし合って別かれるのに、次の日も行けない。

「その繰り返しですよ」

と淋しく笑っています。


 いかにも力無い感じです。


 自分が学校暮しに関わることに関しては体と心が、頭の命ずる通りにはどうしても動か
ない。


 そういうことが、学業もスポーツも能力の素地としてはトップクラスの子の場合にも起
り得るのが、つまり不登校というものの本質を語っているのだと、春作の不登校の例は印
象深いものでした。


 当人が首をかしげ、カウンセラーである私も首をかしげるしかないわけなのです。





◇不本意にも、張るべき弦がゆるむ

「まず高校に入ってから不登校になる、その前に、中学一年未から、やる気が失せたまま
 惰性で成績低下した。そのためランクを下げて今の高校にしか入れなかったってはどう
 いうことなんだろうか」

という私のいぶかしげな呟きを耳にして、当人は、それこそ力のない呟きを自分が引き受
けるように続けて、


「だめなんやなあ、俺って。とにかくなんにも見えて来んのやから…。こんなんではアカ
 ン、アカン、といらだつと、懸命にあせるんですよ。体がどうしても動かん。つまりや
 る気がわいて来ん」


「その…何にも見えて来ん、ってのはなに?」


「分かりません…」


 漠然とした思いそのものを、遠慮なくさらけ出している、といった様子で、脚を投げだ
し頻をゆがめっぱなしにして、両腕をひろげてソファの背に投げつけている少年のかたわ
らのコーナーに、私のたまたま読みさしの文庫本が積んであったので、私は何気なく話題
をそれに向けて、


「そこに積んでる文庫本、全五冊。伊能忠敬という、なんと五十六歳になってから、足で
 全国踏破して日本地図を完成した人の話。やる気って、まさに、この人のこの根性だよ
 ねえ。実にすごいよ」


と目をきらめかすと、さりげなく私のことばを取って、春作少年が、


「ああ、井上ひさしの 『四千万歩の男』 でしょ。おもしろい。一気に読んでしもた」


「え? 読んだの? いつ?」


「本格的にやる気が無くなった中二の二学期かな? すっぼりはまっちゃった。井上ひさ
 しの本、出版されてる限り全冊読んだと思う」


「そんなの、やる気がないって言うの?」


 少年は焦点のない白け頻のほほえみをこちらに向けて、


「やる気がないんだもの。授業とかも。都活とかも。くだらないやり取りでふざけてる友
 達とかにも、のるだけはってるものの、やる気、な-んもわいてこないもの」
 

…その後も時作少年は私のところへはポツリポツリとやって来ました。


 やがて単位不足もはっきりして、中退か留年かを決めねばならなくなって、決めかねな
がらも私のところへは続けてやってきた。


 父が来て言うのに、


「イトーセンセのとこ、行くの忘れてたら、目の下に隈ができる」


と本人が言ったということです。


 二学期の未には、留年することに決め、ボクシングのジムに通いはじめたようでした。


「ボクシング、その後、どう?」


「う-ん。本当は俺、格闘技は嫌いなんです」


「じゃぁ、なぜジムに通うの?」


「体のトレーニングのためかな」


 ぶっきらぼうな応答が、町のチンビラにからまれるもとになることがよくあって、いじ
けた負け方はしたくないという気張りぐせのためのトレーニングらしいと、やがては親に
も察しがつきました。いろいろあって、今東京の私大の二期生です。


 世の中の矛盾やずるさや頼りなさや訳の分からなさというものが、純な子どもらしい真
っすぐさには耐えられなくなって来る。


 意外と無限の輝きと見えていた自分自身にも、力量の限界が厳然とあることが分かって
もきた。


 そんなこんなでなんだか気持ちがゆるんでしまっている。


 内心を語って、パシリと受止めてくれる人も回りに見つからない。


 中学の成績は、故意にやらずにいたら落ちるだけ落ちてその結果、ピンと張りあって力
を出しあえるトップの高校には入られず、今は自分の内も外もいい加減なぬるま湯状態と、
いう訳だったのですね。
     








☆「昭和史をどう生きたか」半藤一利 東京書籍 2014年 ①【再掲載 2015.7】

<出版社の案内>

昭和史研究の第一人者で、圧倒的な支持を得る半藤一利が、吉村昭、澤地久枝をはじめ、
昭和を生き抜き、作品のテーマとしてきた日本を代表する作家・研究者と徹底的に議論し
た『昭和史の真実』。特攻作戦に最後まで反対し、隊から一人も特攻者を出さなかった指
揮官に戦後会いに行く話など、これまでまったく語られることのなかった衝撃の事実の数
々。
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◇ふたつの戦場 ミッドウェーと満州 澤地久枝 (前半)
 
□ミッドウェー「空白の五分間」

  

□「滄海よ眠れ」毎日新聞社 S56 
   
 両軍3419名戦死者 
  
「記録ミッドウェー海戦」
  
 一隻の給油艦の被爆について実に無関心
 
  → 6月5日だけで4空母全滅

  

□南雲機動中隊が完全に敵をなめていて慢心のあまり命令違反が敗因
  
 → 海軍当事者の総意として戦後ずっと秘匿された

            |

  「運命の五分間」説はおかしい



□大本営の計画性のなさ 

  第一段階を終えた後、何をするのか?

↑↓

  アメリカの柔軟な考え方の作戦
S17.4.18 ドゥーリトル隊 
  
    ホーネットから陸上機(脚が長いから)

   敵部隊をつぶすことが真の目的なのだから占領のことは考えなくてもよかった



□神話の誕生

洲田・奥宮「ミッドウェー」

予○令はあったのか? 作文?

   → 「運命の五分間説」のねつ造



□ミッドウェーと日本人

  昭和天皇はミッドウェーで4空母がやられたことを知らなかったのではないか?

    |
  
   ◎ うその編成表?
 

  日中戦争以来どうも陸海軍とも天皇にまで「大本営発表」
  
   ◎ 天皇はノモンハン事件(S14)の真相も知らされていない?         
   ◎ 調子に乗って勢いづいているときの日本人はとてももろい
  
           |
  
  ※ 計画は好きだが二段構え、三段構えで練っていない       

 
  黒田大尉の偵察機は雲の上「どうせいないと思っていた」
 
           ↑↓

      甘利兵曹はよく報告



□満州という国家   

  「ソ連が満州に侵攻した夏」文藝春秋

  日本人
   ~ とても植民地を統治できるような民族ではない
  
         例 山内VS長宗我部    
   

 「夜郎自大」実力がないくせに言い寄りすぎる
   日本人はイマジネーションが貧困で他民族の痛みにまで理解が及ばない。
   それを考えもせずに満州を運営しようとした。 



◎ 日露戦争が終わったときに南満州鉄道をアメリカと共同で経営しようとエドワード・
 ハリマンと伊藤博文とでまとまりかけたところで、ポーツマスから帰ってきた小村寿太
 郎が強引にひっくり返して日本が経営を独占してしまう。



◎ 満州を統治下におくという「遅れてきた統治主義」を実践し始めた瞬間から、日本は
 軍事国家たらざるを得なくなった。

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