「浜松古跡図絵」神谷昌志 明文出版社 1987年 ③ /「学校文化 その源流と課題」荒巻正六 福武書店 ③ 1990年【再掲載 2012.5】 [読書記録 郷土]
今回は、1月26日に続いて、神谷昌志さんの
「浜松古跡図絵」3回目の紹介です。
郷土史家として浜松で知られる神谷昌志さんが、古の浜松について教えてくれます。
一昨日、社会科の資料となるものを探しに図書室に出かけました。
そこでびっくり。
本書を見つけました。
一つ一つの項目に付けられた資料写真・図表の多いことにまたびっくり。
郷土浜松の歴史を知るのによい資料となることを改めて知りました。
目的の資料とはなりませんでしたが。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「賀茂真淵 梅谷家(伝馬町の本陣)に養子」
「西遠地域国学者群」
・「竹山平左衛門家 浜松きっての名流 天王町 竹山道雄も竹山家の人」
- 「ビルマの竪琴」を思い出しました。
・「伊能忠敬の測量 享和3(1803)年遠州灘海岸線の天竜川河口~浜松市南岸線」
- およそ200年前に伊能隊が近くを歩いたと知りました。
もう一つ、再掲載となりますが、荒巻正六さんの
「学校文化 その源流と課題」③を載せます。
林間学校が 「休日植民」+「教科学習」 だったとは…。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「浜松古跡図絵」神谷昌志 明文出版社 1987年 ③
◇真淵と浜松
□岡部の郷
真淵
元禄10(1697)年3月4日岡部政信の子
→ 19歳で梅谷家(伝馬町の本陣)に養子 31歳で上京 春満門下
京都から江戸へ
寛保2(1742)年 『万葉集遠江歌考』
延享3(1746)年 田安宗武に仕える
『冠辞考』『語意考』『万葉考』
内山真龍 宝暦12(1762)年 23歳で入門
明和6(1769)年 73歳で他界
→ 天保5(1834)縣居翁霊社
◇西遠地域国学者群
真淵の師
諏訪神社神官 杉浦国頭(くにあきら) 妻雅子(真崎)
五社神社神官 森暉昌
浜松宿神明町 柳瀬方塾(みちいえ) = 隠口翁(こもりくちのおきな)
真淵の門下
内山真龍と栗田土満
真淵の孫弟子(宣長門流)
石塚龍麿、高林方朗、夏目甕麿(みかまろ)
◇江戸時代に活躍した俳人の句碑
五升庵蝶夢、栃木攘白、堀川鼠来、太田巴静、有賀豊秋、大島斎太、松尾芭蕉の句碑
芭蕉の句碑 - 紺屋町の蓮華寺境内
◇玉梅軒・竹山平左衛門家の系譜
竹山平左衛門家 浜松きっての名流 天王町
竹山謙三
謙三の姉婿は岡田良一郎(実業人・思想家)
長男・良平は文部大臣
次男・木喜徳郎 内務大臣、宮内大臣
※ 竹山道雄も竹山家の人
竹山家元祖
室町時代土着 高森太郎左衛門重治
家康
鷹狩りの際立ち寄り、門前の梅の木に鷹をとまらせた
→ 「鷹宿梅」昭和30年頃まで保護された
莫大な量の古文書・古記録
◇村松林之助の「江戸行道中絵日記」
江戸末期
遠江森の町民・村松林之助が森から江戸へ
全文毛筆 墨色と茶色の絵
◇天文方・伊能忠敬の佐鳴湖測量
享和3(1803)年
遠州灘海岸線
天竜川河口~浜松市南岸線
文化元(1805)年
佐鳴湖・浜名湖の実地測量
3月17日~28日 11日間14人
「天文方御急回状」
☆「学校文化 その源流と課題」荒巻正六 福武書店 ③ 1990年【再掲載 2012.5】
<出版社の案内>
行事・校則からいじめまで、学校の全生態の水脈をたどり、新しい学校創造のヒントを
与える画期的教育論。第三部にユーモアと迫力に満ちた講演「家庭教育の真髄」を収録。
◇夏季施設の源流
□林間学校・臨海学校・学校プール水泳指導
□篠原助市著『教育辞典』
「休日植民」
-「大都市における貧民社会の病弱児童を夏季休業中、山間海浜または森林地方に転
地せしめ、その健康を増進する慈善的施設」
起源 1853年 デンマーク
1876年 スイス ビオン 3~4週間
「休日植民」+「教科学習」=林間学校
1904年 ドイツ シャーロッテブルグ市
□日本
大正6(1917)年 東京 白十字会 茅ヶ崎に白十字林間学校
大正9年 調布多摩川林間学校
昭和2(1927)年 文部省 鎌倉に林間学校
□水泳指導
大正9(1917)年第7回アントワープオリンピック契機に欧式泳法
→ 養護 + 鍛錬
◇水泳指導者心得帖
□初期発見が決め手
監視と人員点呼
□排水口
事前点検・点検後の処理状況
◇プール指導雑感
□江戸時代藩校
的場・馬場・水泳場
□注意義務違反
水泳の季節には子供たちの安全なそして思い切って泳ぐことのできるチャンスを与え
たいものだ
◇夏休み再考論と子どもの生活
□臨時教育審議会
「夏休み期間には子どもを学校から完全に解放することが必要である」
↑
◎ 調子の良い言葉にとらわれて目に見えない努力を見落とさない
◇夏休み宿題全廃論
□現在
◎ ひとたび子どもを教育機関に入れてしまえば在学期間中を通して人間形成上
の責任はすべてその教育機関にあるという風潮
<受け身の思想>
□文部省社会教育局長
「少年のためには自然の家、青年のためには青年の家、夫人のためには婦人会館、
着物を着られるように着付け教室、母親がしっかりするために家庭教育学級とい
った形で、次から次へと今日まで流れてきたが、その結果自分ひとりでは何もで
きない、つくれないというようなことになりつつあるのではないか」
∥
◎ 受け身の姿勢
↓
◎ 積極的な姿勢へ
夏休みは帰省的な授業から解放された児童にとっては「余暇」
|
ある学者 「古代ローマの崩壊は閑暇哲学の欠如にあった」
◇夏休みの事前指導
□登山事故裁判に関連して
□一部の親に確信に満ちた発言の裏にある子どもへの信頼
□西堀栄三郎 「勇気は自信に先行する」
◇夏に鍛える
□夏休みは青少年の心や身体を鍛える絶好の機会であるが事故を伴いやすい
□新田次郎『聖職の碑』大正2年8月27日引率校長以下11名の死者(登山)
原因
① 案内人を付けず
② 下見をしていない
③ 仮小屋急造強行
④ パニックを引き起こす発言
↑
◎ 完全無欠の準備や計画はありえないが、失敗のリスクを減らすためあらゆるケー
スを想定し克服する用意や準備をしておけ
・ 問題は不完全なものを完全だと思いこむことにある
「浜松古跡図絵」3回目の紹介です。
郷土史家として浜松で知られる神谷昌志さんが、古の浜松について教えてくれます。
一昨日、社会科の資料となるものを探しに図書室に出かけました。
そこでびっくり。
本書を見つけました。
一つ一つの項目に付けられた資料写真・図表の多いことにまたびっくり。
郷土浜松の歴史を知るのによい資料となることを改めて知りました。
目的の資料とはなりませんでしたが。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「賀茂真淵 梅谷家(伝馬町の本陣)に養子」
「西遠地域国学者群」
・「竹山平左衛門家 浜松きっての名流 天王町 竹山道雄も竹山家の人」
- 「ビルマの竪琴」を思い出しました。
・「伊能忠敬の測量 享和3(1803)年遠州灘海岸線の天竜川河口~浜松市南岸線」
- およそ200年前に伊能隊が近くを歩いたと知りました。
もう一つ、再掲載となりますが、荒巻正六さんの
「学校文化 その源流と課題」③を載せます。
林間学校が 「休日植民」+「教科学習」 だったとは…。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「浜松古跡図絵」神谷昌志 明文出版社 1987年 ③
◇真淵と浜松
□岡部の郷
真淵
元禄10(1697)年3月4日岡部政信の子
→ 19歳で梅谷家(伝馬町の本陣)に養子 31歳で上京 春満門下
京都から江戸へ
寛保2(1742)年 『万葉集遠江歌考』
延享3(1746)年 田安宗武に仕える
『冠辞考』『語意考』『万葉考』
内山真龍 宝暦12(1762)年 23歳で入門
明和6(1769)年 73歳で他界
→ 天保5(1834)縣居翁霊社
◇西遠地域国学者群
真淵の師
諏訪神社神官 杉浦国頭(くにあきら) 妻雅子(真崎)
五社神社神官 森暉昌
浜松宿神明町 柳瀬方塾(みちいえ) = 隠口翁(こもりくちのおきな)
真淵の門下
内山真龍と栗田土満
真淵の孫弟子(宣長門流)
石塚龍麿、高林方朗、夏目甕麿(みかまろ)
◇江戸時代に活躍した俳人の句碑
五升庵蝶夢、栃木攘白、堀川鼠来、太田巴静、有賀豊秋、大島斎太、松尾芭蕉の句碑
芭蕉の句碑 - 紺屋町の蓮華寺境内
◇玉梅軒・竹山平左衛門家の系譜
竹山平左衛門家 浜松きっての名流 天王町
竹山謙三
謙三の姉婿は岡田良一郎(実業人・思想家)
長男・良平は文部大臣
次男・木喜徳郎 内務大臣、宮内大臣
※ 竹山道雄も竹山家の人
竹山家元祖
室町時代土着 高森太郎左衛門重治
家康
鷹狩りの際立ち寄り、門前の梅の木に鷹をとまらせた
→ 「鷹宿梅」昭和30年頃まで保護された
莫大な量の古文書・古記録
◇村松林之助の「江戸行道中絵日記」
江戸末期
遠江森の町民・村松林之助が森から江戸へ
全文毛筆 墨色と茶色の絵
◇天文方・伊能忠敬の佐鳴湖測量
享和3(1803)年
遠州灘海岸線
天竜川河口~浜松市南岸線
文化元(1805)年
佐鳴湖・浜名湖の実地測量
3月17日~28日 11日間14人
「天文方御急回状」
☆「学校文化 その源流と課題」荒巻正六 福武書店 ③ 1990年【再掲載 2012.5】
<出版社の案内>
行事・校則からいじめまで、学校の全生態の水脈をたどり、新しい学校創造のヒントを
与える画期的教育論。第三部にユーモアと迫力に満ちた講演「家庭教育の真髄」を収録。
◇夏季施設の源流
□林間学校・臨海学校・学校プール水泳指導
□篠原助市著『教育辞典』
「休日植民」
-「大都市における貧民社会の病弱児童を夏季休業中、山間海浜または森林地方に転
地せしめ、その健康を増進する慈善的施設」
起源 1853年 デンマーク
1876年 スイス ビオン 3~4週間
「休日植民」+「教科学習」=林間学校
1904年 ドイツ シャーロッテブルグ市
□日本
大正6(1917)年 東京 白十字会 茅ヶ崎に白十字林間学校
大正9年 調布多摩川林間学校
昭和2(1927)年 文部省 鎌倉に林間学校
□水泳指導
大正9(1917)年第7回アントワープオリンピック契機に欧式泳法
→ 養護 + 鍛錬
◇水泳指導者心得帖
□初期発見が決め手
監視と人員点呼
□排水口
事前点検・点検後の処理状況
◇プール指導雑感
□江戸時代藩校
的場・馬場・水泳場
□注意義務違反
水泳の季節には子供たちの安全なそして思い切って泳ぐことのできるチャンスを与え
たいものだ
◇夏休み再考論と子どもの生活
□臨時教育審議会
「夏休み期間には子どもを学校から完全に解放することが必要である」
↑
◎ 調子の良い言葉にとらわれて目に見えない努力を見落とさない
◇夏休み宿題全廃論
□現在
◎ ひとたび子どもを教育機関に入れてしまえば在学期間中を通して人間形成上
の責任はすべてその教育機関にあるという風潮
<受け身の思想>
□文部省社会教育局長
「少年のためには自然の家、青年のためには青年の家、夫人のためには婦人会館、
着物を着られるように着付け教室、母親がしっかりするために家庭教育学級とい
った形で、次から次へと今日まで流れてきたが、その結果自分ひとりでは何もで
きない、つくれないというようなことになりつつあるのではないか」
∥
◎ 受け身の姿勢
↓
◎ 積極的な姿勢へ
夏休みは帰省的な授業から解放された児童にとっては「余暇」
|
ある学者 「古代ローマの崩壊は閑暇哲学の欠如にあった」
◇夏休みの事前指導
□登山事故裁判に関連して
□一部の親に確信に満ちた発言の裏にある子どもへの信頼
□西堀栄三郎 「勇気は自信に先行する」
◇夏に鍛える
□夏休みは青少年の心や身体を鍛える絶好の機会であるが事故を伴いやすい
□新田次郎『聖職の碑』大正2年8月27日引率校長以下11名の死者(登山)
原因
① 案内人を付けず
② 下見をしていない
③ 仮小屋急造強行
④ パニックを引き起こす発言
↑
◎ 完全無欠の準備や計画はありえないが、失敗のリスクを減らすためあらゆるケー
スを想定し克服する用意や準備をしておけ
・ 問題は不完全なものを完全だと思いこむことにある
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