「いいかげんのすすめ」 ひろさちや PHP 2008年 ④(最終)/「新しい歴史教科書の絶版を勧告する」谷沢永一 ビジネス社 2001年【再掲載 2015.2】 [読書記録 宗教]
今回は、2月13日に続いて、ひろさちやさんの
「いいかげんのすすめ」4回目の紹介 最終です。。
ひろさんの本は、
「世間のものさし」と「仏さまのものさし」があることを教えてくれます。
出版社の案内には、
「仏教を中心に、宗教的なものの見方・考え方を紹介。戸惑い・不安を抱え、傷つくこと
も多い現実社会を生きるための叡智をやさしく説く。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「仏教は、いえ、仏教にかぎらず宗教は、羅針盤です。羅針盤によって、船は進
むべき方向を知ることができます。」
・「わたしたち現代日本人の多くが羅針盤なしで人生を生きているようなものです。
ただただスピード・メーターだけを見つめています。」
・「大事なのは、羅針盤を捨てずに持っていることです。」
・「少しずつというのが、仏教の根本精神です。わたしはそう考えています。」
もう一つ、再掲載となりますが、谷沢永一さんの
「新しい歴史教科書の絶版を勧告する」を載せます。
20年前に出版された本ですが、
谷沢さんに批判されることを当時不思議に感じました。
わたしが新採のころ、1つの教科にいくつもの出版社から教科書が出ていました。
それぞれの出版社毎に特徴があり、大きな違いを感じたものでした。
しかし、経営的にたいへんなのでしょう、最近は教科書の種類が減り、選択の自由
が狭まっています。残念に感じます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「いいかげんのすすめ」 ひろさちや PHP 2008年 ④(最終)
◇あとがき
講演の途中で、時折、
「ひろさちやはうどん屋の釜なんです」
と語ります。
聴衆はきょとんとしています。そのあと、一拍おいていてこうつづけます。
「そのこころは、言う(湯)ばかりです」
みんな笑ってくれますね。
でも、これ、半分はジョークですが、あとの半分は忸怩たる懐いで語っているこ
とばなんです。
わたしが仏教書を書きはじめてすでに30年以上になり、500冊以上を刊行し
ました。
それらの本の中で、私は繰り返し繰り返し仏教の教えを書きました。
同じことを言いつづけてきました。
そして本書は、以前に刊行した『まんだら人生論(上・下)』(読売新聞社のち
に新潮文庫)の中から選んだものに手を加え、新たに解説を書き下ろして加えた
ものです。
その過去に書いたものを編集のために再読して、わたしは赤面するばかりでした。
いま、おまえは自分の言っていることをほんとうに実践しているのかと、読者に
問われたら、
「申し訳ありません。わたしはここに言ったことの半分も、いや十分の一も実践で
きていません」
と、お詫びするよりほかありません。
ひろさちやは言う(湯)ばかりの男です。
書いたことの半分も、いや十分の一も実践できていません。
けれども、弁解をすれば、それでいいと思っています。それでもいいのではなく、
それでいいのです。
実践できなくても、まず仏教の教えがどういうものであるかを知ることが大事
です。
仏教は、いえ、仏教にかぎらず宗教は、羅針盤です。羅針盤によって、船は進む
べき方向を知ることができます。
だが、進むべき方向がわかっても、船がその方向に進めるとはかぎりません。そ
こに大きな氷山があれば、船は西か東に進まねばならない。極端な場合は、南に後
退せねばなりません。
でも、だからといって、羅針盤が不要ではありません。
考えてみれば、わたしたち現代日本人の多くが羅針盤なしで人生を生きているよ
うなものです。
ただただスピード・メーターだけを見つめています。
それだと「人生を生きている」とは言えませんよね。たんに生活しているだけで
はないでしょうか。
羅針盤は必要なんです。
わたしたちは羅針盤を持って、人生という大海原を航海するのです。
そして、わたし自身にとって、その羅針盤は仏教です。
仏教の教えを学びつつ、人生を歩んできたし、これからもそうしたいと思ってい
ます。
もちろん、羅針盤の示す方角に真っ直ぐ歩めません。
横に逸れ、ときには後退もしました。ちっとも前に進んでいないではないかと、
ほんとうに忸怩たる懐いでいます。
しかし、大事なのは、羅針盤を捨てずに持っていることです。
わたしはそのように自己満足をしています。
それからもう一つ。
いくら仏教の教えを学んでも、われわれはすぐに忘れてしまいます。
わたし自身、すぐに忘れてしまうから、また新たな気持ちで仏教を学ぶことがで
きるのです。
だから、忘れることをこわがらないでください。
いつかまた、本書を取り出して再読してみてほしい。
そうすることによって、少しずつ仏教がわかってきます。
その少しずつというのが、仏教の根本精神です。わたしはそう考えています。
平成20年3月 ひろさちや
☆「新しい歴史教科書の絶版を勧告する」谷沢永一 ビジネス社 2001年【再掲載 2015.2】
<出版社の案内>
あまりに杜撰な教科書造り&検定。無学甚だしく基本的な知識が欠如し、嘘とハッ
タリに満ちた「つくる会」の「新しい歴史教科書」を徹底検証し、あわせて、根源
的な問題解決の方法として歴史教育の廃止を提唱する。
◇私の検定では合格にならない
とかくメダカは群れたがる
中川八洋「新・日本国憲法草案」(昭和59.5.3山手書房)
↑↓
つくる会 <事前の大宣伝> +<人集め>
期待はずれのつくる会
検定制度を考える
文部省が一流でないために検定が生まれた
→自分たちの仕事を多くしようとして必要のない検定制度を明治19年につくる
→<社会問題+国際問題>
つくる会 大宣伝と人集めのため
中国韓国 内政干渉のため
三つある近代国家の基準
① 条例を守れるかどうか
② 時効の概念
③ 内政干渉すべきでない
◇口絵は初歩的な見当違いで通す
「相当する」は逃げの常道
基本文献ぐらい読むべし
岡倉天心 美術紹介 → 不倫で東洋美術学校追放
用語の誤用,卑屈な日本文化理解
西欧コンプレックスに取り憑かれた執筆陣
江戸時代 第一芸術 雅 第二芸術 俗
雅俗折衷の江戸文化へ
◇「序章歴史への招待」 は議論倒れと右脳左
中村幸彦学説の変装
和時計は西洋時計をさらに進化させたもの
◇第一章 原始と古代の日本
孔子は?
仁 「礼に基づく自己抑制」 + 「他者への思いやり」
愛 「仁の内のある一面」
「三国志」司馬を讃えるために書かれた- ◎晋の功績 正史にしたかった
↓
◎ 架空の国 邪馬台国の誕生
神話を読解する問題意識の欠如
朝貢 = 臣従ではない
天皇 大王 → 天皇?
天王 → 天皇?
百済と日本は親しい関係
◇藤原氏を低く扱い国家構造の原理をぼかす
<途中まで>
「いいかげんのすすめ」4回目の紹介 最終です。。
ひろさんの本は、
「世間のものさし」と「仏さまのものさし」があることを教えてくれます。
出版社の案内には、
「仏教を中心に、宗教的なものの見方・考え方を紹介。戸惑い・不安を抱え、傷つくこと
も多い現実社会を生きるための叡智をやさしく説く。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「仏教は、いえ、仏教にかぎらず宗教は、羅針盤です。羅針盤によって、船は進
むべき方向を知ることができます。」
・「わたしたち現代日本人の多くが羅針盤なしで人生を生きているようなものです。
ただただスピード・メーターだけを見つめています。」
・「大事なのは、羅針盤を捨てずに持っていることです。」
・「少しずつというのが、仏教の根本精神です。わたしはそう考えています。」
もう一つ、再掲載となりますが、谷沢永一さんの
「新しい歴史教科書の絶版を勧告する」を載せます。
20年前に出版された本ですが、
谷沢さんに批判されることを当時不思議に感じました。
わたしが新採のころ、1つの教科にいくつもの出版社から教科書が出ていました。
それぞれの出版社毎に特徴があり、大きな違いを感じたものでした。
しかし、経営的にたいへんなのでしょう、最近は教科書の種類が減り、選択の自由
が狭まっています。残念に感じます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「いいかげんのすすめ」 ひろさちや PHP 2008年 ④(最終)
◇あとがき
講演の途中で、時折、
「ひろさちやはうどん屋の釜なんです」
と語ります。
聴衆はきょとんとしています。そのあと、一拍おいていてこうつづけます。
「そのこころは、言う(湯)ばかりです」
みんな笑ってくれますね。
でも、これ、半分はジョークですが、あとの半分は忸怩たる懐いで語っているこ
とばなんです。
わたしが仏教書を書きはじめてすでに30年以上になり、500冊以上を刊行し
ました。
それらの本の中で、私は繰り返し繰り返し仏教の教えを書きました。
同じことを言いつづけてきました。
そして本書は、以前に刊行した『まんだら人生論(上・下)』(読売新聞社のち
に新潮文庫)の中から選んだものに手を加え、新たに解説を書き下ろして加えた
ものです。
その過去に書いたものを編集のために再読して、わたしは赤面するばかりでした。
いま、おまえは自分の言っていることをほんとうに実践しているのかと、読者に
問われたら、
「申し訳ありません。わたしはここに言ったことの半分も、いや十分の一も実践で
きていません」
と、お詫びするよりほかありません。
ひろさちやは言う(湯)ばかりの男です。
書いたことの半分も、いや十分の一も実践できていません。
けれども、弁解をすれば、それでいいと思っています。それでもいいのではなく、
それでいいのです。
実践できなくても、まず仏教の教えがどういうものであるかを知ることが大事
です。
仏教は、いえ、仏教にかぎらず宗教は、羅針盤です。羅針盤によって、船は進む
べき方向を知ることができます。
だが、進むべき方向がわかっても、船がその方向に進めるとはかぎりません。そ
こに大きな氷山があれば、船は西か東に進まねばならない。極端な場合は、南に後
退せねばなりません。
でも、だからといって、羅針盤が不要ではありません。
考えてみれば、わたしたち現代日本人の多くが羅針盤なしで人生を生きているよ
うなものです。
ただただスピード・メーターだけを見つめています。
それだと「人生を生きている」とは言えませんよね。たんに生活しているだけで
はないでしょうか。
羅針盤は必要なんです。
わたしたちは羅針盤を持って、人生という大海原を航海するのです。
そして、わたし自身にとって、その羅針盤は仏教です。
仏教の教えを学びつつ、人生を歩んできたし、これからもそうしたいと思ってい
ます。
もちろん、羅針盤の示す方角に真っ直ぐ歩めません。
横に逸れ、ときには後退もしました。ちっとも前に進んでいないではないかと、
ほんとうに忸怩たる懐いでいます。
しかし、大事なのは、羅針盤を捨てずに持っていることです。
わたしはそのように自己満足をしています。
それからもう一つ。
いくら仏教の教えを学んでも、われわれはすぐに忘れてしまいます。
わたし自身、すぐに忘れてしまうから、また新たな気持ちで仏教を学ぶことがで
きるのです。
だから、忘れることをこわがらないでください。
いつかまた、本書を取り出して再読してみてほしい。
そうすることによって、少しずつ仏教がわかってきます。
その少しずつというのが、仏教の根本精神です。わたしはそう考えています。
平成20年3月 ひろさちや
☆「新しい歴史教科書の絶版を勧告する」谷沢永一 ビジネス社 2001年【再掲載 2015.2】
<出版社の案内>
あまりに杜撰な教科書造り&検定。無学甚だしく基本的な知識が欠如し、嘘とハッ
タリに満ちた「つくる会」の「新しい歴史教科書」を徹底検証し、あわせて、根源
的な問題解決の方法として歴史教育の廃止を提唱する。
◇私の検定では合格にならない
とかくメダカは群れたがる
中川八洋「新・日本国憲法草案」(昭和59.5.3山手書房)
↑↓
つくる会 <事前の大宣伝> +<人集め>
期待はずれのつくる会
検定制度を考える
文部省が一流でないために検定が生まれた
→自分たちの仕事を多くしようとして必要のない検定制度を明治19年につくる
→<社会問題+国際問題>
つくる会 大宣伝と人集めのため
中国韓国 内政干渉のため
三つある近代国家の基準
① 条例を守れるかどうか
② 時効の概念
③ 内政干渉すべきでない
◇口絵は初歩的な見当違いで通す
「相当する」は逃げの常道
基本文献ぐらい読むべし
岡倉天心 美術紹介 → 不倫で東洋美術学校追放
用語の誤用,卑屈な日本文化理解
西欧コンプレックスに取り憑かれた執筆陣
江戸時代 第一芸術 雅 第二芸術 俗
雅俗折衷の江戸文化へ
◇「序章歴史への招待」 は議論倒れと右脳左
中村幸彦学説の変装
和時計は西洋時計をさらに進化させたもの
◇第一章 原始と古代の日本
孔子は?
仁 「礼に基づく自己抑制」 + 「他者への思いやり」
愛 「仁の内のある一面」
「三国志」司馬を讃えるために書かれた- ◎晋の功績 正史にしたかった
↓
◎ 架空の国 邪馬台国の誕生
神話を読解する問題意識の欠如
朝貢 = 臣従ではない
天皇 大王 → 天皇?
天王 → 天皇?
百済と日本は親しい関係
◇藤原氏を低く扱い国家構造の原理をぼかす
<途中まで>
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